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タフィ3がシブヤン海から撤退したはずのクリタ艦隊と遭遇し、午前六時一七分に「敵戦艦が砲撃してくる」という無線連絡を最期に応答を絶ったのを確認したアメリカ海軍第七艦隊司令長官トーマス・C・キンケイド中将は、全身から吹き出す冷や汗が一向に止まらない思いで第三艦隊のウィリアム・F・ハルゼー大将へ一刻も早い反転を要請し続けていた。
キンケイドはタフィ3の援護のために、同隊の南南東約三〇kmの海域にいるタフィ2と、南へ約一九〇km離れたところにいるタフィ1に敵艦隊への攻撃を命じた。ところが、タフィ1・タフィ2共に、フィリピン各地より出撃してきたと思われる敵基地航空機からの空襲を受け、両隊とも空母数隻に被害が出て対艦攻撃どころではなくなってしまう始末だった。
こんな事になってしまったのも、全てはハルゼーがサン・ベルナルディノ海峡をがら空きにして、北の敵機動部隊へ突っ込んでしまったせいである。そしてキンケイドの胃を痛めつける事案はそれだけに留まらない。昨日の昼間に一度叩き、その後反転したと思われていたスールー海の敵艦隊がスリガオ海峡へ接近してきているのを索敵機が発見したのだ。おまけに、昨日の偵察時より巡洋艦・駆逐艦が倍に増えているときた。
敵は、レイテ湾を南北から挟撃しようとしている。キンケイドは現状を正しく認識し、頭を抱えた。
彼の指揮下にある戦力の中でレイテに迫る南北の敵に対抗出来るのは、パール・ハーバーの騙し打ちから蘇った旧式戦艦が六隻、重巡四隻、軽巡四隻、駆逐艦二六隻、魚雷艇三九隻。このうち魚雷艇は昼間の戦闘で戦果は期待できない。南北から迫る敵艦隊の戦力を合計すれば、戦艦七、重巡一〇から一二、軽巡三ないし四、駆逐艦二〇前後となるが、敵戦艦は条約明けの新鋭戦艦二隻が含まれている上に、重巡戦力で三倍近い戦力差があると、こちらの駆逐艦群が良いように蹂躙される恐れが極めて大きかった。
かといって、艦隊をどちらか一方に全て投入するのも論外で、単純に戦力を等分するのも同じく話にならない愚策だ。
キンケイドは参謀たちの意見も聞いて決断した。南方から来る敵艦隊に対してはバーケイ少将率いる軽巡「フェニックス」「ボイシ」とオーストラリア海軍の重巡「シュロップシャー」、第五四駆逐戦隊の駆逐艦八隻、魚雷艇隊三九隻をスリガオ海峡に回して迎撃させ、それ以外のほぼ全てがジェシー・B・オルデンドルフ少将率いる第七七.二任務群としてクリタ艦隊に立ち向かう。船団護衛を放棄せず、戦力の逐次投入を避けるにはこれしか手段がなかった。
スリガオ海峡にて迎撃の任を命じられたバーケイ少将は、全速で南下する旗艦「フェニックス」艦上で緊張感と必死に戦っていた。与えられた戦力で、戦艦二隻を含む敵艦隊を追い返す作戦がどれだけ無茶苦茶な物か、命令を下したキンケイドでさえ理解している事を彼はよく分かっていた。
バーケイはしかし、戦わなければこの窮地を抜け出す事は出来ない立場である。こちら側に有利なのは、狭隘な海峡を突破してくる敵艦隊の頭を押さえられる点くらいしかない。
パナオン島の西側とディナガット島の東側へ先発させた魚雷艇隊が敵艦隊発見を報じたのは午前八時を過ぎた頃だった。バーケイは魚雷艇隊の指揮官であるレッスン少佐に触接と敵艦隊への攻撃を命じた。
命令を受けたレッスン少佐は、魚雷艇乗りとしての矜持を奮い立たせて各隊へ突撃の準備を行わせる。何派にも別れ島影から忍び寄って一太刀を浴びせるしか方法はない。彼の部隊は三隻で一個小隊を編成し、それが一三個存在する。果たして何隻が生き残るか。
スリガオ海峡へ侵入中の敵艦隊は、ミョウコウタイプと思しき重巡二隻を先頭に、クマもしくはナガラタイプらしき軽巡一と駆逐艦が四隻のグループ、その後方約五五〇〇ヤードにパゴダ・マストが天まで聳えるフソウタイプの戦艦二隻と艦型不詳の重巡クラスが一隻、駆逐艦が四隻のグループに別れ、単縦陣で北上している。
「キラー・ホエール1より各隊、目標は各自手近の艦とせよ! 幸運を祈る――攻撃開始!」
無線でレッスンはそう怒鳴ると、彼の乗る魚雷艇がエンジンを全開にして突撃を始めた。
※ ※ ※
スリガオ海峡に侵入する前後から、敵艦の物と思しき英語の無線を傍受していた志摩・西村艦隊は、予め発艦させておいた「那智」と「足柄」の水上機からの索敵情報と合わせ、海峡の両隣を構成するパナオン島とディナガット島に伏兵が存在するという前提で進んでいた。
艦隊は「那智」と「足柄」が一番前を進み、「阿武隈」と駆逐艦四隻が付き従う志摩隊と、この後方五〇〇〇メートルに西村隊が「山城」「扶桑」「最上」駆逐艦四隻の並びで続いている。
〇八二〇時、先頭を往く旗艦「那智」の見張員が「艦首左四〇度、距離一一〇、魚雷艇らしき敵艦三!」と報じたのを皮切りに、艦隊は敵魚雷艇からの接敵を受け始めた。志摩隊の駆逐艦「曙」と「潮」が隊列を離れ、魚雷艇を叩くために増速していく。
「主砲左砲戦、目標、接近する敵魚雷艇。砲撃始め!」
「潮」駆逐艦長の荒木政臣少佐が、艦橋内左前方の「お猿の腰掛」と呼ばれる艦長用座席の前に立って命令を下す。艦首前部の一二.七サンチ連装砲がするすると左舷へ向き、砲身が生き物のように細かく仰角を取る。砲術長が「撃ち方始め!」を下令し、三基六門の主砲が火を吹いた。
「『曙』、撃ち方始めました」
第七駆逐隊の司令駆逐艦である「潮」の後ろをついてくる「曙」もほぼ同時に砲撃を開始し、接近する魚雷艇を阻止しようとする。
第一斉射が弾着、水柱が魚雷艇の後方に吹き上がった。三隻の魚雷艇たちはそれぞれ違うコースを取って海面を駆けて来る。「潮」が狙うのはそのうち中央の敵――「潮」自身へ向かって来る敵だ。
第二斉射が放たれる。戦艦の主砲射撃に比べれば児戯のような駆逐艦の射撃だが、その分手数が多い。弾着を見ないといけないのでカタログ性能のまま撃ち続ける事はできないにせよ、戦艦の五倍前後のハイペースで射撃が可能である。
約一万メートルの距離を瞬く前に駆け抜け、魚雷艇の手前に水柱を作る。第一斉射が遠弾で、今のが近弾だから修正としては悪くない。続いて第三斉射。全速で走っている魚雷艇目掛けて六発の一二.七サンチ砲弾が飛翔する。
魚雷艇の周囲に水柱が立ち上った。
「いいぞ、夾叉だ」
荒木少佐は満足気に呟いた。諸元が合っている証拠だ。「潮」が第四斉射を撃つ。基準排水量一六八〇トンの小さな艦体がビリビリと砲撃で震える。
右舷側から砲声が届いた。荒木がそちらの方を見ると、「足柄」の主砲と左舷高角砲が射撃を開始していた。
「命中!」
見張員の声で荒木は「潮」が狙い撃っている敵へ双眼鏡を向けた。
まっしぐらに「潮」へ迫っていた魚雷艇がひっくり返り、放り出された敵兵が溺れまいと必死に泳ぎ始めていたのが目に入った。
(水柱が引っ掛けたんだな)
荒木はそう判断すると即座に「砲撃待て」と命じ、次の獲物を探させる。その間に後方の「曙」が一隻撃破し、先ほど射撃を開始した「足柄」も魚雷艇を吹き飛ばしていた。
「艦首方向左三五度、距離八五、魚雷艇六、近づく!」
見張員の報告ですぐさま荒木は「目標敵一番艦、主砲砲撃始め」を令した。一二.七サンチ連装砲が砲術長指揮のもと目標へ向けられ、射撃を開始しようとした瞬間、後方から駆逐艦の射撃音とは次元の違う轟音が響いた。
「やられたか!?」
荒木が咄嗟に怒鳴った。直後、後部見張員が興奮した声で報じた。
「被弾ではありません、『山城』が撃ち方始めました! あっ『扶桑』も撃ち方始めました!」
続いて聞こえる同じような轟音。副砲や高角砲ではない、紛れも無く主砲の砲撃音だった。
「主砲射撃だって!? 無茶をするのう……!」
荒木の左後ろに立つ航海長が呆れた様子で言っている。荒木も同意見だった。
「主砲弾の水柱で妨害をするつもりか……?」
二隻の戦艦は、「山城」が左舷の六隻の魚雷艇へ撃ち、「扶桑」はどうやら新たに出現した右舷側の魚雷艇へ撃ったようだ。
「山城」の弾着は水柱が立ち上らなかったように見えた。代わりに荒木を始め「潮」の乗組員が見たのは、接近する魚雷艇たちのほぼ中央で炸裂した零式通常弾の効果だった。対軽装甲艦船や陸上、対空目標に対して使用する榴弾の一種で、貫通力は無いに等しいが広範囲を叩ける。
朝からの空襲を予期して装填していた分だったが、偵察と思しき敵機が遠巻きに現れた以外、何故か一度も攻撃を受けなかった結果、ここで撃ってしまえと西村中将が指示したのである。
西村を含め、自分たちが空襲を受けないで済んでいる理由の一つが、栗田艦隊が同じような手法で敵空母をスクラップに変えたおかげであるなどと、艦隊の誰一人として知る由もない。同様に、三五.六サンチ砲弾一二発の零式通常弾に襲われた魚雷艇たちの乗組員も、永遠に知ることのない話となった。
防御力など皆無な魚雷艇の船体、遮るものが大気しか存在しない乗組員に、音速の数倍の速度で、無数の弾体破片が襲い掛かった。炸裂時の高温を保持したままの破片が燃料タンクを撃ち抜き火災が発生した艇、乗組員が血達磨となり、操縦者も絶命して明後日の方向へ迷走を始める艇などもあれば、辛うじて被弾は免れたものの、一瞬で戦意を喪失し魚雷をバラまいて避退に移る艇など、凄惨たる状況に魚雷艇部隊は陥った。
直後、「扶桑」が右舷側に現れた魚雷艇群に対して放った零式通常弾も炸裂する。こちらも魚雷艇に乗るアメリカ海軍将兵を多数殺傷し、魚雷艇六隻の接近を拒むことに成功した。
(しかし、恐らく二度目は無いはずだ)
一部始終を「潮」の艦橋から観察していた荒木はそう判断する。敵も馬鹿ではないはずだから、バラバラに襲撃してくるはずだ。
「艦首方向左五〇度、距離九〇、魚雷艇一!」
そらきた――見張員の声に荒木は素早く反応し「主砲砲撃始め!」と下令した。
志摩・西村艦隊は魚雷艇の襲撃を跳ね除けつつ、スリガオ海峡奥地へと進み続けていた。
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