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予想されていたサン・ベルナルディノ海峡での待ち伏せが一切なく、拍子抜けした思いで栗田艦隊が太平洋へ出たのは二四日二三〇〇時を少し過ぎた頃だった。艦隊はそのまま対潜警戒を行いつつサマール島沿いに進み、翌二五日の日の出まで約一時間を切った〇五三〇時、「大和」の航海艦橋に電探室から緊迫した報告が入った。
「二二号電探に感有リ、感一、反射波微弱」
昨晩からほぼ一睡もせず、まどろみが漂い始めていた参謀や士官・下士官兵たちが一瞬にして目を醒ます。
仏頂面を構えたままの宇垣中将が、じっと後続の報告を待つ。
「大和」の電探室から次の報告が入る前に、艦隊の前方五〇〇〇メートルを走る「矢矧」から、
「我、電探ニ感有リ。方位一三五度、距離二八〇、数不明」
と無線連絡が入ってきた。
矢継ぎ早に電探室からも「艦首方向六五度、距離三二〇、反応複数」と入る。
こんなところを味方の艦隊が行動している訳はない。小沢艦隊は遥か北方に存在するはず。
ということは……。
森下艦長が間髪入れず「戦闘、砲戦用意」と命令を出すと共に、宇垣も、
「『愛宕』へ意見具申。『直チニ接近ノ要有リト認ム』だ。急げ」
張りのある声で指示を飛ばす。その具申の返答の代わりに「愛宕」からも「全艦針路一三〇度、速力二三ノット」と命令が来た。旗艦の方でも電探で捉えたのだ。
「一〇戦隊、増速します」
電探室はなおも探知結果を報せ続ける。栗田中将が下令したのか、艦隊の進行方向左側を警戒していた第一〇戦隊の各艦が速力を上げて隊列から離れ始めた。
「司令官、観測機を発艦させましょう。こう暗くては相手の確認に時間がかかります」
首席参謀野口六郎大佐の案に宇垣は即断で「出せ」と命ずる。
第一遊撃部隊の各艦は、敵空襲による被弾などの破損を警戒して大半が観測機をミンドロ島サンホセ基地へ一括で派遣していたが、艦尾に格納庫を持つ「大和」と「武蔵」、それと自艦の観測機を右二艦にそれぞれ一機ずつ預けていた「長門」は例外で、観測機を大事に仕舞いこんだままここまで来ていた。
「大和」から「武蔵」へ観測機発艦準備なり次第射出せよと信号が飛ぶのと同時に、「大和」艦内でも飛行科分隊が大急ぎで発艦準備に取り掛かる。
その間にも前進を続ける一〇戦隊の「矢矧」から、電探の探知結果が続々と届けられる。反応の大きさからどうやら巡洋艦及び駆逐艦の小規模な艦隊らしく、相手もこちらをレーダーで捉えているのか、既に反転して南へ向かい始めている。だが、全速力で追い掛けている一〇戦隊がどんどん距離を詰めていっている。
「大和」の艦尾に設置されているカタパルトが、乾いた火薬の炸裂音を放って零式水上観測機を二機(「大和」所属機と「長門」所属機)射出した。軽快な爆音を響かせて、今のところ電探のみが捉えている相手へ向かっていく。「武蔵」の方でも一機射出しているはずだった。
「妙だな」
宇垣が双眼鏡を構えつつ独りごちる。
墨を流したような暗さが視界を支配している中、栗田艦隊はこの電探で捉えている反応を「敵」だと認識している。未だ攻撃を行わないのは、電探だけでは満足な射撃照準のデータを得ることが出来ず、距離と天候の関係から目視出来ていないためである。
そして相手も我々を探知して南へ向かい始めている。恐らく敵は彼我の戦力差を悟り、敵わぬ相手と見て全力で避退しているのだ――敵らしき艦隊が全力で避退しているのに一〇戦隊は距離を詰めている?
(相手は全速を出していない……? 例えば、昨日の二航艦の攻撃で損傷し、全速を出せない艦を抱えている、というような状況なのか?)
彼の鋭利な頭脳が思考を瞬く間に組み立てていく。台湾からフィリピンへ進出した第二航空艦隊は昨日、東方海上へ展開している敵空母機動部隊へ総攻撃をかけ、空母を含む敵艦多数撃沈を報じていた。だが何かが引っかかる……宇垣がさらに考えを巡らそうとした瞬間、時刻にして〇五四六時、
「敵ラシキ艦隊ハ空母三隻ヲ伴ウ」
驚天動地の無線報告が「大和」観測機より全艦へもたらされた。
「大和」航海艦橋は一瞬呆気に取られて誰しも二の句が継げなかった。
こんなところに空母が! 栗田艦隊全艦の乗組員がそう思った。
「司令官、空母です! 機動部隊です! ハルゼーの艦隊に違いありません!」
野口首席参謀が興奮を隠せない声で叫ぶように言うが、宇垣は静かにそれに応じる。
「観測機に触接続行させよ」
このような状況でも宇垣の態度は変わらない。感情の起伏がまるで存在しないような声で命じる。どんな相手であろうと敵ならば叩き潰すのみ、という意志しか持ちあわせていないかのようだ。
旗艦「愛宕」から艦隊各艦へ「全艦は最大戦速で敵を撃滅せよ」と命令が飛ぶ。
これは栗田艦隊司令部が、各艦特に駆逐艦の残燃料に対する懸念よりも、残り四〇分程度で夜が明けてしまう事を恐れた結果ゆえの命令だった。直掩隊は日の出前後に基地を出撃するはずなので間に合わない。そして太陽が昇れば目の前で発艦し襲い掛かってくるに違いないこの空母部隊の艦載機から、手痛い打撃を被るのがありありと予想出来た。前日、直掩機の奮闘があっても「妙高」が脱落し、「大和」を始め大型艦で手傷を負っていない艦はいないほどの損傷を受けている事実はそれほどの重みがあったのである。
命令一下、栗田艦隊各艦は一斉に機関出力を振り絞り、この敵空母機動部隊を早急に撃滅するべく動き始める。ただし、昨日の空襲で速力を落としている「摩耶」は四戦隊から、マリアナ沖海戦の後遺症で二六ノット程度しか出せない「榛名」は三戦隊からぞれぞれやや取り残される形となる。
同じく二三ノットが限度の「武蔵」を抱える一戦隊は右両戦隊とは異なり、「大和」と「長門」が速力を「武蔵」に合わせて進んでいる。彼女らの第一の武器はスピードではないからだ。
(――電探では巡洋艦や駆逐艦程度の大きさしか反応を得られず、それでいて敵は最低でも空母三ハイを含み、なおかつ連中は全速で逃げているはずなのに、一〇戦隊は距離を詰めている……)
一戦隊が、いや艦隊の全艦が、今や一九四〇年のノルウェー沖海戦以来となる水上艦隊の栄光を掴もうと言い知れぬ熱量を蓄えている時、宇垣は独り、中断した思考を再び紡ぐ。
そして彼はある結論に達した。我に対し散発的な対空砲火を打ち上げてきている、と報告を寄越してきた観測機へ宇垣は「敵空母の艦種確認に努めよ」と指示を出した。
「司令官?」
野口首席参謀が不思議そうな顔で尋ねた。
「私の予測が正しければ――」
目線を艦橋の外へ向けたままの宇垣が、己の判断に間違いはないという自信を込めた声で答える。
「あいつらはハルゼーの機動部隊ではない」
その直後、宇垣の確信を肯定する観測機の無線が入った。
「空母ハ全六隻、空母ノ艦種ハ特空母ナリ」
艦橋にどよめきが広がった。
やはりそうだったか……宇垣は小さく何度か頷き、次の命令を下そうとしたところを、「武蔵」からの意見具申が遮った。「敵特空母ニ対スル射撃ハ零式弾モシクハ三式弾ヲ使用セシムルヲ至当ト認ム」という「武蔵」艦長猪口敏平少将の言いたい事は、宇垣が下そうとした命令と同一だった。
鉄砲屋同士、考える事は一緒か、と脳裏に過ぎった宇垣は、改めて一戦隊各艦に「敵空母に対する射撃は通常弾とす」と命じ、ついで「愛宕」の栗田中将にも、猪口少将が送ってきた具申をそっくりそのまま転電する。
商船改造の特空母は装甲を持たない。従って堅い目標を撃つ場合に使う徹甲弾では、命中しても艦体を突き抜けて炸裂しない可能性が極めて高い。この場合は零式弾や三式弾のような「面」を叩く通常弾が有効である。
宇垣は、敵艦隊の電探反応上の規模と、その戦術行動だけで正体を見破ったのだ。
快速の三戦隊「金剛」と少し遅れている「榛名」も、一戦隊の具申を容れた栗田中将からの命令で零式弾もしくは三式弾を使用して射撃を行う事になる。怪我の功名なのは前日の空襲以来、各艦とも対空戦闘を念頭に零式弾か三式弾を装填した状態であった点だ。
巨艦たちが少しでも距離を詰めて射撃を開始しようとする頃、さらに前方では一〇戦隊、四戦隊、五戦隊、七戦隊の重巡、軽巡、駆逐艦たちが猛然と突っ走り、その目で敵艦を捉え始めた。
敵の方も、空母を逃がすために駆逐艦が反転して急接近を始めていた。
運命のいたずらか、栗田艦隊に捕捉されてしまったこの不幸な空母部隊は、名をアメリカ海軍第七七任務部隊第四群第三集団、通称「タフィ3」と言う。
彼らの仕事はレイテ島に上陸した味方陸上部隊に対する航空支援。指揮官はクリフトン・スプレイグ少将。彼は最初、レーダーに移った艦影を、サン・ベルナルディノ海峡付近にいるはずのハルゼー艦隊かと思った。そうでない事は、自分たちが使う物とは全然違うレーダー波、速力を上げて接近してくる駆逐艦部隊、上空を飛び回る航空機、そして何より、味方部隊が使用する無線周波数に何の応答もない事実から否定されてしまう。これは、日本艦隊だ。
スプレイグの部隊は俗にジープ空母とあだ名される護衛空母六と、駆逐艦三、護衛駆逐艦四のみしかいない。各艦のPPIスコープ上に現れている恐ろしい現実は、どう見ても戦艦クラスが四ないし五、巡洋艦が一〇近く、駆逐艦に至っては数えなくても自分たちが大幅に劣勢だと分かる程の反応として示されていた。
スプレイグは近隣全ての味方部隊に救援を要請すると共に各艦に全速で離脱を命じた。
けれども日本艦隊はこちらを捉えた頃から急速に近づきつつあり、とても朝日が登る前まで持ちそうもない。巡洋艦と駆逐艦らしき反応は三五ノット近い速力で迫ってきている。
スプレイグが命令を下すより先に、隷下の駆逐艦たちが独断で反転して日本艦隊へと針路を向けた。彼女たちは自らを盾として時間を稼ぐつもりだった。
しかし――。
〇六〇二時、追加で発艦させた観測機たちからの情報と、電探の探知諸元、そしてようやく目視で空母を確認出来た一〇戦隊「矢矧」から送られてきた射撃照準の補助データを組み込んで、「大和」「武蔵」「長門」の三艦が距離二万七千メートルで生涯初の敵艦に対する射撃を開始した。
夜明け前の砲撃としては遠距離に過ぎる間合いだった。しかし三艦ともそれを承知の上で撃った。
三艦の射撃目標となったのは位置の関係から「キトカン・ベイ」「ガンビア・ベイ」そしてスプレイグの座乗する「ファンショー・ベイ」だった(これら艦名は日本側は把握していない)。
第一斉射は、当然ながら有効な攻撃にならなかった。一番近い弾着も、「ファンショー・ベイ」から二〇〇メートル遠く離れた場所で、海面から四〇メートル程度の高さで炸裂しただけだった。
約一分後、第二斉射が放たれた。閃光、轟音の順で辺りを震わせ、強装薬で射程を伸ばした三式弾が大気を切り裂き飛翔する。
今度の敵艦の射撃も何故か水柱を上げる前に空中で炸裂していた。今のはこちらでもはっきり見えるくらい、一回目の射撃とは真反対の方向でバラバラと花火のような弾け方をしている。
(もしかしたら、奴らの砲弾は信管不良か何かで早発を起こしているのだろうか? )
自身が撃たれている恐怖を懸命に表情に出さないようにしているスプレイグがそんな疑問を抱いた時、破局が訪れた。
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