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 最初にその報せを聞いた時から抱いていた疑念は、年嵩の兵曹長が額に大粒の汗を浮かべ駆け込んで来て、敵の両用戦車が上陸を開始し、根拠地隊司令部がダバオ西方二〇kmのミンタルへ移った旨を報告してもなお、第一航空艦隊司令長官寺岡謹平中将の胸中から消えることは無かった。

 一九四四年(昭和一九年)九月九日より、フィリピン南部のミンダナオ島各基地はアメリカ海軍空母機動部隊による延べ四〇〇機以上の空襲を受けていた。これがアメリカ軍の本格的な上陸の前触れかも知れないと、ダバオの根拠地隊司令部は既に警報を発している。

 フィリピンにアメリカ軍が足跡を記すということは、すでに三ヶ月前のマリアナ沖海戦の敗北により、空母機動部隊が壊滅してしまった日本帝国海軍に残された水上艦隊をもって、「決戦」をしかけねばならないことを意味する。そして同様に、帝国陸軍も上陸してきたアメリカ軍を撃滅し、この戦争に一筋の光明を見出さねばならない状況だった。

 日をまたいだ一〇日午前四時過ぎ、サランガニ湾(ダバオから南西一〇〇km)の見張所から「湾口ニ敵上陸用舟艇ヲ見ユ。陸軍ト協力シ水際ニ之ヲ撃滅ス」と報告が入り、さらに今度はダバオの海岸見張所からも同様の敵上陸を報せる報告が寄せられていた。

 しかし、ダバオに居を構える第一航空艦隊司令部隊舎からは、一向に湾口方面に敵影を見ず、砲火の音もまた全く届かない。これは一体どういうことなのか、寺岡を始め部下の参謀たちも訝った。

 そうこうしているうちに時計の両針は天頂を過ぎ、そこへ、今度は兵曹長が……つまり一介の兵隊ではなく、帝国海軍に二〇年以上奉職している人間が直々に報告を上げてきた。

 それまで怪訝な表情を浮かべていた参謀たちの中にも、この報告には流石に真実味を感じたのか、「米軍上陸す」という現状認識に傾きつつあった。


「もう一度、確認しよう」


 報告に来た兵曹長を司令部室から下がらせた後、寺岡は参謀たちへそう告げた。


「ですが長官、機を逸してはここも危険です」


 首席参謀の猪口力平中佐が異を唱える。こうしている間にも米軍が接近しているかも知れず、重要書類や暗号表の処分、関係各部署への通報などを今すぐにでも始めるべきです、と彼は続けた。

 ふくよかな人当たりの良い顔つきをしている寺岡が、眉間に皺を寄せながら参謀たちを見渡し、


「乙事件の二の舞いを踏みたくないのだ」


 と言った。

 乙事件とは、今年の三月三十一日に聯合艦隊司令長官古賀峯一大将を含む同艦隊司令部要員の過半が、搭乗機の墜落により殉職した件を言う。本事件も事の始まりは、拠点としていたパラオ諸島が空襲を受け、それを上陸の前触れと「誤断」した点だ。結果、司令部要員は一部の残留者を残し、奇遇にもここダバオへ避退が決定。そして逃げなくても良いのに逃げてしまったが挙句、嵐に巻き込まれ搭乗機は墜ち、戦いもしていないのに司令部が事実上壊滅するという有様だった。

 寺岡は八月に一航艦司令長官に親補された際、軽巡「大淀」へ将旗を掲げる聯合艦隊司令部へ挨拶に出向いた。殉職した古賀大将の後任として聯合艦隊司令長官となった豊田副武大将と会談した際、情報参謀の中島親孝中佐から、特に前線における敵上陸の判断について、正確な状況分析の下に行って欲しいと要望があった。

 後になって寺岡は知った事だが、中島中佐は乙事件の直前、聯合艦隊司令部内で唯一ダバオ避退に反対していたそうだ。中島にしてみれば「だからあれほど言ったのに」と憤懣遣る方無かったのであろう。聯合艦隊司令部訪問の際、寺岡にわざわざ特に要望を伝えたのはそうした背景があったのだと推察される。

 寺岡は続ける。


「退くことは簡単である。GF(聯合艦隊)は恐らく捷一号作戦警戒を発令するだろう。だが我が軍の戦備は依然としてマリアナ沖の損害から立ち直っていない。もしこれが乙事件のように誤報だったら……? 我々は優勢な米海軍相手に空振りをする余裕はない」


 普段は温和な態度を崩さない寺岡がこうまで言い切ったため、幾人かの参謀たちも浮足立った気分が落ち着いていった。


「では、もう一度確認するとして、どのようにしますか?」


 それまで黙っていた参謀長の小田原俊彦大佐が口を開く。

 すると、航空参謀の吉岡忠一少佐が発言した。


「多少危険ですが航空機を使うべきと考えます。空から偵察すれば一目瞭然です」

「できれば、誰か参謀も同乗して確認するのが最良だ」


 寺岡の言葉に吉岡は、何機かの艦爆なら直ちに飛ばせられるはずですが、すぐに確認を取ります、と答える。


「よし。それでは航空参謀、ご苦労だが機体の用意ができ次第直ちにダバオ湾の敵状確認に飛んでくれ」


 寺岡は命令を下し、ダバオ湾の敵状確認の結果をもって最終的な判断を行うことを決めて、その場は一旦解散となった。



 ※ ※ ※



 寺岡の読みは当たっていた。一〇日の午後、散発的な空襲の間を縫って飛び立った彗星艦爆からダバオ湾を目視した吉岡少佐の報告により、同湾にはただの一隻の上陸舟艇も両用戦車も存在せず、アメリカ軍兵士の姿も、上陸作戦ならば必ず連れてくるはずの火力投射用艦艇も、何もかも確認できなかった事が判明した。

 偵察用のカメラで撮影したダバオ湾の静かな様子の写真を見た寺岡は、どうにか下手を打つ事だけは避けられたと、満足のいく思いを抱いていた。その日の日没までに根拠地隊を始め関係各部署もアメリカ軍上陸は誤報であると連絡が回り、ミンダナオ島の各基地は再び通常の警戒態勢に戻った。

 十二日の午前九時過ぎから、ダバオの北西約四〇〇kmにあるセブ島基地にアメリカ海軍空母機動部隊艦載機の空襲があったが、同基地を含めて、すでに大半の基地で翼を並べている航空機は木材で作ったダミーであり、実戦力への影響は空襲の規模に比すれば遥かに少ないレベルで抑えられていた。

 誤報を見抜いた寺岡は以後、アメリカ軍の上陸が決定的となり、上陸を援護する艦隊が確実にフィリピンへ接近する段階になるまで、自軍の航空戦力の投入に慎重な姿勢を取るようになる。

 この消極的な姿勢に現場からは不満の声も上がっていたが、彼は意に介さなかった。

 寺岡の方針はその後の日米両軍に対し少なくない影響をもたらした。まず侵攻側のアメリカ軍だが、この時期フィリピン一帯を荒らしまわっていた海軍第三艦隊司令長官のウィリアム・F・ハルゼー大将は「フィリピン中部の敵航空戦力による反撃は極めて脆弱であり、既定の各攻略計画を一部キャンセルし、フィリピン・レイテ攻略を前倒しすべき」とハワイの太平洋艦隊司令長官チェスター・W・ニミッツ大将へ意見具申を行った。日本軍のフィリピン中部における戦力は不十分であり、これが増強される前にさっさとフィリピンのレイテ島へ上陸をしてしまえ、という猛将の名に恥じぬ積極姿勢だった。

 この具申はアメリカ本国で好意的に検討され、その結果ヤップ、タラウド、ミンダナオへの上陸計画はキャンセルとなり、予定を二ヶ月繰り上げし一〇月二〇日にレイテ島へ上陸することが決定された。

 ある意味で日本側の消極姿勢がアメリカ側の積極攻勢を呼び寄せた形になるが、戦争のイニシアティブを失っている日本にとっては、仮に既存の航空戦力のみでフィリピン近海に居座る第三艦隊へ積極的な攻撃をしかけてもどうにもならないことは明らかであった。


 一方、日本軍側へ与えた影響は、見方によってはアメリカ軍への影響より大きなものだった。

 フィリピン各地の航空撃滅戦に一定の区切りをつけたアメリカ海軍第三艦隊は、次いで一〇月に入ってから沖縄、台湾にその巨大な海上航空戦力を差し向ける。同月一〇日には沖縄が空襲を受け、間髪入れず一二日からは台湾が猛烈な爆撃を受ける。

 帝国海軍はこれに対し台湾及びフィリピン、日本本土の航空戦力による迎撃を実施。後に世紀の大誤報と称されることになる台湾沖航空戦が生起した。

 本航空戦における主力は台湾の第二航空艦隊で、フィリピン在住の第一航空艦隊もこれに加える事になったのだが、一二日以降、二航艦及び一航艦の攻撃隊は昼夜を問わない果敢な攻撃を継続し、甚大な損害を被りつつもアメリカ海軍の空母を何隻も撃沈する戦果を挙げていった。

 と言う報告を、一航艦司令部要員は「いくらなんでもおかしい」と思い始める。

 ダバオ誤報未遂事件以後、寺岡や彼の参謀たちは「あれが誤報だったのだから、これも誤報なのでは?」という疑惑に心を囚われていた。航空参謀吉岡中佐(一〇月に昇進)などはその最たる例で、かつてミッドウェー海戦時に空母「赤城」艦上で作戦の失敗を目の当たりにしているだけに、一度疑心暗鬼になると、攻撃参加部隊からのあまりにも景気の良い戦果報告に、自然と疑いの目を向けるようになっていた。

 戦闘開始から三日目の一五日には、空母を七隻撃沈しているものと大本営発表が行われたが、一航艦司令部は帰還してきた搭乗員からの戦果報告が、どれも明確さを欠いているものばかりである事、未帰還機多数である事を鑑み、以後の出撃は基地への空襲に対する迎撃のみ行うと決定した。

 一度成功した手段を繰り返し使いたがる思考は日本軍の欠点として指摘されるが、この判断に関しては間違っていなかった。一六日、壊滅したはずの空母多数を含む機動部隊が台湾東方沖を航行している姿を、索敵機が発見したからだ。

 聯合艦隊及び軍令部が再検討した結果、どんなに多くとも空母四隻撃破がせいぜいで、撃沈はまずあり得ないと結論付けるに至る(実際はこの判断ですら過大だった事は言うまでもない)。


 こうして台湾沖航空戦は終結した。大本営海軍部は一七日の時点で赫々たる戦果のほとんどが誤報である事を知っていたが、すでに上聞に達し勅語を賜り、国民は久々の大戦果に提灯行列で祝っている状況で、今更「あれは誤りでした」とは、彼らの面子から見て到底出来ない相談だった。

 主力部隊として真っ向から戦力を叩きつけた二航艦の損耗は夥しく、実動機約二三〇機まで戦力が低下してしまった。途中から迎撃に専念するようになった一航艦も、一〇〇機をどうにか上回る程度の実動機となってしまい、もはや敵空母機動部隊への通常攻撃による戦果は望みようがない状況となってしまった。

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