3話 歴史の常識が覆るのは常識と言っても過言ではない
この地に王族が移り住んだのは、千年以上前の話だ。
王族の住む広大な城を中心に街が栄えていき、いつしか王都と呼ばれるようになって千年の月日が流れた。
魔王歴五千五十年の現在、王都には百万を越す人間が住んでおり、人間社会の心臓部となっておる。
王都の端から端まで歩くと、人間の足では二日はかかるほどの広さだ。離れたところに行くときは、馬車に乗るといいぞ。
王都には、日常生活に必要な八百屋、肉屋、本屋、服屋などの店もあれば、冒険に必要な武器屋、宿屋、装備屋などもあって、医院や教会、新聞社、護衛部隊まで、およそ全ての職業が王都の中には存在しているだろうな。
王都の中だけで一生を終える者も多い。
そんな数ある職業のなかで、最も人気があり急速に数を増やしているのが、勇者だ。
遠い昔では、魔王に挑む勇敢な者が勇者であったらしいが、それは教科書や書物の中だけの話になってしまった。
現在の勇者とは、王政が管理する名簿に登録し王都住民の税金で報酬を頂く、立派なひとつの職業だよ。
勇者になるには登録するだけなんだが、奴隷や犯罪者でない人間ならば、誰にでも資格が与えられており、勇者になるための試験などもない。
希望さえすれば、誰もが勇者になれる。
故に、勇者の数は増えているんだ。
鍛冶技術の発達で安価な剣や装備が普及したり、魔法学校の設立で魔法使いの人口が増えたりしたのも影響しているだろう。
勇者の数が五百人を越えた頃、王政は勇者ランクなる制度を設けた。
同じ勇者と言っても、それぞれ実力や平和への貢献度が違うからな。成果に合わせた報酬を払うため、概ね節税のためだろうが、ランク制度が設置されたわけだ。
勇者ランクは四段階に別けられ、ランクの高いほうからABCDとなっている。
更に、勇者の数が増えてきたのに合わせ各アルファベットを、トリプルA、ダブルA、シングルAというように三段階に別け、トリプルAからシングルDまでの12段階に別けられた。
勇者に登録した者は、例外なくシングルDから始まり、平和への貢献度などを加味してその都度王政がランクを認定していくらしい。
七千人を越えた今では、勇者の半数がDランクだ。Cランクも合わせれば六千人以上が登録されておる。シングルB以上の勇者は千人に満たないんだ。
中でもAランクの勇者は五十人しかおらず、トリプルAともなると十人だけだ。トリプルAの十人は、単身で魔物を倒せる力があるとされていて、十大勇者とも呼ばれている。
「――ということで、勇者には誰でもなれるが、ほとんどの者がCランク以下だ。Cランクで一般人と同じぐらいの報酬しか貰えないし、Dランクだと貧困層と大差ない。だから、実力がなければ報酬は微々たるものだ。閑古鳥の鳴いている八百屋のオヤジの方が稼げるだろうな」
ヨモギダの長い話を聞きながら、ティーアは頭がパンクしそうになっていた。
数時間前。ティーアは、山奥の小さな村から生まれて初めて王都にやって来てた。
王都のあまりの人の多さに圧倒され、挙動不審になっているところをヨモギダと名乗る中年のおじさんが声をかけてくれたのだった。
「……あの、僕、その、勇者になりたくて、王都まで来ました!」
王都に来た目的を聞かれたティーアは、どぎまぎしながらヨモギダに伝えた。返答を間違えなかったか、と汗で手が湿る。
ヨモギダは腕を組んで、ティーアに訊ねた。
「なぜ勇者になりたいんだ?」
「それは、その、僕の、僕の家は貧乏だから、だから、勇者になって家族に、その、し、仕送りがしたいんです!」
「……坊主は、王都まで出稼ぎに来たのか?」
「デカセギ……そうです、出稼ぎです」
「偉いっ!」と、ヨモギダはティーアの肩を力強く叩いた。
びくっと、ティーアは縮み上がった。
「若いのに大した者だ! 気に入ったぞ、坊主。よし、俺についてこい!」
「……へ?」
ヨモギダの勢いに気圧されたティーアの手を取って、ヨモギダはずかずかと歩き始めた。
半ば強引に連れてこられたのは、鉄でできた四階建ての建物だった。
階段で四階まで上がり、デスクと書かれた木製の扉の中に押し込まれた。ヨモギダは机に積まれた紙の山から契約書を発掘し、ティーアに突き出してきた。
「さあ、これにサインしてくれれば、坊主は仕事が得られて、家族に仕送りもできるぞ」
最低限の読み書きはできるティーアだが、小難しい単語が並ぶ契約書を読解することはできなかった。
「……あの、これにサインをすれば、その、勇者になれるんですか?」
ティーアはおずおずと訊ねた。どうやったら勇者として報酬が貰えるのか、知らなかった。
ヨモギダは面白くなさそうにこめかみを掻いて、口をへの字に曲げた。
「僕は、勇者になりたくて王都まで来たんです!」
ティーアの訴えを跳ね返すように、モヨギダは大きな咳払いをした。
「……そんなに、勇者になりたいか?」
「……あ、はい!」
「坊主みたいに勇者になりたくて王都に来る若者は後を絶たないが、俺は勧めない。いいか、勇者とは……いや、まずは王都の歴史から話そうじゃないか。この地に王族が移り住んだのは、千年以上前の話だ――」
こうして、ヨモギダの長い話が終わり、ティーアは混乱の只中へと追い込まれたのだった。
勇者になっても高い報酬を得られるのは、Bランク以上の上位の者だけだと知り、ティーアは、自分の認識が覆されるのに戸惑っていた。
全世界から集まった勇者七千人の殆どが少ない報酬しか受け取っていないことに驚きを隠せない。
「しかもだ!」
「……まだあるんですか?」
「勇者になったら王政から受け取る僅かな報酬で、一緒に旅する仲間の費用も負担しなくちゃならん。まあ、昔からの仲間とかだったら各自が負担したりもするが、坊主は王都に知り合いがいないから、仲間の分も負担しなくちゃいけないな」
「……それじゃあ、自分で使う分が無くなっちゃうんじゃ……」
「んっ?……坊主は、家族に仕送りをするために王都まで来たんじゃないのか?」
「ああ、そうです! えーっと、そう、出稼ぎに来ました! だから、仕送りするために自分の手元に残る分が無くなっちゃう、という意味です」
「そうだよ!」
我が意を得たとばかりに、ヨモギダはティーアに指を突きつけた。
「……なにがですか?」
怯えるティーアに、ヨモギダが満面の笑みを浮かべる。
「勇者になっても直ぐには家族に仕送りする余裕なんかない。ランクが上がる保証もない。しかも、勇者は命懸けの仕事だ。坊主が死んでしまったら、村に残された家族はどうなる?」
「……仕送りができないと、困ると思います」
「そうだろ、そうだろ」とヨモギダは大袈裟に頷いた。
「……仕送りするために勇者になっても仕送りができないんじゃ、意味がないですよね?」
「この世の終わりみたいな顔をしなくても、大丈夫だ! 俺が坊主に仕事をやるから、安心しろ! 給料は歩合制だから、頑張った分だけ貰えるぞ。つまり、坊主の頑張りが家族を救うんだ!」
「……はあ、そうなんですか?」
「よし、話はまとまったな。それじゃあ、ここにサインをしてくれ」
ティーアは急かされるがままに、契約書にサインをした。
「……あの、勇者じゃなくても王様の城に入れますか?」
ヨモギダは、片方の眉を上げて訝しそうな顔をした。
「城なんかに行ってどうするんだ?」
「あの……け、見学?」
「見学だと?」
「その、せっかくだから、その、記念に、と思ったんですけど……」
ああ、とヨモギダは納得したように首を振った。
「そりゃあ、田舎者には珍しいもんな。中に入れるのは、王族とその召使い、それと貴族、勇者だけだが、近くで見上げる分には誰でもできるぞ。無料で見放題だ」
中に入りたいんだけどな、とティーアが考えを巡らせていると、ヨモギダが肩に手を置いてきた。
「まあ、そう落ち込むな。王都に住み始めたら、城なんか見るのも嫌になるぐらい目にすることになるぞ」
「……はぁ」
「……まあ、何はともあれだ。ようこそ、王都新聞社へ!」
自分は幸運だ、とティーアは浮かれていた。軽快に階段を下りて、倉庫と書かれた扉を開ける。
「王都新聞社なんて名前だから、てっきり王政の管轄で城の中にあるものだと思ってたのになぁ~」
独り言を溢しながら、倉庫内の資料を汲まなく調べていった。
都市伝説、というコーナーの「あなたの歴史は真実ではない」という記事には、先ほどヨモギダが話してくれた歴史とは違うことが書かれていたが、ティーアには興味がなく、すぐに次の資料へと向かった。
社員にも一通り聞き込みをしたが、欲しい情報は手に入らなかった。
ティーアは王都新聞社を出て、首を捻る。
紙に書かれた情報がなくなっているだけなら、まだ納得がいった。だが、社員の誰もが口を揃えて「そんな社員は知らない」というのが腑に落ちなかった。口裏を合わせて嘘をついているような感じはしなかった。
「……ということは、つまり」
そこで、思考を中断せざるものがティーアの視界に入ってきた。
可愛い少女が、通りの向こうで歩く人々を避けるように、走っていった。
綺麗な青い髪をした少女だった。
少女の姿は、往来する大人達に隠れ、すぐに見えなくなってしまった。
ティーアは、駆けた。
少女の姿は見失ってしまったが、走って行った方向を目指した。
大きな広場に出たとき、ティーアの目の前には、神々しいほど壮大な王の城が立ち塞がっていた。
――王都の外にある森のなかで、ティーアは目を開けた。
花畑が動いた、と思ったら、オリーブが目の前に立っていた。
「お帰りなさい、ティーア」
Ⅷの数字を持つエイトス・ティーアは、オリーブに微笑み返した。
「ああ、ただいま」
ティーアは、オリーブが作った蔦のハンモックから起き上がった。凄く寝心地が良くて、うっかり眠ってしまうところだった。
「このハンモック、今度僕の部屋にも作ってよ。凄く気持ちが良かった」
「あら、ありがとう。でも、森の中じゃないと二日で腐っちゃうのよ」
「それは、残念だ……」
「初めての王都はどうでした?」
「うーん……人間が多くて、ちょっと怖かったな」
「それで、何かわかったの?」
オリーブが手を振ると、土の中から木のベンチが生えてきた。並んで座る。
生き物を司るティーアは、通りがかりの少年の身体を借り、魔力で少年と同化した。
人間の少年に化けたティーアは、三日前に魔王様の屋敷に新聞を届けた少年を探すため、王都に潜入したのだった。
ティーアは、細長い六本の手で三つある頭を掻いた。
短時間でたくさんの情報を手にして、何から話せばいいか困る。
「……とりあえず、少年に関する情報はなかったよ」
「それは、調べられなかったってこと? それとも、情報自体がなかったのかしら?」
「情報自体がなかったんだ。王都新聞社に入って社員名簿も調べて、他の社員に訊ねても、どこにも少年の情報はなかった」
「……それは、変ね。社員の記憶からも消えているということは、誰かが少年についての情報を消した可能性が高いわ。それも、かなりレベルの高い誰かが、ね。他者の記憶を消す魔法は上級魔法ですから」
ティーアは、三対の腕を組んだ。
「……そもそも、そんな少年はいなかったんじゃないのかな? 少年に関わった人間全員の記憶を消すなんて、かなり大変だし」
「いえ、少年は必ず存在するわ。その日の朝刊が屋敷にあったのが何よりの証拠ですもの。魔王様が嘘をつくわけがありませんわ」
「そうだ!」
ティーアは腕をほどいて、手を叩いた。
「どうかしましたか?」
「僕、王都で魔王様を見たんだ!」
青い髪をした少女は間違いなく魔王様だった、とティーアは確信していた。
「……魔王様が、王都に?」
「そうなんだよ!」
「ティーアの見間違いではなく?」
「僕はこの目、ではなくて少年の目だけど、ちゃんと見たんだ! 魔王様を見間違うわけがない!」
「……魔王様の魔力を感じましたか?」
「それは……人間の身体だったから、魔力はわからなかったけど、でもあれは確かに、魔王様だった!」
オリーブは少し考える間を取ってから、口を開いた。
「魔王様は、何をされていたのですか? カフェでパンケーキを食べていたのなら、そうね、可能性はなくはないけど」
「それが……」
ティーアは口にするべきか、迷った。魔王を見たのは間違いないが、魔王が何をしていたか、もとい、どこに向かったかはティーアの憶測の域を出なかった。
「……見たままを、体験したままを、言って」
オリーブが優しく促した。
「……それが、魔王様の姿はすぐに見失っちゃったんだけど、魔王様が向かった先には、王族の城があったんだ」
「魔王様が、人間の王の城に?」
オリーブは驚いたように、開けた口を手で隠した。
争っている両軍のトップ同士が、秘密裏に会っているとしたら、重大事件である。
ティーア自身も信じられなかったが、自分で見たものは偽れなかった。
暫しの沈黙が流れ、オリーブが立ち上がった。
「最後のことは、皆にはまだ秘密にしておきましょう。確信もなく魔王様を疑うような真似はできませんから」
「……そうだね。わかった。……そういえば、人間は正しい歴史を間違った歴史として信じているみたいで、可笑しかったな」
「……間違った歴史?」
ティーアは、都市伝説の記事の内容を話した。始めは穏やかな顔で聞いていたオリーブだったが、その顔は次第に曇っていった。
「――どうかした、オリーブ? 僕の話がつまらなかった?」
「いえ、そうじゃないわ。ちょっと……もしかしたら、魔王様が城に行ったのは、人間たちが信じている歴史が関係しているのかも……」
そのとき、軽石でできた二羽の大鷲がベンチの前に降り立った。
「まあ、ボーデンの使い魔だわ。どうしたのかしら?」
二体の魔物は、大鷲の銜える記憶玉を飲み込んだ。
「――まあ、大変! ティーア、すぐに行くわよ」
オリーブの船が、空高く舞い上がった。