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88 昨日

 わたしたちは闇の濃くなる廊下を走りながら、地下室へと向かっていた。


 今までのことを思い返してみる。突然模擬戦にエントリーさせられたわたし。教会でのデモンストレーション。お姉さんの裏切りとも思える行為――――全て、この地下室へと繋がる。


「ニール。あの隣町の教会には、地下聖堂があったりする?」

「……あ? あれくらいの大きさの教会なら、あるんじゃねェ?」


 なら、決まりだ。

 教会に起こった闇がどこから来たのか、それは紛れもなく『地下』から。


 お姉さんは地下室に何があるのか知っていて、わたしとサディアスを追い払おうとした。そして今日も、この騒動が起きるまで近づけないよう、無理矢理に模擬戦に参加させている。

 なんのために、かはまだはっきりさせない方がいいだろう。ニールは自分のためだと言っていたが、犯人の見当がついていないわたしには答えまで辿り着くことは難しい。無駄な思考は切り捨てる。


 今は何よりも早く、この闇を止めること。

 進みの鈍いニールを引っ張って、黒い闇を掻き分けて進む。

 カレンちゃんがあれだけ衰弱して頑張った効果は大きかったようで、あの場所はまだ闇の少ない場所だったのだ。ここまで来るとさすがにひどい。普通の人間なら、まず間違いなく逃げ出している有り様だ。


「これは酷いね……まず、道に間違いはなさそうだけど」


 言葉通りの、一寸先は闇。三十センチほど先はぐるぐると闇で覆われていて、手を引いていなければ、ニールの姿もすぐ見失ってしまうだろう。


 故に、だんだんと歩みも遅く。慎重に廊下を進んでいくことになる。


 それに、これだけの闇魔法というのは、さすがにわたしたちにもいくらかの影響がある。

 わたしの胸はさっきからどくりどくりと嫌な脈を打ち、足が重く、頭がぼうっとしている。ときどき暗闇の中でフラッシュバックするのは、『わたし』の思い出だ。過去の自分を見せられるって、ナルシストでなければものすごい苦痛になると思う。自己嫌悪で。


「うぐ……」

「……おいおい、大丈夫かよォ、ハリエットさん?」

「……そういうニールこそ。顔色最悪だよ」


 振り返った先では、ニールが頭を押さえて笑っている。同じような鈍痛とフラッシュバックに悩まされているに違いなかった。


 この闇、本来は恐怖を呼ぶものだが、わたしのようにある種のトラウマがある人間は、それ自体を恐怖としてほじくり返されるのかもしれない。ニールにも何か、思い出したくもない過去があるんだろうか。いや……ないわけ、ないか。


「ほんと……嫌になるね、これ」


 思わずついて出た言葉はまさしくわたしの本心通りで、ついつい弱音が引きずられてしまう。それにともなって、今まででちらちらと浮かんでいただけの前世かこが、より鮮明に近づいてくる。


 どれも無味乾燥で味気ない、できるなら片隅にでもそっと置いておいてほしいもの。


 口の中にまで入ってきそうな闇の濃さに、堪らず袖で口を覆う。握ったままのニールの手は、もはや冷たいだけの物体と化していた。後ろを振り向こうにも、闇が深くて彼の姿が見えない。

 さっきまで見えていたものが、見えなくなっている。わたしたちは着実に進んでいるのだろうが、それよりも不安が勝る。


「……ニール?」


 繋いだ手に力を込めてみても、反応はない。進めた足にはついてきているはずなのに。

 わたしは流石に歩みを止めて、後ろを振り返った。一面の闇。きっと誰かが隣にいても、分からないほどの。そう思うと、本当にこの手がニールのものなのか、急に疑わしくみえた。

 さっきよりも大きな声をあげて、強く手を握る。


「ニールってば!」

「……ああ? よく聞こえねェ……」


 はたしてニールはそこにいた。返ってきた声は確かに彼のものだったけれども、その声は明らかに胡乱で、ぼんやりとしている。


 しかも、「よく聞こえない」? そんなはずはない、こんなに静まり返った廊下の方が珍しいっていうのに。


「ニール? 本当に大丈夫?」

「うるせェな、黙ってろ……」

「……」


 今度は囁き声にも「うるさい」ときた。これはニールの聴力がおかしくなっているというよりは……。


 わたしはされるがまま、相変わらず力のない彼の手を引いて、廊下の壁に寄った。そのまま手探りで進むと、壁ではない繋ぎ目とドアノブの感触があった。

 鍵は、掛かっていない。


 この部屋は、いつかアルフに歌を披露したときの部屋だ。ジンくんとのクソ鬼ごっこから逃げて、ここへ辿り着いた。あのときも鍵はかかっていなかったから、もしかしてとは思ったが。開いていてよかった。


 素早く扉を開けて、そこへ滑り込む。扉があったからか、闇の濃度は廊下よりも断然低かった。とりあえず気休めに結界を張って、ニールへと振り向く。

 やっと見えたニールの顔は青白く、紫色の瞳はしきりに辺りを見回していた。


「聞こえてる? 少し休もう」

「……ああ……」


 目を合わせて手を引いてやると、ニールは倒れるようにその場に座り込んだ。壁に持たれかかり、微かな溜め息を漏らす。

 その様子を見ながら、わたしは心の中で首をかしげていた。


 思っていたより、ニールの耐性がない。ニールは見た目こそ変わっていないが、過ごしてきた時間はわたしより確実に多い。だと言うのに、わたしよりも闇魔法の効果が深刻そうなのは何故なのだろう。

 わたしの場合はストレスによる体の不調と、過去のフラッシュバック程度に収まっているが、ニールには恐らく幻聴、そして幻覚も見え始めている。

 こうして休んでいる間も、ニールの目は忙しなく何かを追いかけているし、わたしの声は聞き取りづらそうだ。

 ともすれば、表に現れないだけで、あの廊下にいた生徒たちよりも症状は深刻そうだった。けれどもわたしに、カレンちゃんのような素晴らしい力はない。


 こんなときほど、自分を嫌いになることはない。

 好きな人が苦しんでいるときに、何もできないなんて。


「ニール……」


 せめて、幻覚に惑わされることのないよう、ニールの手を握る。冷たくて固い、死人のような手だ。わたしの体温を分け与えるように、きつく握りしめる。


 それに答えるように、僅かに、わたしの手が握り返された。


「……なあ……」

「なに? どうしたの?」

「……俺、お前にずっと、言いたかったことが……お前が今まで、聞かなかったこと……」

「……それって」


 それって、つまり。

 ニールの全て。過去も思い出も苦悩も行いも、全てのこと。

 それを今、ニールはわたしに話そうとしている? どうして、こんな急に――――。


「気に、ならなかったか? 俺がこんな、無様な姿になっちまってよォ……」


 自嘲するように笑ったニールは、自身の目の前に手を翳した。ぶるぶると震える手を眺め、短い前髪を掻き乱す。プライドの高いニールのことだ、弱った姿を見られるのが嫌なのだろう。


「それは……確かに、ニールはわたしより長く生きているのに、闇魔法への耐性が少ないとは思ったよ。けど……」

「『長く生きている』ね……そう、テメェは気づいていても、何も聞きやしねーよなァ……」


 聞きたかった、けれど、聞けなかったというのが正しい。他の人ならいくらでも、ずかずかと土足で踏み荒らしていける全ても、ニールの前だとそうはいかない。繊細な彼が逃げていかないよう、必死なのだ、わたしも。

 ニールは震える手を床に投げ出すと、まっすぐわたしを見つめた。


「あの時の続きだ。――――ぜーんぶ真面目に、答えてやるよ」


 何が聞きたい? と、声だけは普段通りの小馬鹿にした感じで、ニールはわたしに問い掛けてきた。


 もうずっと昔の、打ち解けてくれないニールが、わたしをおいて逃げ出した頃の話。そのあとお姉さんに助けてもらって、わたしたちはあの日初めて普通に話をした。猫を被っていないニールと、わたしで。

 そんな昔のことを、まだ覚えていたなんて。思わず、左手に居座ったままの、指輪を撫で付ける。


「じゃあ……ニールの年齢は?」

「前にも、言ったろーが。覚えてねェ。もう、ずっと、ずっと前から、俺は俺のままだ」

「……その理由、聞いてもいい?」


 あの時のわたしには聞けなかったこと。

 黒幕であるニールの逆鱗に触れたら、なんて考えて、深く突っ込めなかったんだよなあ。その次も、やっぱり、ニールが話したい時に話してほしいという希望から、聞き出すことができなかった。それは全部ニールのためなんかじゃなくて、わたしのためだ。

 ニールはもしかしたら、わたしに聞いてほしかったのかもしれない。無理矢理にでも。


 このしんと静まり返った空き部屋の中で、息を吸い込む微かな音が、やけに大きく聞こえた。


「……昔の、話だ。まだ俺にも、くそったれな同類がいた頃の。そいつらはもうずっと、我慢してた。溝鼠みたいな格好で、糞垂れて死んでいく同類を足蹴にして、生きてきた。他のやつらから見れば、俺たちは人間ですらなかった。我慢の限界だったんだよ。だから、自分のために、血を流す覚悟をした――――」


 それはどこか聞き覚えのある話で、そしてそれが確かなら、この話は紛れもなくバッドエンドだ。

 わたしは黙って耳を傾ける。ニールは、一つ言葉を吐き出す度に、辛そうな顔で辺りを見渡している。彼には何が見えているのだろう。


「犠牲は、仕方なかった。俺たちはただ、奴等を交渉のテーブルに座らせられりゃ、良かったんだ。『俺たちに暖かいベッドをください』ってな。だから、多少は仕方ない……多少は……けどよォ、『多少』なんてもんじゃ、なかった」

「どういう、こと?」


 わたしの知る限り、これはきっと『内戦』の物語。人権を勝ち取るための、闇属性どうほうたちの話。

 だとしたら、出てくるのは担ぎ上げられた聖女だ。泥沼化した内戦を止める、記号化された唯一の勝者。そのはずだ。

 だけど、ニールの話は止まらない。血走った目を部屋の四隅に走らせて、がたがたと体を震わせる。


「……教会に現れたのは、あの男だった。ああ畜生ッ今でも夢に見るぜェ……! 鮮明に、昨日のことのように思い出せる……あの、ぶっ壊れたにやけ面と、血の海……」


 血の、海。お綺麗な聖女伝説とはまるで違う。


「それが、犯人?」

「俺を『繋ぎ止める』呪術をかけた野郎だ。今この世で呪術を使えるのなんざ、アイツ以外にいねェ。あのくそったれのせいで俺は、俺は……永遠に、『過去が昨日』のままなんだから」


 ニールが、呪術によるアルフの記憶の封印を否定したのは、そういうわけがあったからか。呪術を使うからこそそれが犯人なのだから、近づけさせないためにはその要素自体を否定するほかない。


 一つ、分かった。そしてもう一つ。よく分からないけど、ニールの根幹に関わることだけは察せられる、それは。


「過去が、昨日って?」


 聞くと、ニールは一瞬、本当に痛みを堪えるような顔をした。部屋の四隅からも、わたしから目を逸らして、耐えるようにぎゅっと目を瞑る。


「……見たまんま。俺にとっては、あの日が永遠に『昨日』なんだよ。そして昨日が過去になる。だからこそ成長しない、憎悪も惨めさも消えない、何に昇華することも許されない……それに耐えかねて俺が自棄を起こした時が、文字通り俺の最期ってわけだ。あの下衆の、考えそうなことだろ……」

「永遠に、その日が昨日になる……」


 ニールは、血の海という地獄を見たその次の日を、今までずっと味わい続けてきたというのか? そうなら、いったいどれだけ心に傷を作ったことだろう。

 わたしだったらあっという間に死を選んでしまいそうな毎日を、ニールは、ずっと?


「そんなことって……」


 そんなことって、あっていいの?

 辛いことが永遠に続いて、そして決して忘れられないまま、何十年とぼんやり生き続けることが、あっていいのか?

 そんな人生に、いったい何の希望が持てるのだろう。何のために生きていたいと思うの? 『わたし』が、冷えた目で問い掛けてくるような気がする。


「ニールは、どうして……そんなこと、されてまで……」

「生きて、いるのか……ってか?」


 汗の滲む顔で、目を伏せたまま、ニールは笑って見せる。


 真実を知ってからは、その全てが哀れでたまらない。今、この場で見ているだろう幻覚や幻聴も、きっとそれの類いなのだから。もういっそ、何もかも感じ取れないようにしてあげたいとさえ、思う。

 その哀れみが表に現れていたのか、ニールは一瞬だけこちらを見ると、わざとらしく鼻で笑った。その生意気な態度もすぐ、消えてなくなる。


「ばぁか、俺様が、こんな嫌がらせごときで、死んでたまるかよ。それだけは絶対に、嫌で……それに……それに、さァ……」

「……なに?」


 ニールはもう一度、ぎゅっと目を瞑った。

 頭が痛むのか、こめかみに手を当てたまま、顔を伏せている。


「……ずっと、ハリエットに、このことを言えなかったのは……俺がこれを打ち明けた時、きっともう一つ、言っちまうと思ったから」

「なに、を?」


 とうしてだろう、一瞬だけ、鼓動が大きく脈打った。

 ニールは本当に辛そうな顔で、頭を振りながら頭を押さえている。しばらくそうしていたけれども、不意に、噛んでいた薄い唇を僅かばかり、開いた。


「お前のことを……好きだってこと」

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