84 魔力の枯渇
結論から言おう。エントリーの取り消しは叶わなかった。
ユリエルが駆けずり回ってなんとかしようとしてくれたらしいが、やはり上の答えはすげなくノーだ。わたしの読みは当たっているような気がする。つまり、お姉さんによる拘束だ。
今年の模擬戦は大人しくしているつもりだったが、いや、でも戦力を揃えて地下に踏み込むことも考えないでもなかった。それを読まれたわけか?
「だから皆、予定が合わないのかねえ。ハリエット」
「ううーん……」
わたしがいなくても地下に踏み込むことはできる。主にサディアスとアルフの二強がいれば。しかし二人とも参加者一覧に名前を連ねていて、なおかつアルフはカレンちゃんに付き合って学園の外、サディアスまでどこかに仕事として向かっているらしい。
アルフはともかく、サディアスのもお姉さんの命令ではないだろうか? ヴィクターも今はカレンちゃんたちと共にグレンヴィル家に戻っているはずだ。
模擬戦まであと二日。
模擬戦について誰に相談することも叶わないわたしは、とにかく必死に自衛の手段を増やすしかない。とにかくナイフだ。皆の注目が集まる闘技場で闇魔法は使えない。魔術具でさえサポートが精一杯だし、まずもって圧倒的にわたしは不利なのだ。
「というわけでジンくん、練習付き合ってよ」
精神と時の部屋みたいなの、出してよ。お前神様だろ。
「ええー? 僕に戦闘能力はないんだよねえ。森の一件で分かってたことでしょ?」
「ユリエルはお姉さんタイプだから運動神経カスだし、わたしは魔物しかまともに相手したことないんだよ。オズはあるけど」
「きみ、不戦敗狙ってなかった?」
……いや、狙ってた。狙ってますとも。ただ、貴族やらなんやらとにかく偉い人が沢山見にきているなかで、そんなことは許されるはずがないのだと思い至った。恐らくは闘技場の真ん中に投げ捨てられる。そこで土下座しようが何しようがわたしの勝手だが、いいところを見せたい相手が止めてくれるかも分からない。
というよりも、戦わずして降参することはできない。対戦相手の名前すら、家から圧力をかけられないよう直前まで伏せられているジャスティス仕様なのだから。
二、三度刃を交えることは必至。
「だから頼む! わたしの体力だと多分そんなに持たないし、負けるまでのいくらかを無傷で防ぎたいんだよ!」
無論、魔術具はどんどん使っていくつもりだが、それにも限界がある。わたしの魔力は人並み程度で、別段特別多いわけでもないのだから。
できるなら何度かの攻撃を辛うじて防ぐものの、惜しくも剣を弾かれて降参。みたいな筋書きを予定している。女子相手ならそこまで厳しいこともあるまいし。
「うーん……まあ、そうだなあ……。僕は無理だけど、この場を領域としてあいつを呼ぶことはできるし……お膳立てくらいならしてあげるよ」
「マジで!」
ありがとうジンくん――――両手を合わせて感謝した自分を、このあと死ぬ気で後悔することになるとは。
ぼたぼたと熱い雫が滴っていく。それは汗と同じ感覚で、だけれど拭うと確かに滑る感触がする。じんわりと熱を持つ傷、傷、傷、傷。
わたしの部屋は見るも無惨にずたぼろで、まるで台風が全てを凪ぎ払っていったようだった。その中心に立つのは、一人。
黒衣を纏う男。褐色の肌。懐かしいとも思える黒い髪、その冷めた瞳。
「まだ立つか、少女よ」
邪神。その手にはわたしのものと似通った短剣が一本、握られているだけだ。その柄にも拳にも刃にも血痕がついているところが、わたしのもつそれとは違うが。
既に満身創痍の体を押して、わたしはなんとか立ち上がる。目の前の男を見つめれば、彼は冷めた瞳ながらにも楽しげなアルカイックスマイルを作り上げていた。
――――おかしいな、なんでこんな地獄絵図?
わたしはあくまでユリエルと過ごすような、和気藹々とした練習風景を望んでいたんだけど。それがどこをどう間違ったら、自分と部屋を無茶苦茶にしながら邪神に短剣一本で挑むことになるのだろう。こんなのとっくに発狂しててもおかしくないよ。SAN値的に。
「じ、ジンくん……」
「ん? どうしたのハリエット。ファイトファイト!」
殺意。
「ちょっと待てや。どうしてこう、あの、あれ? レベル一で邪神に挑めって? 神話生物?」
「きみの練習相手のクロノスくんだよ。どう?」
そう、あのハンサムな黒い祭服のバーサーカーは、ジンくんと同じ邪心仲間のクロノスくん。(※閑話参照)練習以前に単純にぼこぼこにされているのですが。何も学ぶことがないという。
というかね、あれだ。文字通りレベルが違いすぎる。向かっていけば一発殴られて喉元を掻き切られる。そんな想像が容易くできてしまうものが相手なのだ。
わたしはこっそりのろのろと、目の前の男を見上げた。冷たく白い虹彩は、相変わらずわたしを虫けらのように見下している。
「あのー、クロノスさん」
「なんですか」
「……て、手取り足取り、ご教授願えますでしょうか? なにぶん、極小の羽虫なもので……」
「……ふむ。分かった」
へりくだってみると、案外クロノスは思案するようにして対処を考えてくれた。単純にわたしをぼこぼこにすればいいと思っていたらしいが、それを同レベルより少し上で抑えてくれることに。
そうすると不思議なことに、クロノスの動きはとても参考になってきた。力のないわたしは手数で押すしかないため、躊躇なく人体の急所を打たなくてはならないらしい。まあそれを向こうがやってくるから、わたしの体は傷だらけなんだけど。
邪神との一騎討ちを繰り返すこと数時間。
わたしは無傷で、すっかり元通りの部屋の中に立っていた。身体中の疲労感もなくなったが、心はすっかりへとへとだ。ちなみに、クロノスには速やかにお帰りいただいた。
「おつかれー、ハリエット」
「三途の川が見えるところだった……」
いや、本当に。心神喪失とかなりかねないレベルでぼこぼこだったよ。普通に生活をしていたら、一生味わうことのない痛みと緊張感だった。お陰で、この『夢』を見る前よりも格段に強くなった気がする。主に心が。
「気疲れしたからか知らないけど、お腹すいたよー。ジンくんいま何時?」
「そう経っていないよ? 何せあれは、こことは違う領域の話だし」
そういうことらしい。まさしく精神と時の部屋である。
ユリエルとの授業が終わったあとだったので、やや遅いが昼食にはいい時間だった。気疲れからの空腹もあることだし、重い腰をベッドから上げて部屋から出る。
「……む?」
そのまま廊下を進んでいくと、がらんとしたその隅に、人影が動くのが見えた。ふらふらとこちらへ歩いてくる人影は普通の生徒らしくなく、どうにも怪しい。なんだなんだ、もしかして誰かが女子寮に忍び込んできたのか?
とも思ったが、だんだんと近くにくるその人影は、どうもわたしより小さい。シルエットの膨らみはスカートだし、揺らめく人影は窓からの鈍い光に黄色い眼光を晒した。
ミルクティー色の髪に、発色のいい黄色。見覚えのあるカラー。
「カレンちゃん!?」
「……ハティ、ちゃん……?」
「帰ってきてたの? ってか、ど、どうしたのさ?」
ぼんやりとした様子で顔を上げたカレンちゃんに、慌てて駆け寄る。彼女の顔色は暗がりで見てもなお一層青白く、大きな瞳は虚ろなままだった。壁に半身を預けているところから、体の調子が良くないことは分かるけど……どうも、長旅で疲れた、それだけでないことは明らかだった。
「と、とりあえず部屋に行く? 大丈夫?」
「うん……大丈夫……」
よろけるカレンちゃんの腰を支えて、なんとか彼女の部屋まで辿り着く。その間もカレンちゃんは息を浅く乱し、青白い顔色のまま体を震わせていた。
開いた扉に体を滑り込ませ、薄暗い部屋のベッドにカレンちゃんを寝かせた。本当に、帰ってきたばかりのようだ。カーテンを開けると、その日差しの眩しさに頭が痛んだ。
「ありがとう……」
「ううん。それより、どうしたの? アルフは? アルフも帰ってるんだよね」
カレンちゃんがこんな状態だというのに、あのシスコンは何をやっているのだろう。もし知っていたら、一人で放り出すような真似は絶対にしないはずだし。となると、カレンちゃんは隠している?
なだめるように背中をさすると、カレンちゃんはつっかえながらもか細い声でわたしの問いに答えてくれるようだった。
「アルフには……言わないで、くれる? 病気とか、そういうのじゃ、ないの」
「病気とかじゃないって……じゃあ、何? どうして、そんな……」
「……多分、魔力の枯渇……」
「え?」
それこそなんでだ。魔力の枯渇現象についてはわたしも体験したことがあるが、それは魔法を一気に使ったりしなければ――――つまり普通に生活している分には、絶対にならないことである。
カレンちゃんは貴族のお宅を回っていたのではなかったか。それがどうして、こうまで酷い枯渇状態になるのか。
「わ、分からない。気づいたら、魔力、なくて……感覚は、知っていたけど、でも、理由は……」
「魔法を使った覚えはないってこと?」
「少し、だけなの」
カレンちゃんの魔力は多いとは言えないが、少ないというわけでもない。言うなればわたしよりいくらか少ないか、同じくらいかといった程度だ。
それが魔法の一つや二つ、その程度で枯渇するなんてあり得ない。
「身に覚えは?」
「……分からない。何かに、吸われた、かも知れない」
魔力は魔石になら溜めることができる。それはわたしの身に付けているペンダントと、ニールとユリエルが作ったという腕輪に言えることだ。カレンちゃんの魔力も、何かの弾みで魔石にでも吸収されたということか?
なんでもいい、とにかく今のカレンちゃんは危険な状態にある。すぐに温かいスープを飲むべきだ。
「分かった、カレンちゃん。とりあえず食事を持ってくるから、ここで横になってて。あー、アルフには言わなくていいんだよね? ならそうするから……えーと」
わたしに促されるままベッドに潜り込んだカレンちゃんは、今にも意識をなくしてしまいそうだった。もう魔力を吸われているわけではないのに、具合が良くなる気配はない。言わば酷い貧血みたいな症状で、今彼女の体内では必死になって魔力が作られている最中なのだろう。
焦りつつ立ち上がると、太ももに何か触る感覚がした。右のポケットに手を突っ込むと、それは。
「あ……欠片」
ユリエルに鑑定してもらってそれからさっぱり忘れていた、あの胡散臭いオーパーツだ。金色の欠片は確か、大切な人に渡すと『守護』の効果が得られるかもしれないと三徹のユリエルが。それがこのポケットに入っていたのは、偶然なのか神様のいたずらなのか……。
わたしはしばらく考えてから、その欠片をカレンちゃんに押し付けた。
「それ、お守りだから。持ってて」
「……ん……」
確かめる気力もないようで、カレンちゃんはそれを怪しむこともなく胸元に抱いた。両手で握りしめられたそれを一瞥して、静かに部屋を出る。
「……はあああ……」
大変なことになってしまった。カレンちゃんたちが帰ってきたら、わたしの模擬戦参加について助力を乞おうと思っていたのに、そういう場合じゃないようだ。
これからえーと、カレンちゃんのスープを運んで、アルフには会わずに済むならそれに越したことはないし……ユリエルの怪我、は、今治してもらえる状況ではないし。
「ああもう。どうしてこうタイミング合わないかなあ」
「それが相手の狙いだったりしてね?」
「カレンちゃんまで巻き込んでぇ!?」
わたしに対してのことは分かる。闇属性だし、調べれば知れることだ。だがカレンちゃんは、光属性なのだ。誰が進んで害そうとするだろう。
これももしお姉さんの工作だったとするのなら、ますますもって犯人の狙いが何か分からない。
自分の髪を掻き乱しながらも、廊下を小走りに食堂を目指していく。ひとまず分からないことは置いておいて、カレンちゃんの看病だ。明日が終われば模擬戦なのだから、カレンちゃんには早く元気になってほしい。
早く、温かいスープを用意しなくては。