07 愛の逃避行
最後のパンのかけらを口に放り込んで、手を合わせた。
「ふぉひほーははへふぃは」
こっちに来てしばらくは味噌汁が恋しかったが、今ではすっかりパンとスープに慣れてしまった。野菜はとれるし、体型も気にしなくていい。
わたしになってから、そういえば体型の心配をしたことがないのに気づく。まだ(多分)六歳だが、されど六歳。怠惰な生活をしていたらあっという間に太る。家では読書ばかりしていたのに、肢体はほっそりと白く、それでいてしなやかである。
彼女の肉体は太りにくい体質なのかな。
前世の苦労を思えば贅沢な話である。いやでもコンビニスイーツは食べたい。
リアルフィクションの世界を体験しているせいか、娯楽への禁断症状はないが食事はやっぱり物足りない。ミルクレープ、ハンバーグ。食べたいものを上げればきりがない。
「なんて言ったの」
手を合わせて唸るわたしを、アルフがちょいと揺する。どうやらアルフも食べ終わったみたいで、綺麗になった皿にフォークを置いた。教会から引き取られてから躾けられたのか、マナーというか動きが綺麗である。
つい癖でやってしまったが、そういえばこっちに「ごちそうさまでした」の文化はない。
「あー、自己流のお祈り?」
こっちでも神様は信じられていた。基本的に魔法関係の本しか読んでこなかったのだが、そこにちらっと書かれていたはずだ。闇魔法が悪いうんぬん。教会もあることだし、アルフルートでも祈る場面があったような。
「……俺が知ってるのと全然違う」
教会で育ったアルフは不満顔だ。さすがに神様の存在すら知らないとは言えなくて、それとなく話を逸らす。
「アルフは教会にいたんでしょ。わたし行ったことないし……」
「お前、行ったことないの?」
「え?」
あれ、もしかしてみんな行くもんなの?
アルフのびっくりしたような言い方に不安を覚える。家にいたときに行った覚えはないし、もしかしたら彼女が小さい頃に行ったのかも。まだ思い出せてない記憶があるのか?
「覚えてないだけかなあ……」と頭を掻くと、アルフはちょっと疑うような目でわたしを見たあと、なにかに気づいたように目を逸らした。
「そっか、お前……」
そんな申し訳なさそうな顔をされても何が何やら分からないぞ。
アルフはすごく申し訳なさそうにわたしを横目で見ると、食器を隅にどけて体ごと向き合った。
よく分からないが、アルフはわたしに教会のことを教えてくれるらしい。知っておいて損はないようだし、ご教授願おう。
「食前と食後にお祈りがあって、ここでも学食の方でみんなやってる」
「へえ!」
それは知らなかった。教室と図書館と寮以外どこにもいってないことを思い出して、ちょっともったいない気分になる。ネクストスクールライフにひたすら男の尻を追いかけていたわたしを哀れむ。
アルフはわたしの反応に気をよくしてさらに続けた。
「普段は食前だけでいいんだ。アカデミーは貴族のやつらもいるし。あとは神様に祈る。これは月の始めに教会で」
「……」
わたし月一で祈ったことなんてないんだけど。
「俺の育った教会はわりと近くの、時計塔の前。食事の前に神に祈る。本当の祈りはもっと長いけど、みんな短くして、あとはみんなと料理の取り合いで……」
言っているうちに、自慢げだったアルフの顔がだんだん下を向いていく。教会での生活を思い出したんだろう。
寂しいだろうなあ。
わたしには兄弟がいなかったが、大勢の家族は楽しかったんだろう。それがいきなりなくなったら、寂しいと思わないわけがない。六歳なんて、まだおねしょして泣いてる年頃だ。アルフはわたしから見ても大人びすぎている。
黙りこんでしまったアルフの頭を撫でる。
わたしは赤い色の髪の毛に手を置いたまま、考える。
わたしのためにゲームを壊すと決めたことに迷いはない。この先わたしが展開をいじったことで、主人公に救われるはずだったキャラがどうなろうと、覚悟の上だ。
でも、わたしが見捨てるわけじゃない。
わたしは卑怯だから、自分のせいで不幸になる人間を見て見ぬふりして、罪悪感を味わうのはごめんだ。
壊すなら壊すなりに、新しい救いをわたしの精一杯、あげるべきだと思う。
シナリオライターか誰かが作った人間の運命くらい、救ってあげられないわけない。
現にこうやって、アルフはわたしの親友になったのだ。
「別れた友達に、言いたいことないの?」
投げかけた言葉に、アルフが勢いよく顔を上げる。驚いたような、なにかにすがるような、わたしの限りなくゼロに近い加護欲をそそられる顔で。
頭をなで回したい衝動を押さえつつ、いやちょっと撫でつつ言葉を待つ。
ショタコンではない。ただ近所の悪がき(ゆーくん)を思い出しただけである。
唇が震えて、小さな声が漏れた。
「……言いたいことはないけど、聞きたいこと、ある」
それを口に出しても叶うわけじゃない。そう思っているのか、アルフはそれ以上なにも言わなかった。
わたしもそれ以上追求はできない。言ったら、潤んだ赤い目からなにかがこぼれ落ちるかもしれなかったから。もしアルフが泣いてしまったら、わたしはどうすることもできなかっただろう。
夕方、アカデミーでの授業を終えて寮へ帰る。
寮の造りは個室と大広間に別れていて、ほとんどの生徒たちはそこで賑やかにおしゃべりをしていた。女子はいつでもお喋りが好きだ。これが男子寮だと走り回ったりしてるんだろうなあ。
わたしはお馴染みの男装に扮し、個室から裏口へ回る。基本的に見回りしか使用しないこのドアは、夕方に人の影はない。
ちなみにわたしの服は、ヒューのお下がりを持ってきたもの。恐らく成長期に活躍の場を奪われたこの服はまだまだ綺麗なままだ。わたし本来の服も、着てやらねばすぐ小さくなる気がする。
その裏口から、男子寮へと続く裏口へ入る。
目的の部屋を見つけて、周りを確認してノックする。アルフのことだから外には出ていないはずだ。ここにきて獣アルフを撫でたのがつい最近に思えて、思わず降格が上がる。
慌てて顔を引き締めていると、ドアノブがひねられた。
「アルフくん」
「……お前、なんで」
「いいから来て」
アルフの手を引っ張って部屋から引きずり出す。ドアだけはきちんと閉めて、また裏口へ走る。
「今度はなに……? またその格好だし」
足の遅いわたしについてくるのが辛いのか、アルフはいつのまにか並んで走っていた。残念だけど、わたしに剣系の適正はないだろうと思う。無理してムキムキになりたくないので別にいいけど、剣を華麗に振るうのもちょっと憧れる。
渋い顔でアルフがわたしを睨む。わたしの格好を見て顔をしかめるアルフは、きっとこないだのことを思い出しているに違いなかった。
「かっこいいでしょ! ……いいからついてきて。誰か来たら教えて」
裏口を抜けて、木々に覆われた先の柵へ向かう。
この柵、間隔が広くて子供なら通り抜けられるサイズなのである。
わたしの考えに気づいたのか、アルフが声を荒らげた。
「なあ、もしかしてさあ……」
「抜けるよ。教会、近くなんでしょ」
いつかはこうしようと思っていた。正直言うとアカデミーとかいう閉鎖された空間にうんざりしていたし、どうせならエセ中世の街も堪能してみたい。あいにくとおこずかいはちょっとしか貰ってないけど。
そのために色々と考えていたのだが、アルフはぴたりと足を止めた。
「アルフくん」
もう少しで柵に着くというのに、アルフは動こうとしない。掴んだ手首に力を込める。
少し迷ったあと、決心したようにアルフが顔を上げた。
「無理だよ」
言ってから、後悔したように唇を噛むのはやめてほしい。
「なんで?」
「なんでって……」
アルフは押し黙った。
子供の頃、わたしは学校を抜け出したりしなかった。
ちょうどおあつらえ向けにフェンスに穴が開いているのを見かけたが、わたしはただそれを眺めてお昼休みを過ごした。ほかにも色々、はしゃぐクラスメイトを尻目に、真面目にルールを守って過ごしていた。
親にバレるのが怖かったのか、先生に怒られるのが怖かったのか分からない。
でも、それを思い出すたびにこう思う。
――やっとけばよかった。
だって正直、親に叱られてもなんのデメリットもない。せいぜい嫌な気分になって時間を取られるだけだ。大抵のことでは退学にもならないし、進路にも関わらない。
今やらなくてどうするんだ。
近所の悪がきのゆーくんは、わたしの思いを晴らすかのように迷惑のない範囲で悪さしまくってくれた。それを遠目で見ながら爆笑していたのを思い出す。
「親が怖い? バレたらなにされるの?」
「……殴られるかもしれない」
暴力はいけない。抵抗のできないいたいけな子供を殴るのは、教育でもしつけでもなく一方的な力の行使である。
一方的なら。
「……アルフはその人の前では獣になれないの?」
「なれるけど……」
「なれば勝てるよ。アルフのその力は、いろんな人が喉から手が出るほどほしいものだよ。その人だってアルフの力目当てで引き取った」
アルフの両手を握る。目線の高さは同じだがそれでも違うところに立っているみたいだ。わたしは子供を諭すように、語りかける。
子供の頃は大人が無条件に怖いもののように思ってしまうけど、実際はその何倍もしょうもない生き物だ。
わたしみたいに。
もう少しアルフが成長したら、父親との決別のしかたを一緒に考えてあげようと思う。今は精一杯、言い聞かせるしかない。
「アルフの牙は人を簡単に殺せる。アルフもわたしに聞いたよね、怖くないかって」
「……うん」
「アルフには力があるんだから、その人の言いなりになる必要ないよ」
それにアルフなら、捨てられてまた孤児になろうと、前のきらびやかな生活に戻りたいなんて思わないはずだ。今の生活に未練がないなら、貴族のその人に強制力はない。
わたしの言葉が届いたのかは分からないが、アルフは無言で足を進めた。それを合図にわたしはまた駆け出す。
いろんなしがらみが用意されたアルフの人生に、わたしは安い同情をするしかない。
「ありがとう」
真っ直ぐなお礼の言葉に、とっさになにも言えなかった。
結末もアルフの気持ちも知っているから安い同情をしているだけで、本当にただの友達ならこんなことをしたか分からない。
ゲーム知識の行使がなんだか悪いことのように思えてしまって、わたしは黙って走り続けた。
黒塗りの柵にたどり着くと、わたしはすぐに手をついて目をつむった。
子供がすり抜けられるくらいの柵は、けれども子供にはとうてい破れないような結界が張ってある。
この日のためにアカデミーの紹介された本をたくさん読んできた。いつかは挑戦してやろうと思っていたのだ。
「ベル、なにして……」
イメージを固めていく。アルフをもう片方の手で制して、念じるように手を隙間に入れていく。弾かれないようにそっと、通り抜けるのだ。
結界に属性関係はない。張るか破るか通り抜けるかの三択である。
破ってから張るのでは、恐らく誰かにばれてしまう。
アルフを連れて通り抜けるのは至難の技だが、魔力自体は平凡で技巧でやっていくしかないわたしにとってはちょうどいい腕試しだ。
「アルフ、手、離さないでね」
アルフの熱い手の温度が、唯一の拠り所に思えた。
柵の隙間に突っ込んだ手を伸ばしていく。ずるりと抜ける感覚が、腕から上ってくる。魔法はイメージだというのは、初めのうちは簡単でよかった。
こんなふうに複雑になってくると、かえってイメージの方が難しいものがある。コツを自分で掴まなければならない。多分駄目な人は一生無理な境地だ。
「なに、これ……」
柵を通り抜けるアルフが眉をひそめる。わたしは答える余裕もなく、アルフを介してのイメージに必死だ。
これは二倍むずい。
媒体を介すとその分イメージの伝達に魔力がいる。これもまた実践できてよかった。
なんとかアルフがアカデミーの外の地面に足をついたところで、やっと息を大きく吐き出す。
汗が二、三滴額にかかった。
「はぁ……さ、行こう!」
わたしを心配そうに見つめるアルフにブイサインを見せて、息を整える。
おれたちの戦いはこれからだ!