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81 どうしてそこにいるのか

 本当ならわたし達は、最後に聖歌を歌うはずだった。それを彼女が、綺麗なソプラノで歌っている。


 カレンちゃんの細く可憐な声は、啜り泣く少女達の声に混ざっていく。最初は今にも掻き消されてしまいそうだった声が、不思議と良く響くようになっていった。

 歌に気づいて泣くのを止めた一人が、震える声でカレンちゃんの歌についていく。それを聴いた一人がまた、声を合わせる。一人また一人と、聖歌は大きく空気を震わせる。


「遠く、光あれ……」


 光あれ。その言葉通りに、結界内に漂っていた薄暗い靄が姿を消していく。明るくなる視界に驚いた一人がまた、歌に気づいた。


 わたしは結界を消してみた。けれども、カレンちゃんの周りが黒い霧に満たされることはない。それよりも歌声が響くたび、教会内の闇が消えていくようにも見えた。


 そのうち歌声は、霧の向こうの人の耳にも届いたらしい。


「闇が……薄く……」

「聖歌だ! ああ神様! 女神様!」

「そう、そう! 光属性の子がいるのだったわ!」


 人々の希望に満ちた声に後押しされるように、目の前の闇が薄くなっていく。霧が晴れた先に見えたのは、濡れた瞳を輝かせている数多くの人々。


 わたしも歌に声を乗せながら、カレンちゃん達をさりげなく元の場所に戻ることを促した。発表は、つつがなく終えたとしなければ。カレンちゃん達もそれに気づいて、何事もなかった――――とはいかないが、元の場所に立って歌い続けた。


 霧はなんとも呆気なく、晴れていく。


 違和感に襲われる。カレンちゃんの歌が闇を切り開けるのは、彼女が光属性であるから。だけどわたしの見たバッドエンドは、その彼女が呆気なく闇に敗北する。

 言うなれば、この魔法は手ぬるいのだ。人を傷つけることもなく、ただ教会に来るような熱心な人々が、恐怖を煽られるだけ。その様子は確かに尋常じゃなかったけれども、カレンちゃんの歌で全てが晴れる。


 呆気ない。森でわたしが襲われた時とはまるで違う。やはり犯人は別にいて、学園で起こったこととは全く関係のないことなのだろうか。


 わたしが考えている間にも、闇はますます薄くなっていく。もう目に見えるのはごく僅かで、暖かい照明の教会が見渡せた。そこにあったのは、歌うカレンちゃんを見つめる数多の眼差し。


 ふと思い出す。違和感はここにもあった。

 手ぬるく、何のために行ったことなのかさっぱり分からない。これはカレンちゃんの言う復讐と捉えるよりも――――。


「神様! ――――聖女様!」


 そう、聖女だ。

 あの本に載っていた、聖女の行いそのものじゃないか。



 カレンちゃんの歌声で、教会に満ちた霧はその全てを消し去った。嗚咽と怒声を溢していた人々は、立ち上がってカレンちゃんを褒め称える。嵐のような拍手で教会が満たされる。

 わたしはそれを黙って見つめていた。客の中に、やはり闇属性がいるというのは考えにくい。そしてまたお姉さんの姿もない。教会内に不審なところは……いや、まずあの闇はどこから沸いたのか……。


 闇魔法に限らず基本的な魔法と言うのは、発動範囲が術者の近くに限られる。つまりこの教会に犯人がいると言うのは、間違いないことなのだが。霧が発生したのは、丁度わたし達と客の間。その距離であれば座席を絞るということもできない。

 そもそも教会には礼拝堂だけではなく、他にいろんな建物がくっついているのだ。わたしが調べたくとも、教会を隅々まで見て回ることは不可能に近いし……。


「皆さん、大変だったみたいですね」


 その時、開かないはずの礼拝堂の扉が開いた。聞き覚えのある穏やかな声に、盛り上がっていた人々は更に声をあげる。


「マデレーン様!」


 やっぱり、お姉さんはこの件に関わっているのか? このタイミングで出てきたということは、そういうことじゃないのか。

 お姉さんはいつもの優しい微笑みを張り付けて、まっすぐこちらに向かってきた。


「カレンさん、良くやったわね。もう大丈夫よ」

「マデレーン、様……」

「今日はわたくしも教会で過ごすから、貴方達はすぐに戻りなさい。何も心配しなくていいわ。聖歌も見事だったわね」


 その言葉に、未だ顔色の悪かったジュリア達はほっと息を吐いた。まさか、真剣に練習を重ねてきた発表の場がこんなことになるとは、思ってもいなかっただろう。カレンちゃんは無表情のまま、肩に置かれたお姉さんの手をじっと見つめていた。


「さあ、皆行きましょう。馬車を待たせているわ。町の方々も!」


 肩に置いた手を背へと回して、お姉さんはそう呼び掛けた。背を押されるカレンちゃんを筆頭に、次々と人々が教会の扉を潜り抜けていく。その顔には既に恐怖はなく、あるのは前を行くお姉さんと、カレンちゃんへの尊敬。「聖女降臨」と 囁き合う声が、嫌に大きく聞こえてくる。

 わたしも人々の背に続いて、教会の扉を潜る。しかし、すぐ近くに停めてあった馬車には、何故か馬が繋がれていなかった。


「あら、馬はどうしたのです?」

「え? ああ……どうしたのかしら」


 ジュリアの問いに曖昧に答えて、お姉さんは御者を呼びに行った。わたし達はしばらくその辺りで留まり、他の生徒などは、先程の騒動について興奮も露に語り合っていた。カレンちゃんを取り囲む姿は、やはり教会の人々とそう変わらない。


「あの時は本当、ありがとう。素晴らしかったわ」

「忘れていたわけじゃないけど、やっぱり光属性ってすごいなぁ」

「歌に魔力を乗せて、それでアレを沈静させたんですか?」

「…………」


 カレンちゃんは全ての問いに、やや困り顔で口をつぐんでいた。彼女自身、どうしていいのか分からないみたいだ。急に聖女伝説さながらの活躍をしたって、カレンちゃんはカレンちゃんのままなのだから。


「皆さん! お待たせしてごめんなさいね。さあ、乗ってちょうだい」


 そのうち御者と馬を引いたお姉さんが現れ、カレンちゃん達はそそくさと馬車に乗り込んだ。最後に乗り込むのはやはりわたしで、台に足をかけつつ、ふと後ろを振り返る。


 結局、教会にきて分かったことはあまりにも少なく、そして謎は更に増えてしまったな。


 近くから見るとなお荘厳で、しかしどことなく、不気味ほどに清廉な教会。わたし達が足を踏み入れた礼拝堂の他にも、外から見ると建物が横に寄り添うように続いている。高さもなく横に伸びている建物は、恐らく普段生活を行っている場所なのだろう。


「……え?」

「ハリエットさん? 早く乗っていただけないかしら?」

「あ、ああ……」


 ジュリアの声に、半ば無意識的にわたしは馬車に乗り込んだ。開いている場所に適当に腰を下ろして――――瞼を閉じる。


 信じられない。何かの見間違いではないのかと心は訴えるが、瞼の裏に張り付いた映像は、どうしても消えてはくれない。


 どうして――――あそこにニールがいたんだ?


 あれは、間違いようもなくニールだった。礼拝堂の隣、恐らくは神父様やシスター、それにカレンちゃん達のような孤児が生活しているであろう建物。そのすぐ側に、黒い色の衣服を身に纏う男の姿を見た。

 何年も彼の変わらない背中を見つめてきた。きっと間違いではない。あれはニールで、ニールは教会にいた。


 どうして? ニールは教会に嫌悪と恐怖を抱いているはずで、そして……闇属性だ。ここにくるはずないし、来てはいけない。だってそれじゃあ、教会にいた闇属性はわたしとニールの二人?

 ……ニールがやったって言いたいのか、わたしは。思わず首を振る。


 じゃあニールは何故ここにいたのだろう。お姉さんに呼ばれて? いや、お姉さんがなんのためにニールを呼びつけることがある。それにニールも、自ら怪しいといったお姉さんについてくることがあるだろうか?


 そもそもニールと、お姉さんの関係はどういったものなのだろうか。ニールはお姉さんに言われて、わたしの教師になったのではなかったか。そうだとしたら、力関係はお姉さんに分がある? 王都行きの時だって、面倒くさがりそうなニールがついてきたことにわたしは驚いていた。


 いままで考えたこともなかった。

 お姉さんとニールは、いったいどういう関係なのだろう。

 急に鼓動が激しくなって、わたしの心は千々に乱れ始めていた。


「恋人関係?」


 またいつもの囁き声がする。少女とも少年とも、大人とも子供とも言えない、掴みどころのない声で。

 こういうときばかり楽しそうな悪魔かみさまは、逃げ道のない馬車の中でわたしをいたぶる。


「いや、あの雰囲気だと恋人ではないかな。元、とか? 二人とも年齢不詳だし、あり得ると言えばあり得るかも」


 あり得ない。と、言えないのが悲しいところだ。わたしはニールを何も知らない。肝心なことは全部。


「もしかして、あのお姉さんに頼まれたのかも。教会に闇を運ぶよう。ああ、きみに対して何度も引くよう忠告しているのも、もしかしてお姉さんのため?」


 お姉さんに頼まれて、あんなことを? あまりにもぬるいあの騒動は、しかし頼まれればしてしまえる範囲でもある。だからといって、ニールが?

 わたしを事件から遠ざけるのも、アルフの記憶喪失を闇属性のせいだと誤認させようとしたのも、犯人を知っているのも、全てお姉さんの協力者だから?


 わたしを王都に行かせたお姉さん。それについてきたニール。アルフの記憶を封じた誰か。地下室を守るお姉さん。犯人を知っていて、誤魔化したニール。森でわたしを襲わせた、お姉さん。首を突っ込むなと、そう言うニール。


 ぐるぐると真っ暗な視界が回る。閉じた瞼の赤黒さが、自分の心を写しているように思えてならなかった。


 やっぱり『わたし』はまだわたしの中にいて、自分本意な考え方を引きずっている。どれだけの月日が経って、わたしがハリエットになろうとも、この馬鹿らしいほどの人間不信は治らないらしい。

 まさか好きな人でさえ信じられないなんて。何年も一緒にいて、あまつさえ好きになってしまって、笑顔が見たいと思っているのに、だ。

 それなのにわたしは、ジンくんの声一つで惑わされようとしている。ニールも犯人の一人で、それでわたしを騙している、とか。


 がたがたと断続的に揺れていた馬車は、しばらくして馬の嘶きと共に停車した。疲れきっていたらしい皆はぐったりとしていたが、開けられた扉からのろのろと降りていく。


 わたしもそれに続いて地面に足を着き、大きく伸びをした。着替える暇もなかったから、この白い服は一層窮屈で仕方がなかったのだ。


「はあー……」

「なんだか、すごく、疲れたね」


 ぽつりと言われたカレンちゃんの言葉に、心の底から同意する。ただ歌を歌いに行ったはずなのに、手に入ったのは新たな混乱の種だった。


 一つ、言えるのは、わたしはニールのことが好きだと言うこと。騙されているかもしれないとしても、それでも構わないと思うくらいには。

 何故ニールがあの場にいたのかは分からないが、ジンくんの言うようなことがあったとはいっさい考えないことにした。何度も助けてもらったわたしが、疑ってどうするんだ。ジンくんの言葉はわたしの心のうちを的確についてくるが、全てが正解と言うわけではない。


「帰ろっか、カレンちゃん」

「……そうだね」


 いつかカレンちゃんと話していたときの囁きも、今では笑い話でしかないのだから。

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