79 礼拝堂
次の日、慌ただしく馬車に乗り込んだわたしたちを待っていたのは、目を疑う光景だった。淑女らしくもなく(別にそうではないが)あんぐりと口を開けて荷物を取り落としたわたしに、その人は困ったように笑った。
「ま、マデレーン様!?」
「私も教会に用があってね、ごめんなさい。気を使わせるかもしれないけれど、引率の先生だとでも思ってちょうだい」
わたしとは違って、マーシアとジュリアは自身の口元を押さえている。それでも目はしっかりと見開かれ、驚きの度合いが伝わってくる。
カレンちゃんは良く分からないが……わたしだってそうだ。どうしてお姉さんがついてくることになったのか、まるで想像がつかない。いや、考えようともしていないのか。
一応敵――――のようなものであるお姉さんが、わざわざ教会に足を運ぶわけ。それはわたしたちを監視するためか、害なすためか、それとも教会に何か、本当に用事があるのか。
深く考えるほど彼女を疑ってしまう。そのことがわたしの心にずっしりとのし掛かり、重たい枷になっていく。考えたくない――――今になってもまだ、そんな弱い心が逃げようとする。
ジュリアやマーシアは単純な驚きと尊敬から、わたしはある種恐怖から、三者三様に驚くなかで、唯一お姉さんに反応を返せたのはカレンちゃんだった。
「どうぞ、お乗りください」
「ありがとう、オルブライトさん。今日はとっても素敵な格好なのね?」
「ジュリアさんが、考えて、作ってくれました。今年は特別……って」
「まあ、そうなの?」
馬車に乗り込んだお姉さんが、微笑と共にジュリアを振り返る。彼女はお姉さんに見えない位置で拳を握り直し、いつもと変わらない優雅な笑みを湛えた。それに続くようにマーシアも体の力を抜く。
「そうなのです。ベインズ家、ひいてはオルブライト家の名に恥じないように、と。マデレーン様さえ良ければ、道中詳しくお話いたしますわ」
「本当? 嬉しい、今日の発表も見るつもりだから、頑張ってね」
「はい! 期待にお答えできるよう、あたしたちも最善を尽くします」
さすが、だ。ジュリアも、カレンちゃんもマーシアも、そしてお姉さんも。
それぞれ思うことがあろうとも、こうしてきちんと態度を取り繕うことができている。あの地下室で会ったときのように、お姉さんが悲しんでいることはない。
だけど、わたしにそれは難しいのかもしれなかった。
頬が、重いのだ。
いつものように、幾度となく危険の前で張り付けてきたあの笑顔が、上手く作れない。昔から、ずっと前から、それこそ前世から。息をするようにしてきたことなのに。
なんとか荷物を持ち直して、遅れて馬車に乗り込む。
わたしは俯いて髪で顔を隠し、マデレーン様の斜め向かいに腰掛けた。上座下座があるのか知らないが、残っていたここが一番彼女からの距離が遠い。
「……ベルさん、大丈夫?」
「あ、ああ。うん、ちょっと緊張してるのかな……」
隣に座ったマーシアがわたしを気遣ってくれる。控え目に触れた彼女の手を肩に感じて、わたしは少しだけ笑みを乗せた。お姉さんからの視線を確かに感じるが、しかしわたしは、そちらには振り向けなかった。
……重苦しい馬車の雰囲気から一転して、隣町ザルーアスには確かに普段よりも活気が満ちているように思えた。早朝から賑やかな町中を馬車が横切り、わたしの記憶に残る白い建物へと向かっていく。
ここは教会だ。アルフとカレンちゃんが育った場所。わたしがニールを迎えに行った場所。ニールが憎む場所。
揺れが止まった馬車から降り立つと、爽やかに冷たい空気が頬を撫でていった。隣に降り立つカレンちゃんも、懐かしいその場所を見上げてその目を細めている。
「ここね。隣町の教会へ来たのは初めてだわ」
「そう、なんですか? ジュリアさん」
「そうなんです。わたくしの家には礼拝堂がありますから」
なんとわたしと同じような感じじゃないか。それなのにジュリアは緊張も何もないように、さっさと歩を進めながら言った。確かに、普段は学園から出るような用事はないし、出たとしたら家に帰るわけだからな。隣町の教会というのはなかなか、機会がなければこないところだろう。
頷きつつ、ジュリアに続いてカレンちゃん達も教会に向かっていく。わたしはそびえ立つ白い建物に圧倒されながら、三人の後ろに引っ付くようにして教会に入ることにした。
「うわあ……」
両開きの扉を開けた先には、わたしにとっては物珍しい礼拝堂の身廊が現れる。上はなにやら入り組んだ高い天井で、両脇には凝った装飾のある柱がたくさん。奥には大きなステンドグラスが、色鮮やかに輝いているのが見えた。あれに描かれているのが女神様というやつだろうか……。きょろきょろと見回していると、お姉さんがどこかへ行こうとしているのに気づいた。
「あら、マデレーン様? どうかなさいましたか?」
「ごめんなさい。少し知り合いにご挨拶に向かいたいから、私はここまでね。発表、頑張ってちょうだい」
そう言うとお姉さんは困った笑顔でわたし達に手を振ったのち、そそくさと礼拝堂を出て行った。わたしとしては警戒しなくてもいいし、緊張しないしで問題ないのだが……そのお姉さんの表情は、あまり冴えたものではなかった。
わたし達は人の入っていない礼拝堂の奥に立ち、練習の通りに並んだ。もう少ししたら他の生徒も来るだろう。一応持っている歌詞の書かれた本を捲りながら、手持ち無沙汰に紙を弄る。ジュリア達は教会の人達に挨拶なんかしちゃっているが、わたしはできれば大人しくしておきたいのだ。ジンくんもいないしね。
「おや、もしかすると……お嬢さん?」
果たしてそんな穏やかな声が聞こえてきたのは、偶然だったのだろうか。
わたしが顔を上げた先にいたのは、いつか会ったことのあるあの親切なおっさんだった。今日もまたいつもと同じような、暑そうな格好だったが、ここが教会だったからなのかどうにもよく似合う。というか、なんていうか。
おっさんはわたしの前に寄ってくると、若草色の瞳をこっちに向けた。
「まさか、学園の生徒さんだったとはね。それも教会に来てくれるなんて」
「いえ……あの、この間はどうもお世話になりました」
本だけでは分からなかったことを、詳しく教えてくれたのはこのおっさんだ。見た感じは穏やかで優しそうなふつーのおっさんなのだが、ここにいるということは……いやでも、話を聞いた限りでは信者でもなさそうだし。どう接したものか迷っていると、おっさんが小首を傾げた。
「そんなに畏まらなくともいいよ。それとも緊張しているのかい?」
それもあるのだが、わたしの今の戸惑いの原因は、このおっさんがいったいなんなのか、だ。店で会った時はもの好きで読書好きなおっさんだとか思っていたが、しかし教会にその、重そうなローブ、というか黒くゆるい服を何枚も重ねているその雰囲気は――――。
「は、はあ、えっと……すみません、もしかして神父さん……だったりします?」
おっさんの服装はわたし達の着ている服とは違うが、ジンくんの祭服にはどことなく似ているものがある。つまり聖職者で、だからこそまだ人のいない教会の中にいるのではないだろうか。この予想は外れて欲しい。神父だか牧師だかはわからんが否と言ってくれ! とおっさんを見上げると、にっこり微笑まれた。
「良く分かったねぇ。まあ、そんなものだ」
「……へ、へえ……」
なんとまあ、えっと――――どうしよう。ヤバイ、背中が汗でびしゃびしゃだ。なんて人と知り合いになっているんだわたしは。やっぱエンカウント率おかしくない? なんか乱数バグってない? どうして闇属性のわたしが教会の神父様とお近づきになってるんだよ。
内心の動揺を隠すのに全神経を集中させているうちに、おっさんはわたしの目の前の会衆席に腰掛けていた。は、話す気満々じゃないですかー! やだー!
額にまでうっすら汗をかき始めたわたしに構わず、おっさんは上機嫌で目元に皺を浮かべた。毒気のない笑みで微笑まれると、わたしも拒否できない。
「それで、お嬢さんはあの後、どうだった? 調べ物には満足したのかな?」
「はい。時間があれば他にも色々と読みたかったんですが、学生ですから時間が……」
「ああ、なるほど。それにしても、読書、好きなんだね」
「ええ、まあ」
……普通に会話してしまっている。なんというかこのおっさん、不思議と警戒心が湧かないというか、和やかな雰囲気がそうさせるのだろうか。話題もそんな、ありきたりなものだし。おっさん自体は闇属性に悪感情を持っているとは思えない発言をしていたし、わたしが気にしすぎなのかもしれないな。
「そういえば、えーと、神父さんはあそこで何を?」
「うん? 何って、本を買いに行っていたんだよ。――――そうだ、お嬢さん。きみはハッピーエンドは好き?」
「え?」
ハッピーエンド。それって、いわゆる大団円というやつか。
昔話で善人が得をして、いつまでも幸せに暮らす……なんて終わり方のそれ。テンプレちっくに言えばそうなるが、物語なんて大半は主人公が苦難を乗り越え救われるものなんじゃないだろうか。なぜなら皆それを好ましいものだと思っているから。
「そりゃあ……好きですかね。救いがないよりかはよっぽど。神父さんは違うんですか?」
首を傾げると、おっさんは瞳を輝かせて首を振った。そのままわたしの手を大きな両手でぎゅっと捕まえられる。わたしは思わずビビって仰け反ったが、おっさんの厚い手は構うことなく情熱を伝えてくる。
「いいや、おじさんもハッピーエンドが好きでね。物語や昔話に収まらず、人の人生というのもそういうものじゃないかと思うんだ。どれだけの試練があっても、それを乗り越えて生き続ける。そうして最後にはこれ以上ないくらいに幸せだと思って、おしまい――――あはは、子供っぽいかな。年甲斐もなくそういうのに憧れているんだ。……あっ、ごめん」
「いえ、大丈夫です」
気がついたのかおっさんはわたしの手を離して、気まずそうに照れ笑いをした。まあ事案ではない。神父様だし。
それにしてもおっさんの語ることは、聖職者らしくなんとも高尚で慈悲深いことだ。つまり生きている限り苦しいことがあっても、最終的には幸せが待っているとそういうことなのだろう。人生みーんなハッピーエンドとは懐が深い。
「いいですね、それ。わたしもできればハッピーエンドで人生を終えたいものです」
わたしの言葉に、おっさんは柔らかく微笑んだ。その唇が形を作り、何か言葉を発しようとしたところで――――。
「ウォルノス様! こちらにいらっしゃいましたか」
「……ああ、もうそんな時間ですか」
何やらわからん人達が、おっさんを探していたようだ。おっさんも顔見知りのようで、少し話をすると真ん前の席を立ち上がる。
そういえば、と周りを見ればジュリア達も戻ってきているようだった。げ、用意をしながらもジュリアは眼光鋭くこっちを睨みつけてきている。サ、サボりじゃないんだよー、断じて。
「ごめんねお嬢さん、そろそろ時間みたいだよ」
「……そうみたいですね」
「うん、また話をしてくれると嬉しいな。それじゃ、頑張ってね」
ひらひらと手を振ると、おっさんは服の裾を翻して立ち去っていった。
なんとなく、どことなーく何か引っかかることがあったような気がしたのだが、そんなことを考えるよりダッシュでジュリアの手伝いをしないと(社会的に)殺される。慌てて祭壇の方へ向かいながらも、わたしはもう一度だけおっさんの方を振り返った。
今日の発表は、あの人も聴くんだろうな。