78 前日
あの日ジンくんと街に出た先で、わたしは色々なことを知ることができた。
起こってしまった昔の内戦。闇属性が嫌われているわけ。聖女伝説っぽい何か。それが教会側によるプロパガンダであるかもしれないということ。
まあ一言で言うなら、教会がすげー嘘臭いってところか。
わたしがかつて信者に嫌がらせされ、殴られ、そしてニールが憎む教会。学園でも王都でも不自然に確認されていて、印象だけで言うならグレーどころか真っ黒だ。
そもそも『信者』というのは、正しく言えば『狂信者』だ。ファナティック!
食事前に祈るくらい宗教が身近に根付いているこの国で、神がいないと言う人間は恐らく存在しない。誰しもが教会の言う神を、神話を信じ、そして無意識のうちでさえそれを尊んでいる。信じる人なら、それは信者。
だからといって、国民全員が闇属性だからと子供を殴ったり、嫌がらせしたりはしない。はず。
過去の内戦のイメージから、避けはするかもしれないが。それが例え善良な市民でも、闇属性であるなら積極的に排除しようとする彼ら『信者』は、狂っているとしか言えない。だから狂信者。
あそこまで排他的になれる何かを、彼らは心の奥に持っている。
それがなんなのかを突き止めることができたなら、現状も変えることができるかもしれない。一部の人間さえ鎮火してしまえば、あとは分かってくれるはずだ。
さてそんな教会に殴り込む――――もとい、乗り込む日が迫っていた。
ジュリア、カレンちゃん、マーシア、わたし、他数名。小規模聖歌隊のわたしたちである。
「いいですこと? 何よりも重要なのは気持ち。気持ちさえ籠っていれば自然といい声が出るはずよ」
「はい、ジュリア様!」
「任せてください!」
「肝に命じます……」
今日は教会へと向かう前日だ。
上からジュリア、わたし、マーシア、そしてカレンちゃんと続く。わたしたち四人は教室に集まって、最後の支度に慌ただしく動いていた。
「さあハリエットさん。自信作よ」
まず聖歌を歌いに行くのに、それ相応の衣装が必要だった。ジュリアとわたしでは身分に差がありすぎて、つけているものも着ているものもバラバラだ。
そのための衣装は一ヶ月ほど前からジュリアが率先して頼んでくれていたようで、それが今日お披露目された。カレンちゃんとマーシアは既に試着して手直ししているらしいけど、わたしは初めてそれを見る。なんでも、ジュリア本人もデザインに加わったらしい。
「すぐに着てくださる? 今ならまだ、簡単なところなら修正できますから」
「はい、分かりました。……折角だから皆さん着てみません? ほら、一度皆で合わせてみたいし」
なんとなく一人で着るのもなあと思ったわたしに、最初に頷いてくれたのはカレンちゃんだった。二人も快諾してくれて、着替えるためにと部屋を出ていく。
マーシアはともかく、ジュリアはけっこう派手めな格好でいるからね。カレンちゃんもそんな感じだが、彼女は一人でお着替えできるのだろう。
わたしは側にある白い衣装を手にとって、カレンちゃんから少し離れて着替えることにした。
「おお、これはまたなかなか……」
薄目の布の服を着ているわたしにとっては、その衣装の白くて分厚い感覚は新鮮だった。
両手に持って広げてみると……こう、ピタッとした形の、長いワンピースみたいな感じ。ウエストの辺りで絞ってあるが、そこからは広がることなくすとんと足首辺りまで落ちている。袖も襟もぴったり覆い隠すようになっていて、どちらかと言うとだぼっとしたローブみたいなのを想像していた身としては驚いた。
だが真っ白の布には同じく白い糸で刺繍がされており、良くみるとなかなか豪華である。遠くからみれば清廉に、近くでみるとちょっと荘厳に。
体に沿う形なので野暮ったくもないし、さすがと言うべきデザインか。
スカート部分に足を突っ込んで、そこから袖に腕を突っ込んでみたが、サイズに問題はなさそうだ。一応、ジュリアのメイド的な人にスリーサイズまできっちり測ってもらって恥ずかしい思いをしたのだから、これで合わないと困る。
ボタンは見えないよう布の中に着いており、慣れないそれに四苦八苦しながら留めていく。
「よっ……と。うわ、意外と動きにくいな……」
着替え終わったので戻ろうと足を踏み出したが、いかんせんスカート部分にゆとりがないため歩きにくい。膨らみがなく、例えるならドラム缶……いや、着物のような感じだ。
スリットでも入っていれば違うんだろうが、そうなると今度はちょっとセクシーに傾くし。教会に行くんだし、できる限り禁欲的な格好がいいんだろう。
いつものようにがんがん歩けず、図らずも淑女らしいお淑やかな歩き方になってしまう。
スカートを持ち上げることも叶わずひょこひょこ頑張っていると、着替え終わったらしいカレンちゃんが姿を見せた。
「ハティちゃん、終わった?」
「うん……おー、カレンちゃん可愛い!」
「そうかな」
わたしの前に現れたカレンちゃんは、正しく聖女らしい雰囲気に満ちていた。わたしの衣装とは少し違って、肩の辺りにふわっとした布が縫われている。
普段はハーフアップで下ろしている髪も、今は片方に寄せてまとめられていた。
「ハティちゃんも、似合うよ。白くて」
「なんか、埋もれて透明になりそうだよ。目だけ浮いてそう」
わたしの方は衣装も髪も真っ白なだけに、微妙に影が薄くなった気がする。インドア派で肌もいまいち焼けてないし、そうなると目だけが画用紙に点々とつけられた落書きみたいだ。
というか、その辺ちょっとジンくんっぽい。やつはまたふらりと消えていったが、今どこにいるんだろう……。
「あら、もう着替え終わりまして? 良く似合っているわ、さすがわたくし」
「二人とも似合うねぇ。あたしはキャラじゃなくて、ちょっと恥ずかしいんだよ」
そんなことを考えているうちに、出ていった二人が帰ってきた。ジュリアもマーシアもわたしと同じ衣装で、けれどもなんというか、感じる印象が全然違う。
ジュリアはやっぱりドレスを脱いでも滲み出るお嬢っぽさがあるし、マーシアは普段活発なのでギャップがすごい。どちらも美少女に代わりなく、つまりまあタイプは違えど可愛かった。
「これはまさにリアル天使っすね……!」
「ハティちゃん、変なこと言ってるよ」
カレンちゃんの無表情突っ込みが刺さる。こういうとき、彼女の無表情は非常に効果的だ。
「でも確かに、こう並べばけっこう迫力あるよね」
「本番は他にも数名加わりますから、さらに美しく見えるわよ。あとはカレンさんの衣装に、もう少しさりげない工夫が欲しいかしら……」
相変わらずジュリアの熱意はすごい。ここまで来たらわたしなんかはもうやることなし! って感じだが、ジュリアは最後まで満足することはないらしい。それは多分いいことなんだろうけど、その完璧主義のお陰で何度練習を繰り返したことか……いかん、涙が。
彼女はその凛々しい眉をひそめて、カレンちゃんの肩辺りの布を引っ張っている。
「そういえばその衣装って、カレンちゃんだけですよね」
「彼女は光属性だもの、それ相応の衣装の方が教会には受けがいいのよ。まあ、あくまでもさりげなさが重要ですけれど」
なるほど、ジュリアもマーシアもわたしと同じ衣装なのは、それをさりげなく目立たせるためか。よくよく見れば、カレンちゃんの衣装は刺繍も多いような気がする。
それを着ている本人は、ジュリアの手で弄られながらちょっと嫌そうな顔をしているが。カレンちゃんが顔に出すくらいだから、けっこう嫌なんだと思う。
まあ、嫌だとしても特別扱いは仕方ないよ。教会に好印象を持たせておきたいと言うのは、わたしも同じだし。
ここは堪えてくれ、カレンちゃん。
「まあまあジュリアさん、衣装よりまだやることがありますよ」
「そうだったわ! マーシア、しっかり練習できるのは今日だけなんだから、みっちりやらないと!」
「げっ……」
「……うへ……」
見かねたマーシアが助け船を出したようだが、それは泥舟だ。カレンちゃんは言いようもない声を出し、見たこともないくらい死んだ目になってしまった。
恐らくわたしも。それから言ってしまったマーシアも。
「歌だけでは駄目ね、壇上に上がる所作も優雅に美しく……それをこの衣装で行わなくてはいけないのだから。あと歌いながらの表情、それから衣装に合う髪型……あとは挨拶も確認しておきましょう!」
ああ……ますます燃え上がるのはジュリアのみ。
わたしたちは、本番前日に早くも灰になりそうです……。
本番前日だと言うのに、ジュリアの猛練習が終わったのは夕食の時間を過ぎてからだった。普通、前日っていうと皆で感動的な話をするとか、練習もそこそこに体を休めておくとか、そういう方向で進むんじゃないの?
わたしはぐったりしたまま、亀の歩みで廊下を進んでいく。疲れていると言うこともあるが、わたしは未だあの歩きにくくてたまらない衣装を身に纏ったままなのである。
正直言えば歩きにくいが、廊下は人気もないし、とにかく着替える気力がなかった。こういうときばかりは侍女というのが羨ましくなる。
「……が、罪の、随にー……世を去るとも 遠く光あれ 神は……」
「神は救う、赦し給う……ってね?」
「うおっ……?!」
「随分遅くまで練習していたんだね。白猫ちゃん」
ついつい聖歌を口ずさんでいたわたしの前に、いきなり現れたのはユリエルだった。薄暗くなってしまった廊下に、髪の長い人が立っているのはちょっと怖い。
びっくりして見つめると、彼の手には救急箱が抱えられていることに気づいた。
「またどこか怪我をしたんですか?」
「ああこれは、補充した帰りだよ。中身が心許なくなってきたからね」
そう言って笑いかけてくるユリエルの顔には、べたべたとガーゼ的なものが貼られまくっている。いつもの人たらしな笑顔はどこへやら、今のユリエルはときめきよりも心配のドキドキの方が大きい。
まあ、やったのはわたしなんだけど。
「やっぱり、先生には負担が大きくないですか? そこまでやっておいてなんですけど……」
「いやいや、大丈夫だよ。平気平気。私も研究することが増えて嬉しいんだよ……そう、目の前に広がる遠い光……ああ近くあるのは濃紺の星空……」
全然大丈夫に見えないような。
ゆんゆんと電波を受信しながらうっとりしているユリエルは、その怪我だらけの見た目のせいで、いつも以上に危険に見える。
ユリエルが心身ともに(?)こんなぼろぼろになってしまっているのは、間違いなくわたしのせいである。というのも、ジンくんと出掛けたあと……二ヶ月前くらいから、わたしはユリエルとの授業でとあるお願いをしたからなのだ。
簡単に言うと、「魔法の理論的なことはさておいて実践的に練習しませんか?」って感じで。要するに殴れ、殴らせろってことだ。過激に思えるかもしれないが、ユリエルと出会う前、ニールが先生のときには普通にやっていたことだしなあ。
と、そういう感じで始まった授業だったが……ユリエルくん、弱い。
「……本当に大丈夫ですか? 前、派手に頭を強打していたような……」
「ん? 大丈夫大丈夫、それは二週間も前じゃないか。最近で一番痛かったのは、闇魔法で脇腹を抉られたときかなあ……」
それはわたしも参った。
基本的に避けられること前提で魔法をぶちかましているので、ユリエルが白衣に躓いて転んだときは我が目を疑った。そのままわたしの放った魔法がユリエルを掠め、あわや大惨事。
ほかにも靴が脱げたりその辺の薬品をひっくり返したりして、ユリエルとの授業はニールの何倍もできる傷が多い。ユリエルの。
お姉さんを彷彿とさせるどんくささは、多分天才はインテリジェンス極振りなんだと思う。
「でも、あのときはカレンちゃんが通りがかってくれて助かりましたね」
「ああそう! 彼女、いつも私を癒してくれるんだ。まさに光の体現、我が愛の使者……」
「え、そうなんですか?」
これは驚いた。ユリエルが何言ってるのかさっぱりだが、カレンちゃんは頻繁に彼を助けてあげているらしい。
まあ、今は学園でも治療士がいないし。学園唯一の光属性であるカレンちゃんが、それを任されているのかもな。
「ところで、その格好は? 正しく天使のようだけれど、明日の調のためかな」
「はあ……明日のためで間違いないです。先生も来るんですか?」
「いや、私は授業があるからね。誰か一人、ほかの先生が付き添うみたいだよ」
へえ、そうなんだ。てっきりユリエルなんだと思っていたが、いったい誰だろう。ニール……はあり得ないし。
というかわたしの知る教師陣はあまりにも少ない。できれば付き合いやすそうな人だったらいいけど。
「何はともあれ、色々と頑張ってね。きみの目的が成功することを祈っているよ」
ユリエルはそう言うと、わたしの頭を少しだけ撫でた。その言葉に頷いて、わたしはゆっくりと足を動かす。
明日は教会に行かなくてはならない。できるなら何事も起こらずに――――平和に終わってほしいものだ。