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閑話 Harriet in the game

本編にはあまり関係のないおまけ話です。

 ある日目が覚めたら、髪の毛がめちゃくちゃ伸びていた。

 は? ってなもんである。いつもは肩の上辺りで揺れているはずの白髪が、脇をくぐってへその辺りまで伸びきっているのだから。


「な、なにこれ?」


 跳ね起きてみると、どうも違和感はそれだけに留まらない。

 普段寝巻きとして着ているはずの粗末なワンピースはなぜか、たおやかな女性が身に付けるべき清楚で美しいものになっている。普段、フリルやレースとはとんと縁のないわたしには、少々厳しい格好だ。

 体に違和感はないが……きょろきょろと辺りを見回してみると、どことなく部屋の内装すら違うように見える。

 なんだこれ。ドッキリ? ふと悪戯っ子のヴィクターカレンちゃん組が思い浮かぶが、それにしたって手間が掛かりすぎている。

 というか、服や内装はともなくこの髪はいったいなんなんだよ。


「ジンくん? ジンくーん?」


 その辺に浮いているはずの少年の姿もない。いつもこの部屋にいるわけではないから、今日たまたま側にいないということなのだろう。

 と、分かってはいるのだが。この非常事態のせいか、なんだかすごく嫌な予感がしてきた。あいつは曲がりなりにも人類を超越した存在だし、こんなときには非常に会いたくなる。

 ずばり、解決策求む。


 なんて言ったところでこの髪やら何やらが元に戻るわけでもなく、わたしはため息をついてベッドから起き上がった。

 さらりと腕や肩に掛かる髪は、違和感を感じるより先にうざったい。あまりロングヘアーに慣れていないし、もとよりそういうお淑やかさはわたしには備わっていないのだ。


「はあ……なんだこれ? もしかしてジンくんの企み? あっ、あり得る気がしてきたな……」


 もそもそと服を着替えながら、そんなことを思う。ジンくんがなんとかしてくれるかもしれない、と思っていたが、逆に言えばこんな非常識なこと、彼にしかできないんじゃないだろうか。

 考えれば考えるほど、そうとしか思えなくなってくる。となると、これを止めさせるにはジンくんを探さなきゃならないのか。

 髪は切れば済む話だが、この漠然とした違和感はどうにも耐えがたい。なんか、忘れているというか……。


「まいっか。とりあえず、校舎内を見て回るか……」


 さすがに女子寮にはいないだろうし、他の生徒の部屋には手出しできない。見知らぬ女子の部屋に隠れ住んでいたら、それはそれで変態神と罵らねばなるまいし。

 ぱっと目についた服を身に付けて、わたしは校舎に向かった。



 校舎は、相変わらず白と青のコントラストが美しい外観を保っていた。いつもなら通い馴れたここにそんな感想は抱くはずもないのだが、今朝の違和感のせいだろうか。

 履き馴れたブーツから華奢なパンプスに変更されていた足元は、少し覚束無い。こんこんと床を踏みつけながら、扉をくぐって廊下を探索していく。

 いつもならそこそこの人が行き来しているはずの廊下は、しかし今日はずいぶんと騒がしい様子だった。


「……なんじゃこりゃ」


 廊下の広まったところに、がやがやと人が集まるスペースができている。普段ならば二、三人が談笑に使う程度のそこが、今日に限って大賑わいだ。

 というか……野次馬? みんなで騒いでいるというより、何かを囲んでひそひそし合っている。どうにも珍しく興味を引かれたわたしは、その小さな人混みを掻い潜るようにして真ん中に目を向けた。


「カレンちゃん……と、アルフじゃん」


 なんてことはない。ただの兄妹二人だ。いつも仲睦まじく二人で登校しているのだから、今さら囲む理由が分からない。

 一人で首を傾げていると、真ん中にいる真っ赤な髪の持ち主がカレンちゃんの顔に手を添えた。キャーっとどこかしらから悲鳴が上がって、思わず同調しそうになる。


「カレン……お前、なんだね。ああ……」

「…………」

「会いたかったっ!」


 ぎゅっ! と音が鳴りそうな勢いで、アルフがカレンちゃんを抱擁した。えっと、兄妹間のハグにしては、少々熱烈すぎやしないだろうか。

 そう思ったのはわたしだけじゃないようで、周りのきらびやかな女子たちはざわざわと空気を震わせる。聞こえる声の中でも、「どうして」とか「転校生」とか、「あのオルブライト様が……」とか、なんつーかとにかく違和感がものすごい。

 違和感、というかそう、何かを忘れている。


「カレン! どれだけお前に会いたかったか、分からないだろうね……」

「…………」

「それがまさかこんな場所で会えるなんて……ああ神様。生きていてこれほど喜ばしかったのは、お前に初めて会ったとき以来だ」


 すっかり上気した頬でキザな台詞を吐くアルフは、わたしの知ってるアルフと違う。というか、カレンちゃんはこれだけ熱烈な言葉と態度にも、一貫して無表情の無言というか……。

 あれ?


「……デジャ・ビュ」


 とんでもない既視感デジャヴ、ていうか実際見たつもりはないのだが、どうもこんな展開を知っているというか。

 ぶっちゃけ、これゲームのまんまだったりしないか?

 幼馴染のアルフとの再会は、確かみんなにも大々的に知れ渡っていた。オープニングなんてほぼほぼ覚えていないのが大半のプレイヤーの実情だと思うが、これはなんとなく覚えがあるぞ。

 公衆の面前で抱き締められるとか、ほらなんかものすごい恋愛ものって感じじゃん。


「あの、オルブライト様! その転校生は……」

「……うるさい」


 うへあ。これは完全にあれだ、ゲームのアルフだ。

 控え目に、しかし気丈にも二人の世界の間に割って入った女子生徒は、冷たい赤にすげなく両断された。ぐっと悔しげに顔を歪めて引き下がる女子生徒は、憎々しげにカレンちゃんを一瞥して――――ってあれ、ジュリアじゃん。

 ゲームではジュリアはアルフの婚約者だった気がするのだが、その態度は婚約を交わした男女のものではない。まあ、勝手なオルブライトの貴族に決められたものだとか、なんとかいう設定だったっけ。


 ジュリアが切られたせいでシーンと静まり返った廊下を、アルフと、それに手を引かれたカレンちゃんがすたすたと歩き去っていく。その間もアルフは嬉しそうにカレンちゃんに話しかけているが、彼女は全くの無反応だ。

 間違いない。

 カレンちゃんにのみ異常にデレるアルフに、始終無言のカレンちゃん、そして憎さ百倍のライバル感マシマシジュリア。

 そしてわたし。長い白髪の、清楚な雰囲気を纏うハリエット。今のわたしは、ゲームの通りモブ的立ち位置の女子生徒。


「どうなってんの、これ……」


 首を傾げるしかないわたしである。



 今朝の廊下での一件は既にいろんなところに広まっているようで、校舎を練り歩くたびに様々な考察が耳に入る。いわく、生き別れの兄妹だとか妾の子供だとか。わたしの感性的には間違ってない推理なんだけど、この場合は再会した初恋の女性、って感じだと思われる。

 手足をぶらぶら振り回しながら、わたしはなんとも言えないため息を吐いていた。


「はー……どうなっちゃったんだ、これ」


 前世が異世界人以上の驚きである。一晩経ったら世界が変わっていたなんて、笑えもしない。

 そのままふらふらと目的なくさ迷っていれば、ちょうど中庭へと続く入り口が目に入った。今日はいい天気で、まだ寒いということもない。

 ちょうどいいから逃避行として、リストラリーマンごっこでもしようかと思いながらベンチに近づく。ベンチで項垂れるだけの簡単な遊びだ――――と、しかしそこには先客がいた。


「あ……サディアス?」


 灰がかった水色の髪を揺らす、長身の男。ベンチに収まりきらない長い足は、肘掛けの上から飛び出していた。

 腰には見覚えのある長剣。だが、閉じたまぶたの上に這う、あの傷は存在しない。ずいぶんと綺麗な顔が、青空の下に照らされているだけだ。

 つまりこのサディアスは……ゲームの通りだとすると……不良。人生に起こる大きな挫折を味わって、絶賛ひねくれ中だというわけだ。

 ゲームのサディアスさんは忠義の騎士ではなく、ツンツンツンのデレキャラ。ほぼツンでできてる。


「ふーん……」


 傷のない顔は、わたしにとってはもはや違和感しかなかった。馴染みがあるはずのゲームの通りなのだが、やはりわたしにとっての『サディアス』はあのくそ真面目ちゃんなのだ。

 近づいてその綺麗な寝顔を見つめていると、不意にばっちりと目が合う。け、気配とかにも気づくよね、ハイスペックだもん。


「……なんだ、お前」

「……ど、どうも」


 寝顔は綺麗であどけなくも映ったが、目を開けたサディアスさんはそりゃもう怖い。いつものサディアスならそうは思わないのだが、やっぱりこの彼とわたしとは初対面らしい。

 まあ、このわたしでさえゲームのままだというなら、登場人物と深く関わり合いになり、あまつさえ魔法を教えるなんて展開にはなってないだろうし。わたしがわたしであるからこそ、あの世界は世界たりえたのだ。


「誰だ……いや、誰でも構わない。さっさと消えろ」


 視線だけで刺し殺されそうな雰囲気を纏い、サディアスさんはゆっくりと体を起こした。かちゃりと腰の剣が音を立ててその存在を主張する。

 残念ながらこのサディアスさんは不良のサディアスさんなので、女子供に手を出さないとかいう崇高なポリシーは欠片も持ち合わせていない。こわい。


「う、うっす。さーせん」

「……馬鹿にしてんのか?」

「してませんとも。ええ、不良の方のサディアスさん」

「……馬鹿にしてるよな? って、名前……?」

「ごめんなさい! バイバイ!」


 すたこらと逃げることにした。

 中庭で泣いているならまだしも、さすがに切られそうになってまで世話を焼く気概がわたしにはなかった。というか、サディアスとは違うからね、あれは。



「はー、酷いぞこの世界。なんだこれ」


 ぜーはーと荒くなる息を整えながら、必死の思いで中庭から逃げ出した。ハリエットもゲーム仕様ながら、どうにも基本的な体力は変わってないらしい。

 喜べばいいのか、悲しめばいいのか……。

 微妙な気分で廊下を突き進むと、今度はまたも廊下の騒々しさに出会う。なんだよもう、次は誰だ?

 さすがに、ゲームのイベントじみたことだとは気づき始めていた。攻略対象がそもそも大物ばかりなのだから、騒ぎは常にその中心にある。

 無視もできずに横目でうかがうが、そこにあったのは女子ばかりの人だかりだ。


「グレンヴィル様、お戯れを……」

「うるさいなー、もう。いいからお前は僕の世話係になるんだよ」

「ぜひわたくしも! グレンヴィル様」

「ふぅん? じゃ、お前は僕の遊び道具だ」


 ああ、廊下に響くやや高めのその声は。そして言ってることがむちゃくちゃである。

 女子に囲まれ暴君っぷりを発揮しているそのあどけなさの残る青年は、輝く金髪を揺らして歪んだ笑みを浮かべていた。

 この屈折した感じ。それでいて甘ったれな香りのする我が儘坊っちゃんは、紛れもなくヴィクターその人だ。

 とはいえ、わたしの知るヴィクターはもっと真面目で誠実で努力を怠らなく精神的にも高潔な貴族然とした……。


「おい、そこのお前」

「ひゃ……はい?!」


 ぼおっと見つめながら、脳内のヴィクターと重ね合わせていたのがいけなかったのか。目の前の我が儘坊っちゃんにロックオンされてしまったわたしは、つかつかと歩み寄ってくるヴィクターに気圧された。

 このとんでもなく格下になってしまったヴィクターは、ゲームだとなかなかやることがエグい。乙女ゲーって、最終的にデレるならわりとクズでもオーケーな風潮があるよね。(※ただイケ)


「見ない顔だな。こんな毛色のやつ、いた?」

「いえ……確か、貴族ではない家の生まれでは」


 隣にいた女子生徒が、控え目にわたしを見る。あ、その気の毒そうな眼差し。周りにいる女子生徒は、嫌々付き従っているのと家柄故にすり寄っているのと、だいたい二分化されてるわけか。

 冷静に思うわたしの前で、ヴィクターはじろじろとこっちを見下す。かと思えば、目が合った途端にじりっと後退される。


「ふーん……なんかお前、嫌な目だね。どっかいっちゃえ」


 はあ。

 その言葉を聞いた瞬間、周りの女子が一斉にわたしを見つめる。これはこの場で何かを言おうものなら、ものすごい勢いで責め立てられる。こんなメンタルブレイクはごめんである。

 わたしは不敬を分かりつつケツを向けて、廊下を駆け抜ける体勢になった。


「じゃ、失礼します! ヴィクター様!」

「……あっ、おいお前、僕のこと……!」


 何やら声を掛けられてしまったが、気にせず逃げる。なんか走ってばっかりで疲れてきたなあ。

 そしてみんな、ただのモブであるわたしには尋常じゃなく冷たい。いや、普通なんだろうけど。友人としての距離感に馴れたわたしには、少々胸の痛くなる思いである。



 しばらく駆け抜けて、人気のない廊下の片隅で立ち止まった。さっきからサディアスにヴィクターと、人を害虫のように追っ払いすぎである。


「ていうか、マジでどこだよ、ジンくん。もう帰りたいんだけど……」


 ぼっちの心には、友人に冷たくされて悠々と構えていられる余裕がないのだ。早いところこんな意味のわからないゲーム世界からは脱出したいが、その鍵を握るであろう少年の姿が全然見当たらない。

 わたしは途方にくれて、廊下の真ん中で突っ立っていた。

 もしこのままだとすると、わたしはどうすればいいんだろう。確かにみんな知ってるっちゃー知ってる面々だが、わたしの友人であるみんなは、ここにはいない。


「クソ……なんだよこれ」

「――――女の子がそんな言葉を使うものではないよ」

「うおっ!?」


 ぽん、と突如として肩に手を置かれ、耳元で囁かれるシチュエーションそんな馬鹿な。ぶわっと汗と鳥肌が出て、わたしは弾かれるように前方によろめいた。

 油の切れたロボットのように振り返れば、そこにいたのは……いつもの、微笑みを浮かべたユリエルだ。


「ユリエル……」

「おや、私のことを知っている? 嬉しい限りだよ、こんな可憐な天使の吐息に包まれるなんてね」


 うわ……マジでユリエルだ。ある種感動すら覚える。

 やはり初対面には違いなかったが、それにしてもさっきまでの友人たちとはまるで違う。彼らには到底埋められない性格の差というものがあったが、ユリエルは完全に通常運転だ。

 さらさらとした紫黒しこく色の長髪も、その目に嵌まった片眼鏡モノクルも。言ってることもまるで電波だ。

 思わず、懐かしさに顔が綻ぶ。懐かしいと言っても、昨日までは普通だったはずなのに……思った以上に、この非日常はわたしの神経をすり減らせているのかもしれなかった。


「それで、どうしてこんな場所へ? ここは生徒に開かれるべき授業は行われていないはずだけど……」

「すみません、ちょっと……人を探しているんです」

「人? 友人かい?」


 友人……友人、なんだろうか? ジンくんとわたしの関係は、友人というにはいささか深すぎではなかろうか。もちろんそういう意味じゃなく、でも色々とディープだよね。

 首を傾げるしかないわたしに、ユリエルは困ったように眉を下げた。


「ううん……不可解な糸は手繰り寄せてみたいが、今日はここを教師陣が使うらしい。ほかの日向にお行き、子猫ちゃん」

「ハイ、ウッス、アザッス」


 この一連のやり取りすら今は懐かしい。鳥肌は相変わらずすごいが。

 とまれ、ここも移動せねばならないらしい。ジンくんを見つけることもそうだが、わたしはいったい何をするべきなのかも分からなくなってきた。

 授業とか、なかったんだっけ? ハリエットはモブなので、ゲーム基準にしてもよく分からない。わたし関連の記憶をほじくり返そうとしていると、歩きながらはっと思い出した。


「そうだ、ニール!」


 モブのハリエットちゃんは、黒幕ニールに操られて殺されてしまうのだった。ちゃんちゃん。

 ……ということはだ、ゲーム色の強いこの世界なら、ニールが何らかの方法でわたしに近づいてくるはずだ。闇魔法はじわじわと、昔わたしがヒューにしたように、定期的にかけ続けることが重要なのだから。

 つまりそのうちニールから接触があるんだろうが……そこでふと考える。

 今まで、アルフにカレンちゃん、サディアス、ヴィクター、ユリエル。主要な登場人物にまるで引き合わされるように会ってきた。

 残るのはニールだけ。そうなると、否が応でも考えてしまう。


「コンプしたら、戻れるんじゃね……?」


 コンプ――――つまりみんなに会えば、そこで終わり。これがどういう意図で制定されたのかは分からないが、こんなのただの夢に違いないのだ。

 そうなれば話は早い。接触してくるニールを待つ必要もない。ここにはニールが使っているはずの地下室があるのだから、そこに入り込めばいいだけだ。

 よし、待ってろニール。待ってろ邪神ジンくん。いざ進まん――――。


「あ、いた! おい、そこのお前!」

「……見つけたぞ……」


 あれ?

 ばっと勢いよく振り向けば、わたしの背後に迫り来るのは見覚えのある――――けれども友人とはまるで違う、そんな二人。

 はあはあと息を切らして顔を赤くしているヴィクターと、ものすごい形相で爆走中のサディアス。

 怖すぎじゃね?


「あっ、待て逃げるな! ハァ、僕の話を聞けッ!」

「…………」


 怖い! 無言で爆走してくるサディアスさんがめちゃくちゃ怖い!

 きゃんきゃん吠えるヴィクターが一周回って可愛いほどに、近くに迫るサディアスさんの形相にビビる。捕まったら一撃で切り伏せられそうな迫力にわたしは答える暇もなく逃げ出していた。

 とはいえ……ヴィクターはともかくサディアスの体力には敵うはずもない。近いうちに追い付かれることは明白だ。わたしはとにかく撹乱するべく縦横無尽に走り回って、とある教室に隠れた。

 ぴしゃりと扉を閉めて、忘れていた息を吐く。


「はーっ、はーっ……」


 な、なぜわたしが追われている……。二人に危害を加えたわけでもなし、むしろすぐさま追い払われたというのに、いったいどうしたことか。

 肩で大きく息を続けていると、背を向けた教室の方からかたんと音がした。

 誰かいたのか。振り向けば、カーテンを閉められ暗く沈んだ部屋の角に、誰かが腰掛けている。


「あの……」

「待っていたよ。今日は……ずいぶんとはしゃいでいるようだね?」


 くすくすと爽やかな笑い声が聞こえたが、いまいち顔が隠れてしまっている。

 それにしても、今日初めてのことじゃないか? ハリエットを知っている人間と会話するなんて。本当に、ゲームのわたしは闇属性であることにとてつもない恐怖があったらしい。

 仲のいい友人なんてものも作れなかったんだろう。そう思うとなかなかぼっちだ。


「いつ呼んでくれるのかと思っていたよ。それにしても……ああ髪が乱れているよ」


 労るようにそういって、闇の中の男はかつかつとこちらに歩み寄ってくる。

 ……えっと、ちょっといいか。なんつーか、読めた。

 相変わらず顔はさっぱり見えないものの、その妙に勘に障る喋り方には、聞き覚えがある。だってこんなに重要そうな人物が、この世界ゲームでモブのわけがないし。ハリエットに近づくそれは、一人しかいないはずだ。


「ニール……」

「…………僕は、きみに名を告げたかな」


 やっぱニールじゃないですかーヤダー!

 不可解な気持ちから後ずさると、その分を詰めるように足音が近づいてくる。何こいつ、神出鬼没なの? あっ、ゲームではヒロインの前でもそんな感じでしたね。

 ニールはそのまま出入口付近のわたしにまで近づいてきて、ようやく顔を露にした。見かけもそのまま、何年も変わらないものだったが。

 でも、違う。


「どこでその名を知ったんだ?」


 柔らかく、けれども責めるように言うニールは、わたしの知る彼ではない。わたしを見下す紫色の瞳は、一切の熱を持たずに沈みきっている。

 そんなニールの手がわたしに伸ばされ、動く間もなくそれは髪を梳く。そのまま曲線に従って下へと降り、頬から、首へ――――。


「ッ、止めて!」


 あらんかぎりの力でその手を叩き落とす。

 首を掴もうとしていた手は簡単に外れ、目の前のニールは怒るでもなくくすくすと笑った。

 ゾッとする。わたしが昔会った、ゲームのニールに一番近かった彼ですら、ここまでの非情さは持ち合わせていなかった。目の前のニールこそ、全てを投げ捨てて人ではなくなったような感覚を覚える。


 ああ、嫌だ。

 もしわたしが、あのときニールを見捨てていたら。最初から黒幕になるとして諦めていたら。アルフの助言を聞かず、逃げたままなら。

 わたしが想うニールは、いなくなっていたんだろうか。





 なんて。

 そんなことを思っていたら、ぱっちりと目が覚めた。


 髪はいつものように肩の上で揺れていたし、着ていたのは粗末なワンピース。くたびれてびっしょり汗をかいていたわたしを、部屋にいた少年がゲラゲラと笑った。


「夢オチかよ……ッ!」


 うっすら分かってはいたけど。

 それにしても、嫌にリアリティー溢れる夢だった。

 起きてみて死ぬほど安堵したなんて、それこそ目の前で笑い転げているジンくんにすら言えやしない。

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