76 歴史
あのあとアルフは近くにいた先生に、保健室へと運ばれていった。その後の様子ではようやく頭痛も治まって、カレンちゃんに支えられて寮に帰っていったらしい。
アルフのあの状態について思うことはあるものの、わたしにとって有益な情報がもたらされたことも事実だ。
まず、アルフの記憶を消した人物は男であるらしい。やはりお姉さん以外の人物が絡んでいる、という証拠にもなった。
あとはアルフの記憶。『思い出した』ということは、闇魔法で『消された』わけじゃないってことだ。やっぱり呪術での封印の線が濃くなってきた。
ここまでわたしが考えたことの裏がとれたようなものだ。お姉さんは何か仕方なくあんなことをしていて、ニールはわざと呪術のことを教えなかった。つまりそういうことだ。
だけど、いまいち謎のままの部分もある。
今は誰も使えないような呪術を使う男。そんな人間がどこにいるというのだろう。
しかもアルフは「どこかで見たような」と言った。交友関係の狭いわたしならともかく、今や立派に貴族ナイズされているアルフの顔見知りなんて、それこそ両手でも足りないはず。
アルフとあの部屋でのことがあって数日経ったものの、これ以上のことは考えているだけでは分かりそうもなかった。
「うーん……ねー、どう思う? ジンくん」
「さあね~。僕に聞かれてもさっぱり」
ふよふよとわたしの部屋の中を漂いながら、ジンくんは呑気な顔で鼻唄なんかを歌っている。
アルフの一件があってからすっかり忘れていて、これは怒っているぞと思っていたのだが……意外にも、ジンくんの機嫌はいい。
なんでか知らないが、まあこいつが妙なことを言い出さない限りはちょうどいい。こんなときにまた鬼ごっこなんて言われたら、さすがに拒否るし。
うん、しかしまあ、考えてわかるのはここまでだ。
なら次は、体で探っていくしかあるまい!
「さてジンくん! 今日は出掛けようと思う!」
「お? わーい、待ってました」
機嫌がいいジンくんはノリがいい。
ぱちぱちと小さな手で拍手されて、わたしはいい気分で寝巻きのまま胸を張った。
「うむ、よろしい。目指すは隣町である!」
「外出届は?」
「無論!」
「授業は?」
「大丈夫!」
「じゃ服は? 寝癖は?」
「…………」
今日はユリエルが講演か何からしく授業がお休みなので、朝からごろごろと過ごしていた。髪はぐちゃぐちゃで、薄い着古したワンピースのわたしは、到底外に出ていける格好じゃない。
隣町どころか、この状態で部屋を出でもすれば、貴族様の面々にドン引きひそひそされることは確実である。
「……着替えてきます」
「うむ、よろしい」
わたしの真似をしてふんぞり返るジンくんに手を振って、わたしは顔を洗いに向かった。
さて、思い立ったが吉日。というわけにも行かなかったが、なんだかんだでようやくわたしたちは隣町へと出発することになった。
持ち物はちょっとのおこづかいとハンカチ、護身用としては魔術具をいくらか。あとは短剣を腰の後ろにでもくくりつければ準備は完了だ。
もちろん隣にはジンくんがいる。案内してくれると言っていたが、きちんとしてくれるんだろうか。
「ところできみさ、なんで急に隣町に行くことにしたの? お歌の練習はいいわけ?」
無事何事もなく外出届が受理されて、隣の町ザルーアスに行く道すがら。ジンくんはわたしの横をてくてくと歩きながら、そんなことを口にした。物理的に浮いてないジンくんは、ちょっと違和感である。
「んー……まあアルフのことがあったし……あと、なんか吹っ切れた」
「吹っ切れた?」
聞き返すジンくんに、頷き返す。
わたし的に最も恥ずかしい相手であるアルフに一曲披露したことで、なんだかそこまで根を詰めなくてもいいかなーと思い始めたのだ。技術がないと卑下して練習に明け暮れていたが、とりあえず他人に披露できるレベルまでは到達したのだ、と勝手に思っている。
実際、わたしの歌で頭が痛くなったところは無視の方向で。
「ふうん。なら僕もわざわざ扉の外で待機しててよかったかな」
「……ん? え?」
「自分から出てくるまで待とうと思ってたんだけど、どうも非常事態みたいだったからね~。僕は空気が読める男だよ」
いやいや、待て待て。
いったいいつから? というか、わたしがいつ来るか分からない邪神にビクビクしたりアルフの前で歌ったりしている間、ずっと扉の向こうにはジンくんが、いた?
唖然としてジンくんを見下ろせば、彼はあどけない顔にニヤリと悪どい笑みを浮かべて――――。
「お前、いたのかよ!」
こいつサイコパスだよ。
とかいう恐怖体験がありつつ、わたしたちはようやく隣町まで到着した。
明るい日に照らされた、一際大きな時計塔が目を引く。
ここは色々と幼い頃の思い出がある場所だ。アルフとカレンちゃんと出会い、そしてニールとも。
とはいえあの頃は夜に来たことばかりなので、こう昼間から出歩くというのは少し新鮮だった。王都と比べるとこぢんまりとして、どうしても寂れたようなイメージが離れないが、ジンくんいわくどこもこんなものであるらしい。
近くの時計塔だけは、ちょっとしたシンボルとして名物になっているらしいが。
「で、まずはどうする?」
「ひとまず本。どこにあるか知ってる?」
悲しいことに丸投げだが、神様的パワーを持つジンくんを頼るとしよう。ジンくんも半ば予想していたのか、わたしの返事を聞いてすぐに右へと方向を変えた。
しばらく進むと、大通りから細い道に入ったところに、薄暗く橙色に光るお店を見つけた。規模からしてあまり大きくはないようだが、間から覗く本棚にはみっしりと本が詰まっている。
「ここ?」
「そう。本当なら教会にこそ本があるんだけど、ハリエットの求めるものはそこにはなさそうだし」
わたしが知りたいのは闇属性関連の歴史。教会にはそんなものは置いていない気がする。何せ、学園にすらほとんどないのだから。
先導するジンくんに続いて、店の中に入る。出入口の前には店の主とおぼしきお婆さんが、分厚い本を広げて座っていた。
王都の図書館よりはずいぶんと手狭だが、隙間なく配置された本棚は圧巻だ。その間をなんとか潜り抜けるようにして、棚に並ぶ背表紙を流し見る。古本は状態が悪いのもあって、背表紙では内容が知れないものは、その一つ一つを手にとって確かめていかなければならない。
ジンくんはのほほんと店内を見渡すだけで、手伝ってくれる様子はない。マジで案内だけのつもりらしい。
ふらふらとどこかへ行ってしまいそうなジンくんを睨み付けると、飄々とした笑顔で奥の方を指差された。
「多分、きみのお目当ては向こうの方じゃないかな。目立つところにはないだろうね」
「……うん。探してはくれないわけね」
「僕はこういうことくらいしかできないからねえ」
ジンくんに案内されるがまま、さらに奥の埃被った場所へ潜り込む。彼はそのまま本棚の間を抜けて、どこかへ行ってしまった。
その小さな背を見送って、わたしは高くそびえる本棚の前に立った。この廃棄場のような有り様の本の数々を、一冊ずつ埃を払って読み込んでいく。
……なるほどジンくんの言うことも間違いじゃないらしい。
ここにあるのは、きっと普通の本を探してる人の目には入れられない内容の本ばかりなのだろう。わたしのように確固たる目的を持った人間だけが、こんな奥にまで探る手を伸ばすのだ。
わたしが手に取った本――――背表紙も表紙も剥がされたその本は、一ページごとに目眩くディープな世界が広がっていた。
「うん……発禁もの」
本を閉じる。
まったくもって、青少年の教育に悪そうな代物だ。これはいかん。
手に取った本を本棚の奥底に眠らせて、また新たな本を取る。今度は何やら怪しげなカルト小説だ。架空の救世主を崇め奉るそれは、やっぱ発禁になったんじゃないかなあ。
その後もぱらぱらと本を見たが、どれもこれもわたしの精神をちょっとずつすり減らせていくものばかりである。ちんたらと時間をかければかけるほど、わたしの心が死んでいく。
それは大変まずいので、その辺にあった木箱に腰を下ろして、本格的に本を漁っていくことにした。
埃のせいでコンディションは最悪だが、こういうのってちょっと楽しいし。久しぶりの読書に、時間を忘れてのめり込んでいった。
そして目当ての内容の本にたどり着いたのは、おおよそ三時間ほど経ってからのことだった。朝から訪れたにも関わらず、外は恐らく昼を過ぎて活気づいていることだろう。
そんな中でもまだ静かな店内で、わたしはその薄汚れた本を読み返していた。タイトルは『闇の教会史』、これまた表紙も背表紙も剥がされていたので、中まで読まないと判明しなかった。内容はタイトル通り、『闇属性』と『教会』との関係性、もしくは教会にまつわる闇、といったところだろうか。
この本の発行年は今から二十年くらい前で、その本の後ろの方にはわたしも知らなかった歴史がまとめられている。
「ザタナルグ国内で起こった内戦……四十年前、か」
どうも、このザタナルグという国の中で、四十年前に大規模な内戦が起こったらしい。場所はこの地、ザルーアス。元々はこの町よりもっと広く、ちょうど学園の敷地も含むほどに大きな町だったとか。
わたしの故郷はもう少し東の方にあるが、この学園にきて何年も経っている。それにも関わらず、こんな歴史背景は今まで耳にしたこともなかった。
それどころか、今の世は平和そのものだ。前世も含めて戦争のその字もない時代に生まれたわたしには、『内戦』の二文字は妙に重い。四十年前というのも、想像できないし。
ボロボロになった紙を捲っていく。
「えーと……女神派? の信者と、暴徒化した難民との争い……に、重く見た当時の国王陛下が法改定……」
二十年前の代物だからか、インクが剥げてところどころ読めなくなっている。
行間から考えるに、どうも教会の信者と当時の難民が大規模な争いを繰り広げたということか。それが四十年前だとすると、よくこんな綺麗な町に復興できたものだ。
……お、それについても書いてある?
「当時の混乱した民草を救ったのが、さる光属性の少女。だったそうだよ、お嬢さん」
「うお、あ、ありがとうございます……?」
突然声をかけられて顔をあげれば、いったいいつ来たのか、朗らかに笑っている見ず知らずの男性……というかおっさんの姿が。
店主はお婆さんだったはずだし、となるとこのおっさんはいったい。そんな思いが顔に出ていたのか、目の前のおっさんは目尻に皺を寄せて微笑んだ。
「いきなり声をかけてすまないね。珍しいお客さんがいるものだと思ったから」
「い、いえ。こちらにはよく来られるんですか?」
「まあ、暇な身でね。それにしても、よくも珍しい書籍を手に取るものだ」
おっさんはわたしの持った本を覗き込んで、面白そうに瞬きをした。ここの常連ということは、こんな珍しい本を沢山知っているのだろうか。この表紙も何もない本の内容を知っていたくらいだし。
ここは胸を借りるつもりで、少し手助けしてもらおう。
「あの、こういう歴史書には明るいんですか?」
「ん? まあ、伊達に長く生きているわけじゃないからねぇ、おじさんも。何か知りたいことがあるのかい?」
「その……さっきの話を少し、詳しく……」
今気づいたが、わたしのような学者にも研究者にも見えない小娘がこんな内容の本を調べているのは、ちょっと怪しいな。ちらっとバレないようにおっさんの手を確認してみたが、信者である証は見当たらない。
まあ、これならセーフだろうか。
おっさんはわたしの問いを怪しむ様子もなく、真面目な顔で自分の頬を撫でた。
「ふむ、少し差別的な話になるが……昔のことだ。今よりもこの国では宗教が盛んで、皆一様に女神を崇め奉っていた。だけど、その教えには絶対的に相反する者がいる。それが……」
「闇属性?」
「そうだ。当時はひどく迫害を受けていて、難民として国外に逃げることも多かった」
難民という言葉を聞いて、さっきの本の内容が繰り返される。思わず手元の本に目線を落とせば、おっさんの穏やかな声が続いた。
「だがある日――――本当に唐突に、町中で戦火が上がった。それからは教会を襲うべく、この地を中心に至る場所で争いが起こったわけだ」
「それは、闇属性の人たちと、教会の人間で?」
「教会の人間……というよりは、その教えを信じた者たちだね。貴族が騎士として駆り出されたり、金のために傭兵も動いた。ただまあ、闇属性の者の狙いは聖職者だけだったろう。彼らは自分の居場所を求めて立ち上がった、勇気ある人々だったわけだ」
おっさんの言葉は慈愛に満ちていて、表情は優しい。わたしもこの話だけ聞けば、悪いのは教会側だと胸を張って言えたことだろう。
だけど不可解なこともある。おっさんの言うことが真実なのだとしたら、どうしてこのことは広く認知されることなく今日に至っているのだ。
「そして戦いは終わり、国は変わった。特定の人間を差別することは禁じられたわけだ。今でも宗教は残ったままだが、闇属性を迫害するような解釈はされていない」
「表向きは……ですよね?」
わたしがそう口を挟むと、おっさんは微笑みを消してわたしを見下ろした。