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75 かすがい

 いや落ち着け。まあ待てわたし。

 さっきはつい恥ずかしさから叫び出してしまったが、わたしが「来ないで」と言ったからってどうなるわけでもない。アルフはカレンちゃんの勇姿を見に行くのであって、わたしを見るわけではないのだから。言うなればわたし(とその他)はアルフにとってオマケだ。

 であるならば、オマケがどうこう言ったところで変わるわけでもあるまい。


「はー、いや、ごめんなさい。さっきのことは忘れて」

「う、うん……?」


 首を傾げるアルフは置いておいて、しばし休息に徹する。こんな和やかに友達と会話している場合じゃなく、わたしには邪神から逃げ惑うという試練があったのだった。

 時間は……よく分からないが、恐らく残りは五分を切っている。このままここに居れば安全、と、そう簡単にいかせてくれないのがジンくんだろう。

 懐疑心はマックスだ。さあどこから来る。いつものようにどこからともなくふんわり現れて、絶望するわたしを嘲笑うんだろうか。

 いやまあ、そういうのは楽しくないのでやらないって言ってたけど。でもさあ、ジンくんだよ? 子供って、自分が負けそうになるとルールも知らんぷりだよね。実際に子供と遊んだことはないんだけど、前世わたしがそう言ってる。

 さて、とりあえず迎え撃てる準備だけはしておこう。

 さあ、右か?! 上か?! どっから来る、邪神――――!


「なあ、ハリエット」

「はいッ?!」

「なんでキレてるんだ……」


 キレてないです。ただちょっとびっくりしただけ。

 いきなり話しかけてきたアルフに、わたしは周りの警戒を解かざるを得ない。ジンくんもそうだったらいいんだが……あいつって周りとか全然お構いなしだからなあ。今の状態とか、森での――――ニールの時とか。

 あれでどれだけわたしが気を揉んでいたか、きっとジンくんは知らないに違いない。やつの場合、知っててもどこ吹く風の場合もあるが。

 だからアルフの前に突然現れてはいタッチ、十分延長ねー、とかありそうで怖い。二重の意味で。


「……周りに何か?」

「い、いやなんでも? それより、なんですかアルフさん。読書に集中できないと言うならすみませんが……」

「そうじゃないんだけど。……恥ずかしいって、なんで?」

「え?」


 アルフの突然の問いに目を丸くすると、彼は指を立てて回想するよう言った。


「忘れろって言ったけど……恥ずかしいから来てほしくないってハリエットは言った」

「お、おう、言ったね」

「どの辺りが恥ずかしいの?」


 えっ、それを言わせる?

 唖然とするわたしを尻目に、アルフはごくごく真面目な顔でわたしの言葉を反芻している様子だ。こいつが変に真面目で律儀なのは、時が経っても、わたしの記憶がなくても変わらないらしい。

 昔なら、調子に乗った悪童たるわたしを嗜めてくれるのがアルフだったが、わたしも大人になったしな。まあ、校舎内で鬼ごっこしてる時点で非常識なんだけど。


「うーん、なんと言うか。アルフさんはわたしにとっては、すごく近い存在というか……」

「でも、カレンだってそうなんじゃない」


 カレンちゃんも、友人としてはなかなかの古株なんだけど……彼女はわたしの隣で歌うわけで、いわば同士である。客としてわたしの歌を評価するわけではない。

 そういうことを言ってみたものの、目の前の真面目くんはいまいち分からないと言った様子で首を傾げた。


「だから、つまりあれです。わたしが不出来なので、知り合いに聴かれると恥ずかしいんですよ」


 言い切った。単純なことで、わたしは少々プライドが高くひん曲がった性根の持ち主なので、うまくできないことを他人に知られるのが恥ずかしいのだ。

 究極はそういうことになる。

 ともかく。自身の恥を言葉に出して、さあこれでアルフも納得してくれただろうと思ったら……あれ、全然納得いってる顔じゃないんだけど?


「アルフさん?」

「うん。言いたいことは分かったけど……俺はハリエットが不出来だとは思えないよ」


 ファ?!

 な……何をいきなり。

 おかしいな、わたしの記憶の中のアルフ(ショタ)は、少しでも天狗になろうものなら燃える赤い瞳を冷たくして、「それで頑張ってるつもりなの? ハティ、お前ちょっと自分に甘いよな……」とか呆れてくるところなのに!

 なんだこいつ! 正統派美青年的な顔立ちにそんな優しい言葉をかけられて、思わず脂汗がにじんだ。


「だって、ずっと練習してるってカレンに聞いた。すごいことだと思う」

「い、いやそれは……わたしが下手でありますんで……」

「そんなことはない。カレンも褒めてたしな」


 う……わたしは努力は嫌いだ。これが個人の発表なら適当に済ませていたかもしれないわたしに、アルフの発言は眩しすぎる。

 わたしは無意識のうちにじりじりと後退していた。


「で、でもアルフさんは聴いたことがない。それでそういう物言いは、少々無責任と言うものですよ」

「じゃあ聞かせてくれる?」

「は!?」


 わたしが目を見開くのと同時に、アルフはしてやったりと言いたげな、素晴らしい笑顔でわたしを見上げた。あどけない笑顔はアルフの小さな頃を思い出すが、それと同時に喉元にまで苦さが込み上げてくる。

 ――――やられた! 誘導されてら!

 昔はこんな腹芸なんてしたことなかったのに! あんなに純でピュアピュアだったアルフが、今や立派に貴族ナイズされている……。


「い、嫌ですよ」

「どうして? 練習だと思えばいい。人にはよく聴いてもらってるって聞いたし」

「そ、それはそうっすけどぉ……」

「ここ、けっこう防音だし」


 だからって、なんか違うくない? あれ、アルフに聴かれるのが恥ずかしいっていう話じゃなかったっけ?

 ぐるぐる回る脳みそは混乱の最中にいて、その間にアルフは椅子をわたしの真ん前にセッティングしていた。完全にリサイタル待ちである。





 で、こうなる。

 結局この空き教室を出ていけないわたしは、アルフを強く拒否することもできなかったのだ。

 目の前でぱちぱちと散漫な拍手が贈られて、思わず睨み付ける。


「……ちょっとだけですよ」

「うん、うん。別に馬鹿にしたりしないよ」

「…………」


 馬鹿にされるという心配より、断然気恥ずかしさの方が勝っているのだが。どうもアルフは真面目な顔のまま、理解できないらしい。

 ぼんやり熱をもった頬を掻きながら、軽く咳払いをする。

 さてこうなったらやるしかない。でも、いったいどの曲を歌うべきなんだろうか。発表する曲を全部歌うなんてことは無理だし、わたし的には一番までで終わりたい。

 聖歌……はちょっとな。わたしは気にしないんだけど、立場的には歌っていいものなのか怪しいところだ。となると一番自身があるのは、始めの方に習ったあの歌だ。


「……ハリエット、早く」

「分かってるよ! もう!」


 かっと言い返すと、アルフは楽しそうに目を細めた。あらためて歌うとなるとものすごく恥ずかしくて、わたしの顔は多分真っ赤なのだろう。

 からかわれていることは、アルフのくせに生意気だとも思う。でも、なんだかこの雰囲気が昔みたいで、ちょっとだけ安心した。


「――――よし」


 伴奏も何もない。

 歌うのは、とある劇中で歌われる希望に溢れた恋の歌。

 大きく息を吸って、歌い初めは囁くように、だんだんと大きく。讃えるのは人の繋がり、すぐに弾けてしまう淡い恋。

 あなたと出会えたことを喜ばしく思う。

 きっと叶わない恋ではあるが、それをも楽しむのが人生だ。

 茶化す友人に囲まれて、大切な人と短い日々の讃歌を。

 幸せはいつか裏切るものだ。

 だからこそ、この胸を満たす甘い吐息が枯れないうちに、あなたにまた会いたい。

 ……ついぞ『わたし』には縁のなかった、柔らかくまさに幸せの絶頂のような歌詞だ。それを歌うたびに思い描く一人の姿と、少しだけ脳裏に過る冷たい前世かこ


 最後は「再会を夢見て」、歌が終わる。時間にしてどれくらいなのだろう。歌っていると全てが一瞬で、目の前にいるアルフのことさえ忘れてしまいそうだった。

 胸に詰まった息を吐き出して、わたしは深く頭を下げた。

 ――――だが、響くはずの疎らな拍手はいつまで経っても落ちてこない。そっと下げた頭をあげれば、アルフは座ったまま、目を見開いて固まっていた。


「……アルフ、さん?」


 まさか、また言葉に出せないくらい微妙という評価を食らうんだろうか。

 他人に歌を披露して微妙な反応をされたのは、わたしの心に大いなる傷をつけている。まさかアルフまで、いやあれから練習もかなりしたんだけど……。


「……聴いたことのある歌だな」

「ああ、何かの演目の歌だとか。カレンちゃんも見たことがあると言っていたので……アルフさん?」


 ぽつりと返された言葉にほっとしたのもつかの間、やはりアルフの様子がおかしい。

 赤い髪を軽く引っ張るようにして手を添えたまま、アルフはなんともぼんやりした顔で下の方を見つめている。さすがにこれは、わたしの歌が微妙だったとかそういうレベルじゃない。はずだ……だよね?

 慌てて目を合わせるべく膝元に駆け寄り、アルフの顔を覗き込む。


「アルフ? どうした?」

「なんでもない――――ハティ……手紙、いや……」


 ぶつぶつと呟きだすアルフ。

 掠れた声は、すぐ近くのここまでさえも届かない。いや、そもそも視線がどうしても合わないのだ。

 高さは合っているはずなのに、アルフはぼんやりとどこかへ視線を投げ捨てている。そして形のいい唇から落ちるのは、聞き覚えのある……。


「……ハティ、……俺は、怖いよ……お前に……会いた……」


 その言葉を知っている。あの手紙に書かれた、紛れもないアルフの不安。今のアルフが忘れてしまったはずの、わたしと地下室に関係すること。


「アルフ! アルフお前ッ、しっかりしろ!」


 急に虚ろなアルフのことが恐ろしくなって、わたしは荒々しく彼の肩を掴んだ。自分の手が少し震えていることに気づいて、ひどく傷ついた。

 馬鹿、わたしは何を思っているんだ。


「アルフ、アルフってば! 聞こえないの?!」


 がくがくとあらんかぎりの力で揺さぶると、されるがままだったアルフの肩がびくりと跳ねる。

 下を向いていた首はのろのろと持ち上がって、今度こそ、燃え上がる赤い目がわたしを捉えた。


「アルフ……」

「ハティ……ハリエット。今、何か……頭に浮かんだんだ。もやが晴れたみたいに、霧の濃い森の中で、すっと道が浮かんで……」


 そう必死に言い募りながら、揺れる瞳は何かを堪えるように歪んだ。わたしの手を振り払うようにして、両手で頭を抱えだす。


「いっ……ぐ……」

「大丈夫? どうしたの、ねえ」

「はぁっ、くそ、痛い。頭ん中が焼かれてるみたいだ……ッ」


 アルフの苦しみようは尋常じゃなく、声こそ抑えてはいるものの、額には噴き出すように汗をかいていた。頭を押さえる手には血管が浮き出ていて、膝はぶるぶると震えている。

 この苦しみようはなんだ? きっかけは? いったい何が原因で、アルフはこんなに苦しんでいる?

 わたしはしばらく固まってしまっていたが、ふと気がついて慌てて立ち上がった。ああどうしよう! とにかく、なんとかしなくちゃならない。


「アルフ、待ってて、今先生を呼んでくるから……」

「待て!」


 扉へと駆けていこうとすると、制止の声と共に手首を掴まれた。その手は熱く震えていて、しっとりしている。

 よく分からない激情のままアルフを振り返れば、彼は辛そうな顔色のまま、しかしこっちをしっかりと見つめていた。さっきまでの虚ろな表情とは違う、昔の面影を残したアルフそのものだ。


「何?」

「思い、出したことがある。ぼんやりと……暗い階段の下に、誰か……」

「階段の下? 地下室ってこと?」


 アルフは鬼気迫る顔で、時折苦しそうに息を詰まらせながらわたしに訴えかけた。

 アルフが見たもの。それは彼の記憶を消し、お姉さんに憂いを与えた、ニールの知る人物にほかならないだろう。それが誰なのか、それを知るのがわたしの望み。


「多分、男だ……ローブを着込んだ……どこかで、見たような」

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