73 早朝練習
紅茶の匂いのする部屋で、カレンちゃんと話し合うことしばらく。彼女の言う発表会がどんなものか、ようやく理解することができた。
まず第一に、会場は隣町の教会――――ザルーアスにある、カレンちゃんやアルフと縁のあるあの教会だ。
どうも、カレンちゃんはそれを知っていて声楽の授業を取った節がある。わたしは知らなかったが、幼少期をあの教会で過ごしたカレンちゃんには、聖歌を歌いにくる生徒たちに見覚えがあったのだろう。
恩のある教会での行事だ。可能なら、人数を揃えて発表を成功させたい。そこでわたしに声がかかったというわけだ。
次に人数だが、わたしをいれて六人。かなりの少数とも思ったが、六人いれば発表としては問題ないらしい。
メンバーはカレンちゃん、ジュリア、マーシア、そこに下級生が二人。そのうち一人は、わたしに水をぶっかけたことのあるあの子。
ジュリア、マーシアとは一応仲直り(?)したものの、あの後輩ちゃんとはまともに話したことがない。やや不安である。
そして日程。年末にある模擬戦の前辺りを予定しているらしい。今から数えると……三ヶ月ほどの猶予はあるかな。
以上が、発表会についてカレンちゃんから聞いた話。彼女がどうして闇属性であるわたしを誘ったのかは……お察しください。
彼女が天才なのかむにゃむにゃなのかは、紙一重で誰にも分からないのだ。
ともかくも、これで一応の予定は立った。発表会が模擬戦の前というのが少し気になるが、そればかりは仕方ない。
実際、ゲームでは模擬戦の日にニールがテロまがいなことを起こすわけで、そう考えるとちょっと不安ではある。ニールが起こさずとも、今までイベントをなぞるようなことは続いているのだから。
「……というわけだから、やることは決まったね」
「なあに、そんなに悪どい顔しちゃって」
してないです。
ジンくんの茶々に出鼻をくじかれながらも、わたしは気を引き締めて腰に手をあてる。
「この三ヶ月間にわたしがすべきこと! 教会へは行くことになったんだから、その他! 何か分かるかね、ジンくん!」
「えー、自分探し?」
「そんな中学二年生みたいなことしねえよ!」
正解は、外出届を提出して隣町に向かうこと。
いろんなことがあって驚いたが、今日一日でやるべきことは大方固まった。行くべきかと思っていた教会への算段はついたので、残るはニールと出会った場所。それから知識を得るべく、学園以外で読書がしたい。
ユリエルの協力で魔法関係の知識は安泰だろうが、わたしが知りたいことはもっと雑多にある。自分で見るのが一番の近道だ。
「というわけで、明日には外出届を提出して、すぐにでも隣町に向かう。いいかね、案内人」
「はいはいイエスマム」
やる気のない返事だなあ。ジンくんはのんびりと寝転んだまま、寝ぼけ眼で天井を眺めている。こんなんで、きっちり案内をしてくれるのだろうか?
いやいや、仮にも神様的なそれだ。不安になってはいけない。
英気を養うためにも、今日はたっぷり食べてたっぷり寝てしまおう。昨日の疲れが吹き飛ぶくらいに。それに、今日起きた様々な心の変化も、全てを整理して。
今のわたしに必要なことは、犯人にたどり着くこと。それがどんな人物であろうと、どうするかは見つけてから考える。
明日は朝一から頑張るぞ! おー!
いや、忘れていたわけじゃないんです。
ごめんなさい。
「いい、ベルさん。もっと口を開けて! 足を開いて、お腹に力を込めるの。歌は腹筋使うわよ!」
「は、はい……」
つらい。
歌やめたい。
「どうしてそこで下がるの! もっと上げて、目線も高く! わたくしの手を押し返すくらいにお腹に力を込めるのよ!」
「ひゃ、ひゃい……」
ジュ、ジュリアさんスパルタすぎる。
彼女の白い手でお腹をぐいぐい押されて、思わずへっぴり腰になるとケツを容赦なく叩かれる。
顔は天井の角に固定で、少しでも目線を下げると顎をがっと掴まれる。
なんだこれ。
わたしが知っている歌と違う。
「ハティちゃん、ファイトー……」「頑張ってね……」
横にいるカレンちゃんも死んだ目だ。マーシアも同上。
どうしてこうなったのか、わたしは同じく死んだ目で考え始めた。
昨日ぐっすり眠ったお陰で、一昨日の疲れもずいぶん取れた。わたしは日も上らぬうちから外出届を書き上げ、それに印を押してもらいに行く。
いかに早朝であろうとも、職員は大抵一人か二人起きているものだ。学園がどれだけ安全でも、やはり警戒しないのは色々と問題なのだろう。体裁というものもあるし。
そんなわけで、薄暗い廊下を一人でてこてこ進んでいたわたしだったが。
――――突如、誰かに腕を掴まれた。
「……逃しませんことよぉ……」
「ヒィッ!?」
薄暗く静まり返った廊下に響く、怨嗟の声。
いくらジャパニーズホラーというおどろおどろしいものへの知識があると言っても、怖いものは怖かった。
「こんな朝からどこへいこうというのかしら……」
「……べいんずさま?」
怨嗟の声の主は、髪を振り乱したジュリアだった。
わたしのことをわざわざ探しに来ていたらしいジュリアは、それはそれは恐ろしい形相で、わたしの手首を捻りあげた。そのまま音楽室まで引きずられていけば、そこにはまだ眠たそうな二人が揃っていたのである。
わたしが忘れていたのは、早朝練習ではない。そもそもこんな朝早くから練習があるなんて知らなかったし、聞いてもいなかった。
わたしが忘れていたのは、ジュリアの熱意だ。
「あと三ヶ月で、素人をそれなりに仕立てなくてはなりませんのよ。びしびしいきますから、音をあげないでくださいまし」
こんな朝っぱらだというのに、ジュリアは完璧な立ち姿でわたしたちを威圧した。部屋にいないわたしを探し回ったらしく、少々髪は乱れていたが。
そんな彼女の言うことはもっともだったし、断る理由もない。むしろ、練習に付き合ってくれる分だけありがたい。本番で失敗して、恥をかくのは他でもないわたしたちなのだから。
わたしたちは、こくこくと頷くしかなかった。
……その結果が、この地獄絵図である。
彼女がスパルタであることは知っていた。知ってはいたが、実際自分にそれが降りかかるとなると、ちょっとくるものがある。
ぶっちゃけ、カレンちゃんの頼みを快諾したことを、ちょっと後悔している。いや、どちらにせよわたしには必要なことだったのだが。そうは言っても人の感情は難しい。
「……ふう。まあ、初日はこんなものかしら。あのときに比べたら、幾分かはマシですし。やっぱりコレが効いたのかしら?」
「え、ええ。ありがとうございました。とても、参考になりました」
コレというのは、アレである。わたしが数多く(?)の知り合いに「似合わない」と称された、恋愛小説。ちょうどいいので、部屋に寄ってもらって少しずつ返すことにしたのだ。
ジュリアはその表紙を撫でながら、うっとりした顔でさっきまでの歌を口ずさむ。
「いいですわね……。やっぱり、この演目は入れて正解でしたわ」
「教会には子供もいますからね。少しは楽しめそうなものも入れないと」
「でも、あまり過激なものは、無理だけど」
どうやら、教会で歌う曲は三人で決めたらしい。
わたしが今歌わされていたのは、前に音楽室で聴いたあの歌だ。カレンちゃんの部屋で披露したときには微妙の一言で切り捨てられたが、わたしにも色恋が分かってきたようだ。
この歌はピュアな恋心的な歌なので、まあ子供にも分かるだろう。
ほかには聖歌を歌うと聞いているが、わたしが覚えていないのでそれは後回しだ。聖歌を全く歌えないのは不味い気がしたので、あとでこっそりカレンちゃんに教えてもらうつもり。
あとの歌は、どれも一回ずつ聴かせてもらった。どれも有名な劇で使われている歌らしく、王道だが間違えると分かりやすい。らしい。
平民であるわたしにはピンとこない話だが。
「と、時間がもったいないわ。ほら皆さん、続きを始めますわよ」
「う、うっす……」
返事が小さい、とジュリアに睨まれた。予想以上のスパルタっぷりに、練習一日目にして早くも魂が抜けそうだ。
わたしの隣で息を吸い込む二人も、朝だというのにすでに目が虚ろだった。ちらりと目線を送ると、窪んだ目で黙って見つめられる……。
この練習の間に、カレンちゃんやマーシアと奇妙な絆が生まれた気がする。
「……ハティちゃん、これから頑張ろ」
「あたしも頑張るから、ね?」
……練習は想像を越える厳しさだったが、こんな日も悪くない。二人に励まされて、わたしは気合いを入れ直してジュリアを見上げた。
ジュリアは仁王立ちで、わたしの真ん前に立ち塞がっている。さながら鬼教官だ。
そのオーラは、思わず平伏して靴を舐めてしまいそうになるほどに強大。だが、わたしはもはやそれに屈することはない。
今のわたしには、二人の仲間がついているのだから!
「――――ベインズ様、どんどんやりましょう!」
わたしの目の前で気難しい顔をしたジュリアは、その言葉にゆっくり組んでいた腕をほどくと。
口に弧を描いて、わたしの肩をがっしりと掴んだ。かつてないほどに、ジュリアとの距離が縮まったのだ。
「ええ! その意気よ――――ハリエットさん!」
「はい! ジュリア様!」
「声を張って! ファルセットは駄目よ!」
「はい!」
「気持ちを込めて! ここから伝わるように!」
「はい!」
「いいわ! その調子で――――」
盛り上がるわたしたちの隣で、仲間二人がドン引きしていたことに気づいたのは、練習がすっかり終わったあとだった。
「いやー、笑った笑った。ハリエットって、どうしてそう意味の分からない暴走を始めちゃうのかなあ」
「うるさいな……」
背後について回るジンくんに怒鳴ろうとしたが、かすれた声しか出なかった。当たり前だ、あれだけ周りも見ずに盛り上がったら、声だって枯れる。
ジュリアはそれに気づくとすぐに練習を止めたので、そんな大事ではないのだが。それよりも、どちらかというと普段使わなかったのだろう腹筋が痛い。
歌を歌って筋肉痛って、初体験。
「そもそも、あのお嬢様が面白いよね。案外、きみと息が合いそうだし。というかもう合ってる?」
「……まあね」
確かに、ジュリアのことは嫌いではない。なんというか、自己中心的なわけでもなく堂々としている様子は、平々凡々なわたしとしては憧れるところでもある。
それはジュリアに限らず、真っ当な貴族様にはほとんど言えることだ。例えば、ヴィクターとか。
彼は自分の元のスペックを多大な向上心で塗り替え続けているので、元来怠け者であるわたしは是非とも見習いたいところである。
まあ、言うだけなんだけど。
「そう言わずに。きみもやる気を出せばできる子なんだから。頑張りなよ」
「いや、おめーはわたしの何なんだよ」
お父さんかよ。