72 忠告
開口一番に、ニールは真剣な顔で言った。
「これ以上下手な動きをとるな」
それはふざけているわけでもなく、至って真面目な警告だった。見上げたニールの紫の目は、鋭くわたしを射抜いている。
「これ以上」と言われても、わたしは何か妙なことをしていただろうか? 地下室に忍び込もうとし、ユリエルに探りを入れ、今度は外出届を出そうとはしているが……。
あれ、そう考えると結構動いてたね。
「お前のことはよく知ってる。どうせ、また頭ん中でぐらぐら煮詰めたわけの分からない理由で、首を突っ込もうとしてるんだろ」
「……はあ」
「……これはマジの忠告だ。ハリエット、もうお前は止せ。テメェにゃ家族もオトモダチもいるだろうが」
あのニールが、わたしのことを気にかけてくれている。わたしには家族も友達もいるから、もう危ないことはするなと、そう言ってくれている。
ニールは必死に説得してくれているのだ。
――――だというのに、わたしの気持ちは落ち着いたままで。目線は体の前に置かれたスープ。半分ほどすでに飲んでいるが、もうすっかり冷めてしまっていた。
校舎の食堂にいるのは、わたしたちだけ。ちらほらといたはずの生徒たちも、いつの間にかいなくなっている。
そんな中でニールは、真面目な顔でよく分からないことを言う。
「どうして?」
「あ?」
「どうして、止めなければいけないわけ? それもニールに言われて」
ひどい言い方だと分かってはいるが、それでも言わざるを得ない。
ニールが犯人を知っている。そして、それからわたしを遠ざけようとしている。何故? なぜ、わたしの手にあの石が渡ったのか。
アルフのときのように、もしわたしに直接関係がなかったとするのなら、ニールの言い分も聞いただろう。アルフの記憶もそう大したことはないし、わたしはこの平穏を甘受していればいい。
だが、あの石は紛れもなくわたしに手渡された。
わたしももはや部外者ではない。
ニールがどれだけ遠ざけようとしてくれたって、この平穏の下に渦巻く因果は解決はしないように。誰がアルフの記憶を奪い、わたしを陥れ、ニールやお姉さん、ユリエルを苦しめているのか。
ゲームにはない、わたしの生きている世界でのこと。見て見ぬふりはできない。
ニールはそんなわたしの顔を見て、眼を逸らした。大きな舌打ちが食堂に響く。
「……ふざけんな。俺の言うことが聞けねェっていうのか」
「だって、理由を説明されなきゃ納得できないよ。アルフの記憶もない、お姉さんも怪しい、あの石のこともある」
できるなら、アルフの記憶を取り戻し、お姉さんの憂いを払い、あの石をどういう意図があってわたしに持たせたのか、それを聞きたい。
そして、ニールに笑顔を。
そのためにも、わたしは犯人にたどり着き、そして……そして、恐らくは……。
「お前、人を殺したことないだろう。そんな手で、何をしようって言うんだよ」
ニールが言う。わたしの危惧していたことを。
「それでもやる。それはその時に考えるし」
これはすでに決めたことだ。いくらニールに止められようと、おいそれと撤回できるものではない。
ニールはため息を吐いて額を押さえた。相変わらず、わたしとは目を合わせてくれない。頬杖をついてそっぽを向いた状態で、天井の隅を見つめていた。
わたしの視線は、そんなニールを見ていられなくてスープの中に。湯気もたたなくなったスープの中に、ぽつぽつと浮かぶ具を数える。
どうして好きな人と話しているのに、こんなに楽しくないんだろうか。
「戸惑ってたら殺される。無惨で残忍な方法で。もしくは、殺されるよりもひどい目に遭う。アイツはそういうやつなわけ」
淡々と告げられた言葉が、嘘か本当なのかすら分からなくて、わたしは思わずニールを見つめた。本当のことを言っているのかどうか、確かめたかったのか。
ニールは視線をさ迷わせ、口を何度か開いて、押し黙った。それを見つめていると、ついに髪を掻き乱して俯く。
「……俺は、お前にそうなってほしくない。別に、あの坊ちゃんの記憶がどうなろうと知らねェ。あの女なんかどうでもいい。――――アイツのことも……もう、どうだっていいんだよォ……お前のせいでっ」
「わたしの?」
切羽詰まった様子に聞き返すと、ニールははっとしてわたしの顔を見た。ぐしゃぐしゃになった髪を引っ張り、ニールはがたりと椅子を倒して立ち上がる。
これは、逃げるな。
わたしは慌てて立ち上がって、ニールの細い腕を掴んだ。彼はぎょっとしてわたしの方を見ると、掴んだ手を引き剥がそうとしてくる。
「離せ! もー俺の用は済んだ! これでも聞かねェっていうなら、勝手にしろクソガキ!」
「待って、待ってニール!」
なんだか分からないが、さっきの発言に何か逃げたくなるようなことが含まれていたのだろうか。アイツ……というのが、犯人だということ?
ニールの腕を引っ張り続けると、彼はうんざりした顔でわたしを見下ろしてきた。恨みのこもった目で睨まれて、思わず顔がひきつる。
腕が緩みそうになって、とっさに――――とっさに、わたしは口を開いていた。
「そ、そういえば発表会があるの、知ってる?!」
「はァ?!」
ニールに聞くことじゃねええええ!
どうして今その話題が出てきたのか、自分のことながら理解に苦しむ。変な汗を大量にかきながら、わたしは目を回して必死に考えた。
これだから、恋愛というのはめんどくさい。気を引くために突拍子もないことを言ったりしてしまうこと、あるよね?
「あー、あの、あのさー、今度、歌の発表があるって、友達が……」
「……おー、それで」
「えっ!? えーと、だからなんというか、ニールって曲がりなりにも教師だし、学園のことだし何か知ってるかなって……」
わたしがあまりにもおかしかったからだろうか、ニールは一応逃げずに足を止めてくれた。
その代わり、わたしはまだこの発表会に出るとも言っていないし、さらに言うなら断るつもりだったのに、すっかりニールに話してしまっていた。これでは出ない方がおかしいような気になってくる。
それでもあのニールのことだから、「知らない」と流してくれると思ったのだが……。
「ああ、聖歌を教会で歌うやつだ。くそったれな行事作りやがって」
「え……」
「オトモダチは大変だろォなァ。ま、テメェにゃ関係ねーだろうが」
聞いてない。
ちょっと、カレンちゃんよ。
興味のある人がちょっと見に来るだけ――――とそう聞いたが、会場が教会だとはまったく知らなかったわけで。
そもそもカレンちゃんはわたしの属性を知っているのだから、教会に行くことがどれほどなのか、分かっているはずなのに。……それとも、そういう意味で?
「……おい、ハリエット?」
「ん? あ、ああ。そう、ありがとう」
気のない返事に、ニールが目を細める。わたしは慌てて笑顔を取り繕って、ウインクをかました。
くらえ。
「……」
「……」
なんだこの、微妙な雰囲気。
ニールはなんとも言えない顔で、じっとこっちを見つめている。わたしは無言で片目を瞑ったまま。
おかしいな、鏡越しには可愛く映っていたはずなのだが。いたたまれなくなってきた……。
「じゃ、じゃあ、ありがとう。わたし、そろそろ用があるからっ」
結局食べなかった昼食を抱えて、荒々しく席を立つ。ニールは座ったままで、微妙な表情のままわたしを見上げた。
久しぶりにきちんと見つめたニールの顔に、やっぱりぐっと胸が詰まる。跳ねた茶髪を撫でたら、わたしはどんな気持ちになるのだろう。
その優しい顔立ちが、わたしだけに微笑んでくれたら。
「……おう。言っても無駄だとは分かったけどな。……気を付けろよ」
「……ありがと、ニール」
しかめっ面で毒づくニールに、苦笑が漏れる。現実はこうで、ニールはわたしのことをそういう意味では好きではないのだろう。
ニールにはわたしの知らないことがたくさんある。
もしかしたら、彼には好きな人がいるのかもしれない。家族は。兄弟は。何より大切だと思える人が、いるのかも。
わたしが見ているニールはただの一面に過ぎなくて、そんなニールに、すべての心を許せる相手がいるのだろうか。
「……はぁ」
そう考えるとたまらない。ぎりぎりと、どこかが確実にすり減っていく気になる。嫉妬というのは醜いものだ。
食べきれなかった昼食を戻して、その足で寮へと帰る。今の気分で読書をする気にはなれなかったし、もう少しすればカレンちゃんが寮に戻ってくるだろう。
そうしたら、発表会についてあらためて聞かなくては。場所や日付や人員、確かめることは山ほどある。
「ねえ、もしかしてやる気になったの?」
「……まあね」
ジンくんにはなんでもお見通しらしい。
いつの間にか隣をてこてこ歩いていたジンくんは、わたしの顔を覗き込んでにんまりと笑った。赤く青い目が細められて、意地悪く睨めつける。
「いい顔になったじゃん、ハリエット。殴り込みとは野蛮だねえ」
「別に、喧嘩しに行くわけじゃないよ。わたし、教会には行ったことなかったし」
闇属性迫害の一因である、教会。勿論未だその根は深く、故にわたしは今までその類いのものに近づいたことはない。
そしてこれからも、近づく予定はなかったのだが。
だけど、そろそろいい機会だ。教会について知っておくことが悪いことだとは思わないし、さらに言うなら。
「迫害の原因について知りたいって、きみらしいね」
「どういう意味よ」
「直接関係ないことにまで首を突っ込んじゃうとこ、嫌いじゃないよ!」
ジンくんは馬鹿にしたように言って、大袈裟にけたけたと笑い声をあげた。完全に馬鹿にされているが、もう慣れた。
笑われてもいい。だってこれは、またとないチャンスだ。
学園側からの行事なら、わたし個人の責任になることもない。それに表向きは聖歌を歌うこと。どこにも闇属性に関係する要素はない。
そして、側にはカレンちゃんがいる。彼女は光属性だ。恐らく、彼女がいる限りは滅多なことにはならない。
カレンちゃんの誘いは、そこまで考えられてのことだったのではないだろうか。……いや、勿論、彼女のことだからまったくの偶然という可能性もなきにしもあらずだけど。
「ともかく、詳しく話を聞いてからだね」
「うんうん、せいぜい足掻きなよ」
ジンくんは浮かんだ涙を拭きながらそう言って、わたしの肩を叩いた。