70 わたしには好きな人がいる
まさかわたしが誰かを好きになるなんて、思ってもいなかった。
だけども、よくよく考えてみるとまあ、なんというか。
わたしはあいつに対して色々と世話を焼いていたけど、それすら苦だと思ったことはないし。むしろしばらく会わないと、寂しくなったりしたし。そっけない態度に少しだけ傷ついたりもしている。
そして、思い返したあいつの全てを好ましいと思うのだから、これは重症だ。
紫色の瞳が綺麗で、眉を寄せて笑う顔が好き。ぶっきらぼうな優しさが愛しい。
気づいてから振り返れば、わたしは驚くほど単純に彼だけを想っていた。
――――なんて。
そんな風に素直に受け止められるわけないだろうが。
カレンちゃんには悪いが、彼女との会話もほどほどに、結局のところわたしはさっさと自室に引きこもってしまった。無論、出てしまったアホらしい結論について思うことがあったからだ。
アホらしい結論=わたしがニールのことが好き。
そんなバカな話があるものか。
わたしはシーツにくるまって、一切の外界の情報をシャットアウトした。無意味に結界まで張っている。
いや、わたしからすると無意味ではない。このことについて、今後一切誰にも知られたくないからだ。
だって、わたしが恋。誰かに恋。そんなことがあり得るのだろうか? いやだって、わたしだよ? 前世は異世界人なんていうびっくり人間なのに、真っ当に恋愛をしようだなんておこがまし過ぎやしないか。
それに、わたしの前世は無共感人間。それがそのまま生まれ変わってしまったようなわたしが、普通の恋愛なぞ望めるはずもないのではないだろうか。
ていうか、ぶっちゃけニールっていうのが問題なんですけど。
「ニールって……だってニールだよ?」
そうだ。ニールなのだ。
彼と初めて出会ったのは、わたしがまだ十歳にも満たない頃だっただろうか。それから今まで、約七年ほどの付き合いになる。
わたしがほんの小さな子供だった頃から、ニールはずっと側にいたのだ。なんにも変わらない姿で。
それをまさか、おおよそ同じくらいの背格好になったからといって、好きだなんて。基本的に、いくつ年が離れているかも知れないというのに。
それにニールは、カレンちゃんと結ばれる可能性だってある。大いにある。ここはゲームではないが、ニールが光に惹かれることは事実なのだ。闇ではなく。
……と、真面目に自分と結ばれるかもしれない可能性を考えている時点で、恥ずかしい!
ていうか単純に恥ずかしい! あれだけ意識せずに接していた存在のことが、あろうことか好きだっただと!? そんな話、信じたくなくなる気持ちも分かってくれるでしょう。
「あああああぁ……」
ごろごろとシーツを巻き込んで転げ回る。
こうやって脳みそまでぐるぐる回せば、きっとバターになってでろでろに溶けてくれるはずだ。
「なに馬鹿なことやってるのさ」
邪神あらわる。
「……な、何も?」
いつの間にいたのだろう。
ジンくんはわたしの周りにふよふよと飛んでくると、わたしの顔を覗き込んできた。結界も何もないように近づいてくるので、わたしは努めて変わったリアクションをとらないよう、表情筋を引き締めた。
「まあ、全部知ってるんだけどね。あーあ、恋心をせっついて楽しむのは僕の役目だったのにぃ。あの子に取られちゃったか」
「何で知ってる……!」
がっくりと膝をつく。やはり腐っても神様的な何か。わたしのあさましい心なぞ、お見通しらしい。
わたしは恥ずかしさに負けて、頭からシーツに潜り込んだ。これがどんなに間抜けな格好であろうと、今は顔を見られたくない!
ジンくんはそれをからかうこともなく、いつもの不思議な声をわたしに注ぐ。
「ま、それはともかくさ。やっと本人も自覚したわけか。大人になったねえ」
「いやいや、いや……まだそうと決まったわけじゃ」
「客観的に見たら明らかにそうなんだけど。態度に出るよね」
「ぐう……っ」
そ、そんなに態度に出ていましたか、わたし。
確かに、ニールには素で接することができたけど。それでも、端から見ても分かるほど、あからさまだったのか。
羞恥に顔が赤くなる。
自分が分かっていなかったことを、他人に指摘されると猛烈に恥ずかしいのは何でだろう。それはわたしの自尊心が高いせいか。
「そ、れ、で。どうするの?」
「はあ?!」
「その初な恋についてだよ。まさか恋愛ゲーム百戦錬磨のきみが、どうにもしないとは言わないよね?」
恋愛ゲーム百戦錬磨って……そんな前世はありませんけど。わたしがやっていたのは暇潰しであって、むしろ攻略サイトなしでは面倒くさくてやらないくらいだったのだが。
ジンくんの適当な発言に顔を出せば、彼はにやにやとわたしの横で肘をついて笑っていた。あんまりな反応だ。もう少し、真面目に考えてくれたっていいじゃんか。
「どうもしないけど?!」
「ええっ。好感度上げは? 告白イベントは? エンディングは?」
「人の人生をゲームにするんじゃなーい!」
こんなゲームがあったらクソゲーだ。絶対に買わない。それにジンくんもふざけすぎだ。
じっとりと睨み上げれば、ジンくんは笑いながら手を合わせた。そんな顔でされても、全く謝られている気がしない。まあ実際、本気で謝っていないのだろうけど。
これだけからかわれていると、空しくなってくる。
「はあ、なんか疲れた……頭が重い」
青いため息は、床を這っていくようだ。
そもそもどうしてわたしはこんなに疲れているんだろう。 ただ、好きな人ができたというだけで。
そうだ、別に恋仲になったり、結婚したりというわけじゃない。わたしが特別に好きな人がいると、自覚しただけだ。
むしろ、良いことじゃないか。わたしだって人を特別好きなれると分かったのだ。
何もここまで騒ぐ必要はなかったんじゃないの? さっき答えたように、別にどうにもしないのだから。
すっと、頭の中の霧が晴れていくような心地がした。被っていたシーツを剥がして、ばっと起き上がる。
「――――よし! 考える時間は終わった! 結論は出たっ!」
もとよりわたしには、やらなければならないことがあるのだった。こんなくだらないことを、うだうだと考えている場合じゃないのだ。
突然起き上がったわたしに驚いたのか、浮いていたジンくんがベッドに墜落した。情けない声を上げて顔面を埋もれさせたジンくんに、わたしは鼻で笑いを送る。
「いてて……いや、ハリエット? いったいきみの中で何がどうなって、結論が出たんだい?」
鼻を押さえながらわたしを見上げたジンくんに、不敵な笑みを返す。それだけでジンくんはなぜか妙な表情になったが、わたしの心は幾分と晴れやかだ。
まず、認めよう。
わたしには好きな人がいる。確かにわたしはニールが好きだ。
どれだけアホらしかろうとあつかましかろうと、この事実だけは認めるほかない。わたしの心は彼に傾いている。
そしてだ。初めて気づいたことだが、わたしは好きな人には笑っていてほしいらしい。本当に不本意ながら、ニールのあの恐ろしい笑顔が、わたしは何より好きだということだ。
「だから、ニールになんにも憂いがないようにする。あいつの考えてることは全然分かんないけど、隠してる犯人を見つけなきゃ」
森で会ったニールは、なんだか少し元気がなかった。わたしに素っ気なかったこともまあ、ショックではあるものの、それ以前に影を落とすのは見知らぬ犯人の存在。
アルフの記憶やお姉さんのことに加えて、ニールが隠したがるその関係についても。わたしは暴く必要がある。
「いいの? 愛しの君が隠しているのなら、それに乗って上げるべきじゃ?」
「いいや、ニールは色んなものから逃げる癖があるからね。きっと今回も、逃げの一手に決まってる」
犯人を隠して、危険から遠ざけたつもりだとしても。結局犯人自体が隠れてくれるわけではないのだ。
ニールは弱い。心が弱い。色々と考えているようでいて、その実短絡的に逃げてしまうことも山ほどある。わたしはそれを、近くで見てきた。
思えば、初めて会ったときも、その次も、ニールは色んなものから逃げ出していた。アルフから、わたしから。
「だからこそ、ほかの人がやらないと。いつかニールが、それこそ恋でもできるような、そんな環境を作ってあげる。これこそわたしのできることでしょ」
まあ、そのときにはわたしを候補にねじ込むくらいはするかもしれないが。
ともかくも、まずはニールに笑ってもらわなきゃあ。それで前みたいに、少し乱暴に頭を撫でてもらえたら、わたしはとんでもなく幸せになれると思う。
「はあ……それはもう恋っていうか、愛だね。ずいぶんとまあ、惚れ込んだものだ」
心底呆れたような顔で、ジンくんがぽつりと言った。さっきまでならその言葉にも羞恥が込み上げてくるところだが、あいにくと今のわたしに死角はない。
神様がそういうなら、わたしはニールのことを愛しているのだろう。この何でもしてあげたいという気持ちが、そうなら。
「で、具体的には何をするの? 調べるとは言っても、ねえ」
「うん。まずは、とりあえず外出届を出さないと。学園を調べるのは、まだちょっと危険だからね」
アルフのこともあるし、お姉さんに知られると、また悲しい顔でとうせんぼをされてしまうかもしれない。お姉さんが本意でしていないのだとしたら、無理に対立する必要もないだろう。
となると、お姉さん以外で犯人と繋がりのあるニールが手がかりになる。この際、それに関わることならしらみつぶしにでも調べるべきだ。
「ニールと初めて会った場所……あとは、学園には置いてないような本が読みたいんだけど……」
とりあえず学園は信用しないスタンスでいく。学園の本の貯蔵は相当なものだが、それでも情報は多い方がいい。
だが王都まで行くとなると時間がかかり過ぎるし……一人では危険ということもある。これでも、一応自分の非力さは理解しているのだ。
それでもあと、教会には行くつもりでいる。
王都や学園内での信者の影の多さは異常だ。何かしらの形で、教会が関わっているのは間違いないだろう。わたしは属性の都合上、今まで教会に深く関わったことがなかったが。
そうも言ってはいられない。
脳内で計画を立てていると、ベッドに寝そべっていたジンくんが目の前にまでやって来た。珍しく、真面目な顔まで作って。
「そう。なら、案内は僕の役目だね」
「……できるの? っていうか、協力してくれるんだ」
そういえば、最近は妙に協力的だったっけ。どうにも戦力にはならないらしいが。
首を傾げたわたしに、ジンくんはいたずらっ子のような表情でにっこりと笑った。瞳が赤色に渦巻く。
「僕を誰だと思ってるのさ」
そりゃあ、いまだによく分からないんだけど。