69 自覚
ともかく、今は悶々とニールのことを考えている場合ではない。わたしは頭を切り替えるつもりで、撫でていたユリエルの手をそっと払った。
――――ユリエルとの会話でも、収穫はあった。
まずもって、やはりニールが犯人を遠ざけていること。今回の場合は、わざとユリエルにお姉さんが犯人だと誤認させたままにした。あとあと自力であの石のことに気づいた場合では、ユリエルはきっとお姉さんの仕業だとは思わなかっただろう。
それから、あの石のことだ。あの石にかけられた魔法は、ユリエルのものではない。精神に働きかけるものは闇か光だが……もう一つ。
アルフの記憶を奪ったと思われる、呪術。あれも人の内面に働きかけるものだ。より深く。
そして、その説明をニールはせず、闇魔法のみでのことだとアルフたちに説明していた。もし情報を操作することが望みなのだとしたら、相対的に話題から避けられた呪術の方が怪しくなってくる。
犯人像とも繋がる。
「一つ、聞きたいんですが。マデレーン様は、呪術は使えるんでしょうか?」
「呪術? ああ、きみが前に調べていたものか。うーん、基本的に使える人はもういないと言われているからねぇ。いくらマデレーン様が長生きでも、人の寿命は越えないし」
隠している場合を除いて、とユリエルは続けたが、その返答は限りなくノーに近いように思えた。
そも呪術は古代魔法より古い。魔法が今より大雑把で、攻撃的だった頃に使われた程度のものだ。闇魔法で人は破壊できるが、呪術では難しいだろう。
その分、人の意識を弄ることに関しては同等以上だろうが。
「何か関係があるのかい?」
「ええ。色々と、ほかにもあるんです。石だけじゃなく。長くなりますが……」
「じゃあ、それは言わなくともいい」
いいの?
目を丸くしているであろうわたしに、ユリエルは微笑みかけた。安心させるためにか、細い手が肩に掛かる。さっきのわたしと同じだ。
「私が知りたいのは、私の生徒を危険な目に合わせた本当の犯人だ。それがきみの求める者と同じだっただけの話。それに、マデレーン様に近いのだとしたら、私に詳しく話してしまうのは迂闊だね」
「……じゃあ、その犯人を探したいのですが、先生はどうするつもりですか?」
この様子では、大っぴらに動くことは難しいだろう。だが、わたしにとってはユリエルが敵ではなかったことだけで、十分だった。
初めから、彼はただひたすらに魔法に向かっているだけだ。
「私は私で、探ってみるよ。それに、生徒の質問にはなんだって答えるしね。私の知識の全てをもって」
微笑むユリエルは、つまり、動けなくとも知識面で協力してくれるということだ。彼の知識は大いに頼りになる、今までだってそうだったのだから。
わたし的ナンバーワン参謀である。嘘は下手なので、駆け引きはできないが。
「ありがとうございます……!」
「いいよいいよ。私は乙女の味方だからね」
肩に掛かっていた手を取って、しっかりと握手をする。
裏切られるとは微塵も思わなかった。こんなに人を簡単に信じていいのかという、疑念すらなかった。
それはきっと、ユリエルの人柄もあるが、わたし自身がそう思いたかったからだろう。それはきっと、絶対に間違ってはいない。
ユリエルと別れ、部屋に戻ってから次の日。筋肉痛と細かな傷に苛まれてはいるが、体は概ね好調だった。
少なくとも、あれだけの魔物を相手にしてこれだけで済んだのは幸いだった。ニールのお陰だ。
「……でた、またニール」
ぶんぶんと頭を振ってみて、ため息をつく。
なんやかんやで気づいてしまったが、わたし、よくニールを思い返している気がする。最近特に。
ニールが犯人を隠すようなことをしているから、どうしようもなく気になるのだとも思っていたが……よくよく考えると、それに気づく前からときどきニールのことを考えていた。
となると、ある種の依存。これに尽きる。
あの王都での生活は、幼い頃から両親と離れて暮らしていたハリエットの、押し潰されたと思っていた童心を刺激したらしい。ニールはなんだかんだで面倒見が良かったところもなくはないし、兄やら父やらに抱くような依存心を、彼に抱いてしまっている。
「わたしにまだ子供心が残っていたとは……」
ベッドで転がりながら、ぽつりと呟いてみる。今日は昨日のことがあったから、休んでもいいとユリエルに言われている。勿論、ごろごろするつもりである。
しかし、あらためて聞いてもおかしな話だ。
何十年かの生きた記憶を持つわたしに、ハリエットとしての幼少はなかった。思い出した日に全て壊れた。
多少、言葉や行動が直情的で幼かったような気はするものの、考え方はそのままわたしだ。
なのに、ニールに依存。今のわたしは、母親に手を離された子供みたいだ。馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
「くっそ、ああ、イライラするなぁ……! 結局、実習で気分転換もできなかったし!」
「――――ハティちゃん?」
「うおぅ!?」
叫んだ瞬間に、扉から声が聞こえてきた。慌ててベッドから上体を起こす。
さっきの声は、カレンちゃんだ。そういえば昨日、あれだけ心配してくれていたのだから、今日来ることも不思議ではない。
急いで服と髪をなんとか整えて、扉に駆け寄る。
「お、おはよう、カレンちゃん」
「うん、おはよう。大丈夫? 何か、言ってたみたいだけど」
「あはは、だいじょぶだいじょぶ」
というかあれを聞かれていたら、逆に大丈夫じゃない。別に恥ずかしいことを言っていたわけじゃないが、独り言って聞かれたら何となく恥ずかしいよね。
カレンちゃんは特にそれ以上追及することもなく、ゆっくりとわたしの部屋の椅子に腰掛けた。彼女の部屋とは違って内装は充実していないので、わたしはベッドに座る。
「ハティちゃん、元気そうでよかった。昨日、大変だったね」
ベッドに座るわたしを見て、カレンちゃんがほんの少し笑った。彼女の微笑は貴重だ。
わたしも満面の笑みでそれに答える。カレンちゃんは昨日、あれだけわたしを心配してくれていた。友達に心配されるというのは、くすぐったいけど気分がいい。
「ありがとう。もしかして、カレンちゃんも探してくれてた?」
「うん、でも先生が危ないからって。アルフも、心配してたから、顔見せてあげて」
きっと、アルフだけじゃないだろう。生真面目なサディアスは勿論、ヴィクターも心配してくれたはず。本当に危険だったことも含めて、三人には元気な姿を見せないと。
ひとりでに頷くわたしに、カレンちゃんは首を傾けて唇に指を当てた。
「でも、どうして魔物が、あんなに?」
「ああー……」
どうしようか渋ったが、結局カレンちゃんにも知っていてもらうべきだと口を開く。
わたしは彼女に乞われて、森であった出来事をすっかり話してしまっていた。さすがに、ここで言うのは憚られることや、ジンくんのことは言えなかったが。
簡単に言うと、何者かが仕組んだ石によって魔物に追い詰められ、そこをニールに助けてもらって、学園まで走ったと。
聞き終えたカレンちゃんは、編み込んだところから垂れている髪を触って、なにやら難しい顔をする。わたしも同じようにして、昨日のことを思い返してみた。
茶髪をなびかせて現れるニール。
「……」
だから違うって。
心を落ち着けるために、べしべしと頬を叩いた。カレンちゃんが唖然とした目をこちらへ向けてきたが、わたしに誤魔化す余裕はない。
「ハティちゃん? 大丈夫?」
「おう、全然平気だから。ちょっと昨日のことを思い出してて」
確かに昨日は、久しく会わなかったニールが来てびっくりしたが、よく考えればそれより突然現れたジンくんの方がびっくりだし、なにより魔物が大量に追いかけてきたあれが一番のはずだ。
そのあとのユリエルの話も印象的だった。だのになぜかニールが出てくる。
わたしは馬鹿になってしまったのか?
「好きなんだね」
いきなりどうした。
カレンちゃんの黄色い瞳が、わたしを見つめている。とすれば、さっきの発言はわたしに対して投げ掛けられているらしい。
脈絡のない問いかけに、わたしは大いに混乱した。カレンちゃんは昔から少し不思議な感じの子だったが、表情が読めないと言うのはこういうときにつらい。何を考えているのかさっぱり分からないのだ。
とりあえず、わたしが好きなのは本と友達くらいである。崇拝しているのはもふもふとした獣です。色だと寒色系が好みかな。
「そういえば、ハティちゃん。あれは、読み終わった?」
「え? あ、うん。大体はね」
またしても急な話題転換に戸惑うが、とりあえず頷く。カレンちゃんの言うあれというのは、ジュリアに借りた本の山のことだろう。
机に置いてあるそれを指差せば、カレンちゃんはその山に近づいて一番上のものを手に取った。確かあれはー、王子様とお転婆娘のラブコメだったか。
カレンちゃんは本をぺらぺらと捲ると、それに目を落としたまま口を開く。
「こういうの、面白かった?」
「うん、自分ではなかなか読まないから。ちょっと恥ずかしかったけど」
「ふーん……『あなたのことを考えるとボーッとして、何も手につかない』」
それは、娘の告白の台詞だったか。こういうものは雰囲気作りがとても上手くて、「好きだ」とか「愛してる」とか、直接的な表現はあまり使わない。ものによっては、作中で詩を引用したりする。
好きなら好き、嫌いなら嫌いとはっきり言えばいいのに、と何度思ったことか。
「そういうこと、ハティちゃんはある?」
「え? いや……」
「私はね、あるよ」
「嘘!?」
思わず立ち上がってしまうほどに驚いた。
つまりそれは、あれだ、カレンちゃんにも好きな人がいるということだ。あの義兄アルフを黙らせられるのだろうかとか、一応いいとこの貴族の娘なのにだとか、色々と頭をよぎったが――――い、いったい誰だ。
ゲームとは違う。アルフでもサディアスでもヴィクターでもユリエルでもない可能性もある。
普通の友達なら、ここまで動揺はしなかったかもしれないが、やっぱりカレンちゃんはわたしにとって特別だった。ヒロインらしい彼女の恋愛事情は、どうあっても気になってしまう。
「だ、誰なの、その人。わたしの知ってる人?」
まさか、自分が恋バナに食いつく側になってしまうとは。お姉さんやサラさんたちに群がられたときは、絶対にしないと思っていたのに。
動揺するわたしが面白いのか、カレンちゃんは気分よく微笑みながら口を開いた。
「秘密」
そ、そりゃないよカレンちゃん。ここまで引いておいて秘密だなんて、間にことごとく挟まれるCMよりたちが悪い。
なんとも言えない気分でそわそわしていると、カレンちゃんは勿体ぶるようにその大きな瞳を細めて、精一杯の流し目をして見せた。
「ハティちゃんも、教えてくれるなら……」
「え、いないし」
反射的に答えるや否や、カレンちゃんはその瞳をさらに細めてこちらを見つめて……いや、睨んできた。その目は冷たく、まるで空気の読めない犬でも相手にしているような感じだ。
なぜわたしがそんな目で見られなければならないのか。いや、分かりますとも。
「……いるでしょ」
そうなるよね! 知ってた!
わたしは迫り来るカレンちゃんからのプレッシャーに耐えかね、ついに目を逸らした。
この責めるような視線に対して反応してしまった時点で、カレンちゃんの問いに頷いたも同然だ。
だがしかし、わたしにそういう意味で好きな人なんて、本当にいない。いないはずだ。
ではなんで目を逸らしてしまったのかそれはえーと……。
ふと思い出したのは、ジンくんの声だった。
ユリエルは「一番可愛い子」が好きで、ヴィクターは「側にいたい人」が好ましいと語る。わたしはそれがよく分からなかったが、ジンくんはきちんと理解していた。
「一番かわいい……だっけ? じゃあ、一番カッコいいときみが思う人とか、側にいてほしい人……会いたい人だとか。きみはもうそれを理解できる人間であるはずだよ」
かっこいい人ならほかにもいるだろうが、他でもないわたしがかっこいいと「思える」人、そして、側にいてほしいと、離れがたいと思う人。
ほかの誰とも違う、自分だけが救いたいと思える人。
そんなのは、一人しか浮かばない。もうずっと前から、わたしの頭の中はその人でいっぱいいっぱいだ。