66 魔物に囲まれて
前回までのハイライト。
目の前に迫る魔物の大群!
為す術もないわたしと少年(青年)!
どこから出しているのかも分からない! 魔物の変な鳴き声が響き渡る!
なんて心の中でがさがさ盛り上げてみたりしたが、迫り来る現実は変わらない。
隣のジンくんは言った通り戦闘では役に立たないようだし、わたしもいきなり力に目覚めたりはしなかった。情けないが、短剣を握りしめた手が震えるばかりである。
「先立つ不孝をお許し以下略……」
なんて言ってるうちに、おまけとして、震える手からぽとりと短剣が落ちてしまった。アル中患者のごとき有り様。
拾い上げようとするものの、今度はしっかり立てなくなる。これはさっき走りすぎたせいだ。疲労はわたしの体を濃く蝕んでいる。
わたしにも人並みに恐怖心はあるのだ。それをこうやって、ぐるぐる脳髄で考えて誤魔化しているだけで。
わたしの脳内では、ドット絵の王様が勇者の死を嘆いている。
おお、邪神よ。わたしは詰んだ。
「しっかりしてハリエット、うわ目が死んでる。諦めないでー! 踏ん張ってー!」
「イヤイヤイヤこれはもう無理すわ」
数の暴力には屈するほかないよ。だって所詮は在り方が咬ませのモブだもん。設定したジンくんが一番わかってるはずだ。
死んだ目でこの世の不幸を嘆くわたしが、ジンくんに肩を掴まれ揺すられていた、その時。
わたしの背後から突如吹いた暴風が、突き抜けた。
「わあっ!?」
びゅうびゅうと耳元を突き抜けた風は、わたしの目の前に迫った魔物たちに直撃する。奇妙な音を出しながら、弾き飛ばされた数体が木の幹に張り付けになった。
次いで、鋭い刃物がその体に突き刺さる。
わたしはさっきまでの考えも逃避もすっかり吹っ飛んで、無様に尻餅をつきそうになった。ジンくんが支えてくれる。
「おい、平気か」
「え……」
呆然としていたわたしに向かって、今度は声が投げ掛けられる。ぶっきらぼうな、けれどどうしてか安心するような声。
草を揺らして近づいてくる気配に、わたしはゆっくりとその場で振り返った。
「あ……」
「無事だな」
ニール。
その紫の目はわたしを見下ろすと、偉そうにふんと息を吐いた。いつもと変わらない。
何でここに? てか、さっきの何。どうして最近来なかったの。
ひどく久しぶりで、口を開いても言葉が出なかった。混乱した意識だけがニールに向かっている。
ニールは周りをきょろきょろと見回すと、さも今気づいたかのようにジンくんに目をやって、顔を歪ませた。その動作にはっとして、わたしもようやく色々な自由が戻ってくる。
「ニール! あの、なんでここに」
「待ってハリエット。その前にまだ危ないよ」
ニールに迫ろうとした瞬間に、ジンくんの手がわたしの手首を掴んだ。
暖かい手にはっとして、後ろを伺う。ニールが仕留めた数体は痙攣を繰り返していたが、後方からはまだ魔物の気配がする。
しまった、安心してる場合じゃねえ。
「ジンくん、とりあえず下がってて」
わたしの手首を掴むジンくんを背に寄せて、わたしは短剣を構え直す。一人では全く敵う気がしなかったが、ニールが隣にいるとできるような気がしてくるから不思議だ。
震えもしっかり止まっていた。
ジンくんに掴まれた腕を外してニールを見ると、彼はわたしに拳を突き出してきた。その顔は真剣だったが、ちょっとわたしの背後のジンくんに気をとられているようにも思う。
「やる。短剣一本よかァマシだろ。あと四、五回は使えるはずだぜ」
「……? 魔術具?」
「ああ。あいにくまだ開発途中の消耗品だがなァ」
ニールの手から落とされたのは、大きな石の嵌め込まれた腕輪だった。指輪やペンダントと比べると多少デザインに問題があるそれは、なるほど開発途中らしい。
腕に嵌めると同時に、魔物が唸り声を上げてこちらに向かってくる。ちらっと背後を伺えば、ジンくんは呑気に笑顔で手を叩いていた。
……久々にこいつに殺意が沸いた。
「ほらッ、お出ましだぜェ! しっかりしろよ! 威力はお墨付きだからしっかり狙いなァ!」
近づいてきた魔物の目玉をぶっ刺しながら、ニールが楽しそうに言った。嬉々としながら凶器を振り回す様は、ものすごく悪役じみている。顔の作りは決して悪くない程度に優しいのに、どうしてこうニタァっと笑ってしまうんだろうか。
ニールの笑みにそんなことを考えつつ、腕輪をつけた左手を魔物に翳す。変なところに目玉がついているそれは、わたしの行動に答えるように突進し出した。
それによく狙いを定めて、腕輪に魔力を流し込む。
それと同時に勢いよく巻き起こる暴風……というよりもはや鎌鼬に近い。
「うえっちょ――――うわ!?」
わたしに風魔法の適性はない。故にその属性の魔術具も使えないはずなのだが――――そういえば、さっきニールも使ってたな。すっかり気にならなかった。
わたしの放った風に切り刻まれていく魔物は、不気味な断末魔を上げながら変な色の液体を撒き散らす。しばらくすると風は消え、ぴくぴくと痙攣する魔物だけが残った。
呆然としながらニールに向き直る。
「な、何これニール!?」
「手ェ動かしながら喋れ! だから言ったろーが、開発途中の魔術具だってよォ」
魔物を切り刻みながら、ニールは不機嫌そうに言った。つまるところ、使用者の属性を考慮しないでもいい魔術具を、彼は作り上げたということか?
言われた通りに短剣で急所を狙いながら、複数の魔物には腕輪を使っていく。魔力を流してみて分かったが、回数制限があったように、どうも魔力をただ魔法に変換しているわけではないらしい。
「あの女は関わってねェが、クッソキメェ男の魔法が入ってる。簡単に言えってんなら魔法の保存だな」
「へ、へえー……」
……まさかとは思ったが、クッソキメェ男っていうのはユリエルのことじゃあるまいな。
前に、魔術具開発をしているというのは聞いていたし、さっきの魔法、ちょっと見覚えがあるような気がする。具体的にいうと頬を切られるくらい至近距離で見た感じの。
となると、やっぱりユリエルとニールって仲がよくない。
ニールは液体を撒き散らす魔物に刃を突き立てると、周りを見回した。グロ注意の死体ばかりである。
「……とりあえず、こいつで最後だ。はえーとこ逃げんぞ」
「おーけー。ジンくん、いける?」
まあ何にもしてないから、間違いなくいけるだろうが。そう思いながら振り向くと、ジンくんは屈伸のあとで笑顔でサムズアップ。
「任せろ」
そしてわたしの手を取った。正直さっきの戦闘で疲れてもいるし、引きずられてもいいから走るのを任せたい。神様的な力でどうにかならないのだろうか。
つーかね、もう疲れたの。わたし前世からのインドア。それなのにジンくん(青年)を背に魔物に立ち向かうとか、わりと頑張った方じゃね?
普通逆なんじゃね? という思いは、せめてもの矜持として心の奥底に仕舞っておく。今はそう、だるい。
だるだるしながらジンくんに引っ張られようとしていると、ビシッとチョップが落ちてきた。わたしの手とジンくんの手がぶちりとほどける。
「お?」
びっくりして横を見れば、完全な手刀打ち体勢のニール。その顔はいつもの猫被りでなく、あからさまな不機嫌顔だった。
そういえばこれまた気づかなかったが、ジンくんがいるのにニールは素のままだ。スマイルは見る影もない。
手をぶちられたジンくんの方が、にやにやとした笑顔を浮かべている。
「あれ? どうしてこんなことを?」
「テメーこそ何者だ。学園の生徒じゃねェだろ」
その発言に強張ったのは、不覚にもわたしだけだった。ジンくんはニールの言葉にも動じることなく、それどころか一層嬉しそうに見えてくる。
こういうときのジンくんは下手に突っつかない方がいいのだが、ニールもニールで何か怒ってるみたいだし。
状況すら分からないので、わたしは少し様子を見ることにした。
「申し遅れました、ジーン・フィッシュです。先ほどは助けていただいて、どうもありがとうございました」
「……学園の名簿にテメーの名は載ってねーんだよ。どういう理由でここにいる?」
ニールは武器に手をかけてしまいそうなほどの雰囲気を纏い、ジンくんに詰め寄った。
だというのにジンくんは、それはそれは楽しそうに輝く瞳を見開いた。今は何の変哲もない茶色の瞳のはずだが、わたしには一瞬それが赤く渦巻くように見えてしまった。
「あれえ? ニールさん、どうして僕の名前が名簿にないと断言なさるので? まさか、暗記しているわけではないですよね」
「……ッ」
「それに僕が名乗ったのはついさっき……ああ、そういえば数日前に彼女の部屋で名乗ったかなぁ……」
ん? 今、わたしの話題を出したか?
「もしかしてあれ、聞いていました? それで、気になってわざわざ調べちゃったって? 夜の彼女の部屋に、気軽に入れる人間……なんて、許せなかった?」
「……見慣れない生徒がいたから、調べただけです。僕はこれでも教師なので」
ニールがにっこりと笑い返す。
いまさら猫を被っているニールに思うところもあるが、それより何か重要な言葉が聞こえた気がする。
さっきからめちゃくちゃ煽っているジンくんの発言をまとめると、つまり「数日前にニールきたやろ? そんときハリエット(わたし)の部屋で名乗ってたやろ? それ聞いてたんやろ?」って言ってるような感じだ。
……覚えはある。
ちょっと前、ジンくんがいきなり青年体になって意味不明な自己紹介をしてきたときだ。
あのとき、ニールが来てた?
「で、ジンくんは気づいてたのかよお!?」
「うん。僕そういうの鋭いと思うよ」
「言えよお!?」
数日前ってことは、あれだ。わたしがまさにニールが来ないことにちょっとしたショックを受けていたあのときだ。
ジンくんが空気を読んで姿を消してくれていれば、ニールはいつもの通りに窓からあの不敵な笑顔を覗かせたにちがいないのだ。それが反対に、ジンくんというなんとも名状しがたきモノとの対話を見せることになってしまっていたとは……。
それで? ニールはジンくんが怪しすぎて調べたと? その結果学園の生徒じゃないってバレたって?
ジンくん迂闊すぎでしょ――――!!!!
「えーとニール、来てくれてたんだね」
「……つーか、こいつ誰」
誤魔化されなかったか。
わたしは頭を抱えそうになった。だってジンくんだ。こいつこう見えて神様っぽい何かで、ついでにわたしは異世界からやって来た前世があるんだよーってアホかよ。
そんなこと言えるわけがない。信じてもらえるもらえない以前に、百パーセント証明できない、普通なら有り得ないことを喋るつもりがない。
なのにジンくんはわざわざ身バレするようなことをして、いったい何がしたかったんだ。苦し紛れにジンくんに目をやると、彼はさっとわたしの前に手を広げた。
「まあそうハリエットを苛めないでよ。僕は彼女の情報屋。学園のことを調べるなら、こういう知り合いがいてもおかしくないよね?」
すっかりいつもの喋り方に戻ったジンくんが、そんな意味のわからないロールプレイをし出した。
何だよ情報屋って。全然教えてくれてないじゃん。
とは言えず、わたしは誤魔化すために必死に頷いていた。神様的なやつというよりかはよっぽど信憑性があるだろう。
「そ、そう言うことだから、さ。とりあえず先に逃げようよ?」
そしてあわよくばジンくんのことは忘れてほしい。あと疲れたから引っ張ってほしい。
ニールに近づいて背を押そうとすれば、難しい顔とかち合った。不機嫌そうというよりは、何かを考えているようだ。
「……お前、学園のことを調べてんのか」
「うん? まあ、そうだね」
「もう止めとけ。あんま馬鹿なことはすんな。……今回のも言わばアイツの仕業だろーしよォ……」
ニールはわたしの頭を押さえると、ぶつぶつと呟きだした。よく聞こえないが、目線は森の方へ向かっている。わたしのことなんて気にも留めてない。
それから、ニールの口からは「アイツ」という言葉が聞こえてきた。
もしかして、ニールは犯人を知っているのか?
ジンくんを見れば、彼は少しだけ不服そうな顔をしていた。なんでだ。