64 余計なお世話
そういえば。ヴィクターの発言から久々にゲームのことを思い出したが、それについて気になることがあった。
ジンくんはゲームの中身を世界に移したとかなんとか……まあその辺はよく分からないだろうし、わたしの管轄じゃない。とにかく、その形状を模したのであって、カレンちゃんやアルフはこの世界で生きる魂が入っている。作られたわけではない。
でも、設定よろしくアカデミーと人物が揃っている以上、ゲームと「似たようなこと」が起こる可能性はあるわけだ。
わたしが色々したせいか、身近ではゲームと同じところは全然見られないけど。
地下室に何かがあったりしているのは、ゲームと同じだ。勿論、ニールを疑ってるわけじゃないが。
「でさあ、ジンくん。今度野外での授業があるって言ったじゃない」
部屋に戻ってから、姿を見せたジンくんに早速口を開いた。廊下を歩きながら、ずっと考えていたことだ。
「うん……聞いた聞いた」
「ちゃんと聞いてよ。確か、ゲームだとニールが仕掛けてきたイベントなんだよね」
気のない返事を返すジンくんを睨み付けながら、わたしはこめかみに手を当てた。
ゲームの記憶は相変わらず、わたしの脳裏にこびりついている。他のゲームではなく、この世界の基盤になったものだけ。多分、ジンくんか誰かが何かしたんだろう。
「うんうん……じゃあきみはあの男を疑ってるの?」
「そんなわけないでしょうが! ……こほん、それはないけど」
思わず否定が大きく口から出た。
ジンくんはそんなわたしにも無関心で、何やらベッドでもぞもぞしている。また二本足で立ち上がっているが、それはそろそろやめようよ。
「ちょっと思い出しただけだよ。地下室のこともあるから、もしかしたら何か関係あるかなーって」
「ふうん……」
破棄のない返事をしながら、ジンくんは目を瞑って何やら考え出していた。もしかして、神様的な彼にはすべきこともあるのだろうか。
たまに消えてるし、いつもだらけてばかりじゃなかったりして?
そう思うと邪魔をするのも悪い気がして、わたしは黙って机に向かった。本を読むのだ。
どこまで読んだかな、とページを捲れば、大悪党と恋に落ちる話。眼帯をつけた大悪党は、清いヒロインを腕に抱いて、不敵に笑った。
「ところで、ハリエット」
本の内容を想像していたところで、急に背後からかけられた声に肩をすくませた。いつもの面白がる声ではなく、凪いだ声色を出されたものだから、なぜだか少し焦ってしまった。
ページに目を落としたまま、ジンくんの言葉に返事をする。
「なに?」
「あの男は最近来ないね。中等部の間は、来てたんでしょ?」
「……なに、突然」
わたしの声は、誰が聞いてもわかるくらいに気落ちしていた。自分のことながら、そんなにニールに依存していたのかと笑える。
ジンくんの言う通り、ここ最近、ニールはこの部屋に来なくなった。ここ最近というか、高等部になってから。
さらに言うなら、わたしの家に来てからだ。
あの時、ニールは何か苦悩していた気がする。それを追求しなかったことは、間違っていただろうか。
「それで、会いたい?」
その言葉に、振り向いてみる。ジンくんはにやにやと笑いながら、ベッドに仁王立ちでふんぞり返っていた。
この笑い方は、何か良からぬことを考えているときにの笑い方だ。そうでなければ、もう少し子供っぽい笑みになるはず。
「……そりゃあ、会いたいけど。なんだよ」
「きみはなんというか……鈍感? 禁欲主義かなにか?」
「はあ?」
一転して哀れみの表情を向けるジンくんに、わたしは唖然とした。いきなり何を、意味のわからんことを言い出すのだ。
わたしは読みかけだった本に栞を挟んで、体ごとジンくんの方を向いた。彼はようやくベッドのうえに立つのを諦めたらしく、わたしの前にまで降りてくる。
「今日、金髪頭と教師に聞いたことがあるでしょ。いい機会だし、そろそろ考えてみてよ」
それは、あれか。わたしが恥を忍んで聞き出した青春真っ盛りの質問のことか。
額にじわりと汗が滲んだ。
「み……見てたの、聞いてたの」
「ぶっちゃけ、きみのプライバシーとかないから」
「このやろおおおおおお」
わたしは泣いた。心の中で号泣した。
わたしもぶっちゃけそんな気がしていたが、改めて言われるときつい。
ジンくんが既に人間の範疇では収まりきらないことは分かっているし、少年っぽいこともあって嫌悪感はない。でもやっぱり羞恥の感情はわたしにもあるわけで。
顔を覆って叫ぶわたしに、ジンくんのため息と冷静な声が響く。
「そうやって誤魔化してないて、ちゃんと考えて。もう答えはわかってるんでしょ」
その言葉に、顔を覆っていた手を退ける。
ジンくんは冷静な声とは裏腹に、ひどく楽しそうな笑みでわたしを見つめていた。まさに捕食者、悪魔の微笑みだ。
ああ、考えたくない。そんな顔をされるとますます考えたくなくなる。
わたしの中の名状しがたい感情を、この頭で理解しなければならないなんて。「わたし」がまるでしてこなかったことを、ハリエットにしろと言いたいのだ、ジンくんは。
横暴だ。我が儘だ。迷惑だ。
「一番かわいい……だっけ? じゃあ、一番カッコいいときみが思う人とか、側にいてほしい人……会いたい人だとか。きみはもうそれを理解できる人間であるはずだよ」
本当に、お節介だ。
わたしが「誰か」に感じるこの気持ちが、恋や愛だと言うのなら、ジンくんはそれを自覚させようとしている。本で読めなんて生温いことじゃすまない。
わたしが自分の口でそれを言うまで、ジンくんはわたしを悟し続けるだろう。
……マジで、わたしにプライバシーはないのか。
ていうか、ジンくんはなぜそこまでわたしのことに首を突っ込むのか。
「ジンくん」
「なに――――あイタぁッ!?」
ジンくんの旋毛におもいっきり本を降り下ろす。勿論、角だ。
そこまでの厚みはなかったが、曲がりなりにも本である以上、本の角は凶器である。よい子は人に向かってやってはいけません。
案の定ジンくんは頭を押さえて踞ると、潤んだ瞳でわたしを見上げてきた。睨み付けてはくるものの、さすがの容姿だけあって、怖いというよりは可愛さの方が勝っている。
「いったー!? なんなのきみ!?」
「そっちこそなんなのさ。なんでそんなに、わたしのことに口を挟んでくるわけ? そこまで世話焼かれる意味がわからないよ」
ジンくんは、どうやったかは知らないけど、わたしをこの世界に導いた。理由は「幸せのため」? とかいう、よくわからん宗教みたいなことをいっていたっけ。
そして、今わたしについてきている理由も不明だ。サポートなんかまるでしてくれないし、あ、いやちょっとはしてくれてるけどさ。
それに加えて、わたしの人格的な問題にまで介入してくる。これだけのことが気まぐれで済むとは、思えなかった。
ジンくんを見つめ返すわたしに、彼はふぅ、と可愛らしく息を吐き出した。
「理由があったらいいの?」
「そりゃまあ。納得できたらね」
「じゃ、きみのこと愛してるからだよ」
バチーン、と美少年のウインクが飛んでくる。
確かにジンくんは、この世のものではないくらい美しい……かっこいい? が、わたしの思うカッコいいとは違う気がした。
ちなみに、わたしのカッコいいと思う男性像は、素敵なおじさまだ。おじさん、なのは前世の趣味の地続きだろうが、わたしも年上が好きなのは変わりない。
「嘘言うな」
「バレた?」
息を吐くようにふざけるジンくんに、わたしは脱力して椅子にもたれ掛かった。
もう一度くらい、本の角を食らわせてやろうか。手に持ったままの本を見れば、ジンくんがじりっと後ずさった。
「いや、でもね。僕、きみのこと気に入ってる。これは本当」
「ありがとう。で、ほんとの理由は?」
「んー……」
ジンくんはわたしの顔を見つめながら唸っていたが、やがて首を振って力のない笑顔を浮かべた。
そういう表情をされるのは珍しくて、つい目を見開く。
「内緒。いつか教えてあげる。絶対。だからさ、ちょっとは先に進んでよ」
ジンくんはそれだけ言うと、さっさとベッドに戻っていってしまった。
先に進んでって、どういうことだろう。わたしが思考を止めたことに対して言っているとするのなら、ジンくんは未来になにかを見ているのかもしれない。
ほら、何せ神様みたいなものだし。
「……はあ。謎が増えた……」
ともあれ、ジンくんの意味深な発言や、ニールがこないこと。地下室の件も含めると、謎はまだまだ沢山だ。
わたしは掴んでいた本を机に置いて、食事にすることにした。お腹が減ってるとやっぱり、いい考えは浮かんでこないのだ。
「あ、ねえハリエット」
「……なに」
そそくさと部屋をあとにしようとしたところで、ジンくんからの呼び掛けがまたくる。わたしはさっきのこともあって、顔をしかめてそっちを向いた。
ジンくんはベッドでいつものように横になっている。白の祭服はしわくちゃだった。
「その、野外での授業があるって。行くつもりなの?」
「ここでその話か。まあ、行くよ。多分、カレンちゃんもいるだろうし……」
言外に、ゲームのイベントについての懸念を含ませる。
ニールが魔物を使役し、カレンちゃんに襲わせるというシナリオだった。本来なら、ニールがそんなことするはずないので、そこまで心配はしない。
ただ、ニールがしていないのにも関わらず、地下室には何かが施されている。であればニールとは違う黒幕が、ゲームの黒幕の跡を辿ってしまうかもしれない。
カレンちゃんの危険を未然に防げるなら、少しくらいの労働もやむなしだ。
「それに、なんか頭でごちゃごちゃ考えすぎてて、ダメなんだよ。こういうときはストレス発散しないと!」
最近は本しか読んでないし。ストレス発散の方法が、ヒトカラではなく魔物退治というところが何ともいえないけど。
最近特に頭がスイーツ()なんだから、脳みそをどんどん筋肉質にしていかねばなるまいし。
息巻くわたしに、ジンくんは少しだけ眉を寄せていた。
「うん……そう言われると、そうした方がいい気もするね。そっか」
「ん? なに?」
何やら意味深な呟きを残したジンくんに聞き返すも、彼は曖昧に笑うだけだった。
しつこく問い詰めてやろうかとも思ったが、ジンくんは瞬きの間に消えていた。よれたシーツだけになったベッドの上で、眉をひそめるジンくんの顔が浮かぶ。
「なんだあいつ」
今日のジンくんはちょっと、変だったなあ。まあ、いつも変人だけど。
わたしは今度こそ、部屋から足を踏み出した。
「ちょっと待て、なんだそれ、何事!?」
その夜、ジンくんがいきなり美少年から美青年にジョブチェンジするという大事件があったが、詳しいことはわたしの精神衛生上よくないので割愛する。
ジンくんの背丈はわたしを優に越え、服は祭服から黒いシャツ、顔はいつか会った恐怖の邪神に似てきていた。
「こんばんは。あなたのジーン・フィッシュでーす」
「はあ?! 馬鹿、なにそれ……」
「いつものようにジンくんって呼びなよ。親しげに、ほら」
「はあ……?」
意味がわからないながらに、わたしは眠い中、ジンくんのお喋りに付き合わされることになった。それはほんの十分くらいだったらしいが、わたしの中では一時間に等しい拷問だった。
姿を変えられることについての驚きは少なかったが、未だになぜあの時、突然青年になってしまったのか、それは未だに分からない。
首を傾げても、ジンくんはいつもの顔でにやにやと笑うだけだった。