05 獣
あ、ちなみにわたしの秘密というのは闇属性持ちのことである。
まずもって、なんとアカデミーの授業レベルはクソだった。わたしが一番始めに手に取った本、『はじめてのまほう』が読むに値しない知識しか書かれていなかったのだが、そのレベルだ。
まほうとは、まりょくをつかってだせるじゅつ。
まりょくとは、まほうをつかうためのちから。
これならファンタジー小説を読んだ方が、楽しくてよっぽど勉強になると思う。授業中には図書館から借りてきた本を読んでいるが、魔法の授業は一ヶ月間でやっと属性の概念が出てきたところである。多分この一年は基礎で終わる。まったくつまらない限りだけど、案外自由でいいかもしれない。
それから色々な本を読んで分かったのだが、一般的に闇属性はあんまり好ましい力ではないらしい。
よくある神話的なものには、「光の力を宿した者の闇を一身に受けた者」だとか「全ての力の残りカス」だとか散々な言われようである。
家にある本にそんなことが一言も書かれていなかったのは、わざわざお父さんが選んで買ってきてくれたんだろう。
どうやら闇属性というのは隠しておくべきものらしく、アカデミー入学時に希代の魔術師と名高い(らしい)お姉さんにわざわざお呼ばれしてしまった。
お姉さんいわく「闇持ちは、アカデミーでも例外なく教えるわ。安心してね。でも、いまだに迫害の恐れがあるから、クラスでは秘密にした方がいいわ。……ああ、迫害――え? ああ、そうよ。賢いのね」らしい。
どうも神話やら宗教方面で色々めんどくさそうなのだ。
アカデミーも、実習や各属性ごとの専門になったら差別防止のために、わざわざ属性別に教室を割り当てるようだった。
ゲームの中ではまっっったく反映されてないが、意外と大変な設定である。
わたしの青い服や部屋も、もしかしたら家族ぐるみでの涙ぐましい隠蔽工作なのかもしれなかった。ハリエットの記憶では、おじさんはわたしがちっちゃい時に「エッタの瞳の色だよ」とか言って丸め込んでるし。
なのでわたしがアルフにすることといえば、大袈裟に闇魔法を使って「家族以外にはあなたしか知らないわヨヨヨ」と言えばいいだけ。
簡単に聞こえると思う。
でもこれは、一歩間違うと完全に死亡フラグだ。
隠しルートで何者かに闇魔法が一回でも使われて、打ち明けたにも関わらずその間までにわたしがアルフに信用されていなかったら。
闇属性だから主人公の敵! で瞬殺されそうな気がする。
そして重要なことだが、戦闘ではアルフには絶対に勝てない。絶対に。不意打ちでも罠でも奇策でも、勝てない。
魔法書を死ぬ気で読みふけったが、これはアルフ以外のキャラ対策だ。何度も言うように、アルフに敵認定される=死。こいつが一番死亡フラグビンビンなのだ。
わたしがチートでもないかぎりアルフは絶対的に倒せない。しかし、残念ながらわたしはチートではなく噛ませである。
「『秘密』……?」
アルフがぴくりと肩を震わせた。
やはり、攻略対象を更生することは可能なはずだ。キャラクターに関係するキーワードに、現にアルフは反応した。
変えられないことはないはずだ。ここでアルフを変えるしかない。さもなくば死!
「そう。……とはいえ、別にアルフくんの秘密を聞こうとは思ってないよ」
信じられないものを見るような目で、アルフがわたしを見上げる。大人びているとはいえ、やはり子供だ。
不安を押さえつけるように震える拳が、動揺の大きさを語っている。バレているのか、バレていないのか。赤い瞳が揺れている。
――打っても響かないような反応なら、わたしの秘密を打ち明けるのはやめようと思っていた。
自分の属性という単純な秘密が、攻略対象においてのみこの秘密の危険度は跳ね上がる。
平然としらを切るようなら、この作戦は無理だ。
それでもアルフの反応は、わたしの行動に怯える子供そのものだった。
――魔法を使う。
万が一にもミスのないように、しっかりイメージを浮かべながら。
アルフはわたしの突然の行動に椅子から立ち上がって距離を取った。その顔は焦りに満ちているが、わたしはアルフに危害を加えるつもりはない。その証拠にわたしは一歩下がった。出口に近づくように。
「……どう? 気持ち悪くない?」
上向けた手のひらから躍り出る黒い霧を、アルフに突きつける。わたしはもう寒気も感じないが、アルフにとって闇魔法は初めてのはずだ。
だが、靄が近づく前に顔が青ざめるのがわかる。
……さては教会でさんざん悪いこと吹き込まれたんじゃないだろうか。アルフが教会育ちだったことも計算に入れておけばよかったと、わたしは内心舌打ちをした。
そんなわたしの焦りは気にせず、手のひらに集まった霧はゆらゆらと絡み合うようにうねって、うねって――
――微妙に友好のハートマークを形作った。
ぶるぶると震える触手のような靄は頑張った。頑張ってなんとか綺麗な形に落ち着こうともがき、やがて力尽きたように潰れて溶けた。
よく頑張った、闇魔法。
一連の流れで、ハートマークは完全におぞましく見るも無残に割れていたが。
アルフはしばらくわたしの手のひらを見つめていた。
彼もかつて秘密を打ち明けたことがある。
それはわたしではない主人公。
打ち明けたあと、どう思ったんだろう。嫌われるかもしれないと、相手の反応がどうしようもなく怖かったりしたんだろうか。
その気持ちも、今ならちょっと分かる。心臓がどくどくとうるさいのに、汗が引いている。
わたしは今確かに、アルフに拒否されることを恐れている――
だって死んじゃうからね!!
「き、気持ち悪……」
しかし無情にもアルフはそう言って、吐き気をこらえるように口元を押さえた。
「そ、そっか」
わりと本気で傷ついた声が出てしまった。慌てて笑顔を浮かべる。言い訳がましいが、誰だって面と向かってキモイといわれたら傷つくよね?
その声にアルフは慌てて距離を詰めたが、その顔色の悪さが全てを物語っていた。しかもしっかり口を押さえつけている。
「できれば黙ってて欲しいんだけど……嫌なら言ってもいいから。アルフくんの秘密は言わない」
アルフを方を向かずにそれだけを言う。汗が一筋垂れた。
むしろ今の段階で暴露された方が、結末的にましだろう。いじめられるとしても、わたしが大々的に闇属性だと知られるわけだ。そんな中使い手が不明な闇魔法が蔓延しても、逆に知られすぎてわたしだとは思われないんじゃないだろうか。……ひとまずこれは奥の手に取っておこう。
しょんぼりとしっかり肩を落としながら、ゆっくり部屋を出ようとした。後ろでアルフが戸惑っているのが分かる。
今のわたしにはひどく華奢に思えたドアノブに、手をかけ――
「待て」
制止の声を聞こえないふりをして、さらにドアノブを回そうとする、が、近づいてきたアルフがわたしの手首を掴んだ。
わたしの手は震えていた。
「…………」
「アルフくん?」
アルフは黙ったまま、ただ痛いくらいにわたしの手首を握る。
どれほど経っただろうか。まだ三十秒にも満たない短い時間なのか、それともゆうに三分は経ったのか。
アルフが、大きく息を吸って、吐いた。
「……『秘密』、言うよ」
今度はわたしが目を見開く番だった。
あの、あのアルフが、唯一主人公にしか語らなかった秘密。
――勿論わたしは知っている。
その秘密の内容を。
そしてそれと同じくらい、この秘密を話すアルフの重要さを。
心臓がうるさいくらいに跳ねる。落ち着かない。やっと、やっとこの時がきたのだ。
アルフはおもむろに後ろへ下がると、軽いステップで宙返りをした。
ふわりと浮かぶ体が赤い光で覆われる。
聞こえた、人としては異常に軽い着地音。
そしてそこに立っていたのは、人ではない。
白い獣だった。
――わたしは内心ガッツポーズをかましていた。
喜びで手が震えている。
どこの世界でも、やっぱり子供はちょろいのだ。
何度も繰り返し繰り返しアルフの危険さを説いてきたが、もうそんな言い訳じみたことはいい。
わたしがアルフにいの一番に話しかけた理由は、一番好みだったからだ!
そもそもわたしはこのゲームを好きだというのに、一番好きなキャラに一番に会わないわけがない!
ただ勘違いしてほしくないのは、アルフの性格が全てではないということだ。アルフは確かに王道をいくメインキャラだが、「とある人種にはたまらないキャラクター」であることをここに明記しておく。
アルフこと、アルフ・オルブライト。
偶然教会を覗いた貴族は(なぜ教会へ来たのかは知るよしもない)、まだウサギほどの大きさの、一人の少女とじゃれあう白い獣をみたのだ。
それはオルブライト家の血筋だけに与えられた絶対的な力。
かつて使用人に手を出した際に産まれた子だと悟る。
彼はその特殊な遺伝ゆえに、獣に変身可能なキャラクターだったのだ。
そう、いわゆるケモナーの乙女大歓喜だったのである。
このゲームに似かよった世界に来て、獣アルフを撫でない手はない! あのスチルで見た獣アルフの美しさ!
わたしが自らの秘密を暴露という暴挙をおかしてまで一刻も早くたどり着きたかった楽園は、今まさに目の前に広がっていた。
「あ、アルフ……」
ふらふらと引き寄せられるように近づいていく。「おまえ……」とかいう獣アルフの呟きも聞こえない。
白いすべらかな毛並みに、犬に似た胴体。基本的に四本足の獣の姿をしているが、耳だけは猫のようにピンと立っていた。狼のように見える。
スチルでは到底表現できない圧倒的な質感が、わたしの目を熱くさせる。
警戒しているような体勢の獣アルフをうっとり眺めながら、わたしは恐る恐る首元を撫でた。
その肌触りはもう筆舌に尽くしがたい。たまらん。可愛いよアルフ。
「お前…………怖くないの」
そっと頭を撫でてみる。
首元はふさふさのもふもふで、頭はさらさらである。このとんでもなく美しい獣アルフのどこが怖いというのか! わたしには理解できない。この白銀の毛並みも赤い瞳も、昔は崇められたものなのだ。いつから恐怖に変わったのか分からないが、世の中馬鹿ばかりだと思う。
設定だとは分かっているがどうしても疑問を抱いてしまうものだ。アルフはいっぺん鏡見てこいよ。
「全然怖くない。むしろ白くて綺麗だし……あ、お揃いだね」
目に入った自分の髪をつまみ上げてブイサインを送っておく。薄ら寒い台詞だが、まだ子供のアルフにはちゃんと伝わるだろう。これで少しでもアルフの苦悩が和らぐなら、わたしはうんと優しくしてやる。
アルフは赤い目をすこし見開いたあと――嬉しげに目を細めたのだった。
ちなみに、アルフがわたしの魔法をみて「気持ち悪い」といったのは当然だ。
わたしの手の上で暴れ狂っている霧を見せている間に、こっそりアルフの口に霧を流し込んでいた。あそこでアルフが「別に」なんて返事をしたら、それこそ秘密の出し損である。
闇魔法の精神攻撃というのは意外と有効だ。
こういうわけで、わたしの目標は一先ず第一段階を終えた。
愛した男を裏切るのって以外と簡単なのね……と悪女ごっこをしながら、もう一度アルフを撫でる。
死亡フラグ折った! ついでに獣アルフゲットだぜ!