63 側にいてほしい
次のユリエルとの授業で、わたしは彼から「野外実習」についての詳しい説明を聞いた。
どうにも歯切れの悪い言い方だったが、要するにまあ、魔法系の授業を個別選択している人のみの参加らしい。内容はといえば、学園近くの森で対象を捕獲、ないしは退治することであるために、貴族のお嬢様たちが参加することはない。
つまるところ、わたしは男臭い集団に混じって、そんな泥臭いことをしなくちゃいけないわけだ。
「ごめんねぇ。原則、みんな参加だからさあ」
と、ユリエルは眉を下げた。
仕方ない。断るにしても、わたしの身分では押し通すことも叶わない。そもそも、学園に行けていること事態、金銭面での援助があってのことなのだから、学園側の意向を拒否することなど、わたしにはできないのだ。
わたしはユリエルに首を振ると、前向きに考えていることを伝えた。
「そういうの」は、王都で慣れている。つまり無問題。ノープロブレムである。
日にちは後日とのことで、わたしは今日もせっせとジュリアに借りた本を読んでいる。
読んでも読んでも減らないので、時間潰しとしては最高だ。段々、このスイーツ()思考に毒されてきている気さえする。
とはいえまだいっこうに、恋愛面での機微は感じ取ることができないのだが。いっそ、誰ぞ見繕って、疑似恋愛でもしてみようか。
幸いにも、わたしの周りにはイケメンが多い。もっとも、それと同じくらい身分差があるので、実際それが実るようなことはないけど。
本の中では、身分差もただのスパイスでしかない。
「王族と平民って……あり得んのかな」
金髪碧眼の麗しい王子様と、下町の元気っ娘の話を読みながら、そんなことを口に出す。
わたしには皆目見当もつかない。そもそも王様や王子様自体、遠目で目にしたことがある程度。
そんなモノに焦がれるほど、恋とは飛躍するものなのだろうか。自分の中で、冷静に「無理だ」と囁きかける者はいないのだろうか。
そんな無理をはね除けるほど、愛とは向こう見ずなものなのか。
わたしには分からなかった。きっと、ヒューやお父さんのために尽力することはできるが、それは恋愛の類いじゃない。
「ふー……」
ぐるぐると思考が渦巻いていく。今、わたしは歌のためでもなく、勿論ジュリアのためでもなく、自分の探求心のために思考の足を動かしている。
考えるのは良いことだ。こうやって理屈っぽく考えてしまうのはどうかと思うが、それもわたしだ。
きっと、わたしも恋をすれば、こんなに考え込むことはなくなるのだろう。きっと、普通の少女のように、好きな人を好きになる。
そんな、とりとめのないことを考えながら、わたしの足は図書館へ向かっていた。小脇には本。これを読むためだ。
廊下は静まり返っている。度々、教室から教師の声だけが漏れ出たりする。こういうときは、前世の記憶と重なって、どうにもならない気分になる。
わたしはさっさと通りすぎてしまおうと、足を早めた。
図書館の中は、生徒がまばらに座っているだけだった。今は授業が行われているし、多忙な令息令嬢の皆々様は、それを受けていることが多い。
今ここにいる人たちは、単純に授業を取っていないのだろう。興味がないのか、それとも勉強しなくていいほど優秀であるか、だ。
とりあえず適当な席を確保しようと見渡せば、輝く金髪が目に入った。
珍しい気がして、少し目を見開く。
声をかけてもいいものか迷ったが、意を決してその真ん前の席に腰を下ろした。身分的には限りなくアウトに近いのだろうが、関係的にはわりとセーフだろう。うん、大丈夫、たぶん……。
「……あの、ヴィクター様?」
こっそりと、響かない範囲で声を出す。聞こえなければ聞こえないで、それまでだとも思ったが、金髪頭は顔をあげた。
持っている本が分厚い図鑑であることに、少し引いた。しかも紙にまとめてるし。なんかの課題だろうか。
「ああ、貴方か」
「どうも……」
「いや、久しぶりじゃないか? 変わりないか」
高等部に入ってから、ヴィクターとはあまり会わなかった。確かに、久々だ。わたしは気さくなヴィクターの態度に力を抜いて、苦笑いする。
ヴィクターは本に紙を挟むと、真っ直ぐわたしの方を向いた。
「アルフから聞いたよ。休暇中、厄介になったらしいな。楽しそうで、羨ましいじゃないか」
「ああ……」
ヴィクターの声は、囁くような大きさだ。その威厳のある口調とはうってかわってやや高めの爽やかな声に、わたしも自然と穏やかな声を出す。
羨ましいとは言っているが、ヴィクターの立場上、アルフやカレンちゃんのようにはいかないだろう。正真正銘、グレンヴィル家の長男なのだから。
だから、これはちょっとした冗談だ。
「ヴィクター様にも、ぜひ来て頂きたかったです。お暇があれば」
「ふふ……残念だ。休暇中は、少し用があってな」
用? と聞き返せば、ヴィクターはさらっと、爵位を貰ったことを言った。わたしには全然意味が分からないが、偉い家の子供はその家を次ぐ前に、爵位を貰うことが大抵らしい。
そのために軍についてったらしいが、詳しいことは言わなかった。わたしも聞きたいわけではなかったので、その話題は流す。
もともと偉かったヴィクターに、更に箔がついたようなもんだろう。今の時点で身分違いも甚だしいわたしにとって、今さら爵位の一つや二つ、変わらない。と思う。
「それにしても、ハリエットは何だ、そういう面もあったんだな」
ヴィクターが唐突に、わたしの隣に積んである本を見てそう言った。その顔はどことなく感心した感じで、何度か頷いている。
デジャヴ。ユリエルにも、同じような言葉、同じような反応をされた気がする。
なんだ、わたしってそんなに「そういう」のに疎そうなのか。的を射ているだけに、反応しづらい。
ヴィクターが真面目なので、ユリエルのときのように照れるわけにはいかなかったが、それでも居心地の悪さがわたしに襲いかかる。
「か……借り物です」
結局、それを盾にするしかない。
どことなく居心地悪そうなわたしに気付いたのか、ヴィクターが本来の悪戯っ子のような笑みをこぼした。そういうあどけない顔の作りに似合う顔をされると、どうにも弱い。
「へえ。誰からだ? よほど趣味がいいと見える。まさかカレン嬢ではないだろうし」
「ああ、ベインズ様です」
くすくすと笑っていたヴィクターは、わたしの言葉に一瞬固まった。
それも少しの間のことで、目を瞑った彼は口元にわずかな笑みを浮かべ出す。とはいえ、その仕草の方はやれやれと、わたしに呆れているような物言いだ。
「全く、貴方はいつの間にベインズの令嬢と親しくなったのか」
「あ……その、空き教室での一件は、無事解決したので。色々、ありがとうございました」
「いや、いいよ。あれは俺が正しいと信じてやったことだ。いつかの恩人に胸を張れるようにとな」
そう、呆れた口調で言うヴィクターは、確かにどこか嬉しそうでもあった。わたしもそれにつられて、へらりと顔が緩む。
恩人、という言葉には、未だ素直に頷くことはできないが。それでも、前まで感じていた居心地の悪さはない。わたしが壊してしまったはずの未来など、初めからありはしなかったのだから。
「それで? なぜベインズからそんな本を?」
「…………」
和やかに微笑んでいたかと思えば、すぐにこれだ。目の前の美しい小悪魔は、わたしの反応を見逃すまいと身を乗り出してさえいる。
みんな、そんなにわたしが恋愛もの読んでるのがめずらしいのか。この外見で、そんなに枯れていると思われているのか……。
なんだかものすごく空しくなって、わたしはヴィクターの前に陥落した。
懺悔室で、何もかもを打ち明ける罪人のような気分になる。そんな哀愁漂う姿のまま、わたしは目の前のヴィクターにぼそぼそと近状を懺悔した。
第一に、この歳になって初恋さえまだなこと。色恋のなん足るかもよく分からないこと。周りと比べ、友達が少ないらしいこと。歌が非常に微妙なこと。ジュリアに、恋する乙女の気持ちが分からない(意訳)と言われたこと。
あとは彼女から借り受けた本を、ひたすら貪るように読んでいるということだけ。
ヴィクターは途中、歌が微妙であるというあたりで「なんの話をされているんだ」みたいな不可解な顔をしていたが。全てを聞き終えると、そのやや細い肩を震わせた。
「ふっ……ふふ、はは……」
「おい」
おもっきり笑ってんじゃねえか。
思わず突っ込んでしまうくらい、ものの見事にヴィクターは笑っていた。一応は真面目な相談事であるというのに、なんという仕打ちだろうか。
恥ずか死ぬ。
「はは、いや、すまない」
涙目なわたしにようやく気付いたのか、あるいは気づいていて笑っていたのか、ヴィクターは胸を押さえるといい笑顔で笑った。その頬は笑ったことで、赤く色づいている。
ちくしょう、悪魔め。
小さくなったわたしをなだめるように、ヴィクターは眼差しを和らげて遠くを見た。
「悪いな、少し意外だったもので。貴方の言っていることは、俺にも少し共感できるぞ」
「共感……」
ヴィクターが? と首を傾げるわたしに、彼は微笑んだ。幼げな顔が一層幼くなる。
わたしが知るなかでは一番子供っぽかったはずのヴィクターは、今では一番大人びていた。
「俺は公爵家の人間だからな。婚姻を結ぶ相手は、恐らく母に決められることだろう。そう思い生きてきた。だから、そういうことに俺も疎い」
なるほど。わたしたちは立場こそ正反対だが、行き着くところはおんなじだったのか。
それを聞いて、少し肩の力が抜けた。彼とわたしはおんなじ位置、ならこういう問いかけも不思議と恥ずかしくない。
「じゃあ、ヴィクター様が思う好きってどんなですか?」
「……難しいことを聞くな。哲学か?」
ヴィクターはそう笑いながらも、わたしの問いに真面目に考えてくれるようだった。速攻で「かわいい子」と言ったユリエルとは大違いだ。
じっとその答えを待っていると、顎に手を当てていたヴィクターが、頷いて顔をあげる。
「側にいてほしいとか、守りたいだとか。そういう感情を抱くこと……か? 嫌っていたらそうは思わんだろう」
「側にいてほしい……なるほど……」
ふと、ゲームのヴィクターのセリフが頭を過る。我が儘坊っちゃんのヴィクターは最後、ヒロインに「側にいてほしい」と訴えかける。
人物の根本は同じなのだろうか。少し考えて、やっぱり気にしないことにした。
「ありがとうございました。勉強中にすみません」
「役に立ったならいいが。貴方も、読書はほどほどにな」
ヴィクターはそう言って、また図鑑と紙に向かいだした。
本人は気良く笑ってくれたが、結構邪魔してしまっていた。これ以上お邪魔をするとさすがに悪いので、席を立つ。
この本は別に、部屋でも読めるし。わたしはもう一言だけヴィクターに挨拶をして、図書館から出ていった。
抱えた本がやっぱり重いので、さっさと部屋へ戻ろう。
校舎から寮へと戻る間、わたしの頭の中を回っていたのは、ヴィクターからの答えだった。