61 恋は愚か
無言でわたしがジンくんと攻防戦を繰り広げているうちに、ジュリアは落ち着いたのかようやく席に着いた。カレンちゃんとマーシアの微笑ましげな視線に、こほんとわざとらしく咳払いをしている。
ジュリアには悪いが、雰囲気も和やかになったし、結果オーライである。
わたしへの態度についても、さっきので吹っ切れたのか、必要以上に刺々しい感じはしなかった。
「ふうっ、まあいいわ。今日はこんな話をしに来たわけじゃないのだし」
頬を赤くしながら、ジュリアはさきほどから何事もなかったかのように話を逸らそうとしている。マーシアは未だににやにやしているし、カレンちゃんの微笑みも心なしか生暖かいが。
このままではジュリアが拗ねてしまうかもしれない。一応、この場はわたしの癒し空間だ。故に、またさっきみたいな微妙な雰囲気になられるのは避けたい。
ここは一つ、わたしが一肌脱ぐことにしよう。
「そういえば、ベインズ様とワイラー様は、どうしてここに?」
露骨な話題転換だが、ジュリアは一瞬、わたしに向かって助かった! というような表情をしていた。無論、そのあとでふんとそっぽを向かれるわけだけど。
わたしへの対応については、クラスメート以上友達未満といった感じである。できればもう少しデレてもらえると嬉しいんですけどね!
「声楽の発表があるんだよね。それで、ジュリアさんが気合い入っちゃって」
「練習……とか、会議? みたいなって」
マーシアとカレンちゃんが、見つめ合って肩をすくめる。その呆れ顔は、どうやらジュリアに向けられているようだ。
ジュリアはむっと艶のある唇を結んだ。
「ああ。ハリエットが聞いた歌声は、この子たちのものだったんだね」
隣でジンくんがぽんと手を打つ。そう言われてみれば、不満をぽつぽつと言っていた声は、カレンちゃんのものだった気がする。
あの美しい歌声が、こんな身近にあったとは。声質を考えれば当然とも言えるのだが、歌自体の上手さとはまた別だ。両方が揃って初めて、あんな綺麗な歌になるんだろう。
むっつりと膨れっ面のジュリアに、とりあえず感想を伝えておく。
「今日、たまたま通りがかったときに聞こえましたけど、すごく綺麗だと思いましたよ」
「いいえ、まだまだよ。完璧にはほど遠い……!」
ジュリアの瞳に、めらめらと燃え盛る炎が灯る。
意外と熱血なタイプらしい。それに付き合う二人はさぞ、大変だろう。こっそり横目で見てみれば、二人とも実に疲れた顔をしている。
どんまい。
「あの、ジュリアさん? あたし、今日はもう喉が……」
「それは甘えよ! いい? ただでさえ人数不足で声量が足りてないというのに、あなたは声色に気を使いすぎて全然――――」
「……始まっちゃった」
カレンちゃんも珍しく、げんなりとした表情をしている気がする。わたしは飛び火を避けるべくカレンちゃんの方へ椅子を引きずって、二人から目を逸らした。さすがに、あんなに燃えているところに水を差すのは悪い。という、気遣いである。
断じてめんどくさそうだなんて思ってない。
ジンくんの方は、マーシアとジュリアの掛け合いを興味深そうに見つめていた。
「カレンちゃんって声楽の授業も取ってたんだね」
「うん、歌、好きだから。それに、女の子多いし」
確かに、戦ったり怪我したりしない分、貴族のお嬢様には持ってこいだ。
カレンちゃんは他にも、調合やら乗馬やらの授業も取っているらしい。なかなか学園を楽しんでいるようで、なによりだ。
わたしなんか、ユリエルの授業と講義以外は部屋で読書か食ってるか寝てるかだ。ものすごい灰色の学園生活って感じがする。
友達も、ほぼほぼ限られているしなあ。
「マーシアちゃんと、ジュリアさんとは、おんなじ授業が多くて。それで、仲良くなったの」
その点、カレンちゃんではこういうことが起こるらしい。
ユリエルの講義と授業ではほぼ孤立無援なので、わたしには新たな出会いというものもない。たまにばったり出くわすギータに、ぎろりと睨まれるだけである。
わたしも女の子の多い授業を取れば、おのずと友達も増えるんだろうか。
「へえ。声楽ってどのくらい人数いるの?」
「――――聞いて驚きなさい、わたくしたちの学年では、三人しかいないのよ!」
軽く聞いただけなのに、あらぬ方向から答えが飛んできた。
目をそちらへ向ければ、さっきまでマーシアに対して熱弁を奮っていたジュリアが、今度はわたしをロックオンしている。突きつけられた指から逃れようと部屋を見渡すも、二人はそっと目を逸らした。
「……三人って、この?」
「らしいよ? 泣けるねえ」
ジンくんがにやりと笑った。
目を逸らした二人と、今まさに熱く語るジュリア。合わせるとぴったりかっちり三人だ。
……お昼後のあれはただの自主練習かなにかだと思っていたけど、まさか三人だけで全体練習になるのか?
思わずジュリアを見返せば、彼女は色の薄い頬を赤く染めて、仰々しく頷いている。
「そうなのよ。いくら他の学年にもいるからといって、あまりに少ないわ」
「そのせいで、練習に練習に練習……はああ」
マーシアが肩を落とす。
もともと学園自体に女子が少なくなっていたが、こういう問題も起こるわけか。カレンちゃんの言う女の子多い、は、そもそも人自体がいないってことね。
どんよりとした雰囲気の三人に、わたしはついつい同情してしまった。
「す、少ない人数でも、すごく良かったと思いますよ。声もそれぞれ特徴的だし……。あー……その、練習ならわたしも何かお手伝いできるかもしれませんし……」
「……あなた」
落ち込んだ空気が居たたまれなくなって、思わずそんなことを言う。正直まったく音楽系統には明るくないのだが、雑務くらいならなんとかなるはずだ。
ちらりとジュリアたちを伺えば、何やら目を合わせ頷きあっている。まさに審議中。その顔がとんでもなく真剣な様子に、口元が引きつる。
くるりと振り返ったジュリアに、何故か汗が一筋背中を流れた。わたしの危険察知能力が正しいなら、面倒なような、嫌な予感がする。
なんていうか、わたしちょっと早まった?
「よろしい。では一先ず、歌って頂けるかしら!」
「はい、歌詞」
「音程とメロディは、教えるね」
ですよね。
……わたしが歌うとか、そういう意味で言ったんじゃないんですけど。
半ば予想できた展開にため息を吐きながら、マーシアの差し出す紙を受け取る。それから、何故か待ち構えていたカレンちゃんに手を取られ、向かい合わせに座らされた。
彼女の歌う音程を覚えていきながら、今日聞いた歌を思い出していく。三人がわたしに歌えと言った歌は、昼間聞いたそれだった。
ジンくんに歌ったから、少しは覚えている。
「……うん、おーけー。覚えた」
「早いね。それじゃ、こちらでどうぞ」
茶化したように言われながら、わたしは三人に囲まれる位置で立った。三人それぞれの目がこちらへ向いていて、ぼっち歴の長いわたしにとっては少し苦痛である。この晒し上げ感。
手早く済ませてしまおうと、わたしは深呼吸をして顔を上げた。
「あー、このあとの雰囲気が手に取るようにわかるー」
残念そうに呟いたジンくんが、わたしの目の前で浮遊していた。わたしの歌を聞いて何とも言い難い反応をしていたジンくんである。
今のわたしにとって死活問題とも言える大事な発言をしてくれちゃっているが、もうここまで来たら降りることは許されない。
哀れむ少年を無視して歌う。
歌詞はやはり、なんてことない恋の歌だ。恋を楽しみ、意中の相手に愛を紡ぐ。
音程も外してないし、歌詞も間違っていない。最後の音を伸ばして、わたしはついに歌い終えた。
どや!
「……」
無言すか。言えよ、感想を。
息を整えながら、わたしは元の席までずこずこと引き下がった。その間、部屋は何とも言い難い雰囲気で埋め尽くされている。
憎たらしいジンくんのうすら笑いだけが、わたしの目につく。いつもならムカついてしょうがないところだが、今の微妙な雰囲気では逆にありがたいような気までしてきた。
「……あの……」
居たたまれなくなって声をかけると、思案顔だったジュリアがキッと眉を吊り上げた。この短時間でどことなく表情の違いを掴んでしまったわたしからすると、これはまた何らかの説教が飛んでくる。
その証拠に、カレンちゃんとマーシアはそっぽを向いて二人で知らんぷりだ。
その間にもジュリアはどんどん近づいてきて、ついにわたしの目の前にまで来た。その艶やかな唇から、無慈悲な言葉がするりと。
「微妙」
――――ええ、みんなの反応からそんな気はしてました! 「何とも言えない」出来だったんでしょうね!
わたしは「微妙」発言にぶち抜かれた心臓を押さえて、ジュリアを見上げる。その目には静かに炎が燃えていて、その一言で終わらせる気は毛頭なさそうだった。
ああ、隣でニヤつくジンくんがやっと、いつも通りむかつくようになってきた。嬉しくないが。
「まずあれね……技術に関しては素人だし、別段突っ込むつもりもないけれど……」
「はい……」
「ともかく、何より先にこれよ! あなた――――恋が分かってないわ!」
「……ん?」
お馴染みの指を突きつけられるポーズと共に、なんかよく分からない言葉が飛んできたような気がする。
コイ? 故意、ではなく恋。さっきの歌は恋の歌だった。
ジュリアの言葉を繰り返す。「恋が分かってない」、いやまさか。確かにいまだに浮ついた話はおろか彼氏の一つもいやしないが、恋愛について分からないわけがない。なぜなら前世は乙女ゲーマー。
首を傾げると、ジュリアはやれやれと大げさに首を振った。まるで言いつけを聞かない子供にするような仕草である。
「ベルさん、あなた恋したことないでしょう」
……ない。
思い返せば、幼少期はアルフとサディアスくらいしか友人と呼べる者がいない。そのあとは王都で魔物を屠り、おっさんお姉さんお兄さんに囲まれる毎日。帰ってきてからは、きな臭い何かについて考えをこじらせてばかりいた。
わたしの境遇上、ここで友人ができにくいことは仕方ないが……わたし、自分から親しげに話しかけたりしてないな。あれ、出会いってなんだっけ?
「そう、感情表現が足りないのよ。気持ちが十分に篭っていない。……何も、恋人を作れって話じゃないのよ。想いを寄せるという気持ちを、自分で理解しなくちゃ」
途中から、どことなくうっとりした顔で言葉を続けるジュリア。
彼女が思い浮かべているのは、十中八九アルフのことだろう。貴族ともなれば恋愛結婚は難しいだろうが、それでも「恋」することは自由だと。
なんだ、頭が痛くなってきた。お姉さんに意味不明な勘違いをされたときや、荷馬車でサラさんたちに恋バナ披露(強制)されたときとは違う居心地の悪さ。
わたしは曖昧に笑って誤魔化そうとした。
「ハティちゃん」
「あはははは……カレンちゃん」
「こうなったら、ジュリアさん、本気だから」
死刑宣告。
無表情でわたしを追い詰めるカレンちゃんに、今回ばかりは悪魔が重なって見える。本気って、何がどう本気なんだ。
そもそもわたしは練習を手伝うと言っただけで、別に発表に加わるわけじゃないんだけど。わたしの歌が微妙に微妙で感情が篭ってないとして、別に誰が困るわけでもない。
だからお節介はやめてください。切実に。
と、はっきり言えたらいいのに。
「よかったね、ハリエット。これできみもまた一つ、人間的に豊かになれるわけだ」
にんまりと嬉しそうにジンくんが笑う。そういえばさっき、わたしの部屋で好きな人がどうこうの話をしたっけ。
なんだか目の前の少年の思い通りになったかのようで、面白くない。まさかとは思うが、少年は正体不明の人ならざる者である。もしかして未来を読んだりすることすらたやすいのではないか、とさえ考えてしまう。
そうでないとしても、この少年は油断ならない。なんとなくだが、目を離した隙に何かをやらかしそうな感じがするのだ。
「いいかしら、ベルさん。恋とは素晴らしいものよ」
ジュリアはうっとりしたまま、まだ説教を続けていた。