60 羨ましい?
どうしようって言ったって。
まあ、わたしが何をできるわけでもないのだが。
この部屋にいるのは貴族、貴族、貴族であり、平民庶民のわたしに発言権はないに等しい。むしろなぜおんなじ部屋にいるのかすら分からないレベル。
無論、それはカレンちゃんとわたしが友達だからに他ならないが、ジュリアとマーシアの二人がそれをどう思うかは別の問題である。
ぐだぐだ考えても仕方ない。
ここは、超絶マイペースなカレンちゃんに、全てを任せることにする。責任転嫁、他力本願、万々歳だ。
ちらりとカレンちゃんへ目を向けてみれば、彼女はわたしではなく二人の方へ顔を向けていた。なんだろう。
と、しんと静まった部屋の空気の中で、ジュリアが真っ直ぐわたしを視線で射抜く。
「ジュリア・ベインズです」
「あっ、ハリエット・ベルと申します……」
慌てて頭を下げる。
なんだろう、改めて対峙すると、彼女にはある種の迫力を感じる。ジュリアは確か、アルフんちとも遜色ないほどの家柄だったはず。となるとやはり、本物の貴族的なオーラでも出てるんだろうか。
いや、ヴィクターも超偉い家の人だった。ではなにか、眼力か。美人だからか。
そんなことを考えてへこへこと頭を下げていると、ジュリアの隣にいたマーシアも、彼女と同じように自己紹介を始める。マーシア・ワイラー。
明らかにそういう友好的な雰囲気ではなかったはずなのに、一体どういうつもりだ。
わたしはおろおろとしながら、丸投げしようとカレンちゃんを見つめた。
「ハティちゃん。笑顔、笑顔」
カレンちゃんはわたしの視線に気づくと、自分の頬っぺたを持ち上げて言った。
ばかやろう――――!!!! なんだそれ! 可愛いなちくしょう。
なんの解決にもなっていない彼女の言葉に、肩を落としつつ二人の方へ向き直る。一体何をされてしまうのか、あの時の続きだけは避けたいが……。
カレンちゃんが設けてくれた席に座って、姿勢を正す。背側には扉。真ん前にはジュリア、両隣にカレンちゃんとマーシアがそれぞれ座っている。
なぜか、お茶会をすることになっていた。
おかしい。まずもって今は夕方である。こういうのにはいささか時間が過ぎているような気がするのだが。
そしてなんでお茶会なの? カレンちゃん。
いや、何も聞くまい。心優しい彼女のことだ、立場家柄関係なく友達には仲良くしてほしいということだろう。
しかしながら、わたしと彼女らにはちょっとした禍根があったりするんだけど。それをカレンちゃんはきっと、知らないんだろう。
「どうぞ、召し上がれ」
そんなカレンちゃんは、紅茶を注いだカップを四つ分用意すると、心なしか嬉しそうに椅子に腰掛け直した。
「ありがとう。……あら、良い香り」
「家から持ってきた、やつだから」
「へえ。オルブライト様の趣味ね。そのわりには流行りの……」
紅茶を囲んで、何やら評論会が始まろうとしている。黙って見守っているが、わたしには彼女らが何を話しているのかちんぷんかんぷんである。
コーヒーか紅茶かと言われれば紅茶党であるのは間違いないが、銘柄云々まで詳しく追求したことはない。そんな人間であれば、そもそもインスタントなものは買わないだろう。
つまり、いま、空気。
「……あの、ベル、さん」
ちびちびと紅茶を飲んでいると、隣で同じく黙っていたマーシアが、わたしの方を向いた。さっきから目を逸らされていたので、彼女の方から話しかけてきたことに驚く。
「な、なんでしょうか」
「……その、ええっと、この間のこと……」
歯切れ悪く、マーシアは紅茶の注がれたカップを見つめる。『ヒロインの親友』は姉御系の頼れる女性だったが、彼女にはこういう面だってある。
さて、次にどんな言葉が飛び出してくるのか。まさか言うのが憚られるようなことでもしにくるのだろうか。
少し警戒しながらも言葉を待つ。
すると突然、さっきまで紅茶話に花を咲かせていたはずのジュリアが、わたしに向かって鋭い視線を投げる。
「わたくしは、謝らないわ」
その言葉に肩を揺らしたのは、わたしではなくマーシアだった。心底困ったような顔で、険しい表情のジュリアを見つめる。
「でも……」
「手を出したのは事実。あの時点では、わたくしたちの行動は間違いなんかじゃなかったわ」
言い聞かせるように言うジュリアに、マーシアはなんとも言えない顔でわたしを見る。
二人がこう……変な空気になっているわけは、十中八九あの時の空き教室での一件だろう。謝罪すべきか悩んでいるマーシアと、意地を張っているジュリアという図だろうか。
ジュリアは貴族の中でも偉い方だから、わたしなんかにおいそれと謝るわけにはいかないのかもしれない。
なんにせよ、わたしとしては別に、もう何とも思ってはいないのだが。それに彼女の言うように、わけのわかっていないアルフにいきなり肘打ちかましたのはわたしである。
彼女らがどう思おうと、正直七割くらいはわたしが悪い、であっていると思う。
「あの、すみませんでした」
というかあってる。ので、頭を下げる。
あの時は謝るべきはアルフであり、彼女らには関係ないのではないかと思っていた。が、そういう混乱をもたらしたという意味では、彼女たちにも謝らなければならない。
具体的に言うなら、アイドルに一般人がビンタを食らわせたようなものである。あとからそのアイドルと一般人が友達だと分かっても、その時の大勢の怒りは消せるものではない。
アルフがアイドルか……想像してみたら、結構似合ってる気がした。
つかまず、人を殴っちゃいけません。
「えっ、そんな。あー、え、えーと……」
マーシアの焦る声がする。どちらかというと面倒見のいい彼女は、どうやら今回のことに思うところがあったらしい。
さっきのことも、ジュリアの言い方から察するに、謝ろうとしてくれていたのだろうか。
「……いいわ。顔を上げなさい」
ジュリアの方は、高飛車な対応を崩さずいる。普通、こういうもんだろう。
言われた通りに顔をあげると、不機嫌な顔で紅茶を飲むジュリアと、苦笑いしたマーシアの姿があった。さっきのぎこちない雰囲気とは違って、どこか気安く感じられる。
「あの、ベルさん。ごめんね」
「は、はい」
「あの時、その、あたしたちもカッとなっちゃってて。なんていうか、オルブライト様も呆然としてて、知らない人だったって言うし……」
あらためて自分の所業を他人に語られると、やっちゃった感がすごい。謎の恥ずかしさに襲われて、わたしは自分の膝を見つめながら、こくこくと頷くだけだった。
「でも、やっぱりああやって、大勢で嫌がらせみたいになっちゃったのは、本当に悪かったと思ってるの」
「い、いや、もう気にしてないですから……」
その後、いろんなことがありすぎて、すっかり忘れていたくらいだ。それに空き教室での一件以来、特になにもされなかったし。
いや、あれはヴィクターのお陰だったっけ。
「それでもあたし、謝りたかったの。ごめん、ベルさん」
すっかり晴れやかになったマーシアの雰囲気に、わたしも笑みを溢す。なんかよくわからんけど、すっきりしたならよかった。わたしも、気まずい雰囲気がなくなってよかったし。
「紅茶飲む?」というマーシアにおかわりをもらって、それに口をつける。
「それにしても……カレンとベルさんって仲がよかったんだ」
早くも打ち解けた風のマーシアが、頬杖をついてわたしとカレンちゃんを見つめる。
カレンちゃんはさっきの話を理解しているのかしていないのか、ノータッチだ。もともと、無表情で何を考えているのかもよく分からんのだが。
空気を読んでくれたのかなぁ。
「うん、仲良し」
「へえ、いつから知り合いなの?」
「うーん?」
カレンちゃんの目が、こちらを向く。
いつから……と言われると。
「初等部の頃アルフと、学園を抜け出したとき……」
「え!?」
ぽつりと呟いた言葉に、マーシアちゃんが目を見開いて驚く。
やばい、さすがに堂々と学園を抜け出したというのはまずかったか? お姉さんも知ることだから、とはいえそんな不良じみたことを、令嬢さま方は許せるものか。
ビクビクとマーシアの顔色を伺えば、彼女はぽかんとした顔でわたしとカレンちゃんを見つめていた。
「そんな昔から、オルブライト様と? えー、うそ」
なんとも言えない顔で、ジュリアがわたしをねめつける。マーシアの驚くところも、変だけど。
確か、アルフはわたしのことを知らない人だと言ったんだよな。つまるところわたしの発言……もしかして疑われてる?
ええ、そんなアイドルと知り合いなの、みたいな嘘ついてないよ……。
「そう。アルフと、ハティちゃんは、親友だから」
もだもだするわたしに助け船を出したのは、カレンちゃんだった。
親友と、彼女は言った。
わたしとアルフが親友だったのは昔の話で、今はそれほど近い距離にはいない。けれども、彼女はそんなわたしたちを親友だと説明してくれた。
どうしてかは分からないが、少なくとも嫌な気分ではない。わたしはずっと、アルフのことをそう思ってきたのだから。
「親友……」
――――ガターン、と椅子が倒れた音がした。
みんなが集まっていた丸いテーブルに、その白い手をついて立ち上がっているジュリア。バンと勢いよく手をついた衝撃で、カップから紅茶が零れた。
ぶるぶる震えているジュリアに、みんながしんと静まり返る。
「……あ、あのー、ジュリアさん?」
恐る恐る、マーシアが声をかける。反応はない。
わたしは黙って、固唾を飲むのみだ。
マーシアがさらに、震えるか細い肩に手を置こうとした。
「…………、よ」
「え?」
まさに肩に手がかかろうとしたタイミングで、ジュリアが何やら声を漏らす。
ジュリアは顔をあげると、鋭い目を見開いてわたしに指を突きつけた。ビシッ、と勢いよく伸びた腕に、思わず仰け反る。
「あの、ジュリアさま?」
「許さなくってよ!」
はいぃ?
顔をひきつらせているであろうわたしに構わず、ジュリアは顔を赤くして髪を振り乱した。その目は段々とわたしから離れて、天を睨み付けるようになる。
その拳は深く握り込まれて、いつわたしに飛んでくるのか冷や汗ものである。
「そう、オルブライト様と知り合いであるとか、挙げ句親友? 初等部から? わたくしだって中等部からだというのにっ! しかもあろうことか、あのグレンヴィル様とも懇意にしているなんて、なに、何があるの一体!?」
演劇よろしく大袈裟に嘆く様子に、目を白黒させるばかりだったマーシアも苦笑いだ。
わたしの方はわたしの方で、なかなか笑えない。確かにそれは、わたしの交友関係をこの学園の生徒が知れば、大多数が思うことだ。
わたしのまわりには権力の絡む人が多い。わたしのまわり、というよりは、わたしがそういう人間に向かっていたという方が正しいのだが。さらに元を正すなら、ヒロインであるカレンちゃんのまわり……というところだ。
断じてわたしの暗躍ではない。
いつの間にか天井に向かって不満を嘆いていたジュリアは、ようやくわたしに突きつけた指に意識を戻した。
「……とにかく、許せませんわ! わたくしだってまだ、数十回しかお話ししたことがないというのにっ」
「えーと、すみません……?」
今のアルフなら、普通に話しかければいいと思うけど。少なくとも完全無視されるようなことにはなるまい。
首を傾げながら謝れば、ジュリアは赤面したまま苦い顔で髪を掻き乱した。そういうことじゃない、と言われても。
助けを求めるつもりでカレンちゃんへ目を向けてみれば、こちらもきょとんとしてわたしを見つめていた。マーシアちゃんはもはや明け透けに笑っている。
「まあまあ、ジュリアさん。はっきり言いましょうよ、羨ましいって」
「そっ……んなわけないでしょう。マーシア、あなた意外と言うわね」
つまり、そういうことらしい。
わたしはなんとも言えなくて、とりあえずの愛想笑いを浮かべた。どういう意味の羨ましいかは分からないが、少なくとも恋愛的な意味では彼らとは全く進展していない。そこは念を押しておくことにしよう。
カレンちゃんも何となく、生暖かい目であっちを見ている気がする。
思わず目を細めて二人を見守っていれば、視界の端に見慣れぬ白色が現れた。
「よっと。話は終わった?」
いつの間にかいなくなっていたジンくんは、いつものように空中であぐらをかいてこっちを向く。その声はやはりわたしにしか聞こえていないようで、みんなの目線が向くことはない。
「……」
「ちょっとお、無視なの。冷たいなあ」
今すぐこの隣のうざったい少年の口を塞いでしまいたい!
わたしは咳払いをして、横目でジンくんを睨む。こんなところで声を出さば、わたしはただの異常者じゃないか。それをわからないはずないのに、ジンくんはわたしの反応を楽しんでいる。
むかつく、むかつく!