56 それぞれの意思
その後、気が済むまで――というかアルフが嫌になるまでもふりまくったわたし(と、カレンちゃん)は、三人で仲良く野原に座っていた。
アルフの白いジャケットが汚れるなあと思ったが、口には出さない。新しいのを買えばいいじゃなあい、とか言われたら凹むから。
あ、獣化したあとに真っ裸になるとか、そういうわけではない。原理は知らないけど、言ったらなんかアルフのマッパが見たいみたいになってしまうから、止めた。
「そういえば、アルフさんはわたしの、その、属性については……」
あんまり記憶で悩んでいたから忘れていたが、そういえばそっちのカミングアウトもしたのだった。もしかすると、アルフ本人も記憶うんぬんで忘れていたのではないか、と問いかければ、赤い瞳がきょとんとこちらを覗く。
「俺のこれを知ってたってことは、俺もハリエットの属性を知ってたんでしょう」
頷けば、アルフは何でもないような顔で続けた。
そうじゃないかと思ったから、さっきの獣化をやったと。で、たっぷりもふられたから知ってたと分かった。
前の自分が信じられたなら、今の俺が信じられないわけないと。
……どうしよう。なんか、もしアルフの記憶が戻ってしまったら、あの時のわたしの奇行とかも全部知られるんだよな。
こんな純粋な瞳でわたしを見るアルフに、わたしはかける言葉が見つからなかった。
「……あ、ありがとう」
ともかく、あっさりとわたしの属性について肯定してくれたアルフに、カレンちゃん。二人に囲まれて、わたしは幸せだった。
アルフにも花冠を作ってやろうと、カレンちゃんと二人で彼に大きなわっかをあげたりして。
気づけば太陽は、空の高いところにまで登っていた。
「そろそろ入ろっか。お昼ご飯にしよう」
そう声をかけると、カレンちゃんとアルフは手に手を取って立ち上がる。その頭には立派な花冠がそれぞれ乗っていて、わたしは肩を揺らした。
そんはわたしの頭の上にも、カレンちゃんとアルフ作の、ちょっと不格好なわっかが乗っかっているわけだけど。
ヒューとサディアスは、戻ってくる様子はないようだった。多分、ヒューの仕事に付き合わされているのだろう。南無三。
椅子に腰かけて疲れた様子の二人に水を出して、わたしは階段を上っていく。
朝食を終えてから、ニールがまたもや部屋にこもりっぱなしなのだ。寝るとは言っていたけれど、そんな昼間に寝ると、また夜に眠れなくなる。
「ニール、ニールっと」
こんこん、と申し訳程度にノックして、扉をかっぴらく。やつとわたしの間に、もはや遠慮など無意味だ。何せもう……何年だ? 七年くらいの付き合いだから。
そのままソファに寝そべっているニールを叩き起こそうと近づいて、わたしは目を見開いた。
確かにそこにニールはいたが、寝ているわけではなかったからだ。ソファ腰かけて、足を組む様子に少し、声をかけるのを戸惑う。
「……ニール? 寝てるんじゃなかったの?」
恐る恐る声をかければ、ニールは不機嫌そうに振り向いた。こいつはいつも不機嫌そうだが、今日はまた一段と、眉間のシワが深い。
機嫌が悪いと言うよりは、気分が悪そうだった。
わたしは手を伸ばして、彼の額に触れる。いつかのごとく熱でもあるのかと思ったが、そんなわけではない。
手を振り払ったニールが、顎を背もたれの上に乗せた。
「んだよ」
「いや……なんか、気分悪そうだったから」
そう言うと、彼はなおさら嫌な顔をして舌打ちをする。皮肉も嘲笑もしない、こんなに余裕のないニールは、久しぶりかもしれなかった。
何が彼をこんなにしたのだろう。やっぱり、無理矢理他人とご飯を食べさせたのが悪かっただろうか。意外とやつは繊細なのだ。
「大丈夫? 食べれるなら、ご飯持ってくるけど」
「……お前、変わったな」
「は?」
ニールが弱々しく呟く。なんだ今日は、変なニールばかり見る。
漂白されたかと思えば途端に弱々しくなったニールに、わたしは慌てて隣にまわって腰かけた。
話を聞く体制になれば、ニールは諦めたのかため息をついて、腕で視界を塞いだ。それは仕事に疲れたサラリーマンの仕草であり、わたしは本気で心配し出す。
「ニール?」
「……なんかさあ、さっきの。普通の人間がするような生活にさ、俺が入っていられたのは、気分よかったよ」
それは、ニールが眩しそうに見つめていた、あの時の光景だろうか。わたしはそれを思い出して、頷く。
わたしだって、あの時に幸せを感じた。それには、ニールも含まれている。
そんなニールは、しかしわたしを見ようとはせず、大きく息を吐き出す。
「お前も、なんかちゃんと、進めるようになったんだなって……」
「それは」
「まあ、いつかは……」
違う。
ニールの適当な呟きに、わたしは半ば直感的に思った。ニールが言いたいのは、多分、こんなぼやきみたいなことじゃない。
今ニールがべっこべこに凹んでいるのは、もっと大きなことだ。わたしに言えない、ともすれば、彼の過去のことか?
わたしは反射的にそれを聞きそうになって、口を塞いだ。ニールに、見えていなくて良かったと思う。
わたしはニールについて、何も詮索しない。出生も、過去も、姓も、どうしてずっと同じままなのかも。
それは昔、質問が許されたときに決めたことだ。こういう大事なことは、本人の口からいつか、聞きたいと。
だから、今わたしが彼を知り、慰め、共感したくても、それは慎まなければならない行為だ。わたしはニールからいつか、すべてを聞けることを望んでいる。
その時まで、ニールは一人ぼっちで悩まなければならないのだ。本当は嫌だけど、でもそれが今のニールの選んだことだ。
「なあ、ニール。さっきの朝食、楽しかった?」
だからわたしは、ニールにとって都合のいい人間でいる。今はまだ。
ニールの目を覆う腕を外して、その手を握る。サディアスやアルフ、ヒューに比べても、その手は薄く頼りない。戦う前に逃げてきた手だ。
「…………まあまあ、だ」
やっとわたしを見たニールは、くしゃりと笑った。その下手くそな笑い方に、わたしも笑う。
いつものニールみたいに、馬鹿にしたみたいに、にやりと笑う。嘲笑う。
「嘘つき」
まあまあと、また天の邪鬼な答えを返したニールに、わたしはデコピンを食らわせてみた。
白い二本の指で丸を作って、ニールのがらあきのおでこに放つ。――ベチン。
「、ってェ……、この、クソガキッ!」
「ぎゃ!」
歯を剥いたニールに押さえつけられて、わたしは悲鳴をあげた。じたばたするものの、その隙にニールの細い指がわたしのでこの前で丸を作る。
「ちょ、まて、たんま」
「うるせえ」
ビチン、と響いた音に、わたしは崩れ落ちた。それを見て、今度こそニールはわたしを馬鹿にしたような笑みを作る。
それにとても安心して、わたしも笑いたかったが。あんまりにも額が痛くて、それどころじゃなった。唸りながら額をさするわたしに、ニールの楽しそうな声が降り注ぐ。
……痛いけど、今回は甘んじて受け入れよう。
逃げてもいい。ニールが満足するまで、いつまでも好きに逃げたらいい。
そのための逃げ道は、わたしが作ってあげることにする。
結局、ニールは凹んでるみたいなので部屋から出すのは諦めた。もともと、王都の時も買い物以外でやつが活動することなんて、ほぼなかったし。
席についたままのカレンちゃんとアルフに、またもや即席のよくわからない料理を作って、三人で昼食にする。
アルフがまたじっと見つめていたので、足りないのかと聞けば、首を振られた。
「懐かしいんだ、教会が」
その言葉に、隣でスプーンを動かしていたカレンちゃんも頷く。
なるほど、この庶民的な食卓が、彼らにとっては思い出に繋がっているのか。昔アルフが言っていた、賑やかな食事の風景を思い浮かべる。
彼らは問答無用で貴族の子供になったわけだが、孤児のままと、どっちが幸せだったんだろう。それはわたしにも彼らにも、恐らくはジンくんにも分からんのだろう。
分からない方がいいこともある。
昼食を終えれば、そのあとは適当に時間を潰すことになった。アルフにはわたしおすすめの本を貸してやったので、嫌々ながらもそれを読んでいることだろう。
カレンちゃんの方は、さっきからぼんやり窓の外を眺めている。無表情ながら楽しそうなので、そっとしておいた方がいいだろう。
さて、各自がそれぞれ違うことをしだすと、わたしなんかは暇である。
「どうしようかなー、なんかしようかなー」
「じゃあ、僕とお話ししようか」
「――よし、寝よ」
突如現れた少年を華麗にスルーで、ベッドに飛び込む。なんか言われている気がするが、あーあー聞こえない。
悪魔のごとく、わたしのカレンちゃんの友情にヒビを入れようとしてくれた少年のことなど、全く相手にしたくない。例えジンくんが神だろうと、やなもんはやらない主義なのだ、わたしは。
それなら寝た方がましだと、わたしは頭から毛布を被った。ああ、獣アルフの毛並みを味わったあとでは、干した布団もそれには劣る。
どうせなら、アルフの毛並みに埋もれて昼寝がしたいものだ……。
そんなことを思いながら、わたしは夢に沈んでいた。
ニールを起こしにいっといて、自分が昼寝かって? うるへえ。
そんなわけで数時間後、わたしはすっきりと目覚めた。横にはジンくんが同じように寝そべっていたが、無視した。
お前にかまけている暇はない。
「ちょっと、扱いが悪いんじゃない?」
寝そべったままジンくんが言うが、無理矢理ついてきている身で扱いがどーのと言うんじゃない。そういう意味を込めて睨めば、ジンくんはにやにや笑む。
こいつは、あれだ。相手をすると喜ぶタイプだ。
わたしは無視を決め込んでベッドから飛び降りた。
部屋の扉を通って向かえば、ちょうど帰ってきていたらしいヒューとかち合う。ヒューは汗を流してきたのかしんなりとした髪で、頬を上気させていた。
「おかえり、ヒュー。お疲れさま」
「ああハティ! いやー、すごかったよサディアスくん! 十人切り!」
わたしと気づくや否や捲し立てはじめたヒューに、わたしははいはいと相づちを打ちながら廊下を歩く。後ろからひよこのようにあとをついてくるヒュー。と、浮いてくるジンくん。
なんか嫌な組合せだな、これ。
さっさと誰かに押し付けてしまおうと、わたしは足を早めた。
「おっ、サディアスくん。おかえり」
噂をすればなんとやらだ。恐らくヒューと同じくして帰ってきていたっぽいサディアスに、手を上げて迎える。
彼はわたしの声に振り向くと、微妙な顔で背筋を伸ばした。まるで偉い人にでも会ったかのような反応だ。わたしは苦笑する。
「今朝いったことは、理解さえしてくれれば、それでいいから。そんな気にしないで」
真面目な彼はきっと、あれからずっと考えていたのだろう。固い表情を崩すように、わたしは笑いかける。
後ろにいたはずのヒューは、なにか空気を読んだつもりなのか、いつの間にかいなくなっていた。だから、そういう雰囲気は一切ないというのに。
この暖簾に腕押し状態は、過去にニール絡みで経験したことがある。みんな、人の恋路が好きなんだなあ。
「……ハリエットさん。俺は、別にあなたのことを悪いとも思っていない。故に、あなたを差別する意図もない。学園のことも、俺はこの目で見たから、全面的に信用している」
ひどく言いにくい様子で告げたサディアスに、わたしはいささか拍子抜けした。そんな苦く苦しい顔をしておきながら、随分と甘いことを言う。
ほっと肩の力を抜いたわたしに、しかしサディアスは汗を垂らすと、勢いよく頭を下げた。風を切るような音がして、思わず後退する。
「な?!」
「すまないっ、俺はあの時、気にすることはないと、即答することができなかった」
その言葉に、目が点になる。
り、律儀すぎるだろう、お前。そんな言葉が喉まで出かかったが、何とか飲み込む。
親しい人が闇属性だったのだから、その驚きも頷ける。即答できなかったくらい、受け入れてもらえなかったことに比べれば、何てことはない。
サディアスはそんなわたしに何を感じたのか、頭を上げるときりっとした瞳をこちらへ向けた。
ああ、嫌な予感。
「だが、これで恩義に報いることができる。あなたのことは、俺が守ろう」
そして跪いたサディアスに、わたしが言うことはただひとつ。
「と、とりあえず立とうか?」だ。