54 朝食風景
食前の祈りをテキトーに乗りきって、わたしたちは仲良く食卓を囲んでいた。
ヒューはにこにこと目の前のニールに話しかけているが、ニールはにこにこと「ええ」「いえ」「おかまいなく」だけをひたすら吐き出していた。
おい、手抜きか。もうちょっと頑張れるだろ。
それを全く気にしないヒューもどうかと思うけど。
わたしはさりげなくニールをどつきつつ、みんなに笑顔を向けた。残り物の野菜がぶちこまれたスープを啜るサディアスを見ると、なんか申し訳なくなるな。
「で、これからどうする? この辺……なんにもないけど」
なんにもないというより、わたしがなんにも知らないだけだけど。引きこもりだし。
パンをぶちぶちと千切ってスープにぶちこみながら、目の前のサディアスに目を向ける。ばっちり目があったあとで、彼はしばらく考えるそぶりをした。
「……俺は、お兄さんに誘われて」
「そうそう! サディアスくんは屯所の方に来てもらう予定だから」
しょっぴかれるのか、サディアス。
彼の目付きの悪さに思わずそんなことを考えてしまってから、品行方正なサディアスに限ってそれはないなと思い直した。
それにしてもヒューはまた、えらくサディアスを気に入っているな。
「サディアスくん、すっごい強いんだよね。今朝もいつの間にか素振りしてたし! 一回、こっちの訓練見てほしくてさ」
その言葉にサディアスを見れば、謙遜ともなんともつかない動きを繰り返していた。
前々から思っていたけど、こいつは愚直すぎる。お世辞とかダメなタイプのやつだ。
だけど、ヒューがサディアスを気に入ってるわけは分かった。おんなじ剣を使う者同士、何かしら感じるところがあるのだろう。
それだけなら、純粋にいいことだ。
「ハティも見に来る? サディアスくんのかっこいいところ見に来ちゃう?」
……これさえなければなあ。
途端、こちらにその輝かしい顔面を向けてくるヒューに、距離さえ近ければアイアンクローをかましてやるのに。
突如そっち方面に突き抜けた話に、今まで黙っていたアルフは虚を突かれたような顔をしている。カレンちゃん無表情。ニール微笑。
サディアスはというと、すっげー困ったような顔をしていた。
「そのネタいつまで引っ張るの……」
「だって、ハティに友達がこんなにできるなんて思わなくて。いつかお嫁に行っちゃうんだろうなあって……」
その時でも想像したのか、ヒューの水分が目から溢れ出る。
友達うんぬんの失礼な言葉はスルーするとして、そこでサディアスをチョイスする辺りが間違っている。もう少しかわし方のうまい人に振らなくちゃあ。
……いやでも、この中だと貴族二人に教師一人なのだから、矛先がサディアスにいくのは当然なのか。
「ごめんね、サディアスくん。うちの兄、ちょっと妄想が激しくて」
多分、久々に会えたからテンションが上がっているのだろう。七歳くらいで、次の記憶が一気に十六だもんな。嫁とか考えちゃうわけか。
サディアスに向き合えば、彼はいつものきりっとしすぎた顔に戻って、首を振った。
「いや……実は、こういうのは、その、慣れている」
その言葉に、思い返したのはあの模擬戦の前の出来事。サディアスは偉い人たちに囲まれてたじたじだったわけたが、そういやそんなことも言われていた。
うちの娘の婿にどうだ! わっはっは! みたいなあれか。そういえばその時もサディアスは、今みたいに困惑丸出しで口をつぐんでいたっけ。
よくあることなら、なおさらあしらい方を勉強すべきだと思うな。
「あー、アレね」
「ああ、アレだ」
二人で頷く。
それをまたヒューが冷やかすように見ていたが、追い払うように手を振っておいた。お前はわたしの結婚よりまず、自分の話だろうが!
「それじゃ、アルフさんと、カレンちゃんは?」
スープをかき混ぜながら、今度はオルブライト兄妹に話を振った。
この二人、そういえばなぜついてきたのだろう。いや、カレンちゃんはわたしが冗談で誘ったんだけど、絶対アルフが止めてくれると思ってたのに。
二人は顔を見合わせて考えると、苦笑いしてわたしとヒューの方へ向いた。
「特には……何も。実家だと息が詰まるので、ゆっくりできればそれでいいと思って」
「私は、ハティちゃんと、遊びたいな」
カレンちゃんの呟きに、わたしはマッハで頷く。ただでさえ女友達が少ないのだから、ここは一つ、何か女の子らしいことを二人できゃっきゃすべきだろう。
ヒューはわたしとカレンちゃんに暖かい視線を注ぎながら、それなら、と口を開いた。
「この丘辺りは人も来ないし、好きにしていいよ。すぐ側の花畑とか、綺麗でしょう」
なんにもないけど、とわたしを真似して笑うヒューに、アルフは燃える瞳を細めて頷いた。花畑、という単語に反応したカレンちゃんの頭を撫でている。
わたしも久々に、花冠でも作ってみようか。ぼっちが長いと、こういう一人遊びスキルには事欠かない。
かちゃかちゃと皿を打つ音と、みんなの朗らかな声が響き渡る。すっかり打ち解けたようで、和やかなムードがみんなの間に充満していた。
その間に、わたしは肘でニールを突っついた。
「で、ニールはどうすんの?」
微笑みの置物と化していたニールは、ぎぎぎとこちらに顔を向けると、その天使の微笑みのまま小さく口を開いた。
「寝る」
言うと思った。わたしは体を寄せると、彼の脇腹に肘を差し込む。
しかしニールは周りを気にしているのか、身をよじることもできない。ははは、食らえ、食らえっ。日頃の暴力の恨みだ。
つんつん突っついていると、ニールの微笑がより深いものになった。端から見れば、和やかな雰囲気に親しんでいるものと思われるだろう。
残念、これめっちゃ怒ってる。
「おーい、もっと楽しめよ。別に誰も気にしないよ」
「……けっ、楽しんでるよ」
嫌々とばかりに絞り出された返答に、わたしはむっと唇を尖らせる。どこが楽しんでいるというのだ。
そう抗議したくてニールを見上げたが、彼の瞳を見て、それは言えなくなった。
ニールは、目の前の光景をまるで眩しいものでも見るかのように。祈りや願いを前にした人のように。
その紫色の瞳は、あまりにも透き通っていた。
だ、誰だお前。
わたしはぷつぷつと立った鳥肌を擦りながら、ニールと距離をとった。食卓からわたしに目を向けたニールは、すぐさま微笑から不機嫌顔へと表情を変えたが、そんなものでは騙されない。
さっきのあの、漂白されたような綺麗なニールはなんだったんだ。わたしにいつも、バカバカ、クソガキと罵るニールはいずこ。
……いや、ニールも変わっているのか。ゲームとか、元々の何か、ではない方向へ。
それをわたしが引き起こせたというのなら、わたしはとんでもなく嬉しいのだが。
ニールと同じく、暖かい風景に目を向けてみる。
微笑むヒューに、仲のいいアルフとカレンちゃんの兄妹、右目の傷をひきつらせて笑うサディアスに、この光景に目を細めるニール。
――――幸せだなあ。
わたしの好きな人たちが笑っているこの光景が、なにより嬉しい。
そう素直に感じられるようになったのも、認めたくないが、これをどこかで見ているジンくんのおかげだろうか。癪だけど。
どろどろになったスープを口に運びながら、わたしは一つ、浮かんだことを考えてみることにした。
みんなに、相談してみるのはどうだろう。学園に巣食う何かについて、道を違えた弊害について――――。
そして、わたしの属性についても。
嫌われるかもしれない、なんてこと、少しも思わなかった。それほどまでに、わたしは彼らを全面的に信じている。
昨日の夕食のとき、ヒューに聞かれたそれが、わたしの胸に刺さったのだ。
わたしは彼らに隠し事をしている。闇属性の何も悪くないと自信を持って言えるのに、隠していることだけが後ろめたい。
わたしはこれから、彼らにそんな後ろめたさを感じながら、付き合っていたくない。それだけのために。
「――ハティちゃん? どうしたの」
黙っていたからか、隣からカレンちゃんの声がした。
彼女は光属性で、教会の信仰対象で、わたしと関わらなければどう転がっても、素晴らしい未来を約束されている。
それでも、わたしの話を真剣に聞いてくれるだろうと、わたしは断言できる。彼女が清く正しいヒロインだからじゃない。
カレンちゃんはそういう人なんだと信じている。
「……ちょっと、聞いてほしいことがあるんだけど」
意を決して放った言葉は、部屋によく響いた。
きょとんとした顔のヒューに笑いながら、わたしは立ち上がった。本当なら椅子の上にでも立ってやりたい気分だが、ふざけている場合でもないので自重。
突然立ち上がったわたしに、三人は何事かと顔をあげる。その端で、ニールだけが、分かったような顔でこっちを見ていた。
その保護者みたいな面をやめろ。
「ハリエットさん?」
「サディアス。あの時の話をしよう」
わたしが見下ろすようになった状態で、サディアスを呼びつける。あの時、とは、彼と一緒に高等部の校舎に忍び込んだ、あの日のこと。
彼が今まで、わたしを気遣って話に出すことのなかったそれだ。
今度はアルフを見下ろすと、わたしは彼にも言う。安全な場所から、わたしのエゴで引きずり下ろすようなことを。
「アルフ。お前は忘れていることがある」
「……それは、」
「わたしのことだけじゃない」
わたしのことなんて、もういい。アルフが思い出を一つも覚えていなくたって、わたしばっかりお前との楽しいことを覚えていたって、構わない。
学園を二人で抜け出したことも、一緒に食べたご飯の味も、初めて名前を呼んでくれたときのことも。
でも、彼には考えてもらわなければいけない。
「……ニール、いいよね」
彼の瞳は読めない。ただ、睨むでもなく、笑うでもなく、わたしを見つめている。そういうときのニールの顔はやっぱり、ちょっとあどけない。
ニールは小さく「いいのか」と言った。
わたしはそれに、苦笑を返した。聞いたのはこっちなのに、肝心なときに返事をくれないんだから。
わたしはしんと静まった部屋で、一人ぼっちで話し始める。
みんなが好きだし、みんなを理解したいと思う。 悩みがあるなら相談してほしい、一緒に悩みたい、それが解決できたら、自分のことのように喜びたい。
そう思ってくれていたらいい。