53 ただの朝
少年は、自らを「ハコビヤ」と称することにこだわった。呼ばれる名前はなんでも良いらしいが、自分は幸せを運ぶことが生き甲斐らしい。
その性格でか? 信じられない。
「じゃあ、わたしにも幸せを運んできたわけ」
「この世界に生まれ落ちることができた幸福を喜べよ、ハリエット」
やさぐれた問いかけに、少年はお決まりのにやにや笑いで答える。
確かに、そりゃ確かに、わたしは今幸せだよ。友達もいる、優しい家族もいる、平穏でわたしの心はこれ以上ないくらい満たされている。
でも、この少年の言う通りに頷くことは癪だった。
代わりに、この世界についてとか、その神的な何かに対してだとかを問いかけたが、それについては飄々とした態度でかわされた。
いわく、人みたいな極小の存在に語っても意味がないらしい。確かに違う世界の話とか言われても、確かめる術はないけどさ。
煙に巻かれているようで不服だ。
むくれたわたしに、少年はなだめるように手を振った。
「まあまあ、どうせならきみにも益になる情報を与えてあげようじゃないか」
胡散臭げな喋りで、少年はあぐらをやめて立ち上がる。不安定なベッドの上だというのにすごいものだと思ったら、ちょっと浮いていた。
なにその某猫型ロボットみたいな技は。
すっかり目が覚めて、わたしはベッドの上で体育座りをした。そのまま目だけをじとりと少年に向けてやる。
「ここはね、言うなればこのディスクを読み込ませた世界なんだよ」
「ちょ、わたしの……」
突然、少年の手に銀色の円盤が現れる。間違いない、わたしのゲーム。
慌てて机の上に目をやるが、そこにはくしゃくしゃになった布しか存在していなかった。もう一度少年を見れば、そのディスクはふわりと消える。
「ふっつーの未完成で崩壊しかなかった世界に、これを捩じ込んだわけね。僕もこれを媒体にしているから、今まで机の引き出しに眠ってて予定が狂ったわけだけど」
世界がどうたらは、本当にわたしには理解の及ばない話だった。
だって、世界の作り方とか知らんし。そもそも、パラレルワールド説とか、そういうのも詳しくない。もしかしたらそういうのとはまた違うのかも知れないし。
そう思って少年の話を聞いていたわたしは、物言いたげな少年の視線にびくついた。予定が狂った、を強調してわたしを見るので、何となく言い訳をしなければならない気分になる。
「いや、持ってかないよ、フツー」
「はーあ。僕は善意で、世界との繋がりの薄い人間を、幸せにするためにこのディスクを選んだのに」
それは、わたしのために世界を作ったということだろうか。そう考えると途方もないのだが。わけもない罪悪感やら申し訳なさがわたしを襲う。
しかし少年はそれを読んでいたかのように、あっさりとその不満げな面を引っ込めた。
「ま、もともと死にかけの世界だったから、どっちみち何か送らなきゃ終わってたんだけど。きみはあれだあれ、オマケ」
「お、おまけ……」
「そもそもね、きみは本当はもうほとんどハリエットなんだよ。前世なんてそんな、繋がりの薄いそれに影響力なんかほとんどないって」
少年のいい加減な発言に、わたしは思わず動きを止める。彼は相も変わらずテキトーな面をしているが、彼の発言はわたしを振り回してばかりいる。
真偽すら確かめられない発言に、なにをむきになっているのかと思われるかもしれない。でも、わたしにとって前世は特別なのだ。
「ど、どういうこと。わたし、ほら、五歳くらいで思い出したから……」
こんな性格になっちゃったんですけど。
そう言外に含めれば、少年はふよふよと浮き上がりながら目をつぶる。なにそれ、なんの意味があるの。
「もともと、ゲームにハリエットなんてまともに出てこないじゃん。そもそもこの世界はゲームに似せてあるだけで、物語もクソもないんだよ」
ふよふよふよふよと、そのまま天井にまでいってしまいそうだったので、咄嗟に手を伸ばす。普通に触れられた。しかも、わたしより暖かい。
「つめたっ」とか叫ぶ少年を引きずり下ろして、ベッドに叩きつける。跳ねた少年は歯を剥いて怒りながらも、今度は真面目に正座をした。
「ゲームのストーリーはあくまで、何も変わらなかったらの結果だよ。キャラクターが人である以上、きみが何もしなくても変わったかもしれない」
それはゲームを壊したと思っていたわたしに対しての、救いの言葉に思えた。
そもそもゲームじゃないんだから、みんなただの人間なんだから、なにもストーリー通りに進むわけじゃない。
「だから今、何か問題が起きてるなら、それは一本道を違えた弊害に過ぎないのかもしれないね」
弊害。
ニールが赦してくれた逃げ道の中で、わたしは奇しくもそれに向き合おうとしている。
優しいお姉さんが、もしかしたら悪い人かもしれない。それに対する失望も、怒りも悲しみも、今ならちゃんと考えられる気がした。
すごく嫌なやつだけど、少年はわたしに事実を突きつけた。
逃げることは悪いことじゃない。でも、逃げていたら進むことはできないのだ。
わたしは進むべき道にいる。
――――今度こそ、ちゃんと全て、向き合って見せようじゃないか。アルフに思い出してもらいたいから、みんなとずっと幸せでいたいから。
少年はただ、そんなわたしを見て笑っている。
とりあえず、少年には名前をつけることにした。
なんとこいつ、これからわたしの背後霊よろしくついてくるらしい。なんて迷惑な。
いわく、全くサポートしないサポートキャラだと思ってくれ、だとか。それはもはやサポートキャラじゃないし、そもそも年頃の女子に憑いてる少年とか、邪魔で仕方ないでしょうが。
ともかくも、そういうことなので、いつまでも少年じゃ困る。
「じゃ、ジンくんで。神でジンね」
「へえ。僕のこと神様だって思ってくれるの」
少年は意外そうに頷いたが、それを華麗に無視して、わたしは部屋の扉を開ける。
少年――あらためジンくんは、浮いたまますり抜けた。聞かなかったが、この分だとわたし以外には見えないっぽいな。
わたしはリビングまでの道をてこてこと歩きながら、先程のジンくんの言葉を嘲笑っていた。
くくく、神は神でも貴様は邪神だ。ジャシン、略してジンだ。間違っても信仰するような偉い神様じゃない。ばかめ。
そんなちょっとした憂さ晴らしをしながら、わたしはたどり着いたリビングの扉に手をかけた。
「あ、おはよう。ハティ」
わたしに気づいて迎えてくれたのは、既に朝食を並べているヒューだ。わたしも遅く起きたわけではなかったと思うが、ジンくんとの問答のせいで遅くなってしまった。
部屋を見れば、サディアスは既にきっちりとした服を着込んで、椅子に腰かけている。
わたしは慌ててヒューに駆け寄った。
「おはよう! 手伝うよ!」
皿を置いたヒューの手に手を重ねれば、彼はなぜか目を丸くした。そんな様子に、わたしも同じく目を瞬く。
そんな顔をされるようなことをした覚えはないんだけど。軽く首を傾げれば、ヒューはああ、と声をあげて手を引っ込めた。
「ご、ごめん。なんか、昨日と雰囲気が違うから」
「雰囲気?」
そりゃ幾分か、心の靄が晴れたようなすっきりした気分だが。人に分かるくらい、その雰囲気というものが違うのだろうか。
ヒューの発言に首を傾げれば、気にしないでと首を振られた。そのあとで、優しく頭を撫でられる。
ああ、確かに。自分を肯定したあとでは、ヒューの一挙一動も、今までより素直に受け止められる気がする。
「手伝いの前に、身だしなみを整えておいで。お客さんもいるんだから」
「はーい」
両手をあげて、それに答える。何だか、すごく普通の兄妹みたいだ。
わたしはしばらくその暖かい空間を味わっていたが、ヒューの微笑みがやっぱり、むずかゆい。
……うん、ダメだ! くすぐったい!
わたしは蕩けきったヒューの顔面を両手でつねりあげて、その場をあとにした。後ろからすんすんと泣き声が聞こえてきたが、知らぬ。
「ね、だからきみはハリエットなんだって」
「……分かってるよ」
隣に現れたジンくんに、わたしは仏頂面でそれだけを返した。そういえばこいつがいたのだった。
姿が見えなくても、わたしの周りにいるらしい。さっきのヒューとの一幕も見られたのかと思うと、恥ずかしくてつっけんどんな態度を取ってしまう。
まあ、もとからこいつを敬う気持ちなんてさらさらないけど!
わたしはジンくんをスルーしつつ、先に水浴びと着替えを済ませることにした。途中、カレンちゃんと遭遇したので、一緒に。
そういえば、ニールもそろそろ部屋から出さなくちゃあ。いくら面識がなくとも、客の一人がずっと体調不良じゃ心配するだろう。
着替えを済ませたあと、わたしはニールの部屋の扉をノックした。――でもって、返事を聞くことなく開く!
返事? 知るか!
「おーい、ご飯だよー、ニールくん」
空き部屋のソファに近づけば、ニールがすやすやと寝息をたてていた。彼のこんな姿を見るのも、王都以来で何だか懐かしい。
わたしはゆっくり近づくと、ニールの形のいい鼻をつまんだ。
「おい、ニール。飯だ、飯」
「………………っく! あ、テメ、何しやがる……」
耐えきれずに目を開けたニールは、わたしをその紫色に映すと、不機嫌そうに睨んできた。この状態を見るからに、学園ではさぞ不規則な生活を送ってきたのだろう。
なんせ、真夜中に部屋に来るくらいだからな。それに付き合っていたわたしも寝不足だったけど、目覚めはいい方だから。
「ほーら、起きて起きて! ご飯だよ!」
「あ? ……あー、あー……めし」
寝ぼけたニールがあーあー言いながら、ゆっくり起き上がる。
相変わらず、服はそのままの主義らしい。固そうなベルトを見ながら、いつかニールにパジャマを買ってきてやろうと思った。
上半身を起こしてあくびをするニールを急かして、わたしはようやく彼を立ち上がらせるところまで漕ぎ着けた。王都の時はこんなに酷くなかった気がするのだが、やっぱり慣れないところでは寝付きにくかったのかもしれない。
「さあニール、みんなとご飯食べようね」
「ん……」
ニールの跳ねた髪を撫でながら、扉から押し出す。この人見知り男も、いい加減慣れさせなければ。
あれ、何だか育児のようだなあ。わたしはジンくんの笑い声を聞きながらも、微笑を保ってニールの背を押し進んでいく。
……ニールの目が覚めたとき、わたし殴られなきゃいいけど。
今から頭部の心配をしつつ、わたしは扉を開けた。
すっかり目の覚めたニールは、今や置物と化している。微笑を張り付けた置物だ。なにこいつめんどくさい。
「ニールくん嫌いなものない?」
「ええ、おかまいなく」
久々に見たニールの猫被りに辟易しながら、わたしはその隣に腰かける。笑んだままそそくさとはじっこを選んだ彼なのだから、せめてまん前か隣は知り合いのわたしが埋めてあげよう。
ちなみに、ニールの前にはヒューが座った。わたしの両隣がニールとカレンちゃんで埋まっていたからかな。まあ、アルフが前に来るよりましかな。
アルフはカレンちゃんの前に、サディアスはわたしの前にいる。どうにも、アルフはニールと距離を取りたがっているように見えた。
多分あれだ、動物的勘でしょう。
「えーと、皆さんおはよう。昨日はよく眠れたかな」
ヒューが席について、家長らしく客人に問いかける。お父さんはまた書斎にいるらしいので、頑張っているのだ。
わたしは密かにヒューを応援している。いくらおっきくなっても、わたしには泣き虫な兄にしか見えないから。
「ニールくんは、昨日は体調が良くなかったんだよね。もう、平気?」
「ええ、おかまいなく」
よかった、と言うと、ヒューは今度はニールに向かって微笑みかけた。至近距離イケメンスマイル。ニールは微動だにしない。
ヒューにニールくんと呼ばれたことで、他の三人もそちらに目を向ける。馬車では一言も会話しなかったから、下手したら名前すら知らないのではないだろうか。
わたしは場を取り持つために、ずいずいとニールに体を寄せた。
「えっと、こちらはわたしの元先生のニール……さんです。個人的に、勉強のためについてきてもらいました!」
うん、そういうことにしておこう。
先生、と聞いて、ヒューの顔が尊敬の念を浮かべるものになる。彼が想像しているような優しいものではないが、わざわざ訂正はしない。
三人も、それを聞いてどこか雰囲気が和らいだ気がした。やっぱり、身分がはっきりしていると警戒の度合いも少ないだろう。
やっぱりアルフは、なんかひきつっている気もするけど。ニールも微動だにしないけど。
それでも紹介に預かったからには、とでも言うのか、ニールは上品に微笑むとさらりと髪を揺らした。
「ハリエットさんには逆に世話になってばかりで、お恥ずかしい限りです。この度はご家族やご友人たちとの邪魔をしてしまって、すみません」
思ってもないことをよくもまあ。いつ聞いても感心する。
頭を下げたニールに、ヒューが何やら言っているけど。
どう考えてもこれは、「クソガキの子守りは疲れたぜェ。ったく、こんなしけた場所によくもまあ」みたいな感じだろう。わたしが相手だったら絶対そう言うよね。
目を細めて、にこりと笑うニールを眺める。あとで絶対文句言うんだから、そこまでしなくてもいいだろうに。
どうしてニールは、そこまで他人を排除したがるのだろうか。