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乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
中等部編
53/110

49 馬鹿

 平和だ!

 おやつにクッキーと紅茶をたしなみながら、カレンちゃんとの話に花を咲かせる。カレンちゃんの淹れた紅茶は飲みやすくて美味しいし、クッキーはどこか高いお店で買ったものらしく、軽い歯触りが心地いい。

 そして、射し込む光の中で優しく微笑むカレンちゃんは、可愛い。

 平和だ。これ以上ないくらい、わたしは幸せだ。

 思えば、こうやって友人と過ごす和やかな時間と言うものは、前世では手に入らなかったものだった。


「えー、じゃあカレンちゃん、今年は帰らないの?」

「うん。帰っても、お見合いとか、あんまり良い話ないもん」


 今年も残すところあと僅かになって、わたしはカレンちゃんに帰省の予定を尋ねた。来年にはわたしたちは、高等部になる。

 それにしてもカレンちゃんの言い分は、実に貴族らしい悩みである。でも確かに、自分をお家の道具として扱われるのは喜ばしいことじゃないだろうな。

 わたしには分からない世界ながらも、カレンちゃんを労るように頷いておいた。


「ハティちゃんは?」

「わたし? うーん、帰ろうかなあと思ってるけど、どうだろう」


 朧気になってしまったヒューの泣き顔と、お父さんのしかめ面を思い出す。もう何年も会っていないので、会いたいのは山々だが。

 クッキーをむしゃむしゃしながら、だらけた姿勢で上を向く。


 ――――お姉さんとの衝撃的な対立があってから、半年。わたしは頭を空っぽにして生きてきた。

 あれから、アルフのためにも、自分のためにも、誰かのためにも、何かをしたことはない。手紙のことも地下室のことも、全部なかったことにした。

 アルフとはまだどこかよそよそしいが、友達として上手くやっている。

 サディアスにはあれ以来、あの時のことを話題に出していない。向こうも気を使ってくれているのか、その話を振らないでいてくれた。

 カレンちゃんともヴィクターとも、こうして何でもない日々を分かち合っている。

 ユリエルとは、ただ授業をする関係に戻っただけだ。本の貸し借りは未だにしているが、何かを相談したりすることはしていない。

 何てことはない、わたしが自分から関わらなければ、こんなにも素晴らしい日常が、日々がわたしを包んでいる。


 それも全部、ニールが。


「ハティちゃんのお家って、どこにあるの?」

「うちはねえ、タリクルス方面だよ。馬車で何時間かのとこ。もしかして、来たい?」


 首を傾げたカレンちゃんに、ニヤリと笑う。

 まあ、うちの家は平民にしては広いような気がするが、間違っても貴族様を招けるようなところではない。他のうちを知らんので何とも言えないけど、まあ多分。

 カレンちゃんは養子とはいえオルブライトさん家の娘さんなので、わたしの発言は無論、冗談である。そもそも、カレンちゃんが見知らぬ土地に行くとなれば、あのシスコンがついてこないわけがない。

 さすがに跡継ぎ長男は招けない。絶対。

 わはは、と笑いながら紅茶の入ったカップを傾ける。


「……うん、行きたい」


 ぶはっ。


「……マジすか?」


 紅茶を吹き出しながら問いかけたわたしに、カレンちゃんは微笑んだ。彼女は、基本的に感情が分かりにくい無表情無口っぷりなので、この微笑みは貴重だ。

 クラスメートが見たらニコポも免れないと言える。

 しかしながら、わたしにとって彼女の微笑みは無言の圧力である。


「さっきの、冗談っていうか……」

「大丈夫。私、もともと、孤児」

「う、うーん」


 真ん丸な黄色の瞳を輝かせるカレンちゃんは、希に見るほどの期待を体現している。わくわく、といった気持ちが全身から沸き出しているかのようで。

 わたしはすげなく断ることができなくなってしまった。

 正直言えば、別にカレンちゃんくらいなら問題ない。本人も言っているが、そこまで階級に馴染みもないようだし、一人増えたところで、わたしの家の広さなら問題はないのだ。

 ただなあ……。


「……それ、お兄ちゃんに言ってきてみ?」

「アルフに?」


 きょとんとしたカレンちゃんに、内心でため息を吐く。近くにいすぎるからなのか、カレンちゃんは自分がアルフに特別想われている(言い換えれば過保護)のだと自覚していない。

 あいつ、この話を聞けば絶対ついてくる。あいつも里帰りに未練があるとは思えないし、少なくとも友人と言う間柄であるわたしの家だ。ついてくる。

 カレンちゃん単体ならともかく、オルブライト兄妹を招くとなると、良からぬ噂が出そうだしなあ。権力のいざこざとか、勘弁。


 とりあえず、カレンちゃんには「お兄ちゃんが良いっていったらね?」と誤魔化しておいた。こくこくと真剣に頷くカレンちゃんには悪いが、ここはアルフがばっさり切り捨ててくれることを祈る。頼む。

 すっかり冷めた紅茶を啜ってみて、渋さに顔をしかめた。





 カレンちゃんの部屋を後にして、そのままふらふらと図書館へと向かう。最近は魔法を勉強するより、物語を読むことの方が多い。

 これを逃避と言わずして何と言うのか、わたしは内心で自嘲しながら、足を動かす。ほんの少し、心の奥では罪悪感が募っている。

 それでも、目を逸らしても良いとわたしは赦されている。


「……あ、」


 図書館へ続く渡り廊下に、ふんぞり返った人影が見えた。わたしは無意識的に声を出してしまっていた。

 その翠の髪が振り返る。わたしも回れ右ですぐにでも立ち去りたかったが、その前にその生徒がこえをはりあげる。


「おい、お前!」


 声変わりがきたらしい。その声は、落ち着いた低い声になっていた。

 わたしは内心イヤイヤ、表面上はにこやかに一礼した。ああー、カレンちゃんカムバック。むしろ今なら誰でも良い、ギータ以外なら。


「どうも……」

「ふん、貴様はまともな挨拶すらできないのか?」


 ギータはいつものように顔をしかめると、わたしをねめつけて笑った。力なく笑い返すと、何故か怒られる。もう嫌だこの理不尽人間。

 まるでテンプレ貴族のこの男は、平民ちゃんでありなおかつサディアスのように実力もないわたしが学園にいることが我慢ならないらしい。

 まあ、生きていればこういうこともある。わたしは適当に媚びへつらって、時間が過ぎるのを待った。

 これは接待だ。これは接待だ。接待なんか、まともにしたことないけど。ぼっちだから。


「ではビヴァリー様、わたしはここで……」

「……ふん」


 しばらくすると興味が失せたように目を逸らして、取り巻きと共にギータは去っていく。よく分からない男だ、こいつも。


 わたしはすっかり萎れた気分で、図書館の扉を開いた。

 今日は何で時間を潰そうかな。そう思いながら、広い図書館を見渡す。

 読書はいつだって、わたしの暇潰しだ。





 お腹が空いたので、夕飯を食べに食堂へ向かう。途中でサディアスと会ったので、たわいない話をして一緒にご飯を食べた。

 別れてからは風呂に入って、借りた本を読んでそのうち眠りにつく。

 何てことない、普通の日常だ。わたしが求めてやまなかった、友人と過ごせる他愛のない日々。

 ニールが許してくれた一日だと言うのに、どうしてわたしの心は晴れないのだろう。





 ――辛いことを思い出す必要なんかありゃしねェ。逃げたって誰も責めやしねェし、それでいいんじゃねーの。

 ニールはあの時、あの夜にいつもの窓から現れて、そう言った。


 お姉さんが待ち構えるようにして高等部の校舎にいたこと。こちらに敵意があったこと。やけに悲しそうだったこと。全て忘れてしまうように言ったこと。

 全てを支離滅裂にぶちまけたわたしに、ニールはやれやれと肩をすくめた。


「テメー、そんな大事なら俺にも言えよなァ」


 ため息混じりにそう言われて、言葉に詰まる。確かにニールには、訳も話さず見取り図だけを求めてしまった。彼からすればそれは、横暴だったのではないだろうか。

 ベッドの上で縮こまるわたしに、ニールは優しく微笑んだ。久々に見る、ニールの優しい笑顔スマイル


 げ。


「まあ? 俺は優しいからなァ? こ、れ、で、チャラにしてやるよォ……?」

「ひっ……」


 ゴツン。

 わたしの頭の上に落ちた拳に、声にならない悲鳴が漏れる。口を開けることもできずに悶絶するわたしを見て、ニールが腹を抱え出す。

 くそ、死ね! 死ね! んちくしょー!

 心の中で必死に罵倒しながらも、実際は頭を覆ってもんどりうつことしかできない。何とも言えない味がして、拳骨を食らわされた部分を擦る。

 ああ、ハゲたらどうしてくれよう。


「ざまあみろ、馬鹿。ちっとはその頭ん中、減らせよ」


 ニールが言って、にやりとする。しかしながら彼も右手をぶらぶらとさせていたので、痛かったらしい。貧弱め。

 未だにじんじんとするものの、落ち着いてきた痛みに、ベッドへ座り直す。椅子に腰かけたニールと対面するようにして、わたしはさっきの話をもう一度、簡潔に直した。

 ニールは興味なさげにそれを聞いている。


「で。つまり、やっぱあの女が何か企んでるってことかよ」

「……やっぱり、そうなのかな」


 ニールの言葉が刺さる。お姉さんは何か堪えるような顔をしていたが、やっていることはサディアスとわたしに対する攻撃だ。

 あの場にサディアスがいたからいいものの、わたしならあれは、無傷では避けられなかっただろう。

 思い返せば、あの薄暗い校舎に意識が沈む。それを引っ張りあげたのは、珍しく声を大きくしたニールだった。


「とりあえず間違いじゃねェ。あの女にはもう関わるな」


 はっきりと、そう言った。わたしよりもお姉さんとの仲は深い(少なくとも時間は長い)はずのニールは、あっさりお姉さんを見限ったのだった。

 ニールは決して、情が薄いわけじゃない。その境界がはっきりしているだけで、中身は豆腐メンタルの、ただの人だ。


「何で、そうもはっきり言えちゃうわけ……」


 責めているわけではない。呆然としたまま出た言葉に、ニールは首を傾げてこちらを見た。

 月明かりに照らされて、紫色の瞳が輝く。綺麗なものだ。ボーッと見つめていると、ニールは目を細めて問いかける。


「何で?」


 どういう表情なのか、判断がつかない。わたしを馬鹿にしているのか、見守っているのか、ともすれば悲しんでいるのか。


「だって、お姉さんだよ。わたし、よくしてもらって、それで、入学式も、抜け出したときも……お姉さん、可愛いし……優しいし……」


 ニールが逃げたときだって、一緒に探してくれたし。わたしとニールがデキてるように勘違いして、勝手に盛り上がって。水溜まりで転けるし。

 いつだってお姉さんは、わたしを見守っていて、ちょっとおっちょこちょいなお姉さんだった。

 ニールはそれを聞いて、今度はしっかりと笑った。その意地の悪い笑い方に、今回ばかりは安心しない。


「人は何も、紙でできてるわけじゃねェんだぜ。俺の猫被りが気持ち悪いっつったお前が、まさかあの女のアレが全てだとは思わねーよなァ?」


 息が苦しい。

 ニールの言葉は、今のわたしには毒にしかならない。

 ニールの猫被りに気がつけたのは、それはわたしが知っていたから。何も、ニール本人を見たわけではないのだ。

 彼はそう信じて疑わないけれど、実際のところ、あの頃からわたしはキャラクターを紙のように見ていた。もとより人付き合いのとんとないわたしに、優しくしてくれたお姉さんの裏側を覗くことなんて、できやしなかったのだ。

 ヴィクターやサディアスやアルフやカレンちゃんに「恩人」だと言われて、それが心地いいながらも、決して素直に受け止めることができなかったように。

 それはわたしが見たものではないのだから。わたしは前世むかしから、人を人として見ることができない。


「……で、でも、お姉さん、悪い人には見えなかったよ」


 だからわたしは、月並みな言葉を並べ立てるしかない。

 自分でもわかるくらい震えた声をどう思ったのか、ニールは笑みを引っ込めると椅子にもたれ掛かった。


「まあなァ、悪いやつってわけでもねェ。が、信じられるとは思わない方がいい」

「な、何で?」


 なおも食い下がるわたしに、ニールは心底めんどくさそうな視線を向けた。それは憐れみにも似ていた。


「ばっかだなァ、テメーは。こんなどでかい学園建てんのに、権力がどーのこーの、しなかったわけねーだろォ? どっか偉いやつと関わってる時点で、お綺麗なまんまじゃいらんねェよ」


 その目的は、クソがつくくらいお綺麗なままだけど。ニールが言う。

 彼の発言はその通りに思えた。昔、わたしが教会の信者に殴られた時。彼女はいつもの雰囲気をがらりと変えて、そこにいたのは『希代の魔術師』としてのマデレーン様だった。

 それなら本当に、彼女は味方ではないのだろう。

 わたしはようやく、ようやくそれを聞き入れた。


「じゃあ、地下で何を? アルフの記憶は……」

「は、記憶う? ……まあいいや、地下ねェ。何かを隠すのに丁度良かったんじゃねーの」

「隠す……」


 ニールの発言は重要だった。本来ゲームで地下を使うのは、黒幕のニールのはずなのだから。

 目的は、ない。学園や国の破滅を謳ってはいたものの、本当にその意図があったにしては、投げやりな計画だったからだ。ヒロインとの接触も行っていたし。

 つまるところ彼の言うように、「隠れるのに丁度良かった」程度の意味でしかないのかもしれない。


 それはあくまで予想で、本当のところはどうなのか分からない。確かめに行こうにも、わたしでは今度こそ……お姉さんに殺されるかもしれない。

 アルフの記憶も、何も掴めない。そもそも戻したいとそう思ったのは、誰のためだろう。

 危険がないなら、思い出さない方がいいのに。忘れられているのはわたしだけなのだから。

 アルフを危険にさらしてまで、わたしは記憶を戻したいのか? 何のために? 誰のため?


「――――なあ、ハリエット」


 混乱を極めた脳内に、ニールの囁く声が降ってくる。不思議と、この声は安心する。

 いつの間にか手で覆っていた顔を上げれば、ニールは真剣な顔でわたしを見ていた。いつもいつも馬鹿にしたような笑みばかりで、ニールのそんな顔は久しぶりだった。


 そして彼は、わたしに言った。真面目に、最低なことを、適当なふりをして、それでもわたしのために言った。


「……いいの?」


 頭が真っ白で、わたしは馬鹿みたいにそれだけを聞き返す。月明かり以外何もない、薄暗いはずの部屋なのに、わたしはそこに太陽を見た。

 ニールはわたしのか細い問いに、真剣に、何度もうんうんと頷く。二人して、まるで幼い子供になったようだった。


「……いいのかな」

「許す。俺が許す。だから忘れろ」


 なんて横暴な話だ。ヘタレで責任能力なんか全然ないくせに、口だけは随分大きい態度で。

 何の解決にもなっていない。放置して状況がよくなるはずもない。何か、は着々と蝕んでいるはずなのに。


「俺がお前のない頭の分まで、考えてやる。悩んでやる。約束する。だから、お前はオトモダチとせいぜい仲良くやってろ、いいな」


 ニールは馬鹿だ。

 それでもわたしは、その袋小路の逃げ道が涙が出てしまうくらいに嬉しくて、何度も頷き返した。もう悩まなくても、苦しくならなくてもいいのだと思うと、嬉しかった。

 ひどい罪悪感を見ないふりをして、わたしはニールに赦してもらった。

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