48 目を逸らしたくて
ボーッと眺めているうちに、さっきの戦いはアルフの完封で終わってしまった。
いやー、当然だとも思うけど、相手の生徒には同情を禁じ得ない。天に翳していた自慢の剣が、まさか溶けるなんて信じられるだろうか。
早々に降参するしかなくなったわけだが、その時の顔はもう見ていられない。目が点になるという以上に、目ドコー状態だった。
何て言うか、泣かなかったのはえらい。
初手から剣を溶かしてしまったアルフは、故意でなかったらしく気まずそうに頬を掻いていたが、どっちみちこの勝負は盛り上がることなく終わっただろう。ちょっと、実力に差がありすぎた。
またも沸き上がる歓声の中、そそくさと二人が場外に捌けていく。
わたしはもう、さっきのことを忘れるべく模擬戦を鑑賞することにした。ちょっとくらい現実逃避したって、いいだろう。いいよね。いいはずだ。
一人頷いて、闘技場の真ん中に目を戻す。
次は誰が出てくるんだろうなあ。
模擬戦は盛り上がりを増して進んでいく。
先程空中に舞った風属性の生徒は、しかし相手の雷鳴に塞がれ地に落ちてしまった。ちょっと髪やら何やらが焦げたりしていたが、それくらいは想定内らしい。
どうりで女子がやりたがらないわけだ。光属性の人手がない中で、重傷を負うかもしれないなんて、ごめんである。
そう言うわたしも、絶対やりたくない。やっぱり炎と雷は殺傷能力高いって。髪が焦げるのも女の子には色々気を使うところだろう。
「グレンヴィル様――ッ!」
退場していくさっきの雷属性の生徒に、惜しみ無い拍手が注がれる。そう、さっきのはヴィクターだったのだ。
煌めく金髪頭は、歓声に奢ることなく一礼して去っていく。なんと言うかっこよさだろう。
うわあ、近くから恍惚のため息が聞こえてきたぞ。あれだけ顔と家柄と実力が揃っていれば、女子は是非お近づきになりたいだろう。
なるほど、そういう品定め的な目的もあるわけか……。現実はしょっぱい。
いらんことに気がつきながらも、次の試合に意識を向ける。わたしのように純粋に楽しんでいる人も、この中には沢山いるだろうし。
「お、次は…………?」
誰だお前。
見慣れない、いやに装飾ごてごてな生徒が出てきた。いや……見たことがある、ようなないような。
両隣からはさっきよりは慎ましやかな、それでも確かに声援が送られている。結構な偉い人なのか。
偉い人との接点など、友人絡み以外はほとんどないはずである。やっぱり見たことがあるというのは、わたしの気のせいか。
思い直して、その生徒から目を逸らそうとした瞬間に、その気の強そうな瞳とかち合う。すぐさま逸らされるとばかり思っていた視線は、けれども絡んだまま。
あれ?
闘技場の真ん中とは結構な距離があり、こちらからは見えても、雑多に飲まれたわたしが向こうに見えているとは思えない。この方向に、彼が気取られるような何かがあったんだろうか。
ともかく彼が微動だにしなくなったのをいいことに、わたしはその生徒をじっと見つめた。
どうにも見たことがある気がしないでもないのだ。
――見つめる先の相手は、艶のある翠の髪で、その顔は全体的に気が強そうなパーツで出来ている。やや上向きの鼻や、吊った目が意地の悪そうな印象を受けるが、シャープな輪郭と線の細さがどことなく合っている。
明らかに多すぎるだろうとツッコミ待ちな装飾の服に身を包んでいる以外、かっこいいんじゃないだろうか。
うん、でもこんなやつやっぱり見たことないわ。あらためてそう確信して、満足する。
それで、わたしの方は十分に満足したのだが、何故か視線はこっち方向を向いたまま。いくらわたしを見ているわけではないとはいっても、人の視線というのはなかなか気になるものである。
気がつけばわたしは、へらりと愛想笑いを溢していた。
「……ッ!」
途端に、その生徒が眉を吊り上げる。怒りも露に歯を食い縛る様子に、いつかのお坊っちゃんが被った。
「あ、あの時の」
ぽんと手を打つ。
色が白いのか、顔を真っ赤にして怒る男子生徒は、いつかわたしに「マデレーン様のところまで案内しろ」と偉そうに宣ったギータだった。その後、わたしの嫌がらせにキレて、怒鳴っていたところをサディアスに追っ払われた彼だ。
どうやら、向こうはわたしのことをしっかりと覚えていたらしい。うわあどうしよう。
微笑んだまま、今度はこちらが固まる番だった。
目を背けられないままのわたしに、ギータはふんとわざとらしくそっぽを向く。固めてあるらしい髪は揺れず、その服にあるぴかぴかの装飾具だけがしゃらりと音を立てるように揺れた。
それにしても、わたしの知っているあの坊っちゃんとはいささか風貌が異なっていた。
階段で息を切らせていたちょっぴりふくよかなギータは、今や線の細い美少年といった感じだ。ちょっと性格の悪そうな感じが滲み出ているが、そういうのがいいという人もいそうな。
一年も経たない間に、彼にどんな変化があったというのだろう。
ギータは不機嫌そうな顔を隠すことなく、腰に下げた剣を引き抜いた。それもまた金ぴかで、どちらかと言うと実用性に欠ける。大丈夫かよ、と思わず応援する気持ちになってしまった。
が、結果的に言えば、ギータは勝った。
相手も剣を使っていたので、その頬には血が出ていたが、実力は十分に圧倒していた。意外だ。
ギータはまたも不機嫌な顔で剣を戻すと、のしのしと場外まで歩いていく。
「……ううん」
また、目が合う。なんなのだろう、本当に。
とりあえず笑うのが癪であるらしいので、控えめに手を叩いておく。ギータは一層嫌な顔をして出ていった。
本当にあいつは何がしたいんだろう。わたしの笑顔は馬鹿にしているようだと、そういうことか。
確かに昔、ヒューを笑ったら泣かれたような記憶がある。あいつは何でも泣くけど。鼻で笑ったのがダメだったらしい。
「次はカルヴァートさんですって!」
「本当? 次って、オルブライト様とじゃない?」
きゃいきゃいというよりは、怖々という女子たちの声に、すぐさま意識はギータから逸らされる。そんなことより、さっきの名も知らぬ女子の話が本当なら、次の戦いは二強である。
わたしも自然と、顔がひきつってしまった。想像なら何度もしたことがあるが、実際二人の戦いを前にするとなると、興味より先に恐怖がくる。
何だかんだで、今までのはプロレス観戦的な楽しさの中だったが、今回は何か、もう某怪獣対某メカ怪獣のようなものである。
わたしはごくりと唾を飲んで、ゆっくりと歩み寄る二人を見つめた。サディアスの方に、高等部であったことを気にする様子はなくて、安心した。
今回ばかりは、何故か観覧席まで静まり返っている。前回アルフは出ていないのだが、やはり彼のスペックはみんなが知るところなのだろうか。
若干前のめりになって、二人を見守る。
「あ、ハティちゃん」
「おわっ」
緊張感がこの場を支配するなか、突然かけられた声に肩を揺らす。びっくりと振り向けば、そこには髪を結い上げたカレンちゃんがいた。
彼女も見に来ていたらしい。
「一緒に、見てもいい?」
「ああ、うん。どうぞどうぞ」
広々とした席は、二人で身を寄せても十分だ。隣にカレンちゃんを座らせて、わたしはもう一度二人の姿を確認した。
サディアスは、詰め襟の畏まった服に、いつもの剣を下げている。やはり外傷はないようなので、気になるのはさっきの出来事でわたしのようにショックを受けていないかだ。
アルフの方は、サディアスよりも細身の剣を下げ、白いジャケットに身を包んでいた。そこに燃えるような赤が映える。
「カレンちゃんは、どっちが勝つと思う?」
確か、カレンちゃんはサディアスとも面識があったはずだ。そういうようなことをヴィクターが言っていた。
何となく、場を和ませるように問いかけてみれば、カレンちゃんは大きな目を緩ませてわたしに微笑んだ。
「サディアスさんかな」
あ、アルフじゃないんだ……。
わたしの微妙な気持ちに気づいたのか、それとも分かっていたのか、カレンちゃんはふふふと口元を押さえた。どこかしら小悪魔的なその行動に、どきどきと胸が高鳴る。
「アルフも、おんなじ顔してた」
ああ……可哀想に。わたしは思わず目頭を押さえてうつむいた。胸の高鳴りが抑えられない。
その時のアルフの感情がよくよく理解できる。きっと、そこは可愛く微笑みながら「アルフだよ。頑張ってね」とか言う最愛の妹の姿を期待していたのだろう。
それがまた、サディアスとは。カレンちゃんも、そんな無慈悲なことをしなくたって。
つくづく、オルブライト家の兄妹はうまいこと成り立っている。尻に敷く方と敷かれる方に。
「だって、火と水なら、水の方が強いよ」
「それはそうだけどね……。そこは、アルフって答えを期待してたんじゃ……」
「ふふふ。賭けてるから、ダメなの」
無慈悲。
賭けにしても、兄に賭けてやれよ。
「だ、誰と?」
「ヴィクター」
あの金髪、なんてことを。
微笑んで視線をサディアスに向けるカレンちゃんの横で、わたしは涙を飲みながらアルフへありったけの同情を寄せた。
確かにカレンちゃんの言うことも一理あるし、そもそも魔法と剣とを両方使えるサディアスの方が勝ち目は多い。アルフも獣になれればまさにチート級の強さなのだが、いかんせんここまで観客がいるのでは、しないだろう。
ああ、それでもわたしはアルフを応援しよう。
こんなに可愛い妹に裏切られた時の心境は、一体どういうものだったのだろう。
なんて可哀想なアルフ。
わたしは出てもいない涙を拭う真似をした。
「あ、始まるよ」
目元を押さえていたわたしは、カレンちゃんのあっさりした声に闘技場を見た。今回はアルフも、パフォーマンスなしにサディアスと対峙している。
剣を抜いた両者が、走る。
それからは、圧巻の一言に尽きた。
アルフの剣がサディアスに伸び、サディアスがそれを軽く振り払う。かと思えばその剣は炎の熱を帯び、サディアスの刃を焼いた。
傷ついた剣を見て、サディアスはすぐさま水の刃を作り出す。アルフの熱剣は折れた。
「うわあ……」
感嘆の声ではない。ドン引きの声だ。
サディアスの飛沫が弾丸のような勢いでアルフに降り注ぎ、それを炎が蒸発させる。アルフが唸って爆発させた焔は、それの倍にもなる水が押し潰した。
魔力に制限のない二人では、こうなるのか。
なんと言うか、こんな魔法の打ち合いで壊れない結界がすごい気がしてきた。想像以上のインフレ試合に、周りもドン引きな気がする。
ここにいないニールにも、是非これを見せてやりたい。わたしと同じく技巧派のあいつなら、この胸に沸くなんとも言いがたい気持ちを理解してくれるだろう。
「これ、長くかかるかなあ」
「そうだね……」
カレンちゃんの呟きに、げっそりとしたまま返す。
あの真ん中に割って入ったら、誰でも重傷は免れない。故に、途中で止められることはないだろう。
あといつまで続くか分からない地獄の戦いに、わたしは寝ることを真剣に検討した。
その後、アルフとサディアスの戦いは、辛くも水滴で目潰しをしたサディアスの勝利で終わった。
その時のカレンちゃんの極上の笑顔は、筆舌に尽くしがたい。
模擬戦が終わって、優勝祝いの文字通りお祭り騒ぎになったところで、わたしはこっそりと寮に帰った。
結局何だかんだで模擬戦自体は楽しんでしまったが、その後のお祭りまで楽しむ余裕はない。それに、思わず逃げてしまったが、直面したあの事態についても思考が必要だ。
ガチャンと部屋の扉を閉めて、そのままベッドに崩れ落ちる。
「…………お姉さん」
この部屋もこの服も、彼女が用意してくれたものだった。
このベッドの香りさえ、彼女の用意したものだ。
この学園は、彼女が創ったのだから。
ではそこにいるわたしに、わたしたちに逃げ道はあるのだろうか。彼女が何かを企んでいるとして、それを防ぐ手立てなど、わたしに考えられるだろうか。
いや、彼女は――お姉さんは本当に、良からぬことをしていると言えるのだろうか?
悲しそうな顔をしていた。少なくとも、わたしたちを阻んで楽しそうにしてはいない。
わたしとサディアスを攻撃した。あれは、生徒を想う彼女らしくない。
人の意思は読めなくて、それ故に分からない。