表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
中等部編
51/110

47 失意

 サディアスと共に歩き出した道は、高等部の校舎へと続いていた。

 見慣れたクリーム色と青い屋根の校舎が見えてくる。それが近づくたびに、わたしの心臓は鼓動を止めそうになる。


「ハリエットさん、大丈夫か? 顔色が……」


 よほどひどい顔をしているんだろうか。屈んでわたしの顔を覗き込んでくるサディアスに、わたしは何とか笑いかけた。

 返事の代わりに、はたはたと風に煽られている小豆色のコートを引っ付かんで、自分を奮い立たせる。

 何て様だろう。こんなにわたしはビビりだったっけな。


 そんな風に自嘲しつつ、下がりそうになる足を気丈に動かす。

 やはり高等部の生徒も闘技場に出ているようで、人の気配は全くない。しんと静まり返った校舎は、どうしてか不気味に見えてくるものだ。

 玄関の前にまで来て、そっと深呼吸。


「さて、行くか。サディアスくん」

「ああ……入って、いいものか」


 ここまで来て今さら戸惑う様子を見せたサディアスに、わたしは問答無用で引っ付かんだままのコートを引っ張る。

 臆することはない! 学園を抜け出したわたしが言うのだから、心配はいらない。校舎に忍び込んだくらいで、退学にはならんだろう。多分ね!

 その心配がなければ、あとは折檻くらい耐える。

 コートをぐいぐいとされて、サディアスも重い足を引きずって、校舎内に足を踏み入れた。


 見慣れた光景ではあるのものの、スチル背景と実物では質感も印象も違う。なおかつ、がらんどうの校舎は見たことがない。

 わたしはかつかつと音を響かせ、廊下を進んでいく。


「向かっているのは、地下? 詳しいんだな、あなたは」

「……まあね。見取り図もあるし。一階の突き当たりに、地下室があるはずなんだよ」


 ニールのくれた見取り図をサディアスに渡せば、彼はそれをしげしげと眺め出した。今日一日でひどい扱いをしたせいで、その紙はくしゃくしゃだ。

 二人分の、重さの違う足音が廊下に反響する。それ以外、何も聞こえない。

 耳の横で、ふわりとわたしの髪が揺れた。


「――――ッ」


 突然、サディアスが息を飲んだ。

 剣さえ抜きそうなただならぬ様子。それに何かを問いかける前に、彼はわたしの手をきつく掴んだ。

 でもそれだけだった。逃げるとも、戦うともしない。

 わたしはどうしていればいいのか分からなくて、声さえ掛けられなかった。わずかな沈黙は、サディアスの固い声に破られる。


「…………いる」

「――え?」

「誰か、いる」


 何も聞こえない。

 耳が痛いほどの静寂の中、わたしとサディアスの吐息以外が死んでいる。サディアスの言うように、誰かがいるなんて信じられなかった。

 それは彼も同じだったのか、声に出すことでさらに握る手の力が強くなる。


「……誰だ。気づけないなんて、そんな」


 ぽとりと落ちた本音がすべてを物語っている。

 そうだ、あのサディアスが気づかないなんて。

 彼には、使いこなせる魔法だってあるのに。人の有無を探ることなんて、水なら簡単なはずだ。わたしはそれを知っている。

 こと水魔法に関しては、技術だけは勉強した。サディアスが察知できないなら、それは打ち消されている。


 そんなことができる人間なんて、この学園ではひどく限られているだろう。

 窓が閉ざされているはずの廊下に、生ぬるい風が吹き荒れる。わたしの髪が揺れる。


 かつん、かつん。

 と、ゆっくり近づいてくる音は、わたしの予想を現実のものにした。



「……お姉さん」


 彼女はひどく悲しそうな顔をしていた。


 黄緑色の見知った女性を前にして、わたしの足は張り付いたように動かなくなった。どうして彼女がこんな場所にいるのか。

 考えたくない。本来なら、彼女のような人は、あの賑わいの中にいるはずだ。間違っても、人気のない校舎になんかいない。

 ――ここに何かあるからこそ、ここにいるんだろう? ビンゴだ。アルフはここへきた。ついに突き止めた。喜べ、喜べ、喜べ。


「……マデレーン様、何故、ここに」


 固い声と共に、サディアスがわたしの前に出る。広い背中に隠れて、お姉さんの姿が見えなくなったことに、ひどく安堵した。

 風は未だ、びゅうびゅうと吹き荒れている。窓が揺れる。


「貴方たちこそ、どうしてここにいるの?」


 声色は、いつもと変わらないように聞こえた。いつものように、ドジで天然でおっちょこちょいなお姉さんの声だった。

 サディアスの手が剣に掛かっているのが、嘘みたいだ。嘘だったらどんなにか。


「ねえ、何をしているの?」


 答えないわたしとサディアスに、お姉さんは優しく問いかける。

 お姉さんは優しい。後ろから覗き込んで、優しくそう聞いて、ふふふと口を押さえて笑う。そういう人だったはずだ。

 お姉さんの問いにサディアスが答えられるわけもなく、その答えはわたしが持っている。だからこそ振り向いてこちらを伺ってきたサディアスに、わたしは小さく頷いた。

 そっと一歩だけ前に出て、サディアスの横に並ぶ。


「……ここに、何かありますか? わたしたちに見せられないようなもの、ありますか? 悪いものがありますか?」


 わたしの問いに、お姉さんはひどく悲しそうな、傷ついた顔をする。わたしにはその理由がわからなかったけれど、わたしの思う優しいお姉さんが、そうではなかったという事実だけが悲しかった。


 それが、何で悲しいのかを考える余裕はない。

 お姉さんを穴が開くほど見つめ続ければ、彼女は小さく小さく息を吐いた。

 その吐息が、強風に変わる。


「――――くッ……!」


 サディアスがコートを翻し、わたしを包み込んで後退した。視界が真っ赤になって、耳に風の音だけが届く。

 落ちたコートに視界を開けば、わたしたちが立っていたはずの場所にはガラスが散っている。

 ゾッとした。

 ガラス片を巻き込んだ風を受ければ、裂傷は全身をくまなく這うことになる。瞳や首も避けられない。


「サディアス、大丈夫?!」

「……問題はない」


 サディアスはコートを脱ぎ捨てると、その鋭い目をお姉さんへと向けた。その体に傷は見られなくて、わたしは息を吐いた。

 お姉さんは相変わらず、何もしていないような姿で悲しく笑んでいる。黄緑色の髪が逆立つように風を纏っている以外は。

 あのお姉さんが、生徒を傷つけるだろうか? 未だに目の前の女性があのマデレーン様なのだと、信じがたい。


「どういうつもりですか!?」


 開いた距離と風の音に負けないように、叫ぶ。自分が思うよりか細い悲鳴になったその言葉は、しかしお姉さんまで届いたようだった。

 お姉さんの笑みが深くなる。


「どういうも何も……こんなところに中等部の生徒が来ちゃダメよ?」

「地下に何かあるんですかッ!? ねえ、アルフは!」


 アルフは、どうして。問いかける前に、お姉さんは表情を消す。

 わたしはじりじりと後ずさっていた。悲しさと恐怖と未知とがない交ぜになって、自分でもよく分からない。こんなに混乱を極めた感情を抱いたことは、前世でも一度もない。

 簡単な、分かりやすい好き嫌い以外の感情を、わたしは……。


わたくしのことは信じなくても、いい」


 表情を消したお姉さんが、突如としてそう言った。ごうごうとなる風の音も何も聞こえなくなって、その言葉だけが頭に残る。

 無表情のはずのお姉さんは、確かに泣いている気がした。


「私は、ここが……それを……大切に、守るために、創ったのだわ」


 確かめるように、自分に言い聞かせるように言うお姉さんは、不思議なことにわたしと重なって見えた。何かを守るとか、そういうことじゃなく、ただ不安な人間のように見えたのだ。

 爪を噛むお姉さんは、そのままわたしたちに背を向ける。


「…………去りなさい。見なかったことにしなさい。何も知らなかった。それだけを覚えていなさい」


 絞り出すような声に混じって、がりがりと爪の剥がれる音がする。

 相変わらず、わたしの足は張り付いたように動かない。意図せずは動くというのに、お姉さんに駆け寄ることも、逃げることも叶わない。


「ハリエットさん、行こう」


 暖かさに包まれて、ようやく一歩、足が下がる。


「っ、サディアス……くん……」

「いいな」


 わたしの情けないほどの震えた声に、サディアスは有無を言わせず手をとった。よろよろと足が動いて、サディアスのあとをついていく。

 お姉さんは最後まで、振り向くことがなかった。ただ、廊下の先の暗闇だけを見つめていた。

 ああ、なんだか頭が重い。





 手を引かれるまま、わたしは闘技場の席の一つに座らされていた。

 恐らくはサディアスが連れてきてくれたのだろう。校舎からの記憶は曖昧で、どこをどう通ったのかも覚えていない。

 ただ、わたしが考えたくないだけかもしれない。

 こうして賑わう人に埋もれていると、さっきまでの沈黙が嘘のようだ。人の熱と笑い声に、体の感覚が戻ってくる。それと同時に、さっきのことも。


 ワンピースの裾を握り込んだ拳が、ぶるぶると震えだす。わたしが今、お姉さんに怒っているのか、恐怖しているのか、悲しんでいるのか分からない。

 ……冷静になれ。冷静にならなくちゃ。客観的に物事を見るのは、苦手ではなかったはずだ。

 わたしは深呼吸して、周りの歓声と応援を意識から追い出す。


 あの場にお姉さんがいたのは、偶然ではないだろう。わたしが来ると、お姉さんは分かっていたのだろうか。

 そして、あの場には必ず何かがある。地下の、物置であるはずの場所。ゲームではニールが住み着いていたが、今回は違うはずだ。ニールがそんなことするはずは、ない。

 やはり、お姉さんが何かしているのだろうか。優しい顔は嘘だったのだろうか。

 ――そして、あの場がアルフの踏み入れた場だとするのなら、何故、わたしとサディアスは記憶を消されることはなかったのか。

 仮にお姉さんが消せるすべを持っていなかったのだとしたら、アルフの記憶を欠いた者は他にいることになってしまう。それも、闇属性か、滅んだはずの呪術を使う人間か。


「ぐ……ああっ、もおお!」


 イライラする! わけのわからないことばっかりだ!

 お姉さんは何か怪しいし、言ってたことも気になるし、答えは全部わたしには求められないし! わたしはただ、アルフの記憶を返して、それで、またみんなで仲良くできたらいいと!

 それを阻む理由が、一体どこにあるというのだ。

 わたしは髪の毛を毟るかのように掻き回して、大きく肩を落とした。髪の毛はぼっさぼっさになってしまった気配がするが、そんなことはもうどうでもいい。

 なんかもう、色々どうでもよくなってきた……。


「何のためにこんなことしてんだっけ、わたし」


 上を見上げてみても、日除けの骨組みが見えるだけだ。風が頬を撫でるのが鬱陶しくて、わたしは両手で顔を押さえた。

 自分自身の前世なかみさえ分からないのに、他人なんてますます分からないに決まってる。


 ますます項垂れたその時、わたしの周りを包み込むように、一際大きな歓声が巻き上がった。折角聞こえないふりをしていたのに、あまりの大歓声に思わず気をとられてしまった。

 普段なら、絶対に聞くことのない淑女の皆さんの黄色い声。


「オルブライト様――!」


 おわあ、アルフかよ。


 さっきまでの心ポッキリ状態も忘れて、その歓声に煽られるように真ん中の闘技場へ目を移す。そこには、日を受けて一層燃える赤い髪。

 真っ直ぐ前だけを見つめていたアルフは、それでもその歓声に答えるべく大きな炎を頭上に灯した。わたしの視界がぶれる。

 周りの期待に、こうやって答えるアルフを見るのは初めてだ。わたしの知る(ゲームの)アルフは、何にも興味がない、まるで視界に入ってもいないように振る舞う。

 アルフのパフォーマンスに、相手の男子は剣を抜く。それを天に翳して、やはり周りの歓声に答える。

 周りは熱く、熱くなっていく。

 楽しそうな顔が、周りを埋め尽くす。


「……」


 アルフが微かに笑って、頭上にある炎を散らした。周りに散らばった火の気が、放射状に伸びていく。

 周りは沸き立つ。

 ――――ああ、いいなあ。


 その時わたしはそれの全てが、何でかとても羨ましくなったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ