44 悪戯っ子×2
うーん、飯がうまい!
アルフとカレンちゃんと顔を付き合わせて食う飯がこんなに美味しいとは、アルフとの邂逅に怯えていたかつてのわたしが予想できただろうか。
スープに浸してふやけたパンを掬いながら、始終和やかな昼食に舌鼓を打つ。特別美味しい作りじゃないのに、心持ち一つで味はこんなにも変わるものだ。
わたしは穏やかな心で食事と、それに伴う会話を楽しんでいた。隣では野菜を口に運びながら、カレンちゃんが目だけでアルフへ訴えている。
当の本人は、今まさに慌てたような弁明を繰り返していた。
「だから、それに関してはまだ――ちょっとカレン、何、その目は」
「別に」
「言っておくけど、俺は別に恥ずかしいから躊躇しているわけじゃない。ただ、そのまだ時期というか、日が浅いというか……」
「会ったのは、七年も前」
「ぐっ……」
アルフがなんとも言えない顔で言葉に詰まる。本人は覚えていないことを気に病んでいるために、カレンちゃんの指摘はこうかばつぐん状態だった。
顔を伏せて沈んだアルフを尻目に、わたしとカレンちゃんは仲良く笑い合う。やっぱり、兄妹ヒエラルキーはカレンちゃんの方に分があるようだ。わたしの目に狂いはない。
「別に、たかが呼び方じゃないですか。それに、わたしに昔のように接してほしいと言うなら、オルブライト様もそうするべきです」
そうです。わたしだって、アルフをわざわざ様付けで呼びたくなんかない。何せ、彼は家が好きじゃないのだから。
だからこそ、友達になるのに伴って「昔のように接してくれていい」というアルフの申し出には即頷いた。
そして、それと同時にわたしの方にも考えがあり、軽い調子で提案したのだ。「じゃあ、わたしのことはハティと呼んで下さい」と。
アルフはわたしのことをハティと呼んでいた。呼び始めたのは学園を抜け出した夜で、あの時は照れたアルフをからかいながらも、妙に嬉しかったのを覚えている。
それを思い出して、懐かしむような気持ちで言っただけだったのだが。しかしアルフはわたしの言葉にどうしてか固まった。
そして現在、アルフの言い訳という名のよくわからない発言が続いているのである。正直呼び名一つはどうでもいいのだが、この兄妹があまりにも面白いので放置していた。飯がうまい。
「……俺のことはアルフでいいよ。そう呼んでたんでしょう」
「ではわたしのことはハティと、どうぞ」
「……ほら、まだ友達になったばかりだし」
「ではわたしのことはハティと、どうぞ」
「……」
カレンちゃんのごとく繰り返してみれば、アルフは苦虫を噛み潰したような顔で黙った。その恨めしい目はわたしでなく、カレンちゃんに向いている。
そんな燃える色の目を向けられたカレンちゃんはというと、黙々と肉を切っている。本当に、アルフの立場が弱い。おかしいな、ゲームではこんな関係性じゃなかったんだけどな。
首を傾げるわたしに、アルフは仕方ないと言った様子で視線を戻す。赤い目が悲しげに伏せられたその表情は顔の作りもあって悲壮感に溢れているが、ただ単に義妹に無視されただけである。
アルフはシスコンだな。
「せめて、ハリエットでいい? じきに、そのうち呼ぶから」
ぼそりと言われた言葉があまりにも元気がなさすぎて、わたしは頷いてしまっていた。
愛称を呼ぶことをそこまで拒否る意味が分からないのだが、わたしもそこにこだわっているわけではないから、いい。少しだけ距離の開いたような呼び方が、今のわたしたちの「友達」という関係性にあっているような気もした。
それなら、わたしもそうしよう。
「じゃあ、アルフさんと呼ばせてもらいます。わたしも、そのうち昔のようにしますから」
きっと、アルフの記憶の手がかりが見つかれば。犯人が分かれば。記憶が、戻るなら。
そのうち、が来たら、わたしもちゃんとアルフをアルフと呼ぶことにしよう。
今はまだ、これくらいの距離感がちょうどいいのだと思う。隣り合ってご飯を食べていたあの頃のようではなく、テーブル一つ挟んだこの距離が。
「やあ、誰かと思えばアルフとカレン嬢。それにハリエット」
メシウマな食事を終えて、のんびりとした談笑に花を咲かせていると、背後から艶のある少し高い男の声が聞こえてきた。わたしはともかく、アルフやカレンちゃんを呼び捨てできるような立場の人間は限られている。
わたしたちが振り向く前に、真ん前のアルフがさっと立ち上がった。その顔は自然に微笑んでいて、わたしも声の主に思い当たった。
「ヴィクター! どうした、食堂に来るなんて珍しい」
「たまにはな。ほら、午後の講義が空いているだろう。そっちは……何だ、邪魔したか?」
わたしとカレンちゃんを見て笑うヴィクターに、振り向いたわたしたちも立ち上がって礼をした。カレンちゃんの方は、優雅な動きでスカートの端をつまみ上げている。やべえマジモンの淑女だ。
あらためて周りにいる人間の身分の高さを実感する。確実に非礼になると分かりながらも、わたしは唯一できるかしこまった礼の形を取り直した。腕を後ろで組んで頭を下げるのだが、言うなればこれはマナーを知らない庶民さんとか、子供がやるようなものなのである。自宅と王都の酒臭いギルドしか満足に知らないわたしに、優雅な動作なんてものは欠片も見当たらない。うーん無作法。
しかしヴィクターは頭を下げたままのわたしの肩を叩くと、そのまま笑った。掠れた声が漏れ出したのを聞いていると、顎の下に手を入れられ顔を上げさせられる。
見上げた先のヴィクターは灰色の目を細めて苦笑していた。
「馬鹿、俺は恩人に頭を下げられる趣味はないぞ」
「お……は、はい」
とは言われましても、これは形式美というか、儀式的なあれだ。いくら身分差に拘らないのが基本の学園内でも、敬う態度は取らなくてはならない。
しかもここは食堂であり、まさに他の生徒たちが近いテーブルを囲んでいるわけで……。
属性的に、非常に目立つのがまずいわたしは、慌てて後ろに下がった。さっとスカートの端を持ち上げていたカレンちゃんは、既に頭を上げてアルフの横に立っている。
すがるように向けた視線に気付いたのか、アルフが一歩前に出てくれた。
「今日はカレンと約束をしていたんだけど、彼女も誘っていたようで。さっきまで共に食事をしていたんだ」
「ほお、何だ。俺も誘ってくれても良かったのに。なあカレン嬢」
「……仲直りの、場だったので。また、誘います」
カレンちゃんの言葉にヴィクターは大きく笑うと、「是非そうしてくれ」と肩を叩いた。「仲直り」に突っ込まない辺り、まさか事情を聞いていたんだろうか?
前聞いてはいたが、カレンちゃんとヴィクターは何やら仲がいいところがある。隣で、不可思議ななんとも言えない表情をしているアルフがその証拠だ。嫉妬だ、これは嫉妬だ。
アルフとヴィクターがどの程度親しいのかわからないが、アルフはわたしを忘れている。カレンちゃんとヴィクターが「恩人」の話で盛り上がったなら、それを共有できないアルフとはそこまで親しくはならなかったのかもしれない。その恩人がわたしだと思うと、なんともむず痒い気分になるんだけど。
「そういえば、ハリエットは授業はいいのか? そこの二人は俺と同じだから問題はないが」
「あ、はい。わたしは基本的に魔法以外の授業は取っていませんから」
「……ん? ではあれか、実習で剣は使わなかったのか。護身用とは言ってたが」
人差し指を顎に当てたヴィクターに、手紙のことを思い出す。そういえば旅人だとかなんとか言って、文通したんだっけ。あれがわたしだと知った以上、王都にいたのは学園の実習だったと考えるのが普通だろう。
わたしの属性を知らなくとも、まあ普通に考えて剣も使わなきゃやってけないと思うよな。実際、短剣でぐさぐさいったのも一度や二度じゃないわけだし。
その生々しい感覚と、併用した強化魔法による尋常じゃない筋肉痛が思い出されて、わたしはとっさにぶんぶんと頭を振った。
「その、長剣の類を使ったことはないんです。魔物が主な対象でしたし」
「ああ、そうだったな。肩はもういいんだよな。痛むことは? ハリエットの手紙で魔物が描かれるたび、俺は心配したものだ」
ヴィクターの問いに頷いてから、心配の言葉に一瞬固まる。そうか、わたしが怪我をして、心配してくれていたのか。あの簡潔な手紙のやりとりではそこまで読み取れなかったが、ヴィクターはあまりにも優しい。顔も知らない手紙の主を案じてくれるほどに。
そう思い至るのと同時に、ふとあの最後の手紙を思い出した。慌てて、微笑を浮かべて懐かしさに浸っていると思われるヴィクターに詰め寄る。
「手紙の返事、本当にすみませんでした。心配してくださって、ありがとうございます」
これだけは土下座してでも言わねばならない。よもや死まで疑われていたとは、この優しい青年にはどれだけの心労を掛けたことだろう。
そんなわたしにヴィクターも手紙について思い至ったのか、その笑いを一層深いものにする。けれどそこには隠しきれない安堵が浮かんでいるように見えて、わたしは一層深く反省した。せめて今後、連絡が取れなくなる場合は一言残そう。
「いい、何ともないんだから。それにこうして今会えた。――まあ、何かしらの償いをしてくれると言うのなら、それもやぶさかじゃないが?」
「……うぐ、い、いいですよ。何でもおっしゃって下さい」
ニヤリと笑うヴィクターは、実に楽しそうな、さっきとは違う年相応な笑顔を見せた。冷たく見えていた顔は、一気にあどけなさを取り戻す。
アルフたちと対峙している時は落ち着いた品位のある立ち振る舞いをしていたが、それはやはり彼の努力なんだろう。ゲームでの我が儘坊ちゃんっぷりを知っているわたしからすると、今の彼の姿は感涙ものだ。
故に、ちょっとした悪戯っ子のような面にも目を瞑ろう。何でもしますから! というわけでは、断じてないが。
「まあ、今すぐというわけじゃない。何か、うんと面白いことを考えておこう」
「期待シテマス」
「くくく、面白いな貴方は。大丈夫、提案はカレン嬢にも助力いただくから」
「任せて」
はたしてどこから話を聞いていたのか、アルフの方を向いていたカレンちゃんは颯爽と振り返って言い放った。何故だろう、悪い子ではないと理解しているはずなのに、このコンビにめちゃくちゃ不安を覚える。
本当に、どこまで情報を共有しているのだろうか。男装のくだりとか一ヶ月ストーカー行為とか、アルフづてに漏れていたら手紙の主の威厳が地に落ちるどころでは済まない。地面にめり込むレベルだ。
そこの不安を感じたまま、いい笑顔のヴィクターをじっと睨んでいると、不意にカレンちゃんの隣にいたアルフが言いにくそうに声を漏らした。
「っていうか……お前ら、仲いいの?」
アルフの赤い瞳は、わたしとヴィクターの間で揺れ動いている。
その言葉に、目の前にいたヴィクターがあからさまに目を丸くした。何を言っているんだこいつ、と雄弁に語るその表情に、アルフの困惑も強くなってくる。
その表情を見て何かを思い出したのか、ヴィクターはため息と共に言葉を吐き出した。
「仲がいいも何も……彼女からの手紙を俺に寄越したのはお前だ」
「手紙?」
ヴィクターのため息混じりの発言に、アルフが信じられないような顔でこっちを見てくる。そりゃヴィクターぐらい偉い人にわたしが手紙を出すのは変だろうが、それを律儀にも届けてくれたのは、今超驚いているアルフである。つまりお前に驚く資格はない。
曖昧に首を傾げるに留めたわたしの前で、ヴィクターが思案するように下を向く。
「全く。どうして忘れてしまったんだろうな。忘れられるような人間には見えないが」
「……それわたしのこと言ってます?」
「そう思うか?」
遠まわしにキャラが濃いと言われているような気がして問いかけてみたが、ヴィクターは意味深に笑うだけだ。やはり、初等部時代のわたしの行動(奇行ともいう)は伝わっているのかも知れない……。
落ち込むわたしの横で、アルフは何かを考えるようにこめかみを押さえた。
どれだけ考えても、魔法関係であるならば、アルフの記憶がたやすく戻ることはない。寄り添うようにして背に手を添えたカレンちゃんに、わたしは息を吐いた。
このまま記憶が戻らない方が、アルフにとっては安全でいいのかもしれない。
少なくとも、誰も信じられなくなって、カレンちゃんでさえ遠ざける羽目になってしまうよりは、わたしの記憶の方がはるかに軽い。というか、わたし自身はおまけだ。
「気づいた何か」を忘れているのが問題でもあり、また救いでもある。
「そんなことより、お昼食べないんですか? ヴィクター様」
とりあえず今は、彼らに何も話すことはない。
わたしはからかうようにヴィクターの背を押した。いささか気安い態度にも思えるが、こんなときはいい気がした。
ヴィクターが怒るわけでもないし。