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乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
中等部編
46/110

42 沈むように

 真夜中にニールが現れた、次の日。わたしはちょっとした寝不足に苦しみながらも、ユリエルの待つ教室に向かっていた。


 結局昨日は有力な打開策は浮かばなかったものの、ニールとの軽口で少しだけ気分はマシになった。そもそも、わたしは五年もこの学園からいなかったのだから、その分の問題を一気に解決できるわけもない。

 焦っても仕方ないのだ。こつこつやるのは得意じゃないが、思考の泥に飲まれては本末転倒だ。

 考えるなら一歩ずつ。わたしは特別頭がいいわけじゃない。


「せんせ、入りますよ」


 コツコツと扉を叩いて開ければ、今日もユリエルは白衣と紫黒色の髪を翻し、片眼鏡の奥で素敵に笑っていた。蜂蜜に砂糖を溶かしたような笑みは、世の女性がふらふらと集るくらいに甘く蠱惑じみている。

 がしかし、その蜂蜜に砂糖を溶かしシロップをかけたような言葉は、ぼっち歴の長いわたしには毒だ。


「やあ! 待ってたよ白猫ちゃん」

「うげー」


 思わず奇声が口から漏れ出たが、ユリエルは全く気にすることなくわたしの背に手をやってずいずいと部屋へ引き入れた。

 前回ユリエルの巻き起こした風によってぼろぼろだった教室は、すっかり元通りだ。あれを一人でユリエルが片付けたんだろうか。

 一人で黙々と椅子を並べる姿を想像してみた。そう思うとちょっと笑える。

 くすっとしつつ、わたしはユリエルの前の席に腰かけた。


「今日もよろしくお願いします」

「こちらこそ! 昨日はきみの瞳を夜空に見たよ。その濃紺にあれほど恋い焦がれた宵を、私は知らない。ぜひ! ハリエットちゃんにはまたあの虚空の闇を見せてほしいね!」


 またよく分からんことを言いながら詰め寄ってくるユリエルに、力ない愛想笑いを漏らす。残念ながら、何を言っているのか三割程度も理解できなかったのだ。

 簡潔に三行で説明してほしい。余計な装飾が多いのだ。

 電波ちゃんには無理なことだと、よくよく分かっているけども。


「それより、授業始めましょうか……」


 呟くと、ユリエルは大袈裟に肩をすくめて見せた。それがまた様になっているようで、何とも言えない。



 前の授業と同じように、新たに用意されていた本をわたしはぺらぺらと読み進めていく。ユリエルが用意しているため、本の内容からなんとなく先生の趣味がわかる。

 ユリエルが今熱心なのはどうやら、属性と家系の関連らしい。

 そういえば聞いたことがないけど、うちのお父さんとヒューは何の属性だったのか。魔力がほぼないとはいえ、属性はみんな持っているものだし。

 ……というか、ヒューは今頃何をしているのだろうか。泣いてないだろうか。何せ、王都に行くというイレギュラーな事態が起きたため、七年近く会っていないのだ。

 まさか家族に忘れられているなんてことは、ないと思いたいが……。


「……ハリエットちゃん? おーい」

「はっ! し、しつれいしました」


 手が止まっていたらしい。

 同じページを開いたまま思考の海に溺れたわたしに、ユリエルがぶんぶんと手を振っている。

 慌てて顔をあげると、ユリエルは片眼鏡の奥でウインクしてみせた。


「何か気になるところでもあったかい? 私に問うてくれれば、望む答えを導いて見せるよ」

「あー、えー、えーと……」


 本の内容で悩んでいたわけではないのだが、ユリエルはもう爛々とした緑の瞳をこちらへ向けている。彼の魔法に対する姿勢は全力でまえのめり過ぎて、困る。とはいえ、授業中に関係ないことを考えていたわたしに非があるわけで。

 質問待ちのユリエルに、何とか満足のいくような質問を捻り出そうと脳みそを搾ってみる。


「……あ! そう、あの、本の内容ってわけじゃないんですけど。記憶ってその、一部分を消したりなんか、できますか?」


 アルフの手紙が蘇る。

 あの手紙が書かれたのは、一年ほど前くらいだろう。それまで覚えていたことをこうもすっぱり忘れられるのは、やはり魔法に違いなかった。

 それにしても解せないのは、わたしについて忘れていることだ。消されたにせよなんにせよ、誰かにとってアルフの行動が不都合だったに代わりはない。そこで何故、その時いもしないわたしを消すのか。


 犯人が分からない状況で、魔法に明るく、しかもお姉さんの紹介であるユリエルに聞くのはどうかとも思ったが。それ以上に、今は情報がほしい。

 記憶についての問いかけはユリエルを満足させたのか、彼は高揚した表情で思案するべく目を閉じた。


「うーん、記憶かあ。それはやっぱり、輝きときみの抱えるものの分野じゃないかな。少なくとも私にはできない」


 輝きとわたしの抱えるもの。つまり、光属性と闇属性のことだろう。分かってはいたが、やはり物質以外に作用させるにはこの二つしかあり得ないのか。

 そして、記憶が消されるという場合では、闇属性しか当てはまらない。

 お姉さんから聞き及んでいる話では、わたしが学園唯一の闇属性だというのに。そして学園内でもう一人、教師としてニールがいるくらいだ。

 そんなわたしたちは、アルフに何かが起きたとき王都にいた。何かができるはずもない。


 ユリエルの言葉に頭を悩ませるわたしに、彼は何を思ったかぽすぽすと頭を軽く叩いてきた。そのせいで、延々回っていたはずの思考がどこかへ飛んでいく。その手つきが優しいために、非難の声もあげられない。

 揺れる視界の中で白衣を見れば、ユリエルはしゃらりと髪を掻き上げた。


「記憶を消すなら、きみの力以外にはないだろうね。それと類似する症状程度なら、やり方は他にもあると思うけれど」

「え……」

「例えば、薬物や頭部への打撃等なら、一部分の記憶の欠損を引き起こすことは可能だろう。狙ってやるとなると難しいけれど、結果としてそうなる可能性はあるね」


 それも、あり得ないことはない。

 記憶喪失。よく考えろ。

 こと現代医療に関しては、わたしの方が知識に分があるじゃないか。その可能性を考えていなかったことに、わたしは半ば呆然とした。

 あまりにも「できすぎていた」ために、偶然そうなったという可能性を考慮していなかったのだ。わたしが忘れられるということを、単なる偶然にしたくなかったのかも知れないが。


 神妙に頷いたわたしに何を感じたのか、いつもの電波はなりを潜め、ユリエルは優秀な教師の顔になっている。

 ただ、この情報を与えられたからといって、ユリエルを信頼するのは軽率かもしれない。ニールがお姉さんを怪しいという以上、そこに繋がる人物は警戒しなくては。

 そう思っているのに、ユリエルはわたしの疑問に甲斐甲斐しく答えようとしてくれている。彼は乱雑に詰まれた本をぶちまけ、かき混ぜるようにして一冊を手に取った。


「他にはね、あとはそうだな、記憶の喪失、欠損じゃない場合かな。意識を無意識下に落とすような魔法……いや、これは呪術だな。そういうものも昔にはあったようだよ」

「呪術……ですか?」

「うん、そう。知らないかい? 魔法とはまた違った行程で発現する現象、というのが一般的解釈かな。私からするとまたその違いについて検証したいことが山ほどあるのだけれど――まあ、残念ながら今の時代に使える人はほとんどいないね」


 途中、熱が入りながらも、ユリエルは飄々とした様子でそう言った。それと同時に、さっきユリエルが発掘した本を渡される。

 ぽんと軽い調子で押し付けられた本は、表紙もぼろぼろでタイトルさえ読めないような状態だった。

 いつバラけてもおかしくないようなその本を怖々開けば、少し読みにくい文章で呪術について説明されている。


「それ、貸してあげるから読むといい。ハリエットちゃんの道標として、私からのせめてものスーヴェニアだ」


 何かを知っているかのような口ぶりで、ユリエルは目を細めた。わたしは黙ってそれを受け取って、席から立ち上がる。

 もう授業は終えてもいいような時間だった。



 自室に戻って本をしまってから、わたしは食堂へ行くことにした。

 昔は厨房で自分の料理を食べていたのだが、それも単にアルフと共に食べるからだった。今はそれをするよりも、なんとか考えをまとめなければならない。

 せこせこ歩きながら校舎の食堂に入ると、いい匂いが漂ってくる。別段料理が美味しいとは言えないんだけど、やはりこの匂いは食欲が湧く。

 まだお昼前であるからか、人は少なくまばらに散っていた。

 くったくたに煮込まれたスープとパンの乗ったトレーを持って、適当な席を探す。


「……あ、カレンちゃん」


 その中に見慣れた姿を見つけ、気づけば思わず声に出していた。大きな声ではなかったが、本人にはバッチリ届いたようで、振り向いた大きな瞳とかち合う。

 黄色の丸い瞳がさらに大きく見開かれ、カレンちゃんはテーブルからすごく機敏に立ち上がった。そのままこちらへ駆け寄ってくる。


「ハティちゃん、おはよう」

「うん、おはよう。今、お昼ご飯?」

「うん……よかったら、一緒に」


 囁くような優しい声に、わたしはこくこと赤ベコもかくやという感じで頷いていた。そうするとカレンちゃんは声もなく笑うので、つられてわたしも微笑んでしまった。

 恐るべき癒し力だ。これが光属性の力なのか。

 手を引かれてテーブルまで行くと、カレンちゃんの隣の椅子を引かれた。よっこいしょと座って、トレーを降ろしてから、首を捻る。

 何故、向かいじゃなくて隣なのだろうか。

 そんな疑問に答えることなく隣に座ったカレンちゃんの前には、湯気の立つスープとパンに、さらに野菜と肉が乗っている。

 これが、偉いとこの養子となったカレンちゃんとの財力の差である。ゲームと違って髪も長いし、着ている服も高級感に溢れている。さっくり切ってお姉さん譲りのワンピースを着ているわたしとは、やはり歴然の差が。

 しかしカレンちゃんの態度にそれを誇るような様子はなく、ただこちらを向いてにっこり笑った。再度つられるようにしてこちらもにこりとすれば、カレンちゃんはさらに、女神のごとく優しい笑みを浮かべ出す。

 かわいい。

 可愛いが、何故だろう。わたしの何かがどこかで音を立てている。パソコンの警告音じみたそれは、しかしカレンちゃんの唇から放たれた小さい声に、掻き消された。


「アルフ、来るから」


 …………え?


「アルフ、来るから」


 全く同じトーンで同じ言葉を繰り返してくれたものの、わたしの耳にそれは入らない。嘘、入っているけどちょっと聞きたくないです。

 そんな現実逃避も空しく、カレンちゃんは自分の向かいの席を指して、悪戯っ子のように歯を見せた。そんな表情をされても、わたしには何が何だか。

 混乱を極めるわたしを前に、カレンちゃんはもどかしそうに口を開く。


「アルフと、食事の約束していたんだけど、ハティちゃんいたから。だから、一緒に……」


 わたしは確かに「一緒に」という言葉にぶんぶん頷いたが、それはあくまでカレンちゃんとであって、間違ってもアルフとではない。

 つーか、肘打ちして向こうからすれば意味不明な言葉を浴びせた挙げ句謝りもしないでダッシュした女と、アルフはご飯が食べたいですかね?!

 いくらカレンちゃんが可愛くても、さすがに難色を示すのではないだろうか。

 むしろ難色を示してほしい。今さらどの面下げてアルフの前に立てようか。ぶっちゃけ、超気まずい。


「いや、いやいや、カレンちゃん。わたしちょっと、あの用事が……」

「大丈夫、心配ないよ。アルフ、怒ってない」


 マジで?

 疑心たっぷりの気持ちが顔に出ていたのか、カレンちゃんは真面目な顔でわたしとの距離を詰める。しゃらりと揺れた髪からは、甘くいい匂いがした。

 黄色い瞳に射抜かれて、わたしは石のように固まった。


「大丈夫。元気だして」


 囁く声がどこか中に染みる気がして、とっさに耳を塞いでしまいたくなった。暖かい何かが触れる度に、体が崩れるような気がする。

 それでも瞳から目が逸らせなくて、結局わたしはいつの間にか、子供のようにただ頷いていた。

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