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乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
中等部編
45/110

41 夜の侵入者

 ベッドに寝そべったままだ。

 邪魔くさいシーツは体の上から取り払う。頭の後ろで手を組んで、高い天井を睨み付けた。

 もう夜になろうとしていたが、夕食を食べる気にはなれなかった。というよりも、今外に出るのはまずい気がした。


 わたしは今、考えるために生きている。あの頃、思考を放棄し同じ生活を繰り返していたわたしとは、ここでお別れしなくてはならない。

 そうしなければ先に進めない。


「信じられるものがない……ね」


 アルフの言葉を真似してみる。

 有能で、それなりに荒波に揉まれてきた彼があれだけ言ったのだ。つまりは、よほどのことが起きたのだろう。

 信じられるものがなくなるとは、どういうことか?

 たった二年過ごしただけの、遠く離れたわたししか頼れない状況と言うのは、一体どんなものか?


 そして、アルフの記憶。消されたわたし。

 周りに不審に思う人がいないということは、他に主だった支障はなかったということだ。

 部分的な記憶の喪失に加え、それが『わたし』のみに限定されているということ。


「記憶云々ってことは、光か闇の二属性が関わっていることになる」


 精神――物質以外に働きかけられるのは、その二つだけだから。

 わたしとカレンちゃんは、勿論違う。わたしは遠い地にいたのだから、無理だ。

 そして、カレンちゃんがそんなことをするはずはない。ヒロインは、清く正しくなくてはならない。それだけじゃない、たといゲームでなくても、カレンちゃんがアルフに害なすわけがないだろう。

 理由がない。


 関わっているのは闇か光、そしてわたしを知っている人。

 アルフが何を知ったのかは知らないが、それも同時に消されているのだろう。


 ――いらいらして堪らなくなる。すぐにこの陰険な思考を放棄して、いつものように気楽に過ごしたい気分になった。

 ゲームの記憶を片隅に据えて、そして変わった人物たちと、和やかに過ごしていたい。

 でも、それは逃げることになる。逃げてばかりの人生だった。その二の舞を、『ハリエット』にさせるわけにはいかない。

 わたしは組んだ手をほどいて髪をくしゃくしゃと掻きむしると、大きく嘆息した。


「わたしを知っている、人」


 『信じられるものがない』のは、わたしの方かもしれなかった。



「――よォ、随分とまァ元気がねえな」


 ――聞きなれた声に、飛び起きる。

 振り向いて窓の方を見ると、そこには不遜な笑顔を浮かべたやつがいた。


「……」

「よっと。……うわ、なーに結界なんてクソみてェなもん作ってんだ? あ? お前、本気で辛気くっせー」


 夜を背に、ニールがそこに居た。

 やつはいつものようにわたしに向かって嘲笑を浮かべると、その橙がかった茶髪を払った。優しげな作りの顔は、わたしを心底馬鹿にしている。


「……っばかやろ、ニール、そこは入り口じゃないよ」


 結界を消してやる。わたしは窓から不法侵入を果たしてきた男に、至極まともなことを返すのが精一杯だった。


 ニールの紫色の瞳が、わたしを射抜く。

 それにひどく安心した気分になって、わたしは心の中で自分を殴った。





 ニールと会うのは、たったの二三日ぶりだ。なにもそんなに、久しぶりと言うほどでもない。休日明けほどしか開いていないのだ。

 それなのに、しかし五年間を共にしたわたしは、刷り込みのようにこの男に安堵を感じるようになっていた。

 これが本人に知れたら、わたしは顔から燃え上がって死ぬ。確実に。

 寝転がっていたから、軽く髪を手櫛でといて、服のシワを伸ばす。ニールはそれをどうでも良さそうな目で見ていた。


「で、どうしたの?」

「……あ? あー、つかてめー、髪どうした」

「髪? ああ……」


 そういえば、ニールと別れたあとに切ったんだったっけ。

 わたしは肩辺りを揺れる髪を弄りながら、自分で切ったのだと言った。ニールはそれも、興味無さそうに聞いている。


「……ふーん」

「で? 何しにきたわけよ」


 ベッドに腰かけたままニールに向かうと、やつは少しだけ視線を足元へ落とした。なんだこいつ、と思うと同時に、ニールはこちらへ足音もなく歩み寄ってくる。

 身長差は随分と縮まったが、わたしが座っているせいで、ニールを見上げるような格好になる。初めて会ったときも、こうやってニールを見上げていた。

 ニールは何も変わらない。

 姿、だけ。


 ニールの少しだけ柔らかくなった手つきが、わたしの髪を撫でた。短くなった髪が、耳元で音を立てる。

 さっきまでわたしのことを何とも思ってないようだったニールの手は、今までで一番優しいような気がした。

 それだけわたしが弱っていたのかもしれない。


「……もう、何、ニール」

「……べっつに。お前はいつでも変わんねェな」


 それは、多分悪い意味じゃない。

 わたしは別に撫でられたいわけじゃないが、ニールの気が済むまでは、そのままでいることにした。



 しばらくするとニールが頭から手を離したので、わたしはやつに椅子を勧めた。どかりと荒々しく腰を降ろす。

 ちょっと機嫌が悪そうだが、それはきっと気まずさと気恥ずかしさのせいだ。五年も見ていれば分かる。

 わたしはそんなニールの様子ににやつきながら、いつもより乱れの少ない髪を耳にかけた。


「それで、こんな夜に女子寮に来る変態は、何の用?」

「馬鹿言え、今さらだろうが、いつまで経ってもクソガキだな」

「はいはい、それで?」


 ニールにしては、歯切れが悪い。すぐ脇道に逸れようとするニールをいなして、わたしは先を促した。

 それが分かったのか、ニールの顔がとてつもなく不本意そうに歪む。やつとの付き合いも長いもので、こんなに嫌な表情しかしないことも、慣れている。

 むしろわたしの前でのニールは、不機嫌がデフォだ。


 わたしの言葉に腹を括ったのか、ニールは軽く息を吐くとそっぽを向いた。

 空いた手でチョーカーを弄くる。


「こないだ聞いた、あの女の話をしてやろうとな。感謝しやがれ」

「うん、ありがとう」


 そう言うと、ニールは盛大な舌打ちをした。

 わたしとしては渡りに船だ。今まさに、お姉さんについて知りたいところだった。わたしが聞けなかったことを。


「いい話じゃねー上に、あの女、信用ならねェ。俺が疑ってんじゃなく、どうも妙なことが多い」

「妙なこと?」

「……俺らが王都へおん出されたのは、学園内で何かがあるからだと言った。そして五年間放り出した上に、今度は王都が。逃げた先にまで『何か』があるっつーのは、偶然らしくねェな」


 どちらも、闇属性が関係していたことは間違いない。でなければ、お姉さんはわたしたちに逃げろとは言わないはずだ。

 お姉さんは、わたしたちを逃がしてくれたのではないのか?

 わたしの考えは、しかしニールとは違うようだった。


「あの女は、何かを隠してる。俺らに知れていいことじゃねェ。逃がしたのは事実だが、それが善意からだとは限らねェようだぜ? ハリエットさん」


 お姉さんが、怪しいと言うこと? まて、怪しいと言う前に、そもそもわたしはアルフの気づいたことに気づけていない。

 でも、お姉さんは決して無関係ではない。そして、ニールを信じるなら、それはいい方にも悪い方にもなるのだ。

 ニールを信じられるなら。


「……学園内での何か、っていうのは?」

「さあ? 何も。俺たちがいるとまずいことになる、とだけしかなァ。さすが希代の魔術師様ってか」


 ニールがお姉さんを鼻で笑った。どうにも、やはりニールはお姉さんを信用に値すると思っていないようだった。

 そしてわたしも、彼女に対しての疑念はある。

 権力者で、力があり、そしてわたしはお姉さんの何も知らない。ゲームにさえ出てこない彼女に、わたしは頼りっきりだっただけだ。


 身近な人を疑うと言うことに慣れない。いつも、疑うほど周りに人がいなかったから。

 あの優しいお姉さんが、アルフの記憶を奪う何かを担っているのだろうか? 何のために? ゲームの記憶がなければ、わたしは脆く役立たずだ。

 こんなはずじゃなかった。

 自分のフラグさえ折れれば、あとは普通の、変わらぬ生活が待っているものだと。


「ハリエット」


 わたしが疑心暗鬼になっていると、ニールの声が響いた。慌てて思考を掻き消して、臭いものに蓋をする。


「何?」

「……バカ、辛気くせェんだよ。気にすんな、馬鹿が考えても意味ねーから」


 そう言うニールの顔は、そっぽを向いている。

 わたしは思わず口元に手を当てた。

 危うく、もう少しで噴出するところだった。

 ニールは、やはり姿だけが青年のまま。それでも中身は、随分と毒気が抜けている。だって、あのニールが「気にすんな」なんて。


 わたしはにやついた笑いが漏れないように、必死に声を押さえつけた。

 それに目ざとく気づいたニールが、抗議の声を上げる。しかし今のやつの怒りは、ただの誤魔化しと照れである。

 生暖かい気持ちになる。


「なに笑ってんだよッ! クソッ! てめー、もう二度とは言わねェ。勝手にない脳みそ絞っとけッ」

「ふくくく……っ、ありがと、そうする」


 再び、ニールの舌打ちが響いた。


 ニールとこうやって軽口を叩きあっているうちに、わたしは内側のぐつぐつと煮えていた気持ちが安らかになるのを感じた。

 未だ何も分からないままだが、さっきまでの戸惑いは目の前から消えている。目の前にいるのは、不機嫌なニールだけだ。

 くっくと小さく笑っていると、その瞳に睨まれる。その反応が楽しくて楽しくて、わたしはちょっとだけ救われた。


 根を詰めるのはよくないな、と思う。

 何事にも前向きに行かなくては。

 前向きでも後ろ向きでも、起きることは変わらないのだから。せめて、この男の前くらいでは笑っていよう。

 薬指のひんやりとした指輪に、わたしは笑みを深くした。


「とりあえず、話ありがと、ニール。わたしもそれは考えておくよ、ない脳みそで」

「好きにしろクソガキ。こんなのに育てた覚えはねェぞー」


 ニールが投げやりに言う。

 信じられるものがない。けれど、五年を共にしたニールなら、唯一確固として信じられるのではないか。

 一人ぼっちではないことが、こんなに心強いとは。わたしはため息を吐くニールに、心の中で感謝した。





 その後、今日の授業の話をニールにした。

 ニールの後続というか、わたしの新しい先生であるユリエルの話だ。わたしとしてはその天才に言われた理論が気になってニールに話したのだが、やつはそこには全く食いついてくれなかった。


「そのクソ教師にやられたってのか? それ」

「え? ああ、これ」


 わたしの頬を指すニールに、切られた傷を思い出す。流血したわりには傷は浅く、もう薄くかさぶたができているだけだ。

 こくりと頷くと、ニールは鼻をならした。

 嘲笑を浮かべながら、「その程度のやつにやられるとか雑魚すぎる」とか「頭使えバカ」とか「みじん切りにされろクズ」とか言われたが、つまりはまあ心配しているらしい。


 いやマジで。これ、ニールの心配の仕方だよ。五年の付き合いだ、間違いない。


「たくっ、役立たずのまんまだな、てめーは。今度会ったら呼べ、すぐに。お前の醜態を見届けてやるから、すぐ。いいな、すぐに」

「うん、ありがとう」


 言い方はアレだが、本当に心配してくれているのだ。わたしは引きこもりの息子が部屋から出てきた時の母親のように嬉しくなった。


 ――ともかく、わたしの感謝にむくれるニールは、多分ユリエルとは絶対に、少なくとも確実に、明らかに合わない。

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