40 ごめん
昼食を食べたらすることがない。
ユリエルとの授業は午前中だけで(やつも忙しい身であるらしい)、その後わたしは授業を取っていないのだ。
結局、廊下をぽてぽて歩きながら、わたしは自室へと向かっていた。
手紙を読むためだ。
あの、五年もの間の想いを。
部屋へ入ると、すぐに机にそびえる山が目に入る。よく知るクリーム色の封筒と、学園に売っている封筒。
わたしは椅子に腰掛けると、積まれた山を一枚ずつ崩しにかかった。
ヴィクターからの手紙は、本人が言う通りあまりなかった。返事がこないことへの心配と、近々学園への編入が決まったということ。
わたしが王都を去るのと、半ば同時期に学園へ編入していたらしい。それだと、学期末にあるらしい模擬戦にはギリギリだな。
しかもなんと、あの両親を自ら説得したらしい。それというのも、ただ学園に行きたいからだけではない。
わたしの行方を探したかった。死んでいるとはどうしてか思えなかった、と。
わたしはあらためて、ヴィクターに頭が下がる思いだった。
せめて、「王都から去る」くらいの手紙を出しときゃ良かった! ごめん、ヴィクター。
今度顔を合わせたら、謝ろう。そして、お礼を言うのだ。探そうとしてくれたことに。
クリーム色の封筒を綺麗に集めて、わたしはそれを机の引き出しにしまった。王都から逃げるときに、何枚か、ヴィクターからの手紙はポケットに突っ込んできていた。それもまとめて入れてある。
手紙って、どうにも捨てにくいよね。
それでもこんなに貰ったことはなかったから、ちょっと嬉しいのは秘密だ。
目を細めながら、わたしは再び山の中に手を突っ込む。適当に掴んだ一枚を、丁寧にひっくり返す。
「……サディアス、地方行ってたわりに筆がマメだな……」
多分、この山は大半がサディアスの手紙でできている。主成分、サディアスの手紙。
わたしは封筒を切ると、中から便箋を取り出した。
「うわ……」
そこにはびっしりと敷き詰められた文字が。
細かな字が、白い便箋を黒く染めている。
……サディアス、怖いわそれは。
読み進めていくと、今自身が行っていることが、半ばレポートのように纏められていることが分かった。手紙と言うよりはもはや報告書。
『現在南東部某所で魔物討伐。大型二体。卒業後正式な騎士へと勧誘されたが、辞退。ここにもあなたはいなかった』。すごいと言えばいいのか、ごめんと言えばいいのか。
いや、やっぱりすごいと言うべきだろう。
その報告書を読んでいくと、いかにサディアスが有能か分かる。もともと剣術キャラだったのに、魔法まで使えるようになっちゃったんだからな。
果たして、アルフとサディアスの二強ではどちらがより強いんだろう。気になるところである。
ちなみに、ヴィクターは能力の向上具合が不明なので予想できない。
ユリエルは、魔法開発については天才だけど、戦闘となるとどうたろう。相手がアルフかサディアスだと考えると、さすがにあの電波でも無理そう。
ニールは……真っ向から戦うタイプじゃないからなあ。もともと、強いと言うより策を講じるタイプだし。
わたし? 死にます。
サディアスの手紙はとにかく長かった。しょぼしょぼする目を適度に休ませながら、その報告書を読んでいく。
目は疲れるしもはや手紙ではないが、普通に面白い。わたしが行ったこともない地方の経験が細かく書かれているのだから、ちょっとした旅行記のようでもある。
サディアスに会ったら、褒めてあげよう。そして土下座しよう。きっと、また慌てておろおろするに違いない。
不良の面影もないサディアスに、しかしわたしはとても愛着が湧いていた。
その後、サディアスの手紙を何とか読み終えて、またも机の引き出しにしまう。
伸びをして外を眺めれば、太陽は真上を過ぎている。夕方まではいかないが、三時のおやつの頃だろう。
べきべきと言う背骨に不安を感じつつ、わたしは立ち上がってベッドへと移動した。
山と比べると僅かになった、アルフの手紙を持って。
「ふー……あー、緊張するかも」
一体何に緊張してるんだよ。自分自身に突っ込みを入れながら、残るアルフからの手紙を手に取る。
ひっくり返すと、そこには印蝋。押された紋章は、きっとオルブライトのもの。
アルフは貴族を、家を受け入れたんだろうか。
でなければ、彼がわざわざこれを使うとは思えない。カレンちゃんが養子に行ったことで、腹を括ったということか。
昔、家との決別の仕方を、一緒に考えてあげようと思っていた。その必要もなくなったわけだ。
アルフだって、いつまでも大人を怖がる子供ではないのだ。
しゃりしゃりと、手紙にナイフを入れていく。
現れた文字の懐かしさに、わたしは不覚にも泣きそうになった。
サディアスとは違って、その手紙は随分シンプルで、そして文面も素っ気ない。
『いきなりいなくなるなんてひどい』
『どこに行ったの? マデレーン様は教えてくれない』
『言う通りにした。カレンが帰ってきた』
『ありがとう、ハティのおかげで周りが賑やかになっていく。教会にいたときみたいだ』
忘れていたはず。
こんなことを書かれていたって、わたしはアルフを許せない。親友のわたしを忘れてしまうなんて、そんなことをして。
なのにどうしてアルフはこんな手紙を送っていたのだろう。
こんなに暖かい手紙を、どうして書いてくれたんだろう。わたしは何もかも説明せずに、アルフの前からいなくなったのに。彼からすれば、それは裏切りにも思えただろうに。
手紙を前に動けなくなる。
今さら、どうしてこんなに胸騒ぎがするのだろう。
どうして、今カレンちゃんの言葉が頭をよぎるのだろう。
わたしは深く、深く考えなくてはいけなかったんじゃないか。アルフについて。
「なにか、理由あるのかも。間違っても忘れたりなんか、してない……か」
忘れていたはずだ。
あの赤い瞳がわたしを、困惑と嫌悪をもって射抜いたことは、しっかりと覚えている。忘れていないなら、わたしに名を問う必要もない。
「……どうして、忘れた?」
どうして、どうして、カレンちゃんに『わたしのことをたくさん話していた』アルフが、忘れてしまったんだ?
一体、いつだ。
わたしは残っていた手紙をベッドの上にぶちまける。全ての便箋を引っ張りだし、片っ端から読んでいく。
少し大人びていくアルフの文字。それでも変わらない、まるで親友に語りかけるような口調。
『友達ができた。家柄にも頓着ない、いいやつ。ちゃんと言ってたことは守ってる』
「うん、良かった。アルフがぼっちだったらどうしようかって心配してたんだよ」
『背が伸びて、みんな何故か変な目で俺を見る。特に女。カレンはいつも通り』
「貴族も大変だね。頑張れ」
『今度、模擬戦がある。初等部最後だから、参加者は多い。俺も出ろと言われる』
「アルフは強いから、優賞すると思ったんだけどな。どうして出なかったの?」
『マデレーン様が、変だ』
その手紙に、手を止める。
わたしは自分でもよく分からないうちに結界を張って、飛び付くようにしてその手紙を読む。
マデレーン様は、わたしの手紙の中身は見ていないと言った。なら、この内容は知らないんだろうか。
『マデレーン様が、変だ。それより、学園が変なのかもしれない。他には誰も気づいていない。俺だけ分かってる』
アルフの戸惑いが、文面から伝わってくる。
さっきまでの和やかな手紙じゃない。これは、アルフがわたしに、もしくは誰かに宛てたメッセージだ。
ふと便箋と封筒が、さっきまでのものとは違うことに気づく。薄くほとんど透明なインクで、ところ狭しと何かの模様が描かれている。
気になるが、今はそこに気を取られている場合ではない。
汗ばむ手を強引に服で脱ぐって、続きを読み進める。その奇妙な封筒の手紙は数枚あって、やはりどれも普通の内容ではなかった。
『最近、外部者の出入りが激しい。マデレーン様の知り合いらしいけど、信者もいる。あまりよくない』
『他の人に聞いても、誰もこの感覚は分からないって。どうするべき? こんなとき、ハティならどうするんだろう。せめてこの手紙が届くことを祈る』
『多分、分かった。地面が変だ。俺にはハティみたいな器用なことは難しいけど、勉強はしてきた。きっと、会ったらお前は驚くよ』
『会いたい。不安だ。信じられるものがない』
わたしは、ばらまかれた手紙を前に、呆然とした。
どうしてか震えが止まらなかった。
忘れるわけないよ。わたしがアルフをどうしたって忘れなかったように。ゲームなんか関係ない、一緒にご飯を食べたこと、学園を抜け出したこと、全部覚えてるんだよ。
アルフだって忘れるわけがなかったんだ。
一体何が起こった。
ベッドに潜り込む。シーツを頭から被って、残りの手紙を僅かな光で読み取る。
急に、周りが閉ざされたように思えた。
『何が信じられるのか、俺には分からない。ハティ、お前だけは、これを信じてほしい。俺にもよく分からないけど、すごく嫌な気がする』
信じるよ、何があっても信じる。
アルフは親友だ。お前は人を裏切らない。約束ごとをずっと守っているような、律儀で馬鹿な人だ。
忘れたと言ったアルフを信じたわたしの方が、本当にアルフを信じていなかったのかもしれない。
アルフの手紙は、次で終わっていた。
『今日は模擬戦だ。きっと人の目はそこに集まる。よくないことが起こる前に、俺がどうにかしてみるよ。ハティがちゃんと帰ってこれるように』
――帰ってきたら、また街へ行こう。
アルフは、模擬戦には出なかった。
信じられるものがないといった彼は、きっと一人でそこへ向かったのだ。カレンちゃんを、巻き込むわけにはいかなかっただろう。
そこで、何があった?
どうして『わたし』を忘れた?
「アルフ……ごめん、ごめん、ごめん……ごめんね」
忘れたなんて思ってごめん、殴ってごめん、返事出せなくて、手を貸せなくてごめん。
いつか、またわたしに付き合ってくれるとアルフは言った。無理はするなと。
きっと、このとき本当は、わたしが助けるべきだったのだ。親友として。
ぎゅっとシーツを握りしめる。涙は出ない。むしろわたしを殴りたいほどだ。
わたしが王都に逃げた理由、王都からも追われた理由、マデレーン様の悲しそうな顔、アルフの記憶。
ピースはたくさん転がっていたのに、わたしはそれをパズルだとも認識していなかった。
大馬鹿者だ。
考えることを止めたら、わたしに何が残るんだ。
ひねくれていて、仕事ばかりで、人付き合いも満足にできなくて、親からも見放されて、ゲームの記憶にあぐらをかいて。最低のクズだ。
おまけに、強くないし、頭もよくない。卑怯者だし、悪どいし、何かをずっと持ち続けることもできない。
できがよくないことは分かっている。前世から十分に。だからこそ精一杯、駆けずり回るべきだったのだ。
わたしはこの五年の空白を、知らねばならない。
ベッドから這い出て、手紙をかき集める。同じく引き出しにしまって、そこに鍵をかけた。誰かに見られてはまずいものかもしれないが、紛れもないアルフの記憶を捨てるなんてことは、わたしにはできない。
窓の外は、すっかり赤く染まっていた。