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乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
中等部編
43/110

39 天才の理論

 ユリエルとの授業は収穫が多かった。

 ニールの時は実技優先でそれもまた役に立ったが、ユリエルの授業は、本当に学生時代に戻ったかのようだった。一対一であることを考えれば、どちらかと言うと塾に近い気もする。

 残念ながら、前世でこれといった習い事をしたことはないけども。親と不仲でね。


 ともかく、わたしとユリエルの授業は想像以上に進んでいた。


「――つまり、突き詰めれば魔法はただのエネルギーに過ぎないんだよ! 極論を言うなら、魔力さえあれば生きられるほどに」


 ユリエルが、至近距離で熱弁を奮う。長い睫毛がよく見えて、少し羨ましくなった。

 わたしはさっきまでの話をよく噛み砕くために本を漁る。ユリエルが選定し目の前に積み重ねた本の数々は、いわば教科書の代わりだ。こんなに分厚い教科書があっていいものかと思う。

 しかし同時に、とても面白い。別に勉強が好きなわけないけれども、本を読むのは大好きだ。

 ユリエルが選んだ本には、わたしが今まで読んできた本とは全く異なる内容が書かれていた。


「先生、じゃあ、属性って一体何なんでしょう。魔力が単純なエネルギーに換算されるとするなら、どうして外に出すために属性が付くんですか?」

「それがまた面白い! 未だ解明できてはいないんだけどね、私が思うに、属性はその体に宿っているのではないかな! ああ、これはまだ論文にすらなっていないんだけど……」


 といった感じに、わたしの単純な質問に対して、ユリエルは三倍くらいのリアクションと、もっとも納得できる答えを示してくれる。

 自ら研究だなんだができるほどわたしのあたまは良くないが、彼の理論は概ね理解できる。教えるより教わる方が、書くより読む方が簡単なのとおんなじだ。

 わたしがうんうんと相槌を打って理解の姿勢を見せると、ユリエルはそれはもう恋をした少女のような喜びようを見せてくれる。悪くない気分で、わたしはユリエルの講話に耳を傾けていた。


 「属性は体をフィルターのようにして付与している」という仮説について一通り話したユリエルは、額を拭うと、思い付いたように顔を上げた。


「そうだ! それでね、私には少し頼みたいことがあるんだ。これぞ導きだと思うんだけど、私にとって唯一のきみに」


 相変わらずまどろっこしい口調で、ユリエルはわたしの手をぎゅっと握った。白く細やかな肌がわたしの手をなぞって、そのくすぐったさに顔をしかめる。

 ユリエルの「頼み」とか、嫌な予感がひしひしとするんですけど。いくら先生で美人で電波だからといって、わたしに無理なことは無理だからな。


「えー、とりあえず、言ってみてください」

「こほん。えー、ハリエットちゃん。私は闇属性の可能性について試したいんだ。きみにも悪い話じゃないんだよ」


 闇属性の可能性について。

 瞳を輝かせているユリエルは置いておいて、わたしはその言葉を頭の中で反芻した。

 なるほど、確かにユリエルの中で唯一の『闇属性わたし』か。根っからの研究者であるユリエルにとって、闇属性というのは格好の研究材料なのだろう。

 なにせ、珍しいし。考えてみれば、迫害の恐れがある以上、光属性以上に見つかりにくいのだ。本人たちが隠れてしまうから。

 わたしは期待に胸踊らせるユリエルに向き直って、その深緑色の瞳を見つめた。


「クライン先生は、闇属性のことをどう思っていますか?」


 わたしだけではない。

 あの馬車で共に三ヶ月を過ごした、サラさんやアレンさん。まだ見ぬ王都に逃げてきた同胞。

 それから、ニール。

 闇属性の性質ことをこの天才に教えるということは、彼らにとっても無関係ではない。

 かのユリエルなら、きっと闇属性に対しての何らかの対処法も思い付いて、そしてそれを実行してしまうだろう。それほどの頭脳がある。

 それはまずい。それでは、彼らの幸せは望めない。


 そんなわたしの考えなんか、分かっていたと言うように、ユリエルは幼子を見るように微笑んだ。


「魔法に善し悪しなんてない。私の前では、魔法はただのシステムだ、尊い神のシステム。だからね、私はそれをより知りたいだけ。そして、知ってもらいたい。――闇属性が決して悪ではないことを。全て等しく、魔法は灯りであることを」


 その言葉に、わたしはひどく安心した。





 ユリエルの「頼み」というのは、とても簡単なものだった。闇魔法を実際に見せてくれと言うだけのもの。

 あれだけシリアスぶっといて拍子抜けしたわたしは、ちょっと恥ずかしく思いながらもそれを快諾した。


「理論としてはね、闇属性は物質として『ない』存在なんだよ! その黒い靄だけど……」


 ユリエルの言葉に合わせて、体の周りから闇を出す。黒い靄が視覚的にある時点で、『ない』わけではないと思うんだけど。

 しかしユリエルはその闇を見るや否や喜び勇んで、その靄に棒を突っ込んだ。どうでもいいけど、この闇を見てそんな嬉しそうな顔をした人物を、わたしは初めて見たよ。

 ユリエルの突っ込んだ棒切れは、やはり闇に触れたところから消え去る。そして、その闇の一部が散った。


「ほらっ! これっ!! これだよ! なくなるんじゃない、闇が『ない』分、物質を吸収するんだ!」

「……つまり?」

「ないはずなのに視覚的に『ある』分を、吸収してイーブンに戻そうとしているんだ! すごいよ、これならそうだ、ちょっともう一回!」


 ユリエルは何やら大興奮で叫んでいる。

 詳しいことは意味不明だが、要するに物質としてないから見えないはずの闇が、見える分の『ある』状態を保とうとして物質を取る、ってことらしい。ごめん、わたしにもよく分からん。

 しかしユリエルは何やら分かっているようで、長い髪を振り乱して喜んでいた。リクエストに答えて、もう一度魔法を放つ。


「そう、そのままでいてね……」

「え、ちょ――」


 ユリエルはいきなりマジな顔になると、その白魚のような手をわたしにかざした。

 まさか。


「い、いぎゃあああああああ!?」


 ――突如巻き起こる暴風。

 わたしはしかし目の前のユリエルにどうすることもできなくて、ただ対抗するように闇の量を爆発的に増やした。無意識的に、まるで守るように身の回りに靄を固める。

 目が開けていられなくて、頬や腕がチクリと痛む。思わず目を瞑った先で、風の音だけがごうごうと耳を襲っていた。


 ゆ、ユリエル、絶許。

 本気で、絶許。


 心の中を怨嗟の声でいっぱいにしていると、気づけば風は止んでいた。それでもさっきの恐怖は抜けなくて、恐る恐る瞼を持ち上げる。


「……うおお」


 実験室崩壊かよ。


 実際崩壊しているわけではないが、固定されている机や魔術具以外はひどい有り様だった。まさに台風のあとのように、全てが散乱している。

 わたしにニールのようなことはしないと言ったのは誰だ! クソ、ユリエルだよ!

 今更ながらに怒りに震えていると、近くに突っ立っていたユリエルがにこりと微笑んだ。


「大成功だよ!」


 ――どこがだよ! むしろ何が!?

 微笑むユリエルはそれはもう美人で艶やかで素敵だが、わたしにそれを鑑賞する余裕はない。むしろ、周りを見れば見るほど、ここで五体満足で立っていることが奇跡に思える。

 気づかなかったが、チクリとした頬からは血が滲んでいた。鎌鼬的なあれか? 魔法であるからこそ、風も凶器になるんだなあ。


 頬を押さえてもはや遠い眼差しのわたしに、空気の読めない電波はかつかつと近づいてきた。

 そして、その長い腕でわたしを抱き締める。抱擁というよりもはや、感極まる! を体現しているようだ。

 冷めた目のわたしに気づけ。


「ハリエットちゃん! 今の、今の見ていたかい!?」

「いいえー、風で目が開けられませんでしたわー」

「そうかい! 残念だ! 素晴らしいよ、今のはまさに瞳孔だ! 飲み込むあれは捕食、ああっ、きみは本当に素晴らしい! 私の天使だ!」


 わたしを抱き締めたまま、ユリエルは高らかにそう言ってくるくると回り始めた。

 いい匂いがするのが逆に腹立たしい。そして悪気がないことも、わたしを褒め称えちゃってくれてるところも、純粋に恨めなくなるから困る。


 されるがままだったわたしに、幾分落ち着いたらしいユリエルはゆっくりと説明してくれた。


「さっきのだけどね、私の仮説は正しかったようだよ」

「……あの、あるない、の話ですか?」

「そう。――魔力を魔力で相殺するという理論は、実際できるかどうかはさておき、もう何十年も前に確立されていたものなんだ」


 それはあれだ、結界抜けの原理だな。

 未だユリエルの腕の中で頷くわたしに、ユリエルは嬉しそうに声を弾ませた。


「だけど、さっきのは違うよ。闇属性が唯一ともに負であるがために、魔法をなくせるんだ!」

「……なくせる?」


 ハテナを浮かべたわたしに、ユリエルは満面の笑みだ。

 なくせるって、なんだ。わたしの頬にある傷は、間違いなくユリエルにつけられたものなのに。

 首を傾けてみるものの、ユリエルはこれ以上の説明を良しとしないようで、黙ったままだった。





 昼食を食べながら考える。


 学食もなかなかいいものだ。わたしは適当なお祈りをしつつ、テーブルのはしっこで黙々とスプーンを運んでいる。

 無料メニューは質素。王都の盛りに盛られたご飯を味わったあとでは、ちょっと物足りなくも感じている。煮込まれたスープは十分美味しいが。

 こくこくとスープを嚥下しながら、考えるのはユリエルとの授業のことだ。ユリエルとの授業はあのあと、午前中までで終了した。結局ユリエルの理論はよくわからんまま、わたしは実験室を追われたわけだ。


「うーん……」


 分からん。天才ユリエルの言っていることはよく分からん。

 頬っぺたに薄く走った傷を撫でて、ため息をつく。確かに風はわたしを傷つけた。そして、全体に風を浴びていた。

 魔法をなくせるというならば、結界のように反射ないしは防御できるのではないのだろうか。……いや、うーん、そうじゃない。

 ユリエルはなんと言っていた? 「飲み込む」? 「捕食」?


「……だめだ、さっぱり分からん」


 わたしの白髪をがしがし掻きむしる。こういうストレスは駄目だ、わたしは過去仕事で胃潰瘍になったんだぞ。

 スープに浮いた芋を噛み砕きながら、苦々しい気持ちで虚空を睨む。ちくしょうユリエルめ。宿題出す先生のような真似をしやがって。


 ……これもまた、ニールに聞いてみたら分かるんだろうか。

 何だかニールのことばかり思っているようで、わたしは慌ててスープをかきこんだ。

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