03 決意表明
ここに来てもう何ヶ月が過ぎただろうか。
わたしはこの期間に、家にあるほとんどの本を読み尽くした。今や神童と呼ばれてもおかしくないレベルだと自負している。もともと知能で言えば大人だけども。
それはもう大変な努力をしたのだ。
ハリエットとしての記憶はずいぶん戻ってきたが、(推定)六歳の知識なんてたかが知れている。読めない単語の方が莫大だ。それでもわたしは魔法についての知識を知る必要がある。最初に読んだような本では、まだ魔法についての初歩しか理解できない。
だからこそわたしは分からない単語は片っ端から辞書で調べ、調べ、調べ、それはもう辞書が擦り切れるくらいに酷使した。
あのキモイ闇魔法を極めるため、一冊を何日もかけて読みきっては実践し、その度に家を破壊してきた。
分かったことだが、いくつかある。
まず家にある本によると、「闇属性は物理と精神にマイナスに働く。魔法への耐性がない者ほどその闇に恐怖し、また物質は闇に溶ける」。
うちにあったおじさんの魔法書で読んだのだが、単純な性能として、闇は物理的に物を消すことが可能だとか。
試しに壁に放ってみると、もやが消える頃には壁の一部も削り取られていた。断面は溶けたようにぼこぼこである。なるほど、これが「物質は闇に溶ける」ということだろうか。
それから、闇属性は精神ダメージを与えられるらしい。ちなみに光属性だと治癒やらトラウマ回復ができるとか。精神に働きかけられるのはこの二つだけであり、だからこそ貴重だと。闇と光は対になっているようだし、やはりシンプルにできている。
「魔法への耐性がない者ほどその闇に恐怖」すると書かれているし、試しにヒューに向けて魔法を少量放ってみたら、黒い霧がヒューの口に入っていった。
……よく分からないが生理的にめちゃくちゃおぞましい光景だった。
多分闇魔法は、人間に、ひょっとすると生物にも嫌悪感を抱かせる効果があるんじゃないかと思う。わたしがキモイと思うのもそのせいだと思う。
実験結果として、その後もタイミングを見計らって魔法をヒューに撃っていたら、日に日に元気がなくなっていき、ついにやつは一緒に寝てくれと泣きながら頼み込んできた。
なんでも、「最近髪の黒い見るからに不摂生な女に夜な夜な凝視される夢を見る」らしい。
この国では黒髪より明るい色の髪の方が多いようなので、ヒューには不気味で仕方ないのだろう。わたしからすれば髪の色は普通。でも真夜中に貞子みたいなのに凝視されたら怖いだろうね。
ヒューの形相が恐ろしくなってきたので魔法を放つのはやめて、大人しく一緒に寝てやった。この件は、あんまり言いたくないのでこれから誰かに聞かれても黙秘することにする。
前世とはいえ成人したわたしが、十歳を越したくらいの少年とはいえ超イケメンと同じベッドで寝る。ハリエットの記憶があるから嫌悪感はまったくなかったが、それとこれとは別である。
あとベッドが小さい。どうしてわたしの部屋の方に来たのか疑問だ。絶対ヒューのベッドの方が広い。
ともかくそんなことがあり、わたしは朝から疲れていた。
寝ぼけたヒューがなかなかわたしの服を離そうとせず、思わずもう一回闇魔法を口に突っ込んでやろうかと思った。そんなことしたらまたこうなると思って踏みとどまる。結局強引に叩き起こして事なきを得た。ヒューのやつが妙に機嫌が良かったのがかえって不気味だ。
あんなイケメン兄のことは頭から追い出して、今日は魔法書でも読もうかなと書庫に向かいながら思う。闇魔法が載っている魔法書は少ないので、最近はもっぱら水属性を勉強していた。適正的に使えるかはわからないが、カモフラージュにはなる。
というか、本当に闇属性についての本が少ない。
おじさんは本関係の仕事をしているようで、家にはでっかい書庫がある。好きに読んでもいいようで、そこで思う存分(といっても手の届く範囲)読みふけっていたが、なぜか「全属性網羅!」と書いてある本に闇属性が載ってない。ハブられてやがる。
とんなわけで、わたしはついつい闇魔法をもてあまし気味である。ヒューへの人体実験も、ちょっと悪かったなーと思った。
「ハリエット、こっちに来なさい」
思考にふけっていたら、書庫の先でおじさんに呼び止められた。新しい本を買ってきてくれたのかと駆け寄ったが、どうやら持っているのは服のようだった。
結構な量の子供服が抱えられている。
「すぐ大きくなるから要らないのに……」
子供服は地味に高いし、何より成長期により活躍の場が短いのだ。
あと、言わせてもらうとあんまりふりふりなのはわたしの趣味じゃない。中世らしい服も可愛いとは思うが、どちらかというとスラッとしたかっこいいのが好みだ。
おじさんは珍しく微笑みながら(いつもは仏頂面で、前世を思い出すまではちょっと怖かった)、わたしの頭に手を置いた。屈んで目線を合わせてくれる。
こう見ると、やっぱりおじさんはヒューに似ている。実の父にときめくのはちょっといけないが、わたしは厳密にはハリエットじゃないからセーフ……じゃないか。ハリエットとしての記憶もあるしな。
そんな馬鹿なことを考えていたわたしに、おじさんは衝撃的な言葉を口にした。
「ハリエット、お前ももうすぐアカデミーに入学するだろう?」
「え?」
え?!
主人公がアカデミーに編入してくるのはまだ十年は先だ。わたしが本を読み漁っているうちに十年が経ったとか、そんなことは絶対ないぞ。
わたしは設定資料とかはあんまり読み込まなかった。
乙女ゲーは恋愛ゲームだから、キャラクターの心理描写さえしっかりされていれば面白いのだ。その他の設定は案外簡素だし、辻褄さえあっていれば多少強引でも気にならなかったから。
でもまあ、そうだよね。
アカデミーでは普通の一般教養も教えるだろう。それを十歳すぎてからなんてちんたらやっていたら、遅すぎる。同時にゲームとしても、小学校入学くらいがプレイヤーにも親しみやすい設定だろうなあと思う。
入りたくないと言ったら、おじさんはどうするだろう。
わたしがアカデミーに入学しなければ、最悪の結末は避けられるかもしれない。
むしろわたしがいる意味あるか? いたってマイナスにしか働かない気がする。闇属性だし。操られるし。
重ね重ね言うが、主人公が編入してくるのは十年後だ。
しかし、攻略キャラは?
攻略キャラが全員編入してくるなんて、そんな無駄な設定いれるはずもないし、勿論ストーリー上で聞いたこともない。
つまり、この年齢から入学すれば、存在するキャラクターに会えるということだ。
――会ってどうする気?
わたしはハリエットであり、主人公ではない。
分かりきっていることだった。
「遠慮するな、お金なら心配ない。お前は頭がいいからすぐに――」
とんだ見当違いなことを言っているおじさんに、わたしは数歩下がる。突然のわたしの行動に、おじさんはいつもの困惑した表情を見せた。
わたしは、そんなおじさんからさらに数歩離れた。
――そして、思いっきり飛び付いた。
わたしの小さな体では、おじさんの体はびくともしない。一瞬驚いた顔をしていたおじさんだが、やがてさっきよりも穏やかな笑みを浮かべてわたしを抱き締めた。
その顔は、ハリエットの記憶も含め、今まで見た中で一番父親らしかったと思う。
わたしは攻略キャラとそれ以外、全てに、必要以上に親しくするつもりはなかった。
万が一どこかの歯車が、ゲーム開始時に狂っては困るのだ。予測できない事態になったらもうお手上げ。わたしが知っている展開しか、安心できるものは存在しないと思っていた。それに、プログラムされていないはずのこの状況に不信感もある。
だからこそひたすら勉強に没頭していた。
うざ晴らしにヒューに魔法をかけたり、家を破壊したり、わたしにはたった二人の家族すら、得体の知れないものに見えた。
たった二人のハリエットの家族。
わたしの家族は違う。そう思っていた。
だけどもう、もうこんな生活はうんざりだ。いい加減勉強以外の刺激がほしかった。
大体、先が分からないなんて当たり前だ。前世のわたしは意外とうまくやれてたし(彼氏はできなかったけど)、一つ未来を知っているだけで大きなアドバンテージになる。それだけで十分じゃないか。
それに、本当はヒューと寝た夜は夢見がよかったし、暖かいベッドがこんなにも幸せだということを久しぶりに思い出した。
「ありがとう、お父さん」
アカデミーに攻略対象がいると分かった時、わたしは考えた。
『万が一どこかの歯車が、ゲーム開始時に狂っては困る』というのは、「自分の予期しない行動で予期しない展開が起こるのが困る」のだ。
そこでだ。
じゃあ逆に、自分でいじってしまえばいいんじゃないか?
隠しキャラの素性は、残念ながら最後まで明らかにならない。全部の情報を網羅しているわけではないし、記憶違いもあるかもしれない。
しかし、わたしを倒すはずの攻略対象なら。
主人公のかすかな制止を振り抜き、ハリエットを倒すはずの。
あのゲームをプレイした時のことを思い出す。
初めはいつものように暇潰しだった。
キャラクターが好みだった。
素直に共感できる主人公を、応援したくなった。
気づけば終わった物語にため息を吐くくらい、このゲームに入り込んでいた。
全てのエンディングに、納得できないものはなかった。
このゲームが好きだった。
だけどその恋愛をわたしが壊そう。
最悪の結末が起こりようもないくらい徹底的に。
――その結果、攻略対象が全然キャラの立たない平凡になったとしても。
例えば、どじっ子だったりヤンデレだったり無口だったり。そのキャラの濃さに比例するように、過去の創造が行われるといっていい。
例えば、過去に虐待を受けていたり、言うのも恥ずかしいような経験をしたり、人生を変えるような人に出会ったり。
それがキャラクターの命である個性を作る。
主人公が緩和していく人間不信を作り、主人公が癒すトラウマを作り、主人公に語る夢を作る。
それを自分の保身のためだけになかったことにする。
卑怯だけど、それが家族と関わるために必要なことだ。
わたしが死んだらきっと、ヒューとおじさんは泣くだろう。わたしはもうハリエットなのだ。寂しい一人暮らしのわたしは前世だ。
これから仲良くなる人のために、わたしはできれば平和に生きていたい。