34 不穏な兆し
――――逃げ場はない。
部屋に追い詰められたわたしとは対照的に、その生徒たちは不敵に微笑んだ。
見覚えがある微笑みを浮かべる生徒が、数人。
寝起き一発、部屋から出た途端に水をぶっかけられた。
は? って感じだよね。うん、わたしにもよく分からない。普通に起きて、「飯食ったらカレンちゃんとこ行こうかな~」なんてあくびしながら扉を開けただけなのだ。
開けた瞬間、目の前に迫っていたのは大量の水。
目を瞑ることさえ叶わず、無表情で冷水を浴びたわたしの気持ちを考えて下さい。ありえないでしょう。一瞬、とんでもない雨漏りでもしたのかと思ってしまったじゃないか。
放心したまま目を瞬かせたわたしの耳に届いたのは、甲高い笑い声。それも複数。完全に犯人ですよね。
ここは女子寮なのだから犯人が女の子なのは当たり前だが、笑い声という点では明らかに故意だ。しかも廊下が水浸しになるほどの水。ここに通うご令嬢が持てるはずもないので、水属性さんがグルだろう。
水のせいで無駄に冴えた頭でそこまで考えて、部屋に戻った。
ともかく、着替えないと。
せっかくチェストに入っていた服(恐らくお姉さんが買ってくれたもの)を下ろしたのに、数分経たないうちに水浸しだ。その水が汚いものじゃなかったのが救い。
おニューのワンピースを脱いで、頭から体を拭く。髪の毛は重症だが、まあそのうち乾くだろう。ストレート万歳。前世の髪質でこんなことしたら増えるワカメだよ。ワンピースはその辺に干しときゃいいかな、ってことで窓枠に引っ掛けておく。
しかしここで問題が。
わたしがさっきの数分間着ていたのは、水色のできる限りシンプルなワンピース。熟考して選んだものだ。そうせざるを得なかった。というのも、原因はお姉さんのセンスにある。
お姉さんのセンスは、はっきり言って悪くない。お姉さん自身が着ている服も、ちょーっと露出気味だが、それで似合っているのだから無問題だ。
問題は、そんなお姉さんがわたしのために用意してくれていた服。部屋も綺麗に整えてくれていた、その心遣いには頭が上がらない……が。
おおよそサイズは合っている。おおよそ。
ただ、ちょ――――っとお胸のあたりが寂しくない?
あくまでもわたしの名誉のために言っておくと、決して小さくはない。前世と比べるとそりゃもうニカップほど差があるように思える。測ってはないけど。ただ、お姉さんの選んだであろう服が、ことごとく胸部の露出過多なのである。そりゃね、お姉さんくらいボインならいうことないよ。でもさすがに、わたしにこんなもの着こなせる自信はない。
ちなみにだが、王都にいた頃ニールに服を買ってきてもらったことがある。成長期だったから。
あいつ服のセンスなかった。
さて、なんとか地味めな服を選んで着替えたところで、再度扉を開く。警戒して、手をかざし周りに障壁張ったまま部屋から出たが、今度はなんともないようだった。ふいーと息を吐く。部屋から出るだけで過敏になりすぎたか。
「――ハリエットさん」
「うぉ!?」
「ひゃあ!?」
いきなり声をかけられて、勢いあまって飛び退いてしまった。それに驚いたらしい声が聞こえて、さらにべしゃっという間抜けな水音が響く。
慌てて振り返ると、そこには魅力的なお尻があった。――失礼、さっきの水で足を滑らせたお姉さんがいた。
「……マデレーン様?」
「ったたた……あ、ごめんなさいねえ……」
「い、いえ」
相変わらずわたし以上に鈍くさい人だ。まだ齢七、八の頃のわたしより運動神経なかったみたいだけど、今見ると本当にやばいな。お姉さんのことだから魔法でどうにでもなるんだろうが、魔力なかったらワンパンで死にそう。
手を貸して立ち上がらせると、お姉さんは恥ずかしそうに笑いながら服の裾を絞った。
「なんでこんなところに水溜りがあるのかしらねえ。雨漏りかしら……。あ、その服、着てくれたのね! よく似合ってるわ」
「ありがとうございます。あと、部屋の方も。なんか良くしてもらったようで……」
「いいのよ。何年も王都に放っておいてしまった、せめてもの罪滅しだわ」
そう言うお姉さんは申し訳なさそうな顔ではなく、なぜかとても沈んだ顔をしていた。わたしが何年も王都にいなければならなかった理由を聞きたいと思っていたのだが、そんな顔をされるとどうにも聞きづらい。
あとでニールに聞こうかな。それともやつも聞けなかったりして? なんせ猫被ってるもんな。
「あの、どうしてここに?」
結局わたしから話を切り出すのは諦めて、お姉さんの要件についてを促した。わざわざこんなところに他の用なんてないだろうし、わたしへの話だろう。こっちとしても、これからの生活について色々聞きたかった。お姉さんの普段いる場所は知らないし、探そうと思ったらギータの二の舞だ。
わたしの言葉に、お姉さんはぱっと顔色を明るくした。
「ああそう、それ! ハリエットさんの授業の方なんだけど、実技は十分だってあの子が言ってたものだから、少しお話を通しておいたの。属性は違うのだけど、高等部の方から新任の先生が来てくれるって仰って」
「それって……よく引き受けてもらえましたね。五年も教育受けてない中等部生ですよ?」
中等部と初等部の校舎は同じだが、高等部になると敷地から場所が変わってくる。それと同じく、教師も高等部からは全く違う面々になっている。らしい。いつだかのアルフ情報。
お姉さんの話は確かに魅力的だった。が、今朝のことがあったからか、どうにも新任の教師が心配でならない。わたしの属性についての偏見に関しては理解があるだろう。あると信じたいが、わたしはそれに加えてお貴族様じゃないからなあ。もっぱら王都の生活に染まって、むしろ野蛮人である。
そんな心配を孕んだ質問だったが、お姉さんは可憐な笑みで答えた。
「安心して。私の人選に間違いはないわ。ほら、ニールさんだってそうじゃない」
いやー、黒幕だったんですけどね?
にわかに心配になる発言をしたお姉さんだが、ひとまずは頷いておく。そろそろわたしも論理的な魔法を学んだほうがいいと思うし。口に闇突っ込む時代は終わったのである。
「教室は三階の第三実験室。ハリエットさんがいいなら、明日明後日くらいから受けてくれるそうよ。どうする?」
「じゃあ……明日から大丈夫です」
これ以上だらだらするのも気が引けたので、明日からにしておく。社畜。
お姉さんは快く頷いてくれた。頼もしい笑顔。わたしが学園から離れている間に、お姉さんも成長したのだろう。
そんな彼女は「それじゃ――――きゃあっ!?」とかなんとか叫びながら退場していった。あくまでも、転んでない。目の前にあるお尻は、お姉さんではない。決して。
朝からそんな話があり、ひとまず今日はのんびり自由に過ごすことにした。昨日は何だかんだで、色んな人と会ったからなあ。ぼっちはぼっちらしく、今日は図書館で読書でもしよう。
そう思ったわたしは、さっそく図書館へ足を向けた。渡り廊下の先にある図書館は、そりゃもうでかい。さすがに王立図書館ほどではないけどね。
久々に、肺いっぱいあの独特の空気を吸い込む。うーん、微妙な匂い。だがこれがいい。
授業中であるからか、図書館にいる生徒は少数だ。この人たちは選択式の授業を取っていないか、さぼりか。言っといてなんだけど、果たしてさぼりなんているのかなー。
とりあえず適当に本を取って読むことにした。王都にいた頃も読んでいたけれど、さすがに馬車の中では読めなかったからな。吐いてまう。
お、闇魔法についての本が増えてるぞ。こっそり読もう。
…………気がついたら時間はお昼を過ぎていた。どんだけ! 熱中しすぎた。
どうりで生徒の数が増えてきたわけだ。大人しく本を戻して、昼食に向かうことにした。それにしても、闇魔法に関する書籍がどえらく増えていた。今度色々試してみよう。剣に纏わせる……とか、魔剣っぽくね?
厨二的な考えを浮かべながら、しゃがんで本をしまっていく。高いところは取るのが面倒なのだ。
そうして本をすべて戻し終わったところで、目の前をフッと人影が塞いだ。なんだよ邪魔だな。
「……あのー、退いてもら――」
「ちょっといい?」
あ?!
まるでわたしの言葉など聞かないといった様子で、その生徒が言葉を被せる。
「……なんですか?」
高圧的な物言いに思わずカチンときたが、笑みを貼り付けてなんとか凌いだ。喧嘩なんてしたら目立って仕方ない。
そんなわたしの努力をものともせず、その生徒――巻き毛の女の子はさらにいらつく言葉を発した。
「少しお時間いただくわ。こっちに来なさい」
何様だ。何様のつもりだ。そしてこれは、いわゆる体育館裏的なあれですか?
ご飯も食べてないし、全く呼び出しに応じる必要性を感じない。今朝のことはきっとこの生徒も関係しているのだろうが、わたしとしては犯人とかどうでもいい。ただあんまり悪質なことをしでかしてくれさえしなければ。
返事のないことにイラついたのか、その女子生徒はわたしの髪を無理やり引っつかんだ。そんなに嫌そうな顔をするなら掴まないでください。しかもまだ水のせいでしっとりしてると思う。
ここで張り合うとハゲるので、仕方なく立ち上がる。そもそもここは図書館なのである。騒音厳禁。
そのままずこずこと引きずられるように図書館をあとにして、女子生徒と共に向かった先は校舎。
の、どうやら空き部屋らしかった。扉を引かれるやいなや、そこに放り込まれる。
「みんな、見つけた。こいつだわ」
後から入ってきた女子生徒がそう言うやいなや、教室にいた他の生徒さんたちから多くの視線を投げつけられる。当然ながら、友好的な視線は一つもない。
後ろで、がちゃんと鍵のかけられる音がした。
――――逃げ場はない。