31 中庭にて
懐かしい中庭は、何も変わっていなかった。
むしろ、あの時サディアスがボロボロにした辺りにも草木が茂っている。朝露に濡れる草を踏みしめて、わたしとサディアスはベンチに腰掛けた。
涼しい風とは対照的な、暖かい朝日が体に降り注ぐ。そういえばわたしは長旅が終わったばかりで、疲れているのだった。日差しの心地よさに伸びをする。
「……それにしても、久しぶりだね。あ、手紙、ちゃんと届いたみたいで良かった」
「ああそうだ、それ。ハリエットさんは酷い」
サディアスはそう言うと、威圧感の増した顔でわたしを睨んだ。
今思ったが、さっきのギータと比べると、サディアスはおおよそ同年代とは思えない。なんというか、大人っぽいというか。まだ中学生くらいの年なのに、もうゲームのビジュアルにそっくりなのである。成長が早い。イケメンに変わりはないが。
しみじみとサディアスのお顔を見ながら、わたしは首を傾げた。
「ひどい?」
「そうだ。こんな手紙一つで今までいなくなって、俺は……さ、寂しかった」
ぼそぼそと照れながら口にした言葉に、わたしは妙に微笑ましい気持ちになった。ずいぶんでっかくなってしまったけれど、中身はあの時の可愛いサディアスのまんまだ。
サディアスはわたしの顔にムスッとしながらも、胸元から一枚の紙を引っ張り出した。それは、まさしくわたしが書いた手紙だ。
急いでいたのもあるが、今見ると結構な走り書き。
「っていうか、それ持ち歩いてたの?!」
手紙には、明らかに汚れが目立った。それからところどころ禿げていたり、ちぎれていたりする。部屋で保管していたらまずこうはならない。しかも今、胸元から取り出してたし。
びっくりしてサディアスを見れば、何故か彼は妙にいい顔でこくりと頷いた。
「お守り代わりにしてた。これ見たら、あなたを思い出すし」
「わたしを思い出してもいいことないでしょうに……」
気恥ずかしいことをさらりと言われ、何となく茶化す。サディアスってこんなキャラだっけ? ツンデレ不良属性どこいった。
きっとトラウマがなくなったから、そんなグレる必要がなかったんだと思うけれど。それにしたってゲームの記憶との食い違いが激しい。サディアスのゲームそっくりな外見も手伝って、予想した答えと真逆の答えが返ってくる感じ。
言うなれば、「ぶん殴るぞこの野郎!」とニールに言って「女の子がそんなこと言っちゃダメだよ」と返されるようなものだ。いや、あいつが猫被ってる時は普通に言ってくるけど。キモイよね。
「これを見るたびに、あなたみたいになれればいいと思えた。剣も、魔法も、いいことばかりじゃなかったけどな」
「か、買いかぶり過ぎ……。さっきのサディアスくんのがかっこよかったよ。ありがとね」
「いえ、俺はあなたがしてくれたことをしただけだ」
わたしはあんな格好良くサディアスを助けた覚えはない。さっきみたいにお貴族様に媚びへつらっただけなのだ。それなのにこんなに尊敬されてると、居心地が悪い。
なにか話題を変えようと思案していると、サディアスが唐突に言った。
「それで、今までどこに行ってた? この手紙には、詳しいことは書いていなかったし。マデレーン様に聞いてみても、どうも要領を得ない」
「あー……それは、ちょっと実習に王都まで? 野暮用頼まれてて、それが言えなかったんだと思うよ……」
嘘は言ってない。一応実習という名目だったし、わたしもそう聞かされて行ったのだから。闇属性云々は、野暮用ってことで。
サディアスは深く追求するつもりがないのか、わたしの答えに頷いて「王都か……」と呟いた。そういえば、さっきギータがサディアスに何か言っていたな。しばらく見なかった、とかなんとか。
それに、サディアスの目の傷跡も、この学園内でついたとは考えにくいのではないか。ここは貴族が多く、間違っても目元に残るような傷なんてつく危険があるとは思えない。
「もしかしてさ、サディアスくんもどっか行ってたの? その……傷とか」
わたしが指し示した傷に、サディアスは何故か苦笑いを零した。伸ばした手を取られて、わたしの指は目元の傷跡に触れる。ビクッと大げさに跳ねた肩に、舌打ちしたい気分になった。
そんなに怖がるとこないのは分かっている。傷が怖いなんて繊細な性格でもない。
だけれどどうしてか、その傷をつけたのがわたしだと理解すればするほど、それに触れることすら躊躇してしまう。
「ハリエットさん、もう痛くないんだ」
「分かってるけど……。痛かったでしょ」
これがついた時は、それはもう痛かったはずだ。わたしの肩にある傷だって、今はもうなんともない。けれども脂汗が出るほど痛かった記憶はある。
わたしのせいでサディアスが痛い思いをした――これが一番グサッときている理由かもしれない。
サディアスは察しているのかいないのか、ゆっくりわたしにその傷跡をなぞらせて、ぎゅっとその手を握り込んだ。温かい手が、わたしの冷たい手を温めていく。
「この傷は、確かに痛かった。でも、俺はこれが好きなんだ。誇りなんだ。あなたがどうして頑ななのかは分からないが、気にしてくれる必要はない」
本人にそう言われては、これ以上は何も言えない。わたしはサディアスの右目にかかる盛り上がった傷跡を見つめて、ため息を吐いた。降参の合図だ。
にっこり笑うサディアスに、ムカついたから頬を両手で押さえ込む。空気の抜ける情けない音がして、きょとんとしたサディアスの顔に笑った。
「へえ、騎士見習いなんかしてたの」
「ああ。あなたと一緒だ。志望者には実習がある」
どうやらサディアスは、ここ何ヶ月か学園を去り、騎士として働いていたそうなのだ。というか、ここ四年の間に何回か行っていたらしい。わたしのように長期で行くことはない――そりゃそうだ。
「どこかであなたと会わないかと思っていたが、王都はまだだったな」
あそこでサディアスに会ったら会ったで大変そうだ。騎士として動くサディアスも見てみたいけれど、そもそもギルドに騎士はこないしなあ。
残念そうに言うサディアスにとりあえず適当に返しておく。わたしとしては会わなくてよかったかもしれない。今無事に会えたせいで、そう思うのかも。
「あなたがいなくなってから、手紙の通りにしてきた。努力すればするほど、いじめられることもなくなって、あなたに近づいている気がして。そうだ、この前の模擬戦では優勝したんだ」
「――優勝?」
それはすごい。声を上げると、サディアスは褒めてくれと言わんばかりにこっちを向いて笑った。ゲームではレアなこの笑顔、大バーゲンである。
わたしは模擬戦のことはよく知らないが、そこもサディアスはきっちり説明してくれた。
初等部の高学年から始まる「模擬戦」は、定期的に行われる学園の恒例行事らしい。参加、不参加は自由だが、基本的に男はほとんどが参加するんだとか。反対に女子はまあ、いない。
魔法も武器もありなその模擬戦は、トーナメント方式で戦って優勝者を決めるんだとか。
そこまで聞いて、ルートによってはゲームにもあったことを思い出した。言うなれば体育祭みたいなノリだった気がする。
「それで優勝……それはすごいねえ」
サディアスの口ぶりでは、剣も魔法も使っての勝負だ。それはもう、サディアスには勝てる気がしない。
サディアスをみて顔を青ざめさせたギータも、そう思ったんだろうか。
「あ、ありがとう……。あなたに言われるのが一番嬉しい」
わたしが口にした褒め言葉に、下を向いてめちゃくちゃ照れているこの男が最強とは、びっくりだ。
そこでふと、アルフのことを思い出す。ヤツは負けてしまったんだろうか。
まあさすがに、皆の見ている前で獣化はできないだろうし。それでもチート性能に近いのだが、剣+魔法のサディアスには劣るのか?
「最後に戦ったのはどんなだったの?」
サディアスと戦って負ける以外にはないだろうと思って聞けば、サディアスは少し考えてから首を捻った。半年以上前らしいし、覚えてないのかもしれない。
それならいいよ――と言おうとしたところで、サディアスがはっと顔を上げた。
「名前は覚えてないが、金髪のやつだ。雷の。相性が悪かった」
そう言って苦い顔をするサディアス。だが、わたしはその発言をとっさには受け入れられなかった。聞き間違いだと思ってしまった。
「……赤髪じゃなくて?」
「? 金髪だ。背の低い……」
――あれ、アルフじゃない?
不思議そうな顔をするサディアスになんでもないと手を振って、考える。もしかして、あいつは模擬戦不参加なのだろうか。
学園の行事に参加してないということは、もしかして。そんなまさかとは思いつつ、悪い想像が頭をよぎる。
まさか、ゲームのアルフに逆戻り、なんてことに? 学園行事に参加しないなんて、それはまさしく前世のわたしのようじゃないか。わたしがいなくなって、ヒロインとは会えなくて、それで?
嫌な想像に、顔がひきつるのが分かった。
「ハリエットさん?」
「ごめん、なんでもない。知り合いが出てないかなーっと思っただけ」
顔の前でぶんぶんと手を振って、嫌な想像をかき消す。決まったわけじゃないし、こうなってしまう想定だってしていたはずだ。サディアスがいい子になっていたからといって、アルフがそうとは限らない。
それにしても、ヒロインと会えなくてまた病んでいくアルフとか、胸が痛む。
「決勝まで残っていなかったのかも知れない。金髪は、期待されているとは言えなかった。が、実際俺と戦った」
そういうこともありえる、かな? アルフが運悪く腹痛になったりなんかして、負ける場合も。サディアスの言葉に幾分か気持ちが楽になった。
そうかも、と相槌を打っておく。
「それにしても模擬戦かあ。わりと興味あるね、見てみたい」
「学期末に不定期にある行事だから、今年からは見れるかもしれない。……てっきりあなたなら出るかと思ったのに」
「ええ?! 出ないよ?! わたし強くないし」
びっくりして腰を浮かせると、サディアスはおかしそうに笑った。冗談のつもりだったらしい。表情が怖いから分かりにくいんだよなあ、もう。
サディアスレベルが出る模擬戦にわたしなんかが出たら瞬殺だ。そもそも闇魔法は使えないし、となると魔術具とナイフ一本で戦う方法しか残ってない。これまでの実践がそうだったから、できないこともない。
でもそれは、模擬戦というより殺す気でいくことになる。もはや狩りだ。
貴族相手に泥臭い狩りなんて、絶対できない。
大人しく、見るのを楽しみにしていよう。