29 別れと出会い
馬車に乗った七人の男女は、わたしたちと同じく闇属性の人間だった。偏見の少ない王都で悠々と暮らしていたのだが、信者たちが来たので馬車に避難した、とのこと。
しかしながら、あの大きな王都に闇属性が七人しかいないわけはない。彼や彼女たちは、詳しくは知らないけれども、お姉さんと知り合いだったために馬車に乗れ、逃げられたのだ。
逃げられなかった人たちのことを考えると、少し憂鬱な気分になる。
一体信者は何をしにきていたのか、それはニールにも分からないことだ。だけど、決して良いことでないことくらい、わたしにも感じ取れる。
「じゃあね、ハリエットちゃん。またいつか、落ち着いたら改めて会いましょ」
冒険者のサラさんが言った。
サラさんは何かとでっかい武器を持っている綺麗なお姉さんである。でっかい武器っていうのはまあ、女の武器だとか、斧的なものだとか、そういうものだ。
背負った巨大な斧は、恐らく強化魔法でもって振り回すのだろう。一度見てみたい気もする。
「はい、サラさんたちも気を付けて」
「大丈夫よ、オルダッタは差別もないし。ま、ザタナルグより田舎だけどね」
隣国オルダッタは、この国と違ってあまり魔法が発達していない。というより、このザタナルグが魔法で発展してきた大国であるのだ。そんな魔法大国で差別があるなんて、笑える話だけど。
そのオルダッタの国境付近で、馬車は止まり。そして今、三ヶ月間の同乗者たちとの別れがこようとしていた。
ニールは猫被りもせずむすっとしたまま馬車に籠っているが、わたしは何となく、名残惜しさを感じて彼らを見送っている。三ヶ月間、なかなか振り回されたが(主に恋バナ的な意味で)、信者に追われた立場ながらさほど気分が沈まなかったのは彼女たちの存在が大きい。その感謝もある。
「またな、ハティちゃん。大きくなったら、こっちにも来てくれよ!」
「勿論。アレンさんも、お体に気を付けて。会いに行くんですから、元気でいて下さいね」
アレンさんは、後ろで伸ばした三つ編みが可愛い男性である。サラさんたちほどは話さなかったが、それでも面倒を甲斐甲斐しく見てくれるというお兄ちゃん気質なところがある、優しい人だった。実兄にも見習わせたい。
わたしがアレンさんの言葉にそう返すと、彼はにっと歯を見せて笑った。
次々と馬車を降りていく。
寂しさは募るが、誰も悲しい顔をしている人はいない。これが幸運だったと分かっているからだ。
お姉さんの知り合いなのだから、会おうと思えばまた会えるはず。そう思いつつも、携帯やネットのない世界での別れは、今生の別れと同義に思えてしまう。
「またね、ハリエットさん!」
手を振ってくれた皆に振り返すと、皆の表情が優しいものになる。ふと気づけば、わたしの後ろでニールが手を振っていた。
そうして七人と別れを告げたわたしたちは、たったの二人になりながら、三ヶ月をかけて学園への帰路を辿った。
わたしとニールは、隣国へ逃げることはできない。――できないというよりは、しないと言った方が正しい。例えお姉さんに何も言われていなくても、わたしはやはり学園へ帰っただろう。
だって、アルフにサディアス、それから。
『本編』に準じる何かが待っているはずなのだから。
と、言うわけで、着きました。
五年ぶりのアカデミー。
五年と聞くと、月日の経過の早さをひしひしと感じてしまうね。
八歳くらいだったわたしは、今やもう十三歳? この世界の健康寿命は前世の日本とほぼ同じくらいなので、まだまだ少女に変わりはないけれど。
でも、なんと結婚は十二歳からできる。貴族なんかでは珍しくないことなので、だからこそニールと恋仲を疑われたりするのだろう。貴族でも恋仲でもないけど。
馬車を降りて、学園の門をくぐると、やっと帰ってきたという実感が沸いてきた。
その前に、長い間馬車に揺られ続けたせいでおかしくなった平衡感覚を何とかせねばならん気がする。足取りがおぼつかなくて、ニールの手を借りた。というより、フラッとした時点でニールが手を差し出してくれたのだ。
「あ、ありがと」
「ん」
あのニールが率先して人に手を貸すなんて、この四年半(移動時間を含めると五年になるのか?)の間にずいぶんと成長したものだ。びっくりして思わずニールをガン見してしまった。
ひしひしと、ニール≠黒幕感が伝わってくる。
本編ぶち壊してるけど、これほど喜ばしいことはない。
わたしのガン見がウザかったのか、そのあと舌打ちされた。
「おい。俺はあの女に報告してくる。お前は帰って寝てな」
「わたしは行かなくていいの?」
懐かしの宿泊寮の前まで来て、ニールが言った。まだ朝であるからか、人の気配はない。
もしかして気を使って一人でいこうとしているのかと思ったのだが、ニールは真面目な顔で首を横に振った。
「二人いても特に話は変わんねえよ。むしろ邪魔だ。オトモダチに挨拶でもしてきなァ」
しっしっと猫でも追い払うようにされ、わたしは仕方なく方向を変えて女子寮へと向かった。ニールが言うなら、ついていくこともないんだろう。
それに、オトモダチという言葉。そう、お友だち。アルフとサディアスに会わなければ。まだ朝だけど、何とかなるでしょ。
五年ぶりの部屋はなんというか、驚くほどに綺麗なままだった。壁紙も、子供っぽいものからおとなしめの柄へと張り替えられている。
王都の宿から持ち出したわずかばかりの荷物を置いて、新しい服へと着替えを済ませ、髪をとかす。
「……だいぶ伸びたなあ」
久しぶりに綺麗な鏡を見た。そこで、わたしの白い髪が胸辺りまで伸びていることに気づく。伸びたとは思っていたけれど、あらためて見ると過ごした年月がよくわかる。
前世では、肩につくまで髪を伸ばしたことはなかった。単純に鬱陶しいからだ。
がしかし、今よりもう少し後の話になるが、ハリエットについては違う。綺麗な白い髪は、彼女の腰元まで伸びていた。
どうしようかと迷って、結局切ってしまった。
伝説のぼっちであるわたしは、無論美容院なんてそんな悪の巣窟にいけるわけもなく、前世では決まった髪型のみならめちゃくちゃ綺麗に切れた。なぜなら、いつも自分の髪を切っていたから。
鏡に映るハリエットは、やはり前世と同じ髪型をしていた。
さて、服も着替えた。髪も切った。時間にしても良い頃だ。
サディアスは分からないが、アルフの部屋ならバッチリ覚えている。なにせ一ヶ月近く通い詰めだった記憶がある。
……あれは子供だったから許されたわけで、年齢が二桁に入った今ではできないな。さすがに。
男子寮へ向かうのも、なかなか久々だ。
アルフと学園を抜け出した時のことを思い出す。それから、そう、獣アルフの感触。もふもふ。さらさら。
知らず知らずのうちににやけていたのか、すれ違った男子生徒に怪訝な顔で二度見された。いけないいけない。
「おい」
さて、向かうべきは男子寮。さっさと行かなくては。
「おい! そこのお前だ!」
「は?」
振り返ると、さっき二度見して通り過ぎていった男子生徒が仁王立ちでこっちを睨み付けていた。さっきは気づかなかったが、少しふくよかな体にごてごての装飾がなされた服、ともすれば貴族様に間違いなかった。
ごく自然に営業スマイルを浮かべ、わたしは半歩下がった。
「申し訳ございません。わたしに何用で?」
「……見ない顔だな」
「事情があり、しばらく不在だったのです」
相手はそれを聞いて眉間のしわを緩めると、相も変わらず不遜な態度でわたしに口を開いた。
「ギータ・ビヴァリー。宿泊寮のマデレーン様のところまで案内しろ」
「はい、喜んで」
ギータは間髪いれずに頷いたわたしに気を良くしたのか、ニィッと口を歪ませて笑った。
ギータ・ビヴァリー。聞いたこともないし攻略対象でも登場人物でもない。本人が名乗ったということはそれなりに有名なのだろうが、おおよそわたしにはどうでも良かった。
こういう人には大体取り巻きがいるのにその影さえないし、単純に迷っただけかもしれなかった。普通に過ごす分には、教師の泊まる宿泊寮には用はないしな。わたしの場合は色々あったけど、例外だ。
本当はアルフに早く会いたかったが、しかし権力には勝てなかったよ……。