27 日々への侵略
さて、それから変わらない毎日は過ぎた。
確か、三年もすれば帰れるとお姉さんは言っていたのに、ニールからその知らせはいっこうに訪れなかった。自分で聞くのも、まるで帰りたがっているようではばかられ、今ではあと三年待てる気分である。
手紙を書き終えてほっと息を吐く。あれから四年が経ったとは、にわかに信じがたい。
オズに剣の稽古をしてもらったり、ニールと一緒に料理をしたり、毎日のように依頼を受けにいったり。そんなことをしているうちに、あっという間に月日は経っていた。
わたしは前世やゲーム知識のお陰で学園のことを忘れることはないけれど、学園側はそうでもない。ただの平民の一生徒のことなんて、もう忘れているはずだ。願わくば、そのまま二度と学園に入れないなんてことがありませんように。
それにもしかしたら、アルフやサディアスなんかも、わたしを忘れているかも。手紙はたまにまとめて書いているのだが、ちゃんと届いているのかは怪しい。理由があって、学園関係者には今の宿は教えてはいけないらしいし。
「さてと……今日も仕事だ」
伸びをして立ち上がる。
昔は乗り上げるようにして見ていた窓には、もう手をかけるだけだ。そう、四年の間に成長期まで来てしまった。誕生日を祝う習慣がないものだから、何歳だったかいまいちあやふやだが。十三歳くらいだったかな。
窓を覗いて下に見慣れた茶髪がいるのを確かめて、宿の階段を下りていく。
「ニール!」
声をかけると、お馴染みの不機嫌そうな顔がこっちを向く。ニールの姿は、出会ってから何も変わっていなかった。
「おっせえよ、馬鹿」
「あーごめんごめん。それじゃ、早く行こ!」
周りに聞こえないように悪態をつかれたので、やれやれと手を振って回避しておく。こいつの扱いも、もう随分と慣れてきた。なんといったってこの嫌味なのかツンデレなのかよくわからない暴言を、四年間おんなじ部屋で聞き続けてきたのだ。そりゃあもうどんな小鳥のさえずりより美しく聞こえるね。
ニールはわたしの態度が気に入らなかったのか、むすっとした顔であとをついてくる。
これからどこへいくかといえば、無論ギルドである。今日も今日とて森で魔物を倒さなければいけない。わたしが剣の扱いをかなり学んだこともあり(もう獲物をぶすりとやることに抵抗はない。残念ながら)、最近はわたしとニールだけで行くこともあるのだ。
その場合、ニールは引き付け役だとか、囮だとかしかしてくれないけど。ニールもオズに剣でも習えばいいのに。
そんなことを考えながらギルドまでの賑わいに差し掛かった時、わたしはふといつもと違う違和感に気づいた。
何かは分からないが、なんだか何かが違う。
なんだろうか?
気のせいか?
普段通り、朝から人の溢れた町並みだ。露天や建物も、変わりない。だけれどどこか、というより雰囲気がもやっとする。殺気だとか邪気だとかを感じられたことはないけど、恐らく気のせいではない。
とりあえず確かめようと新たに一歩を踏み出し――かけたところで、いきなりニールに口を塞がれた。そのまま近くの路地まで引っ張られ、壁に張り付く。
これは茶化したニールの冗談ではないと思った。何か非常事態が起きているのは分かる。一転して真剣な顔で辺りを見るニールに、わたしも真剣な顔で小声で問いかけた。
「ふぁんふぁほ……?」
「……あ?」
ようやく口から手を外してくれた。浅く呼吸を整えて、もう一度ニールに問う。
「なんなの?」
「……なんでかわかんねえが、教会のやつらが王都に来てる」
信者。実は王都に教会はない。ぎりぎり王都から外れたところに、一番大きな大聖堂が建っている。闇魔法への差別は『表面的には』ないことになっているからだ。
ニールの言葉にわたしも慌てて辺りを見てみるが、そんな人間は見つけられなかった。だけど、何かがおかしいことは分かる。人の動きが変なのだ。店を見るというより、何かを探しながら歩いている人間が、ちらほら混ざっている。それがそうなのかもしれない。
ちょうど、その時近くの店に客が立ち寄った。
何の気ないふりをして、店の人をじっと見つめている。かと思えば、何も買わずに立ち去った。
「魔視を連れてきたな……クソ」
魔視というのは確か、いつか聞いた『視える人』のことだ。魔力や属性が視覚化して見えるという、稀な人間。
ニールは舌打ちすると、わたしの腕を取って何かを嵌めた。ブレスレットというより、手錠のような造りの質素な腕輪だった。その意味を問う前に、腕を引っ張られたまま路地から連れ出される。
走りながら、ニールは耳につけたピアスを触って話し出した。
「マデレーン様、王都に信者が」
しばらくの沈黙のあと、ピアスから少しだけ声が漏れた。三年も経っているから判断はできないけれど、多分お姉さんの声。そんな電話のような魔術具があるのかと、わたしはこんな時ながら驚いた。
てかニール、どんだけ魔術具持ってんだよ。ちょっと感心してしまったわ。そんな魔術具があるなら、わたしにくれてもいいのに。
……それともそれをしないってことは、もの凄く高価なんだろうか。
『……宿に戻って、馬車が来るのを待って……それに乗ってちょうだい……』
「分かりました」
ニールが走る速度をあげたので、わたしも必死についていく。魔術具によって足が速くなっているニールと違って、わたしは気合いで走るしかない。いくら成長したからといって、歩幅の差はまだまだだ。
人に不審に思われないよう、極力避けて宿へ帰る。
一体何が起こっているのか、一段落したらきっちり教えてもらおう。こんなに用意が周到ってことは、お姉さんとニールはあらかじめ予想していたってことだ。いやそれより、この長い長い王都生活を願ったのもお姉さんだし、珍しくそれについてきたのもニール。最初から変だったのだ。
わたしは一介のモブに過ぎないと油断していたのがいけなかったのか。
「おい、とりあえず必要なものがあるなら部屋からもってこい。そのポケットに入るものまでな」
「はあ……はあ……っ、わかった……」
宿に着く頃にはすっかり息が上がっていた。
のろのろと階段を進んで、長いあいだ住んできた部屋へと足を踏み入れる。なんとなく、さっきの口ぶりからして、この部屋に戻ることは当分なさそうだった。
ニールはうるさいし、気分屋だし、働かないしで大変だったけど、軽口言い合ってここで一緒に食べたご飯は温かくて美味しかった。こじんまりした宿も嫌いじゃなかったし、おせっかい焼いてくる宿屋の人たちも、どう接していいのかわからなかったけど、本当は好きだった。オズが来た日なんかは一層賑やかで、わたしは辟易したものだ。
『わたし』としてなら、家よりも学園よりも、この宿で過ごした期間の方が大きかったような気がする。
わたしはベッドに放ってあったマントを羽織ると、ポケットに持てるだけの手紙を詰めて、階段を滑るように降りた。カウンターには、誰もいない。お姉さんが手配した宿がこうなっていることは、非常事態を表しているようなものだ。
「ニール!」
「おせえ! 乗れ!」
馬車から身を乗り出してくるニールに、わたしは素早く飛びついた。さっと大きな布を被せられ、ニールもわたしも覆われる。いや、二人だけじゃない。
外から見ても大きめの馬車だと思っていたが、どうやら乗員はわたしたちだけではなかったのだ。見知らぬ人が他にも五人ほど身を寄せ合っている。独特の、あのケツ(ごめん臀部)にくる振動が始まって、馬車が走り出したのだと気づいた。
「ねえ、ニール。どういうことなのか説明してくれる?」
抱きついたままの姿勢でそう囁くと、ニールはさらに身を寄せて、わたしの耳に唇が触れるくらいまで近づいた。
暗い中で顔は見えなかったけれど、あったかい体温のおかげで不安感はさほどない。それともただ単にわたしが図太いだけなのか、はたまた前世での年の功だろうか。こんなくだらないことを考えられるくらいには、わたしは落ち着いていた。
「どこから説明すりゃいい? あの学園を追ん出された理由? 今この状況?」
「お姉さ――マデレーン様とニールが予想していたこと含めて、全部よ。まあ無理にとは言わないけど。わけを知らなきゃ二人の計画外のことが起きた時、アドリブが効かないかも」
わたしが冷静なことに気づいたのか、ニールはくくくっと喉を鳴らした。それからしばらく考えるような沈黙があって、ニールはわたしの髪を弄りながら言う。
「学園から追っ払われたわけは、あそこにちょっと厄介事が起きそうだっつうあの女の話だ。かしこーいハリエットさんのお察しの通り、闇持ちについてのごたごたらしいから、俺も一緒に避難したっつーこと。分かるう?」
こんな時まで煽ってくるニールには感服だ。むしろこんな時だからこそふざけてるのかもしれないけど。ニールのメンタルは絹ごし豆腐だから。
「いいから話せ」と腕をつねると、肩を過ぎるほどに伸びた髪を容赦なく引っ張られた。ハゲたら責任を取ってもらおう。……わたしも大概ふざけてるなあ。
「そん時に聞いた話だが、もしかすると王都の方で教会に大きな動きがあるかもしれないと。ま、それ分かってて俺らを王都に送ったんだから、あのクソ女もいい性格してるよなァ。俺が知ってんのはこれだけー。おっとちなみに、この馬車は隣国境界経由の学園行き」
「え、学園……ん?! り、隣国って――――んぐっ」
「静かにしろクソガキ……!」
強引にニールの肩口に顔を埋めさせられた。今のは悪かったと思うが、このままの体制にしないでいただきたい……。
それにしても隣国境界経由って、一体どう言うことなのだろうか。さっきから同じく息を潜めている、この同乗者たちの用事かも。布による大きな暗闇の中で、七つの息遣いが耳に届いていた。
何はともあれ、平和な生活とは少しばかりお別れのようだ。