25 王立図書館
そこは青い屋根の目立つ、なんとも理解しがたい造りの建物だった。
王都には思わず首を傾げてしまうような建物もあったけれども、そういうレベルじゃない。この建物は圧倒的におかしい。
わたしは隣に佇んでいるフードの大男に、恐る恐る尋ねてみた。
「あのさ……オズ?」
「なんだ」
オズは相変わらず、黒いローブを身に纏い、その姿から周りに遠巻きにされている。当然、横にいるわたしの方にも「誘拐じゃないだろうね?」「まさか……どうせあれは冒険者だろう」だとかいう声は聞こえているのだけれど、無視させて頂く。
「なんで建物が浮いてるの?」
そう。そうなのだ。
綺麗な青色の屋根を持つその建物は、なんと宙に浮いていた。今まで重力をまるで無視した設計の建物には目を瞑ってきたけれど、こればかりは駄目だ。
学園の校舎くらいはあろうかという建物が、地面ごと二メートルほど浮かび上がっている。その下のぽかりと穴の開いた地面からは、ツタのような植物が伸びていた。
オズはなんてことないように近づきながら言った。
「地表付近に魔石があるのだろう。恐らく、盗難防止のためか、はたまた気づかず建設してしまったかだな」
それは……欠陥住宅さながらの設計じゃない?
さて、わたしとオズがどうして、この「王立図書館」へ足を運んでいるのかというと、先ほどの定食屋での出来事が原因である。
オズが見せてくれたあの強化魔法だけども、いざ教えてもらおうとすると、なんというか……そう。
オズの説明が下手だった。
よくそれで剣を教えていたなという話なのだけど、オズいわく、剣術はセンスと練習で身につくもの。つまりは全て実技で教えられるということだったが、魔法はそうもいかないらしい。
というわけで、正確な理論もしくは説明のある本を探して、オズと共に王立図書館へ出向くことになったのだった。
図書館の内部には、垂れ下がったはしごを利用して入る。
浮遊している建物なんてどうかと思っていたけれど、いざ入ってみると浮遊感を感じることはなかった。
それよりも、目に飛び込んできた本の数に、わたしは小さく声をあげる。
「わあ……」
真ん中の螺旋階段に沿って、何階にもなる本棚たちにわたしは圧倒された。一階のたくさんの机では、みんな目の前の本を黙々と読んでいる。わたしも早く読みたい。
そんなわたしをオズはどことなく引いて見ていた。
「吾人にはどこが良いのかさっぱりわからん。薪にもならんだろうに」
うわ、最低だ。本は国の宝だよ。
黒いローブを睨みつつ、わたしはオズを放置して一目散に本棚へと駆け寄った。本棚の上のプレートに、本の種類が書いてある。 わたしがまず見たいのは……あった、魔法。
さすがというべきか、魔法というくくりだけでかなりの書物が並び連なる。この中から、強化魔法の適切な理解を深める本を選ばなければならないのか……。
ちらっとオズを見てみると、周りに遠巻きにされながら椅子に座っていた。本を読む気は一切ないらしい。
「えーと、強化魔法の基礎……これでいいか」
ありがちなタイトルの本を抜き取って、その場でめくってみる。なかなか良さそうなのでキープ。他にも二、三冊本を選んで、いったんオズの座る席へと戻る。
「これ、持っててね。よろしく」
「む、これだけではないのか」
「ちょっと他の調べたいこともあるし」
それを合わせると結構な量になる。立ち読みには向かないので、読みたい本はオズの 前の机に積んでおく。
ここの本はほとんどハードカバーなので、意外と重いのだ。
わたしは螺旋階段を、よっこいしょと登っていくことにした。多分ここで本を読み続けていたら、階段のお陰で体も鍛えられるに違いない。
正直、つらい。エレベーター、文明の利器が欲しい。
「はあ……はあ……あった。これだ」
ようやく発見したプレートの文字に、すぐさまその本棚付近へと駆け寄った。歴史、と書かれた本棚を、ひっくり返す勢いで漁る。
学園の図書館では、この国のことこそ書かれれど、この世界のことはあまりよく分からなかった。お貴族様への影響を考えてはあるのだろうが、この王立図書館には、そんな上の事情は全く関わっていない。王立とはあるが、珍しい本から、果ては禁書まで、何でも持ち込まれるというのがその実態。 まあ、本を読まないオズの受け売りだから、真偽は不明だけど。
ともかく、わたしはこの世界のことを知りたいのだ。乙女ゲームとはなんら関係ない世界を。
目についたタイトルの本を片っ端から手に取っていく。
世界地図……は、あるようだった。未開の地があるのかは分からないが、なかなか広く描かれている。ここザタナルグ王国は、北の内陸に位置するらしい。ちなみに王都はその真ん中で、わたしの故郷であるタリクルスは、隣国の境にあった。この本は採用。
あとはこの歴史の本を持っていけば良いだろう――と階段を降りたところで、ふととある本棚に目が向く。童話、だとか、民話、だとか。
案外、地方や国に伝わる民話というのは、歴史や土地柄を反映しているものが多い。ともすれば、この辺りの本も何か分かるかもしれない。
他の棚より子供向け(とはいっても、貴族の子供が読むものだろうが)の色が強いその本棚を眺めていく。
「……あっ……」
ぱっと目に入ったタイトルを二度見。
子供向けの字体で『夜の王妃と魔王』と書かれた背表紙に、わたしはあの眼鏡の男を思い出していた。
胸元にしまったままの、金色の欠片を確かめる。大切な人に渡すと言いとかなんとか言っていたので、ヒューにでもやろうかなとしまっておいたのだ。
あの眼鏡の男に童話を聞いてから、吟遊詩人の歌を聴く暇なく過ごしてきていた。何となく無視も悪いかなあと思ったので、その本を手に取る。ここで読みたいけれど、さすがに手が限界だった。
ふらふらと覚束ない足取りで、なんとか下へと降りられた。
オズは目立つので、席はすぐ見つかった。
が。
「こ、こいつ……」
オズはフードを深く被ったままわたしが積んだ本を枕にして、爆睡していた。よだれなんか垂らしてないだろうな。弁償なんてできないぞ。
驚くほど寝息の静かなこいつを肩パンで起こして、わたしは枕になった可哀想な本たちを救出した。オズが肩を押さえて呻いていたけれど、わたしのようなか弱い子供の拳でどうにかなるわけないだろう。
あまりにも暇で眠たいようなので、オズには膝を貸してやって、わたしはようやく本と向き合う。
数ページ読んでいくうちに、周りの音は一切聞こえなくなった。ただ字を追っていくのだけに集中していく。
強化魔法がなんたるか、それは魔力での物質の強化。
筋肉やら細胞やらの話ではなくて、物質。そもそも物理学やらなんやらが発達していない(前世の物理法則とは違うのかも)中で、この本のいう物質とはなんなのかという話になる。重要なのはそこでなく、強化方だ。
魔法は呪文や魔方陣よりも、思考の方が大事なのである。オズが刃を強化してレンガを削ったのは、刃そのものを強化したのではなく、刃の外側を強化したのでは。
つまり、筋力の強化というよりは、外側から補助的に魔法で補っているのに近い。物質の強化を応用して、腕力の強化として使っているっていうことか。
「はー……」
一通り読み終わって、息を吐く。
あれだけの本をすべて読むのはとてもじゃないけど時間が足りないので、重要なところだけかいつまんで読んでいる。だからこそ、基本中の基本が抜け落ちていたりするのかもしれない。
目が疲れたので、分厚い歴史本を読む気がしない。
オズをフード越しに撫でながら、わたしはあの童話を開いた。
「人間の国の王女は、その黒い髪から魔族の生まれ変わりだと忌み嫌われていました。王女はそのせいで、敵対国であった魔族の国にいくことになってしまいます。
魔族の国の魔王は、王女と同じ黒い髪をしていましたが、王女に冷たく当たりました……」
「だが、王女はめげずに魔族と生活を続ける。そのうち魔王の方が折れるのだ」
低い声がお腹から響いた。
オズはわたしの膝から起き上がると、大きな体を伸ばしてあくびをした。寝ている時もフードすら取らないとは、こいつ本当に指名手配とかされているんじゃないだろうな。と、わたしは痺れた足をぶらぶらしながら思った。
「い、いつから起きてたの……」
「吾人はその話が好きなんだ。耳元で読まれれば起きる」
こんなメルヘンチックな童話が好きなんて、意外や意外、オズって案外乙女なのか。こんな大男が……。
「その童話は実際にあったとも言われている。この国……いや、この世界の始まりは三千年前、魔族と人間が手を取り合ったことから始まったと」
眉唾物だと思っていた童話が、実際にあったと? オズの話を聞いて、ページをめくる。最後のページには、幸せそうに微笑む王妃となった王女と、そして人間と魔族は共に歩んでいったのです、の一文。
「てことは、魔族も?」
「ああ……そうだな……うん……これだ」
オズは席を立つと、近くの本棚から本を流し見て、一冊を手に取った。それをぺらぺらとめくってわたしに見せる。
「見ろ。……もともと、魔力は魔族特有のものだったのだ。人間は、数と軍事に頼るしかなかった」
見せられた本には、魔族についての諸説が書かれていた。わたしたち、いやサディアスやアルフも及ばないくらいの膨大な魔力と、それを収められる丈夫な身体がある、らしい。時さえも飛べるほどの魔力、というのは信じがたいけど。
「今の吾人たちは、魔族の血が完全に混ざりあった人種だという説が一般的だな。血の濃さによって、魔力量に違いが出るとも」
「へえ、なるほど……属性は?」
闇属性が貶められている理由はなんなのか、ぼんやり分かるかもしれない。そう思い聞いたのだけれど、オズはローブの中で腕を組んで唸った。
「魔族は、どの属性にも通じていたと……。なぜ別れたのか、女神の仕業だとか、その辺りの説は考察があやふやだ」
オズも分からないらしい。と、言うかてっきり脳筋だと思っていたオズが、意外なところで真価を発揮して、わたしはちょっとびびっていた。