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乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
王都編
27/110

閑話 少年と手紙


『よろしければ、文通して頂けませんか?』


 渡された手紙には、その一文だけが綴られていた。

 安い便箋に、不似合いなほどの綺麗な文字。少年はその手紙を手に取りながら、薄灰色の目を細めた。

 使用人の仕業か? それともたちの悪いいたずらだろうか? どちらにしたって、この退屈を少しでもまぎらわせられるなら、いいかもしれない。

 少年はその手紙に負けじと、綺麗な文字で一言だけ書いた。


『誰だ?』


 質のいい封筒にそれを入れて、近くにいた使用人に渡す。使用人の誰かならそのまま読むだろうし、違うならそのいたずら主に届くだろうと。


 返事はすぐにきた。


『しがない旅人でございます。貴方の憂いが少しでも晴れるように、稚拙な文ではありますが、こうしてお送りしているのです』


 それを呼んで、少年はその手紙をビリビリと引き裂いた。少年の憂い(・ ・)があるとすれば、こんな安い手紙などで晴らせるものではなかったからだ。

 その日は使用人を数人、解雇させた。


 手紙はまた届いた。


『気を悪くされたでしょうか。ごめんなさい。わたしは王都で生活しています。初めての王都は、故郷と違って賑やかで、良くも悪くも声をあげることばかりです』


 使用人は少年に怯えながらも、律儀に手紙を渡してくる。少年も、一度は引き裂いた手紙を、なぜか無視することはできなかった。

 いつからかこのざらざらとした便箋にナイフを刺し、丁寧に開けることを楽しみにしてしまっていた。


『今日は魔物に出会いました。苦戦しながらもどうにかしまして、銀貨をいくらか貰えたのでお夕飯が豪華でした。王都の食事は量がたくさんあって、美味しいです』


少年は王都に住みながらも、王都の城下町に出たことはない。勿論魔物を見たことも、銀貨を稼いだこともなかった。

 使用人の誰かだと思っていたが、こんなに事細かに生活を報告されると、それも違う気がしてくる。使用人は使用人だが、それだってみんな教養のある者ばかりなのだから。間違っても魔物退治に出るような粗暴な者はいない。


『冒険者なのか?』


 その日、手紙に返事を書いた。

 最初の手紙とはうってかわって、殴り書きのような汚い文字だった。

 またもや、返事はすぐにきた。


『お返事ありがとうございます! 本当は違うのですが、生計や練習のために冒険者をしています。ギルドはいつも人がぎゅうぎゅう詰めで、お酒の匂いがして、荒っぽいです。貴方はお元気でしょうか?』


 少年は手紙を抱いて、ベッドに横になった。お酒の匂いは、品のいいワインの香りしか嗅いだことがない。使用人はみんな洗礼された動作で、荒っぽさの欠片もない。家は広く人がゆうゆうと歩けた。

 何もかも経験のないことばかりが綴られてくる。手紙の送り主も、王都の景色も、魔物の姿も、少年には分からないものだらけだ。


 この手紙はきっと、天使からの助けなのだ。

 だだっ広い牢獄に囚われた少年は、手紙の主を想像してそう考える。


 たくさんの質問を書いた手紙を送ってから、少年はその手紙を心待ちにするようになった。


 滑らかなクリーム色の便箋に、綺麗な文字を書き出す。読むのが煩わしくならないよう、決して長い手紙は書かない。


『今日は、剣術を習った。午後からは歴史を。いつまでたっても剣の腕が鈍い』


『私も剣は苦手でございます。護身用として剣を持っているのですが、未だに使う機会は訪れておりません。魔法の方も、魔力が多くないので色々と気を使います。貴方の得意なものはなんですか? 苦手なものは?』


『体を動かすよりは、勉学の方が得意だ。魔法は苦手。いつも庭の木を焦がして庭師が怒る。王都はどんなものがあるんだ?』


『王都には、正規のお店と叩き売りのような市場があります。色々な魔術具や、なんだか胡散臭いものまで売っていて、眺めるだけで楽しくなってしまいます。あとはギルドのお陰が、物品が多く、物価が安いです。今度は森の奥までいってきます』


 そう書かれた手紙に、少年は形の整った眉を寄せると、胸を押さえた。

 森は畏怖の対象だ。多くの恩恵を森から受けていることは事実だが、それと同じくらい人が死んでいる。昔流行った疫病が、森から来たのだと習った。それを救ったのが光魔法だということも。

 心配しているのを悟られたくなくて、少年は丁寧な字で手紙を書くと、使用人へ渡した。


『大丈夫か? 手紙が無事読まれることを祈る。今日はダンスと外国語。外国の言葉は面白いが、ダンスはへたくそだ』


 手紙は、しばらくして返ってきた。


『森の奥には大きな魔物がいました。あんまり大きかったので、運ぶのに苦労します。残念なことに少し怪我をしてしまいましたが、おおむね元気に手紙を書いています。外国語は私も習ってみたいです。いつか、他の国にも行けたらいいなと思っています』


 いつもの封筒を見て頬が緩んだが、怪我、の文字に少年の顔は青くなる。慌ててペンを握り締めて、短い手紙を書いた。

 少年の使用人は、しばらく元気のない主を心配しながら、手紙を出した。


『怪我はどれくらい? 大丈夫か?』


 心配でならなかった。


 午後からは剣術の授業を庭ですることになっていたが、少年は自分の剣で右手を痛めた。その痛みを感じるたびに、怪我をしたという手紙の送り主を思い出す。これよりももっと酷いのだろうか、治療はきちんと受けられただろうか。

 今まで考えたこともなかった思考ばかりだ。


 その日の夜に手紙が着いた。


『ご心配お掛けしました。王都には薬草も豊富で、すっかり元通りです。もともと爪を引っかけられた程度なので、問題はありません。前にいたところでは見かけなかったのですが、王都には治療士なんていうものがあるのですね。残念なことに結構お高いです』


 それに安堵すると共に、自分の右手を見る。

 治療士に治させた傷はあとかたもない。治療魔法は光魔法の一種だが、光属性が少ないのだから高いのだろう。今まで知らなかった。

 考えてみればすぐ分かったはずなのに。

 少年は自分の無知を恥じた。


『安心した。が、こっちでは俺も怪我をしてしまった。剣術は好きじゃない。母様が慌てて治療士を呼んだから、すぐに治った。高いと聞いていたから、少し申し訳ない』


『怪我は拗らせると大変なことになるので、すぐに治って良かったです。高い治療を受けられるのは、貴方のご両親が偉いからです。申し訳ないと思ってくださる謙虚さをお持ちなら、私は嬉しい限りでございます。世の中には傲慢な人がたくさんいるもので、今日は無理矢理席を譲ることになってしまいました』


 穏やかな口調ではあるが不満を書かれたその手紙に、少年も口をへの字に曲げた。やや乱雑に文字を重ねる。

 が、自分も人のことは言えないのだと思い直して、その手紙は書き直すことになった。謙虚さが嬉しいと天使に言われたのだから、自分を見直さなくてはならない。


『ひどい話だ。俺も、少し使用人にわがままを言っていたと反省した。母様や父様が偉いというのは、分かる。けれど、二人は仲が良くない』


 こう書いて、少年はペンを置いた。

 この憂いについて書くか書くまいか悩みに悩んで、結局一文だけ、最後に添えるように書いた。気づかなくても構わない。

 けれど本当は気づいてほしかった。


『ひどい話ですが、そのあとにたっぷりと仕返ししてやりましたので大丈夫です。ご両親が、貴方の憂いの原因だということは存じております。問題はどうするかです。ご両親や環境を変えたければ、まず貴方が変わるしかございません』


 天使は適切な言葉で自分の思考を導いてくれる。少年はその手紙にすぐ返事を書いた。憂いはもう止まらなかった。


『両親は仲が悪いが、二人とも俺を愛している。俺はどう変わればいいんだ? 剣や魔法の才能も、家名に相応しくないものばかりだ。俺はどうしたらいい? どうして俺は出来損ないなんだろう?』


 少年には、華々しい家名に相応しい魔力も、肉体も持ち合わせてはいなかった。

 両親ともに過保護に少年を愛したが、それが余計に惨めに思えたのだ。果たしてその立派な土地や屋敷や財産を、なんの取り柄もない出来損ないの自分が継いでもいいものだろうか? いや、継がねばならないのだ。

 少年には兄弟がいない。重圧は少年にばかりのし掛かり、背骨を砕かんとしていた。

 両親の偏愛も、もはや愛と言うより確執だった。少年は両親の前では自分が人形であるかのような錯覚を覚えたし、また実際に両親の方も、少年を人形のように可愛がっていた。


 そうして人形の肢体が今にももげそうだった時に、天使の手紙が現れた。

 質の悪い便箋に、不釣り合いな整った文字。

 その中には救済がある。


『剣や魔法が人並みなのは、とても良いことだと思います。どちらも優れていたなら、私は貴方に共感することはありませんでした。嫉妬や羨望を抱いたことと思います。出来損ないではありません。私は貴方の家名は知らないのです。貴方を貴方として見ています。やりたいことと、それを達成する手段を考えれば、自ずと変われると思います』


 ささやかに背中を押してくれている気がした。それは思い描く父のようで、少年は天使の姿を思い浮かべる。優しそうな男性なのだろう。きっと、いつか会えるに違いない。少年は王都にいるし、そしてこの手紙の主も王都にいる。


 憂いが晴れることはなかったが、少年は確かに、自分の力で晴らそうとしていた。

 力強くペンを走らせ、それにキスを落とした。

 願わくば、この天使が親愛するような人物に成れますよう。少年の薄灰色の目は、シャンデリアの光によって輝いていた。


『やりたいことは、家を継ぐこと。外へ出ること。それから、お前に会うこと』



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