22 長旅
今日は晴天なり。
晴れやかな午前の日差しを受けて、わたしの白髪がきらきらと輝いた。
暖かい日光と涼しい風。過ごしやすい気候だ。この国では、こんな理想的な気候が年中続いている。おでこを風に撫でられながら、このままでは、夏の汗も冬の霜焼けも忘れてしまいそうだと思った。
いや、本来なら、その感覚を知らないのが当たり前だ。けれどもわたしとしては、あの銀景色や炎天下のアスファルト、どれも懐かしい。
「……前世ねえ」
呟く。
前世とはいうけれど、『わたし』に死んだ記憶はない。お気に入りのゲームをなくして、ふて寝しただけだ。それが、なぜか今日のわたしとして存在している。
厳密に言うならば、今のわたしには、思い出す以前のハリエットの記憶もある。ぼやけてしまっているのは、単純にわたしの過ごした年月によるもの。だから、恐らくは生まれたときから『わたし』はわたしだったのだろう。
誰にも教わったことのない花冠の作り方を、思い出す以前の日のわたしは知っていたし、おじさんは昔から大人びていたと溢していた。それが証拠だ。
とはいえども、思い出す必要はなかったわけでして……。
思い出さなければ、この世界でもあのゲームのようになっていたはずだ。ニールがいるということは、たとえヒロインがニールを選ばなくともニールルートは再現されたというわけで。
前世の記憶なんかを思い出さなけりゃ、わたしはただのハリエットとして、葬られていただろう。そう考えると思い出すのがいいことのようにも思えるけど、しかし。
わたしの人格は、見ての通り前世の『わたし』そのものだ。
思い出す前の、ヒューの好きな可憐なハリエットは、わたしの荒んだ前世に押し潰され死んだ。前世で死んだ覚えもないわたしにしてみれば、よく知ったゲームの世界に入り込んでしまったような気分だ。前世のわたしがゲームのハリエットを乗っ取ったようで、そう考えるとおさまりが悪い。
いやでも、アルフやニールをちょっとでも救えたなら、転生してよかったのかもしれない。
少なくとも、ここはゲームじゃないんだから。
「おーい、ハリエットさん?」
遠くからニールの甘ったるい声が聞こえてきた。
あいつは外に出ると否応なしに猫を被る。それがどうにも気持ち悪いので、わたしはわざとニールを怒らせるのだ。
「遅い! ニールがもたもたしてる間に、日が暮れるかと思ったよ」
「ちっ。うるせーガキだな、おい」
嫌そうに顔を歪めたニールが、わたしの頭を掴んで揺さぶった。おい、おい、少女の頭を乱暴に扱うのは危険だ! 脳震盪起こる!
まだ医療が発達していないし、光魔法なんて言う便利なものがあるからニールは乱暴なままなんだ。こっちには効果抜群の薬草なんて便利なものがあるけど、さすがに脳震盪は治せまい。
ボサボサにされた髪に指をいれて、ため息を吐いた。
さて、こんなわたしとニールだけれども、なんとただいま王都エルマリクへと足を運んでいた。
そのきっかけというか、理由は三日前にさかのぼる。
「良かったら、王都へ行ってみない?」
言われた言葉に、間抜けな声が出る。いつものように、サディアスの待つ中庭に行こうとしたとに、お姉さんに呼び止められたのだ。適当な個室で、お姉さんはにこやかにそう告げた。
まさか休学? 停学? なにか良からぬことをしただろうか……と恐怖していると、それを見透かしたかのようにお姉さんから声がかかった。
「一応、長期の実習としてなのだけれど……どうかしら? ほら、ハリエットさんって、初等部のお勉強はとっくに終わっちゃってるじゃない。それに、魔法以外のお勉強は、取っていないみたいだし」
アカデミーは魔法がメインだけれど、他にも選択式で色々な科目がある。貴族のお方たちは、乗馬やら剣術やら作法やら、色々親から取らされている。一般庶民のわたしには縁のない話だ。
「実習って、一人でですか? そもそも何をすればいいのか」
「勿論、あなたの先生も一緒よ。冒険者ギルドというものがあるのだけれど、あそこは実力さえあれば闇魔法も歓迎されるから。実習向きじゃないかしら」
「はあ……」
ニールと一緒と言う時点で行きたくない。そもそも一緒に行ってくれるのか怪しいし、お姉さんの手前行ってくれたとしても、現地についたらハイ解散とでも言いそう。
それに、なんだ冒険者ギルドって。いきなり乙女ゲーから、RPG系のゲームしシフトチェンジされても。あのゲームにこんな設定なんかなかったぞ。
わたしの反応が芳しくないと察したからか、お姉さんはまくし立てるように続けた。
「ニールに許可は取ってあるわ。勿論、きちんと監修しろって釘を刺しておいた。ね? どう? 聞いたのよ、中庭での一件。一名の教師が貴女に悪いことをしたそうじゃない。その点、あそこならそんな心配はないし、新しいことを知るためにも、悪いことじゃないでしょう?」
そう言われてもねえ。
別に、待遇の問題ではないのだ。確かにのびのび魔法が使えるなんて嬉しいし、冒険者ギルド、なんてそんな言葉、惹かれないわけがない。ニールにもしっかり頼んでくれたなら、多分大丈夫だろう。
しかしわたしにはアルフとサディアスがいる。
もしわたしが学園を離れた隙に、アルフが粘着男に逆戻り、サディアスが魔力暴走トラウマ発動とか、洒落にならない。これでもこの約一年半、頑張ってきたのだから。
渋るわたしに、お姉さんは泣きそうな顔をした。
「お願い。なにも言わず、私の言う通りにしてちょうだい。お願いよ、ハリエットさん」
その声は悲痛に満ちていた。
暗い影の差す瞳を見てしまえば、もう断ることはできなかった。 なにか、わたしには分からない重大な理由があるのだと思う。
「……分かりました」
仕方ない。諦めてがっくり頷けば、お姉さんは目を潤ませて喜んだ。表情を明るくしたお姉さんに、そういえば聞いていなかった、基本的なことを問う。
「それで、期間はどのくらいですか?」
お姉さんは涙をぬぐって答えてくれた。
「三年くらいかしら」
廊下を走ってきたところで、ちょうどよく赤髪の後ろ姿を見つけた。小走りで近寄って声をかける。
「アルフくん!」
「……どうしたの」
キョトンとした顔で振り向いたアルフに詰め寄って、ガシッと手を握る。アルフはさらに目を丸くしたけれど、気にする余裕はなかった。
この小さい手を握ることは、多分もうない。三年も経てば、アルフの手は大きく骨張るだろう。にぎにぎと感覚を焼き付けながら、口を開く。
「今度さ、おうちに帰るときのことなんだけど。外出届をもらうといいよ」
「は?」
「素直に言っても書いてくれるとはかぎらないから、そのときは正直に会いたい少女のことを言うといい。悪いようにはならないはずだから」
「ちょ、ちょっと待って、」
「それでも駄目なら、獣化して脅したっていい。とにかく、アルフくんじゃ結界抜けはできないんだから」
「いや、なんなの? いきなり」
いきなりのマシンガントークについていけなくなったのか、アルフが混乱したようすで手を握る。そうは言われても、わたしには時間がなかった。
王都までいく馬車を今日呼ぶなんて、お姉さんは頭がおかしい。
せめて、せめて明日にしてほしかった。この分では、もうサディアスは待ちくたびれて帰っているやもしれない。それは、寮の部屋を知らないわたしには困る。
「とにかく、分かった?」
わたしの剣幕に押されて、アルフがこくりと頷いた。それを確認して、肩を下げる。
「よかった。あと、帰ったときはこれも頼みたいんだけど――あ、わたしがいなくなっても、ちゃんと他の人と仲良くしてね。彼女にべったりは駄目だよ。まあ、親友は、わたしだけど」
「……? ああ、分かった……?」
「よし、それじゃあね」
何がなんだかわかっていないうちに、色々と押し付けてその場を去る。頭の上にハテナを浮かべるアルフを振り返りながら、唇を噛んだ。
アルフは紛れもなくわたしの親友だから。離れるのはあまりにも惜しかった。
――最後に、もふもふしたかった――。
とりあえず、アルフの方はこれでいいだろう。アルフ父の方も、ヒロインが光属性だと知れば嫌な顔はしないはず。あとは他にも友達を作ってくれれば、万々歳なのだけど。
そう考えながら、中庭へと走る。
「……はあ、はあ……サディアスくん?」
いくぶんかマシになった中庭の造形を見渡しながら、声を張る。草木の擦れる音以外は聞こえない。
残念なことに、サディアスは帰ってしまったようだ。
貴族が大半を占めるアカデミーでは、生徒自体はあまり多くない。寮についても探せば見つかるだろうけれど、そんな時間はなかった。
わたしはポケットから余りの紙を取り出すと、同じくポケットに放り込んであったペンを握る。
決して安いとは言えない紙だけども、学園内では容易く手に入った。お姉さんが言うには、繁殖力の強い魔物から製産されているとか。
そんな得体の知れない紙に、ガリガリとペンを走らせる。インクの必要ないこれは、ペンと言うより木炭のようだ。
「えーと……用事で数年ほど学園から出ることになりました。残念ながら練習に付き合うことはできなさそうです。ごめんなさい」
質の良くない紙は、下がベンチということを差し引いても書きづらい。格闘しながらも、なんとか文字を連ねていく。
あとは何を書けばいいだろうか。魔力制御の練習は欠かさずすること、あとは剣術か?
そもそもサディアスがどうして人を傷つけることになるのかは、ゲームでもはっきり描かれていない。が、忠告しておいても損はない、はず。
「……魔力制御の練習は、わたしとやったときのように。焦らずにこつこつ頑張ってください。剣術の方も、良かったら授業を取るといいと思います……それと、強くなるのはいいことですが、人を傷つけることには気を付けてください。悪い人でも、魔物でも、殺生の前にはよく考えて。体に気を付けてお過ごしください……っと」
なんだかとてもかしこまった文になってしまった。残すのがこんな手紙なのは惜しいけれど、ちまちま推敲している暇はない。
この手紙をベンチの上へ置いて、結界を張っておく。わたしの結界を意図せず、踏み込むだけで破れるのはサディアスとアルフくらいしかいない。
こんな手紙ごときで、本当に変わるだろうか? わたしが戻ってきた頃には、粘着男とトラウマ発動していると思うけど……。
いや、悲観はよくない! たとえそうなったとしても、もう一度わたしが変えてみせようじゃないか!
彼らはゲームの彼らではなくて、もはやわたしの友達なのだから。
手紙をもう一度確認して、わたしは中庭から立ち去った。挨拶する人が二人しかいないのがわたしのぼっちたる由縁だけど、満足だ。
ニールを待たせている、そう思って駆け出した。
目指すは王都!
怒涛の冒険編突入か!?