閑話 ニールの変革
ある日、マデレーンから手紙がきた。
指輪型の魔術具で部屋を漂いながら、質のいい封筒を見つめる。この日は、珍しくマデレーンから連絡があったのだ。
あの女は頭が軽いくせに名声や地位や人脈ばかりはあるから、利用するにはもってこいだ。俺が受けた仕打ちを、いつものように笑顔を張り付け語れば、あの女はすぐに同情し俺の力になるといった。
勿論こうやって悠々と暮らしていられるのもあの女のお陰ではある。破って捨てるわけにもいかないと、綺麗に畳まれた手紙を無造作に開く。中には整った字で簡単な文が綴られていた。
『アカデミーにて頼みたい用件あり。至急ザルーアスまで来られたし。予定の宿にて一泊後、追って連絡する。マデレーン・ウォルノス』
王都の近辺に位置する町、ザルーアス。そこにマデレーンが熱をあげる学園が存在する。あの女の金をすべてぶちこんで作られた楽園だ。俺にとっては、貴族の集まる馬小屋のようにしか見えないが。
手紙を丸めて床に投げながら、俺はマデレーンからの手紙の内容をどうするか考えた。
正直言えば、あの女の頼み事なんかクソ食らえだ。どうせ下らないことに決まっている。が、それ以上に現状はどうだろう? マデレーンから与えられた安全な場所で怠惰な日々を過ごしている。清潔な部屋も柔らかいベッドも悪くはない。しかし、これはひどく退屈でもあった。
マデレーンの『あの時の言葉』も、信じていいのか分からない。最悪あの約束も果たされることなく、くたばる可能性もある。俺にとって時間は無限とも言えるが、あの女は違うだろう。ただでさえ学園と王宮の往復で忙しいらしいのだから。
そう思い付いたら、あとは早かった。
俺はすぐに家を出ると、預かった金で馬車を止める。馬より遅いし細道にも弱いが、俺が馬に乗れないのだから仕方ない。馬に乗れるのなんか、真っ当な教育を受けたやつだけだ。別に負け惜しみじゃない。
小さな教会のあるあの町を思い出して、俺は笑みを浮かべながら馬車に揺られた。
ザルーアスという町は、王都の近辺ということで賑わいもある。一番はあの学園があることだろうが、人の影が絶えるのは盗賊に怯える夜だけだ。兵士もいるが、誰もが平等に守ってもらえるとは、誰も思っていない。
俺は夜の町をぼんやりと歩いていた。
いつもの宿は教会から離れた場所にあるが、俺の足は自然と教会の方へ向いていく。だが、教会を見ることは叶わない。万が一にももう一度教会と何かをやらかせば、今度こそ俺はどうなるわからないから。
しみったれた気分に唾を吐いた。
「ん……?」
時計塔の前に、自分と同じものがいる。
俺は魔力が視えるわけじゃないが、同じ属性持ちだけは感じられるようになっていた。今までの、気の遠くなるような時間の経験からだろう。
時計塔の方へゆっくり近づいて盗み見れば、そこにいたのはガキだった。俺は魔力量や属性が才能で分かるのではなく経験で感じるだけだから、まさかこんなガキだとは思わなかった。どうしてこんなところで、こんな時間にボーッとたたずんでいるのだろう。
目を凝らしてよく見る。
白い髪を縛って男物の服に身を包んでいるが、多分女だろう。子供らしい丸い垂れ目が、物珍しそうに時計塔を見上げている。
周囲に人影はない。孤児というには綺麗な格好だ。親とはぐれたにしては落ち着きすぎている。
これがただのガキなら無視してさっさとおさらばするところだが、こいつは闇持ちだ。どういう理由でここにいるのかは知らないが――使えるかもしれない。
こいつがどんなやつであれ、闇持ちというだけで教会にいい思いを抱いているはずはないのだから、じっくり教会に対しての憎悪を植え付ければいい。反対に俺には従順に仕立てあげれば、そこそこ使える駒になる。
そんなものを作って何をするのだと、自分のひどく無気力に冷めた部分が言った。
……何をする? 決まってる。復讐だ。
このガキが使えなくとも、俺一人でも復讐してやる。胸の奥から涌き出てくる何かが、俺の肢体を満たした。俺の魔法によって、白髪のガキがよたよたとこっちへ歩いてくる。
俺とそいつとの距離がだんだん近く、狭くなっていく。
――もう少し。
「――ハリエット!」
ほくそ笑んでいた俺の目に、鮮やかな赤い色が飛び込んできた。
それはそのまま、近づいていたガキを奪う。
炎のような髪のガキだ。仕立てのいい服、なにより綺麗な靴を履いていることから貴族だと分かる。俺の嫌いな貴族の坊っちゃんは、俺が捕まえ損ねたガキの安否をしきりに気にしている。
貴族だと厄介だ。バレる前に俺は路地裏をさっさとあとにした。結局あのガキは、見るからに品のいい坊っちゃんに奪われ拐うことはできなかったのだ。
冷めた部分がまた、俺に語りかけてくる。あの少女には心を許せる仲間がいるのに、無駄に長く生きてきた自分には何もない。とても空虚だ。そんなだから復讐なんかに満たされてしまうのだ、と。
闇属性のくせに真っ白い髪のガキを思い出して、嘲笑する。
まだ無垢なガキだからああなのだ。これから先、きっとあいつには暗闇しかない、はずだ。俺は無理矢理口角を上げて宿へと歩き出した。
ところが、昨日の今日で、俺は再びあの哀れなガキと巡り会うことになった。マデレーンの言う用件とはガキの教育で、それも大した魔力じゃないくせに、やたらとやっかいな結界抜けを使うらしい。
そいつの名前は、ハリエット。
あの女は「白い髪と青い目の、賢そうな子よ」だとかなんとか曖昧なことを言ったが、あいにく俺には白髪に青目の覚えがあった。
すぐに気づく。時計塔のあいつだ。
ただならない様子だったし、俺に気づくかもしれないと思ったが、たとえ気づいてもどうでもいい。学園には珍しい平民だと言うし、未遂で終わったのだから何も言えないだろう。いつもの笑顔を張り付けて、ガキを向かい入れる。
あの女はこのガキを賢そうだと評したが、部屋を間違えただとか下らないことを抜かしてきやがった。
確かに理解能力の高さや言語の自由さには驚いたが、まだガキだ。獣によく分からないほど並々ならぬ執着をしていたり、闇魔法への耐性が薄かったり。
俺にカマをかける度胸はいいが、俺からすればまだ駒にすらならないようなものだ。俺は内心で嘲っていた。これからこのガキにもどん底がやってくるのだと。
ただ、一つだけ思うことがあった。
このガキは不気味だ。
初日から飛んだ質問をしてきたり、教会のことをわざわざこの俺に聞いてみたり、どうも変だ。
しかも、あの青い目。子供らしからぬほど読めない瞳だった。俺が笑うたびに瞳に靄がかっていくように、何も掴めなくなる。
不気味だ。不気味の一言に尽きる。
表情も乏しいし、愛想笑いが嫌に上手い。やんわりと壁を作って、俺を遠ざけている。そのくせ自分だけ高いところから見下ろしているように、俺の中身までじろじろ観察しているのだ。このガキの前にたつと、何からなにまで知られている気がする。
何故だ?
恐ろしかった。
そして一ヶ月が経とうとした頃、ついに俺はあのガキの青い目に耐えきれず、マデレーンからの用件を放棄した。どうせあのガキも俺をよくは思っていないだろうから、それでいいと思った。
それに、今だから認めるが、あのガキには気の置けない『友達』がいるらしい。たまに見かける、あの赤い髪の坊っちゃんだ。あいつといるときのガキは、俺に向ける目よりも輝いた目で笑っている。
同類だと思っていたやつが俺よりいいところにいることに、頭が割れるような痛みを味わった。そんな俺にも耐え切れなかった。
自棄になって飛び出したはいいが、行く場所などない。俺は気づけばまた、あの日あのガキとあった場所へたどり着いていた。なんて未練がましいんだろう。
あの日の『呪い』のせいで、俺の回りにいた仲間は誰もいなくなった。だからだろう。おんなじ属性のあのガキを、無意識に気にしてしまっている。この俺がこんな惨めな気持ちを味わうなんて屈辱だった。
それも全部、あの白くそびえる教会のせいだ。
俺はそびえる建物に向かって唾を吐きかけた。届くはずもなく、石畳に張り付く。汚い。
苛立って顔を背けると、ちょうどそこにいた男が俺を睨んでいた。こんな時間に人がいるとは思えず、舌打ちをした。さっきの行為が気に障ったか?
無言で立ち去ろうとすると、手首を掴まれた。ごつごつしたマメのある手だ。とっさに振り払う。
「あんた教会が嫌いなのか」
唾を飛ばさんばかりの勢いで放たれた質問に、俺は顔を歪めた。いつもなら、適当に愛想笑いを張り付けて「いいえ」と答えただろう。だが今は、どうしても教会を肯定したくなかった。
男に向かって笑ってやると、もう一度腕を掴まれた。振り払おうと足掻くと、男の近くから同じような男が数人現れる。
なるほどなあ……。掴まれた手を見ると、そいつの手首には腕輪が嵌まっていた。魔術具とは違う輝きだ。男たちは、あの忌々しい男の『信者』に違いなかった。俺が答えないのをいいことに、男たちは俺を教会まで引きずっていく。
この時ばかりは夜になると町に人がいなくなることを恨む。男たちの拘束は、俺の力じゃどうにもならなかった。男たちは俺にしきりに「闇持ちか」と聞いてきたが、素直に答える義理もない。力なく近づく教会を眺める。
ここに来たのは何年ぶりだろうか。
「で、あんたさっき教会に向かって唾吐いてたよなあ。お前闇持ちだろ」
闇属性だからなんだというのだ。馬鹿みたいだ。
俺が褒められた人間でないのは理解しているが、全ての人間を属性ごときで区分してなにが楽しいのだろうか。こいつらはきっと、すべてのしわ寄せを俺たちに寄越す気に違いなかった。
「いいからさっさと吐けよ」
「うるせえな……あんたらの神様の前だぜ」
「……おい、調子に乗ってんなよ」
そう怒鳴られ、振り上げられた拳が俺の頬を打つ。
こんなこと、慣れたものだった。
……ただ、慣れたからといって、ムカつかないというわけでもない。
どうしてこの俺があんな男ごときに殴られなければいけないんだ。意味が分からない。こんなことあっていいはずない。俺はなんにもしてないのだから。
どうせなら、こいつらに報復してから死んでやろう。
魔力を消費して、男たちに見せ付けるように背後に闇を出す。案の定轟いた野太い悲鳴に、俺は高揚した気分を隠すように渋面を作る。これで怪我でも負わせれば俺は間違いなく捕まるが、それでも別にいい。もうなんの展望もないのだから。
そう思っていたのに。
突如、俺の闇に向かって何かが放たれた。俺と男たちの間に割ってはいる人影は、あまりに小さい。ハリエットとかいう、あのガキだった。
どうしてここに。どうして、庇うようなことを。俺のことを引いて見ていたガキがなぜ、俺を庇うように背を向けるのだろう。俺は何も言えずに立ち尽くしていた。
ガキの姿を見て、さっきまで無様に転がっていた男たちが立ち上がる。
この場はどうやっても納められない。どちらかが犠牲にならないと。ぼうっとした意識の中で、それだけが囁かれる。
「はは……っ」
どういうつもりかは知らないが、俺を庇いたいなら庇われてやる。どうせ俺が逃げるとは思ってないだろう。こいつの前では極めて優しい人間を装っていたのだから。
ちょうどいい。俺に裏切られてその綺麗な顔を歪めたかった。
気づかれないうちに、俺は近くの路地へ身を隠した。追ってきていないことを確認すると、学園への道を走る。
――あのガキがどうなったって俺には関係ない。が、マデレーンへの信用に関わると厄介だ。ただ、それだけだ。そう言い聞かせて、さっき裏切ったはずのガキのために疾走した。
町に来ていたマデレーンと合流し教会へと戻ると、ガキは頬を腫らして怯えていた。多分、初めての体験だったんだろう。こうなると分かっていたら俺なんかを庇うことはなかったはずだ。
ざまあみろ。俺なんかを庇おうとするからだ。
あの女は、『希代の魔術師』だとかいう大層な肩書きで男たちを収めにかかった。
学園の創設者であるマデレーンを敵にまわすことはないだろう。ガキが魔法をぶっ放す前でよかった。いや、あの時このガキが介入していなければ、俺は頬の腫れだけでは済まなかった。そう考えると、俺とガキの頬の腫れだけで済んだのはガキの無謀さがあったからだ。
内心で感謝しつつ、こちらへ向かってきたガキに表情を作る。マデレーンを呼びにいっただとか、適当なことを言って煙に巻けば許されるだろう。思った通り、俺がすまなさそうな顔で謝ると、ガキは顔を緩ませた。
――まさか、肘打ちを食らうとは思っていなかった。
ガキは俺の頬に新たに衝撃を食らわせると、すっきりした顔で胸を反らせた。無駄にやりきった顔が腹立たしい。
すっかり得意げになったガキは、その表情のまま俺に偉そうに説教垂れやがった。あんなところで闇魔法使うなんて馬鹿だとか、見捨てて逃げただとか、なにより俺の顔を見て心底嫌そうな顔をしたあと、気持ち悪い猫被りと言ったこと。
真っ向から否定されたことなどなかった。
こんなガキに恐怖を感じていたなんて、なんて馬鹿馬鹿しい! 口角が吊りあがるのがわかる。
こいつは駒なんかじゃ勿体ない。
もっと近くで見ていたい。
これは、俺の長い人生を終わらせるための出会いだ。
今ならそう思えた。