01 日常風景
むかしむかし、とあるゲームにはまった哀れな乙女がいました。
彼女はある日、いつもと違うベッドで目を覚ましました。
それは彼女が、元の平凡な人生に区切りをつけ、その世界から失踪したことを告げていました。
なぜなら目覚めたぼっちの隣には、いつかなくした宝物が、しっかりと寄り添っていたからです。
――と、ここまでが昨日の出来事。
もう昨日は本当に、意味が分からなかった。
そもそも目が覚めたら違うベッドどころか違う部屋で寝てるわ、そもそも服から違うわ、言い出したら肉体すら自分のものじゃなかったわと、明らかにわたしのキャパシティ越えの情報が一気に入ってきた。
あまりの異常事態に、呻き声をあげながら頭を掻きむしるという奇行に走ってしまったが許してほしい。この事態は気が狂ってもおかしくなかったと思う。むしろこの程度で済んだのを喜ぶべきだった。
だが現実は非情である。
ここで更なる恐怖が襲いかかってきたのだ!
絶賛彼氏なし中のわたしの前に、明らかに人種の違う極上のイケメンが飛び込んできたのである。
無論、わたしがそんなイケメン程度に屈するわけがない。
多分二、三秒意識がぶっ飛んだが、次にその恐怖が目に入った時、わたしは迷わずその羨ましいくらいに整った顔面に向かって、枕を投げつけた。
今となると、とんでもなく混乱していたとはいえ悪かったと思っている。その時のわたしの形相は想像するしかないが、多分、乙女にあるまじき顔をしていたと思う。
一人暮らしが長いと女子力が抜けていくのだ。
今のわたしの女子力はゴキブリちゃんに遭遇してもスルーする程度。だってあれ、一匹見つけたら百匹いると思えっていうじゃん。
一匹を嫌な思いして駆除するより、あとでバルサンしときゃいい。
話を戻して。
その後で判明したのだが、襲いかかってきたイケメンはわたしことハリエット・ベルの実の兄だった。
「あんただれここはどこわたしはだれ」
と、もはや無表情で手当たり次第物を投げつけるわたしに、あのイケメンはしっかりと、憎いくらいにしっかりその綺麗な顔面を手で覆いながら、
「ぼくひゅうここいえああはてぃ……」
と一息で言って、しくしくと泣き出してしまった。
この攻撃にはさすがのわたしもたじろぐしかなかった。イケメンが泣いている。罪悪感の前に恐怖が来るのはなんでだろう。
それは今まで泣かせたのが近所の悪ガキくらいだったからだ。
このあとも続く超展開(「ハリエット、何をしてるんだ?」と見知らぬおじさんが部屋に侵入し、泣いているイケメンを見てびっくりしたあと一通り「こ、これはなんだ? エッタ、喧嘩か? 兄だろう、ヒュー」とか話しかけてき、それを全て無視すると困惑した表情のまま未だ泣いているイケメンに向かって「ベル家の長男が泣くな」と肩を叩く)に、これは夢か!? いや現実だ! という自問自答が脳内で軽く百回は越えたところで、ふと分かったわたしの名前。
ハリエット・ベル。
ハリエット。
ハティ。
どこかで聞いたことのあるような。
困惑するおじさんと泣いているイケメンは放置して、わたしは自分の記憶を思い返す。
そこからは早かった。
わたしのミステリー&ホラーサスペンス系ゲームで培った推理力と、数々の恋愛シュミレーションゲームで養った経験が仮定を弾き出す。
――トリップ?
しかしその仮定はすぐさま否定される。
これはわたしの肉体ではない。
と、いうことは。
以下略の推理力と以下略の経験に、新たに見知らぬ肉体が加わる。
つまりだ。
つまりこれは、ちょっと王道とは違うが、転生というやつじゃないか?
この結論を導きだしたわたしは、とりあえず寝ることにした。
枕元に時計がないので正確な時間は分からないが、二度寝だ。
この短時間でこれだけの衝撃を受けた脳みそを修復せねばなるまいと、とち狂ったその時のわたしは思ったのである。
今だ立ち尽くしたままの二人を横目で見ながら、「目が覚めたら夢だったなんてことにならないかなあ」とかなんとか、ちょっと期待しながらベッドに潜り込んだ。
隣にはやっぱり、ひんやりとしたディスクが寝ていた。
そして起きたら一日が終わっていたわけだが、とりあえず脳は十分回復できた。
最初に言おう、多分夢じゃない。
確証はないけども、リアルすぎる。しかも夢ならこんなにしっかりした思考はできない。
わたしは転生して、ハリエットとかいう女の子になったのだ。その証として、なんとハリエットちゃんの記憶も、うすぼんやりとならある。
ついでにゲームも発見した。
わたしは死んだ覚えがないのになぜ転生したんだろうか。
ここにゲームがあるってことは、わたしも失踪してるかもしれないけど。
いや、でもわたしの体じゃないわけで。
そのでふと思い出したのは、あのゲームのパッケージ。綺麗に中のディスクだけが消失しており、あったのは外側だけ。
……ちょっとまてよ?
ここにあるのは、わたしの意識だけだ。体はない。
もしかしてわたしの体は体で、あの部屋で眠ったままなんだろうか……? 魂がこっちにあるわけで、つまりわたしの体は抜け殻。
部屋と仕事のことが頭を過ぎる。その次に家族。
不思議に思った隣人さんが通報して、廃人化したわたしは病院に収容。連絡を受けた家族がベッドに横たわるわたしに縋り付く――嫌過ぎる。
そんなに家族仲は良くないが、まあ泣くだろう。そのあと何年もしたら臓器のドナーになるのかもしれない、わたしの体は健康体とは言いがたかったけど。
今すぐ戻せともいわないが、どうせなら早めに戻してほしい。それが無理なら一生戻さないでほしい!
正直いうと、第二の人生というのは魅力的だしね。
人間誰しも黒い過去を思い出して悶えたりしただろう。わたしだってふと夜中に思い出してげんなりする過去の一つや二つや三つや……数え切れないくらいある。
真っ白に戻せるなんてこんないいことはない。
ベッドから飛び下りて部屋から出ると、ちょうど様子を見に来たらしいおじさん(恐らく父親)とばったり出会った。
「ああ……おはよう、ハリエット」
「お、おはよう」
「……もう朝食ができてるぞ。食べられるか?」
「え、あ、うん」
どことなくまだ心配そうな表情を浮かべるおじさんにブイサインを示して、おじさんの後をついていく。
わたしとしてはあんな痴態を見られてしまって恥ずかしいやら気まずいやらなのだが、おじさんは特に気にするでもなく歩き出した。
おじさんは、少し落ち着いた金色の髪が眩しいナイスミドルである。彫りの深い顔に、緑の目がはめ込んである。背は高いし渋いし、わたしからするとちょっと年上だがかなりタイプ。
ただ、ハリエットの年齢からするとちょっと高齢な気もする。
うすぼんやりなハリエットの記憶では、多分ここは中世っぽい。転生と言えば異世界なのでこの世界については二の次だった。が、これは案外重要だ。
そもそもわたし――つまりハリエットが、はたしてどんな環境に身を置いているのか知る必要がある。このうすぼんやりした記憶も、もっとはっきりしてもらわないと。
わたしはまず、おじさんの後を追いかけながら家の中を見渡してみた。
ベル家は、特にお金持ちというわけではないようだ。使用人やら来客の姿も見えないし、家具からして質素。おじさんやわたしの服もだ。
まあ、一人暮らしの古いアパートに慣れたわたしからすれば断然いい方だと思う。わたしの家はマンション暮らしだったから、実家と呼べるような家もないし。一軒家はちょっとした憧れだ。
「さあ、ヒューが待ちくたびれて――……どうしたんだ、そんなにキョロキョロして」
「な、なんでもない」
部屋を眺めているうちに、簡素なリビングに着いた。挙動不審なわたしにおじさんは眉をひそめたが、笑顔で誤魔化す。
ハリエットの記憶が色濃く戻ってくるとも限らないけど、できるなら戻って欲しい。昨日の奇行を見られたばっかりだし、ここがどういう治療をするのか分からない。お祓いなんてされても困る。
ともかく手前の椅子に黙って腰掛けることにした。椅子にはすでに兄であるヒューが座っていたが、なぜか一向にこっちを見ない。
「ハリエット、さあご飯だ」
一日寝ていたわけで、見るからに育ち盛りとしてはお腹も減る。おじさんの言葉に、わたしは心から喜んだ。最後の飲み食いは前世の紅茶だし。
……いや、クッキーだ。
自分で焼いたクッキーをお父さんとお兄ちゃんに持っていって、三人で食べた。お父さん――おじさんに「うまい」と言われ、ヒューに頭を撫でられた。嬉しくなって、今度またおじさんの休みに作ろうと思ったのだった。
ハリエットの記憶がぱっとよみがえる。
どうやらわたしの家は父子家庭らしい。それ以外にも色々ちょっとずつ、思い出していく。わたしの記憶が前世になって、ハリエットがわたしに馴染む。
手作りのクッキーなんてなんという女子力。
わたしが捨ててしまったもの(女子力)が、戻ってきた気がした。
それはさておき。
おじさんが朝食として持ってきたのは、ライ麦っぽいパンに半透明のスープ、野菜少々。なんともヘルシーな朝食だ。
しかしその事実が、わたしの記憶にまたも揺さぶりをかけた。そうそう、わたしはこのスープにパンをつけて食べる。ハリエットはつけパン派だった。
しかしこのメニュー、家庭に並ぶ食事としては決定的に足りないものがある。
味噌汁の影がない。
……ん?
――いや、それはいいよ。よくないけど! ミソスープ恋しいけど!
やっぱり、簡単にわたしの記憶を前世としては片付けられないことは分かった。が、それはまあいい。
この世界についての考えである。
ハリエットとしての記憶がちょっと戻った中で、気になることがあった。なんとなーく思い出すのが嫌な記憶なので思い返さないが、わたしの以下略は、また一つの結論を導き出す。
試しに、今だ恐怖の表情を浮かべてこっちをうかがう兄、ヒュー・ベルに笑顔で問いかける。
「えーと、魔法ってあったっけ?」
どうでもいいけどヒュー・ベルとは語呂的にどうなのか。
ヒューはわたしの言葉にさらに警戒の色を濃くしながら、それでも可愛い妹に答えようと思ったのだろう。ゆっくり時間をかけて、笑顔を浮かべた。
思いっきりひきつってたから意味ないけど。わたしの笑顔も多分引きつってたけど。
「……? あ、ああ……ハティ、きっと、もっと上手になるよ」
ヒューの答えはわたしの望むものだった。つまり、やっぱり魔法はある。
いわゆる異世界転生だということに、やっと確証が持てた。
それにヒューの口ぶりからすると、わたしにもすでに魔法が使えるということだ。これは転生してから、一番有益な情報に違いない!
誰だって一度は、魔法使いになりたいと思ったことがあるだろう。
小さい頃には魔法少女ような、ふりふりふわふわの魔法使いに。ほら、プリキュ○とか。
中学生の頃には厨二設定を盛り込んだような、黒いローブに身を包んだ漆黒の魔法使い(笑)に。
今でもゲームの職業選択では、つい魔法使いだとか魔術師だとかウィザードだかを選んでしまう。厨二ってわけじゃないはずだけど、実際あるはずない力に憧れるのは事実。
ともかくそんな憧れの魔法が今、この手に。
ヒューには適当に「うんありがとー」と返しておきつつ、パンを頬張る。やはり惣菜パンのような食感はない。
この際パンでも構わない、というかパンも嫌いではないのだが、朝には味噌汁が飲みたいというのはわがままなのだろうか……。わかめとか大根とか、もやしもわりと美味しい。
ともかく、わたしはハリエット・ベルとして異世界に転生した。
そしてそのことを、昨日の朝思い出したのだ。
まだまだハリエットの記憶が曖昧なのが厄介だが、多分じきに戻ってくると思う。とりあえずは記憶の回復と、魔法かな?
ちぎったパンをスープに浸しつつ、わたしはこれからの生活について考え出した――
――ところで、思い出した。