16 発見!
暴力描写あります
「う、うああああ!?」
男の叫び声が響く。目を疑うとはまさにこの事だと思った。
殴られて倒れこんでいたはずの、見慣れた茶髪の男が立ち上がる。その背後には、わたしですら寒気を覚えるほど大量の闇が広がっていた。数人の男たちが腰を抜かして倒れ込む。あの量の魔法を浴びたらどうなるのか、見当すらつかない。茶髪の男の背後の闇は、こぼした水のようにどんどん広がっていく。
殴られたらしい頬はすっかり赤く腫れていて、それを気にもしていない様子で紫色の目を輝かせる茶髪の男――というか、ニール。
馬鹿だあいつ。
「っ……!」
とっさに物陰から飛び出して、わたしは手から勢いよく闇魔法を放つ。
狙うのは勿論ニールの背後の闇。
残念ながら相殺できるとは思っていない。それにあの数人の男たちにもバッチリ見られている。だからこそわたしがやるしかないのだ。
まるであたかもわたしがあの闇を作り出しているかのように、それに魔法を撃ち込む。
「っなんだ!?」
ざっと砂ぼこりを巻き上げて、わたしは男たちの前へ走り出た。さっきの闇魔法で腰を抜かした無様な男かちが転がっている。それぞれ白い石を身に付けているのを横目で確認する。間違いなく信者だ。
こっちを見て驚いているニールは無視して、わたしはさらに手から魔法を浮かべ、闇を広げるように見せる。
「何やってるんですか?」
できるだけ低い声を響かせようとしたけれど、出たのは成長期前の甲高い声だ。男たちも出てきたのがこんな子供だったことを今さら気づいて、立ち上がる。
アルフやらニールやらヒューやら、イケメンばっかりを見てきたわたしには彼らの平凡な顔がいとおしく思えるほどだ。中身は抜きにして。
「お嬢ちゃん……ここがどこだか教えてもらわなかったのかぁ? その魔法……お前んだろ」
腰元にナイフを差した男がわたしへ一歩にじり寄る。どうやらわたしが魔法を使ったものと思ってくれたようだ。男たちは闇魔法自体をあまり見たことはないだろうし、知らないのも不思議ではない。さすがにあんな量の闇魔法を子供一人が使うのは無理があるということを。
これでニールは庇えたはずだけど、これからどうするべきかわたしには考えがなかった。ニールがキレたら穏便には済まないだろうと、思いっきり勢いだけで飛び出してきてしまったわけだ。
男がナイフを構えてこっちへ寄る。
やっぱり子供だからといって許してはくれないらしい。
わたしは冷や汗を浮かべながら、一歩下がる。ニールなら何とかしてくれないだろうか。わたしを抱えて逃げるとか――と、すがる思いで振り向く。
闇が消えていた。
「え?」
ニールと共に。
……あいつ、逃げやがった。
ニールという人間は嫌味で毒舌で利己主義で人格破綻者で猫被りなのだから、助けに来た子供を見捨てて逃げることくらいするだろう。まあ……予想できなかったわけじゃない。できれば起きてほしくない可能性だったけども。
実際に起きてしまったことは仕方ない。
幸い男たちはニールのことはもう気にも止めていないようだし。
ニールの本当の性格を理解していなければわたしは今ごろ怒り狂って絶望しただろうけど、ちゃんと分かった上で連れ戻しにきてやったのだ。今さらそんなことくらいで怒ったりはしない。ヒロインなんか仲間のふりをされ続け殺されかけても許したわけだし、わたしも寛容な心がなければニールとは付き合えないのかも。
ともかく、わたしは逃げ出したニールに対して怒っていない。ええ勿論。
それより先に、この現状をどう打破するかが問題だった。
ナイフを持った男の後方にいた男たちまでもが、拳を構えて薄ら笑いを浮かべる。
とっさに魔法を使おうとしたけれど、まだわたしの魔法は制御が甘い。ここで彼らの肉片でも削り落とそうものなら、問答無用でなぶり殺されるだろう。
かといってこのまま一方的な暴力を受けたくもない。
じりじりと後退するわたしに気をよくしたのか、後方に下がっていた男のがわたしとの距離を大股で詰める。今まで喧嘩なんてまともにしたことはなかったから、今さらながらに体格の差をひしひしと感じる。わたしが全力で走ったとして、逃げることもできそうにない。
そのまま胸ぐらを掴まれて、たやすく持ち上げられる。
気管と頸動脈がひきつった服で圧迫される。
前世で教室でふざけあっていた男子が絞められて落とされるところを見たけれど、あれはけっこう衝撃的だった。わたしもああなるのはご免だ。
苦しい。目をつぶる。
「悪い子にはお仕置きしないと……なっ!」
何か強烈な衝撃が伝わってきたことだけは瞬時に把握できた。
こんな時、もしゲームなら、もしわたしがヒロインだったなら、誰かが颯爽と助けに来てくれるに違いなかった。これが何かのイベントで、もう駄目だと思った時に誰かが華麗に救ってくれるのだ。誰しも一度は思い描く理想的な筋書き。
だけど、わたしに救いはなかった。
わたしはヒロインてはないし、さらに言うならここはゲームの中でもないからなのだろう。
頬がじんと熱くなる。頬骨と相手の拳がぶつかって折れたかとすら思えた。奥歯が頬の内側を削ったらしく、血の味が舌にまとわりつく。
苦しかった呼吸がずいぶん楽になったので、掴んでいた手が離されたのだと気づいた。反対に、落下の衝撃で肩甲骨を打ち付ける。
この世界では石畳の道が大半で、わたしはそのことを恨むしかなかった。土ならまだこんなに痛くもなかったはずだ。
「ぇほ、げほっ……」
いやそんなことはどうでもいい。激痛に、恐怖を感じて体が震えた。驚きで心臓がかつてないほど動き出している。
使ってしまおうか、魔法を。こんな痛い思いをするくらいなら最初から使って逃げていればよかった。大体こんなことをする彼らが全部悪い。 今何かわたしがしたところで正当防衛に過ぎないはずだ。
何が信者だろう。まるで悪魔みたいなやつらだ。
わたしにナイフが振り下ろされる前に何とかしなくては。額に嫌な汗がじとりとにじんで、頭の中が真っ白になる。カッと血が頭に上る。
とにかく抵抗しなければまた痛い目に合う!
わたしは無我夢中で手を男たちにかざした。
「そこまで」
振り下ろされた杖が、わたしの魔法を切り裂いた。
凛とした声の主を振り返った男たちの顔が、驚愕と畏怖に塗り替えられる。
「……マデレーン様……?」
お姉さんが、見たことのない顔をして立っていた。一瞬どうしてここに、と思ったけれど、すぐに今の状況を思い出した。わたしはニールを捜しにきたのであって、こんなやつらに構うための時間なんかないはずだ。その本人はわたしを置いてさっさと逃げ出してしまったけど。
お姉さんの姿を見て、男たちが口々に現状の説明をしだす。「この少女が俺たちを」「教会を襲った」「注意しただけ」だとかまあ、自分たちの都合のいいように曲解偽造して。
そんな男たちには目もくれず、真面目な顔をしたお姉さんが倒れ込んだままのわたしの前に膝をついた。
「大丈夫……?!」
その顔がさっきのお姉さんとはあまりにも違っていて、情けない表情だった。今のわたしといい勝負だ。わたしだってとてもアルフには見せられない顔をしているだろうから。
お姉さんはひどく痛ましい表情でわたしの頬を撫でると、手を引っ張って立ち上がらせてくれた。
おかげで気分も大分と落ち着いてくる。
ワンピースについた汚れを叩きながら、わたしはそこでやっとそばに突っ立っている茶髪の男を見つけた。
「ニール……」
呟くと、お姉さんがわたしの背を押した。男たちの処理はお姉さんが何とかしてくれるらしい。
お姉さんにこれ以上ない頼もしさを感じながら、わたしは今にも立ち去りそうなニールを逃がすまいと駆け寄った。
「ニール!」
「……ハリエットさん。あの、ごめんなさい……」
目に涙を溜めて申し訳なさそうに眉を下げるニールに、わたしは痛む頬で無理矢理笑って見せた。できるだけ何ともなかったかのように振る舞う。実際には足ガクガクだし、血の味に吐きそうだし、頭痛がしていた。きっとニールと同じく頬は腫れている。
ニールはわたしからの笑顔に、ほっと安心したように息を吐いた。そんなやつの服を引っ張る。
戸惑いつつもニールがしゃがんでくれて、これでやっとわたしとニールはおんなじ目線になったわけだ。
「ニール」
答えようと口を開いたニールに、何も言わせてやらなかった。
手が届く距離になったニールの頬に思いっきり肘打ちを食らわせる。
ニールは魔法はアルフに劣らないけれど、さっきも殴られていたことから分かるように運動面ではさっぱりだった。わたしの不意打ちをもろに食らって、体がぐらつく。
子供の力だとしてもわりと痛いだろう。わたしもゆーくんに肘打ちを入れられた時はマジギレしたほどだから。
「……ってえ……な、このガキ……」
頬を押さえて呟くニールに、わたしはすっきりした胸を張る。
やっぱり、わたしはヒロインとは違って聖人でもなんでもないのだ。何もせず薄っぺらい謝罪で許すほどお人よしでもない。色々ニールに言うべきことはあって、それをすべて渾身の肘打ちに込めた。これでようやくわたしの気持ちも晴れるというものだ。
「ニール! あんなところで闇魔法使うなんて馬鹿じゃないの? しかもわたしを見捨てて逃げるし、そもそも勝手にわたしの教師役も降りるし、最初に言った説明するっていう約束すら果たしてくれないし!」
頬を押さえたニールが半泣きでヒューのような顔をするので、わたしは文句を続ける。
「あとその気持ち悪い猫被り! 見てて鳥肌立ったわ!」
そもそも、それが演技だと分かってて付き合えというのは無理な話だ。中身がアレなのは把握しているし、猫を被られたままなら何をいわれても嘘としか思えない。
気持ち悪い猫被り、というと、きょとんとしていたニールの顔があからさまに歪んだ。口角がひきつるように上がる。
ニールは笑っているようだった。
これが本当のニールの笑い方らしかった。黒幕らしいなんともニヒルな笑顔に、わたしも吊られてにやっとしてしまう。わたしもある意味猫被りなわけで、そう考えるとさっき言ったことにも笑えてくる。
「それそれ」
「……ふー……。お前、よく分かったな? 何で? まさか、またカマかけた~なんて言うんじゃねえよなァ」
懐かしい喋り方が耳に響く。これだ、これがニールだ。無駄に煽るような話し方で、人を馬鹿にしたような態度。これぞまさしく、本来ならわたしを傀儡にする黒幕だった。ゲーム中の記憶が息を吹き返したように鮮明になる。
もうこいつに敬語も敬称もつける気は起きなかった。
さっきの肘打ちでチャラにしたとはいえ、ここで遠慮するべきではないと思ったのだ。
アルフが言ってくれたように、わたしもニールのために歩み寄る努力をするべきだ。
「ニールの笑顔がうすら寒くて苦手だったの。何か壁があるとは気づいてた。わたしの方もあなたを警戒はしてたけど」
「あれは傷ついたなァ。むしろわざわざ懇切丁寧に教えてやってたのに――……あ?」
「あー……」
ずるずると鼻を啜る。水色のワンピースに何かがぽたりと落ちて赤い染みを作った。
わたしが殴られたのは頬だけど、鼻血が出てるみたいだった。口の中も不快感でいっぱいだし、落ち着いた今ごろになって激しい痛みが脈打つ。
ニールとお喋りしてやりたいのは山々だけど、手当てをしないと不味そうだ。
ニールもわたしの鼻血を見て目を丸くしている。
「色々話したいけど、ひとまず帰ろっか?」
「……」
「……もー。わざわざ迎えに来てやったんだから。こんな目に遭ってまで。ニールが性格悪いってことは分かってて頼んでるの。帰るよ」
「……へえ、なら仕方ねえな。マデレーンからも言われたしィ」
心底嫌そうに舌打ちしたニールの手を握る。振り払われないということは、帰ることに異論はないようだった。
わたしは袖で鼻を押さえながら、お姉さんがあの男たちと話をつけてくるのを待っていた。もうこの血は落ちないだろうなあ。この世界には洗剤なんてものすらないし、石鹸で染みを落とすのは無理そうだ。
このくらいの染みなら何とか隠せそうな気もするけど、どうせ成長期でしばらくしたら着られなくなる。
しばらくここから見える時計塔を眺めていると、話終わったらしいお姉さんが駆け寄ってきた。わたしたち二人に目を向けて、意味ありげに含み笑いなんかしている。
あ、嫌な予感。
「二人とも仲直りできたのね! まったく、痴話喧嘩ならもっと小規模でやってほしいわ」
「は?」
ニールが言語自体を理解できないと言ったように声をあげた。わたしにとっては二度目なので、華麗にスルーする。突っ込んでも素っ頓狂な答えが返されるだけだぞ、ニール。
すっかり眠くなるような時間になってしまったので、わたしたちは馬車を使ってアカデミーへの帰路につく。途中で揺れに耐え切れずニールの膝に乗っかったけれど、意外なことにやつは何にも言わなかった。
そのまま、わたしは眠気に負けた。