100 それから
それから。
結局のところ、学園は一時閉鎖の憂き目にあった。当然のこととも言えるが、あの事件の全容をお姉さんが明らかにしたことで、今や国中が混乱中だ。一時閉鎖といいつつ開校の目処は立っていないが、お姉さんは珍しく強気な顔で「一年で開校させてみせる!」と息巻いていた。
その間に、なんとか国中の混乱を治めて、今度こそ身分差も属性も関係ない、当初の夢通りの、万人に開かれた学園作りをするらしい。
さすがに一年はどうかと思うけど、あんな強気なお姉さんはかなりレアだと思うので、是非頑張ってほしい。それにはヴィクターとアルフとカレンちゃん、ユリエルも手を尽くすそうだ。
あと、ギータも。愛人の件はその後丁寧にお断りさせてもらったところ、いやにさっぱりした顔で頷かれた。まあ、わたしは平民だし、元々妻にはなれない身だからな。
……だが、「己の成長の機会になった。いつかカルヴァートを倒し、再び貴様に挑戦してやろう」とかなんとか、微妙に諦めてないような返事だったのはどうすればいいんだろう。単純に、模擬戦でわたしに負けたのが悔しかっただけなのか……? そもそもサディアスに勝てるようになったら、わたしなんて瞬殺なんだけど。
ともかく彼も尽力してくれるらしく、それを聞いていたわたしは、サラさんたちと共に大いに喜んだ。いつか、闇属性も大手を振って歩ける日が来ると思うと、待ち遠しい。
それにはオズも喜んでくれて、あのひっくい声で笑い声を上げていた。オズはわたしたちの安否を確認すると、懐からなんとも怪しげな魔術具を手渡して去っていった。説明もろくになく、よく分からなくてユリエルに渡したところ、いつかのようにまた半狂乱で暗黒微笑されたり。
いわく、「これもまた新たな神秘! 何故だ、全くもって用途が分からない! あの欠片といい、この黒いものといい、古代魔法、いや遺物の研究を進めることこそがオレに示された道……! ああ、あの黒い御仁は何処へ!」と、髪を掻き乱していた。意外と世の中にはオーパーツが溢れているらしい。まあ、エルバードみたいなのが一人とは限らないよなぁ。案外、オズもすんごい長生きだったりして。
ちなみに、渡された魔術具は何かを呼び寄せるものっぽいらしい。怖くて使えないから、そのうちニールに使わせようと思っている。
魔術具のアバウトな効果を教えてくれたのは、エルバードだ。なので真偽は怪しい。
そう――――わたしはあのあと、一命を取りとめ、目を覚ましたエルバードと話をした。お姉さんいわく、エルバードは罪人として幽閉されるらしいが、その前にどうしても聞きたいことがあった。
呪術を解く方法だ。
わたしの頭の中には未だに痛みが残っていたし、アルフとニールのこともある。そういうわけもあって、わたしは周りの心配を振り切ってエルバードの前へと歩を進めた。
実際、心配は要らないと思う。一応、彼からすればわたしが唯一で、理解者でもあるわけだし。こんなことは他の人には伝えられないが。
会いに行くと、エルバードはカーテンに仕切られたベッドの上で横になっていた。わたしの体も万全ではなかったが、エルバードはニールと同じく、下手をすればそれよりも重傷だった。
重たそうなローブを脱いだ体はやはり当然のことながら老いていて、至るところに巻かれた包帯が痛々しい。
「……体は大丈夫ですか?」
声をかけると、エルバードは上半身を起こしてニッコリと笑いかけてきた。相変わらず、全く負の感情を感じさせない笑みだ。わたしの愛想笑いより優れたそれは、今思えば彼もまた、理解できない周りに合わせようとしていた結果なのだろう。
彼はわたしを視界に入れると、大袈裟に肩をすくめた。
「あちこち痛いよ。聖女様は最低限しか治してくれなかったからねぇ。老体をもっと労ってほしいものだ」
「……そういう呼び方してると、ずっとそのままだと思いますけど」
「ははは。人がムキになるのは面白くて」
毒気が抜けても、エルバードがエルバードであることは変わりがないわけで。そういう悪趣味なところは治らないらしい。
そのカレンちゃんといえば、その後一躍聖女だなんだと奉り上げられたが、珍しく、ほんっとうに珍しく声を張り上げ、ものすっごい嫌そうな顔でそれを拒否したらしい。そしてわたしのことを出して、えーとその、「一番の友達が闇属性で、彼女を助けるためにやったことだから。貴方たち全員を救おうなんて高尚な気持ちでしたわけじゃない。勘違いしないで」なんてかっこよく啖呵を切ったとかなんとか……ジュリアに教えてもらって、思わずにやけてしまった。えへへ……。
あー、話を戻そう。エルバードと話す機会を得たわたしは、早速とばかりに呪術について聞いてみた。
掛けた呪いを完全に解く方法。
エルバードが死ねばニールも死んでしまうかもしれないのだから、術者を殺すと言う答えはなしで。
「んー、そうだねえ……」
彼はわたしの問いに黙って耳を傾けていたものの、すぐには答えてくれなかった。やきもきしながら彼を見つめていると、エルバードは唐突に瞳を煌めかせた。
嫌な予感を感じる前に、エルバードが口を開く。その顔はなんだかわくわくしている。
「もし、解く方法がないとしたら? きみは永遠に後遺症に苦しみ、あの男は永遠の呪いを味わい続ける。二人を永遠が別つ。このハッピーエンドも台無しの、いいスパイスではないかい?」
「――――い、意地の悪い……!」
「本当である可能性だってあるだろう?」
歯噛みするわたしを見て満足げに、エルバードは傷に響きそうな高笑いをした。他人が困っている様を見るのが、それは楽しいらしい。いや、蟻を潰すようなものだとか言ってたっけ?
けれども、その表情はとても嘘には思えなくて……恐らくは、わたしが理解者であるが故なのかもしれない。『わたし』にとってのあの子みたいなものか。
だが、そんな思惑通りになってやるのは癪なので、わたしは思いっきりそれを鼻で笑うことにした。腕を組んで、死にぞこないのおっさんを見下ろす。
「そうなら、わたしにも呪術を掛けてもらいます。それで完璧なハッピーエンドでしょう?」
「……きみも、今日のこの日を永遠の『昨日』にするのかい?」
今日はわたしの人生の中で最も波乱の日だった。それが永遠に昨日になるなんて、なんとも気疲れしそうな呪いだ。エルバードが眉を寄せるのも頷ける。
だが、そうだったとしても、わたしにとっての幸せの形はこれ以外にない。後悔しないと、神様に誓えるレベル。
「だって、わたしが先に死んだらニールが可哀相だし。ニールが笑っていられるなら、わたしは別になんともないですよ。今日と言う日は確かに疲れたけど、どうせ忘れられない日ではあるから」
それに、今日は悪いことばかりではなかった。
その……ほら、闇魔法でメンタルぐちゃぐちゃだったとはいえ、ニールがその……ほら、ね。あの幸せを昨日のことのように思い出せるなら、わたしは多分大丈夫。
だから、わたしはエルバードに勝ち誇ったような顔をした。
てっきり、彼はつまらないと唇を尖らせる、ないしはあっさり興味をなくすかと思ったのだが――――変わらず、それどころかさらに輝かんばかりの笑顔で、何故かわたしの頭上を見た。
「ねえ、ところで彼は照れているのかな? それとも怒っている?」
「――――えっ……、ちょ、おま……ニールッ!?!?」
……にやにやとしたエルバードの言葉に、もしかしてと振り向くと、カーテンの隙間から茶髪が覗いていた。慌ててカーテンを開くと、手で顔を覆ったニールが、いた。
……恥ずかしい。今思い返しても恥ずかしい。恐らくエルバードはカーテンの向こうにニールがいることを分かっていて、わざとあんな質問を投げ掛けたのだろう。またおっさんに読み負けてしまって、悔しい限りだ。結局勝てなかった。
ともかく、わたしはカーテンの向こうで俯くニールに、すっかりパニックになってしまった。
彼はカレンちゃんの丁寧な治療のお陰で、エルバードとは違って歩ける程度にまでは回復している。だとして、わざわざニールがここに来る意味がわからない。エルバードに用があるとは思えなかった。
「に、ニール、なんでここに? あっ、呪術の解き方かな? それはわたしが今聞いてるから、その、休んでていいよ!?」
「…………」
「ちょ、ニール? 聞いてる? おい、お前、ちょっと……え、待って」
その時、ニールの指の隙間から、ぽとりと何かが零れた。
わたしは自分の目が信じられなくて固まって、それでも二つ三つと零れていくそれに、俄然慌てた。急いで駆け寄ると、ニールはわたしを振りほどくように背を向ける。
その背は、小さく震えていた。
「ねえ、ニール……もしかして、その、泣いてる……?」
「――――泣いてるわけねェだろボケ!」
「いや、すっごい涙声だし」
なんと、ニールが泣いていた。わたしの見間違いじゃなくて、ニールはぽろぽろと涙を溢して、嗚咽を噛み締めていた。
それが悲しみの涙ではないことくらい、誰にだって分かる。ニールはさっきの会話を聞いていて、曲がりなりにもわたしは、その、ニールの好きな人、であるわけで……へ、へへへ……もしかして、感動してる?
恥ずかしすぎる。
「へえ、熱いねえ、見せつけるねえ。まるで興味はないが、おじさんお腹一杯だよ」
「どいつもこいつもうるッッせえ!! 泣いてねェっつってんだろォ!!」
「うん、もう、それでいいから……傷に障るから興奮しないで……」
ニールの顔がまともに見られないながら、逆ギレして食って掛かる彼をどうどうと抑える。
実を言うと、意識を取り戻したニールに刺したことを謝りはしたものの、その後なんだかんだで彼を微妙に避けていた。あのときの告白の返事とか、自分の大胆な行動とかを振り返ってみると、とてもじゃないが平気な顔で彼と言葉を交わすことができなかったのだ。
そんなぎこちない雰囲気の中で、ニールは乱暴に顔を拭うと、エルバードのベッドにどっかりと座り込んだ。当たり前だが瞳は潤んでいて、長い睫毛は濡れていた。
エルバードがにやにやしている。
「……あー、おい。テメェに聞きてェことがある」
「なんだい? 呪術について? それはお嬢さんに答えてあげるつもりだから、心配はいらないよ」
「そうじゃねェ。……こいつの、腹の、アレのことだよ」
「あ」
言われてみて、初めて気がついた。わたしはぽんと手を打つ。
そういえば、エルバードに埋め込まれた魔石がそのままだったか。
忘れていたのがバレたのかニールに睨まれて、笑って誤魔化す。確かに見た目はキモいけど、違和感を感じなくなってきたところだったのだ。たまに漏れるけど、使い勝手も悪くないし。
「取る方法、吐け」
「ええ~、最高の自信作だよ? お嬢さんも気にしていなかったみたいだし……ねえ?」
「いや……まあ取れるなら取ってください」
「取れ」
エルバードはやれやれと首を振って、わたしのお腹の辺りに手を翳した。すっかり汚れたワンピースは着替えて、真新しい服にはなっていた布越しに、あのときと同じような熱を感じる。そして、何かが抜ける感覚がした。
ワンピースの裾からころりと拳大の石が落ちてきて、足に当たる。拾って腹を撫でてみたが、そこに穴は当然なかった。
「さて、あとは解術の方法か。眠くなってきたから、さっさと済ませよう。お嬢さん、顔を寄せて」
指示に従うと、再び額を触られる。もはや孤独ではないエルバードは、そう悪いことはしないと分かるわたしには、隣でニールがぎらぎら睨んでいる方が怖かったりした。
額を撫でられたのは一瞬で、こちらは熱も感じずに終わった。大した実感は沸かないものの、奥の方にあった頭痛が消えている気はする。
「さ、これでいいだろう? 少し寝かせてくれないかい?」
「まだ、ニールとアルフが……」
「その二人はもう解けているよ。断言しよう」
「え……」
「嘘は言わない。彼だって分かっているのではないかな。私はこの先太陽を見ることも叶わないだろうが、きみがいたことだけで救われた。きみに嘘は言わないと誓おうとも」
その声に驚きの声を上げたのは、わたしだけだった。見つめたニールの顔に驚愕の表情はなくて、ただ無言でエルバードを見下ろしている。
ニールからすれば憎いだろうし、長年の恐怖の対象でもあるはすだ。その複雑な感情を慮ることはできても、完全に理解することはわたしにはできない。きっと誰にも、その本人の気持ちなんて分からないのかもしれない。
だってわたしはエルバードにこそ共感し、過去、大量に人を殺めた彼を憐れんですらいるのだから。
「よかったね、ニール。いや……よかった。本当に」
ニールの肩を叩く。
それでも、理解はできなくても、心配して心を寄せることはできる。理解したいと思うことはできる。そういうのが、普通の人というものだ。
肩に置いた手を、ニールの暖かい手がぎゅっと包み込む。
「そうだな……よかった」
俯いた彼から再び零れた滴を、わたしは今度こそ優しく拭き取ることができた。それはとてもぎこちなかったけど。