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乙女失踪事件の弊害  作者: 青野錆義
エピローグ
108/110

99 お別れ

 気がつくと、わたしは一面白い空間の中に佇んでいた。雪景色に似ているそれは、けれどもある一定の柔い光しか反射していない。歩くと、靴底が固い地面を叩く音がする。


 ここはどこ、わたしは誰?

 なんちゃって。それにしても、ここがどこであるのか分からないのは本当だ。まるで現実味がない、夢の中みたいな……。

 ん、あれ、そういえば、わたしはどうしたんだっけ? 頭がぼーっとして、ときどき痛む。果てしなく続く白の地平を眺めながら、なんとか薄ぼんやりした記憶を引っ張り出す。


「そうだ。学園が大変なことになって、おっさんに負けて、操られちゃって。でも、魔物は食い止められたはず……」


 うん、そうだった。間違ってもここが天国と言うわけではなさそうだ。

 であればやはり、これは夢。さすがにこんな不思議体験にも慣れたもので、わたしは落ち着いて辺りを見渡した。空には雲も青もなく、ただぽっかりと穴のような黒い丸が浮かんでいた。もしかしてあれは太陽、いや月か?


「んー……あれ?」


 視線を戻せば、一面の白に一点の汚れが見えた。極々小さな黒子みたいな点は、徐々に大きくなってくる。

 わたしの方からも近づくと、正体が分かった。漆黒のそれは人の姿をして、長い足でこちらへと向かっている。予想通り、しかして予想斜め上の登場人物に、思わず回れ右で逃避エスケープしようとしてしまったのもしょうがないと思う。


 だって、近づいてくるのはかの邪神。


「く、クロノスさ~ん……」


 控え目に手を振ってみると、相変わらず虫を見るような目で見られた。そして手を振り返された。怖い。

 ジンくんの産み出した邪神その二であるクロノスは、わたしの前までくると高い背丈で見下しながら、右の方向を指し示した。


「息災か。異世界の霊魂持つ少女。此度の行動は善悪の成り立たない具合であった。父上がお待ちであられる」

「お、おう?」


 そうして一息で言って、以降はうんともすんとも言わなくなる。


 うん、まあ、分かってたけどさ。こういう不思議体験は必ず、ジンくんが関わっているってこと。そもそも『わたし』やわたしのバックボーン自体が、どちらの世界でもかなり不思議である。その原因にして功労者でもあるらしいジンくんが、ここにいないわけがない。


 わたしはクロノスに頭を下げて、礼を言った。

 彼は相変わらず何者なのか、ジンくん以上にわけの分からない存在だが……それでも、彼の助け(という名のSAN値直葬祭り)がなければ、ギータやエルバード、魔物に善戦することは敵わなかったかもしれない。

 そういう意味でも、もう一度きちんとお礼をして、わたしは指先の方向へと歩き出した。


 それからしばらく、てこてことブーツの裏が地面を叩く音が、延々と続く。景色も何も変わらないここでは、歩くことも早々に飽きてくる。距離すら分からなくて、わたしは頭を掻いた。


「あー……どうせ夢ならこんなまどろっこしいことせずに、バーンと最初から出てきてくれればいいのにさ。ジンくんのやつ――――」


 そういった瞬間、目の前に不思議な丸い点が二つ、浮き上がる。ぐるぐると渦巻くように色が変わるマーブル模様は、なんかすごく見覚えがあるような……。


「バーン! コングラチュレーショーン! 驚いた?」

「うわ、ジンくんか」


 わたしは思わず足を止めて仰け反った。

 空間の白とジンくんの驚きの白さが被さって、瞳以外の色彩が全て保護色になってしまっている。どこからどこまでがジンくんの体なのか、ぱっと見ではまるで分からない。

 よくよく見ればいつもの見慣れた邪神ジンくんの姿で、わたしは竦めていた肩から力を抜いた。


「もう、遅いよ。いつまでも歩かせる気かと思った」

「あれ、そんなに驚いてない? うーん。後ろから行くべきだったか……あ、ハリエット、ひとまずおめでとうを言っておくよ」


 ジンくんはマイペースに首を傾けてから、わたしに向かってにこりと笑いかけた。いつもならイラつくか微笑ましくなるそれが、今は無性に懐かしい。


「なんか、ジンくんを久々に見た気がする。一日経ってないのに」

「まあ、きみがきみを取り戻すまで、僕の姿は見えなかったみたいだしね。今もまだ呪術の影響を受けているようだから、夢の中に干渉させてもらったよ」

「そんなんまでできるのかよ……というか、わたし寝てる?」

「寝てる寝てる。ぐっすり」


 そう言われると、薄ぼんやりしていた記憶がはっきりとしてきた。

 あのあとわたしたちは学園の中へひとまず帰って、わたしやサラさんたち闇属性は、施錠した保健室で一纏めになっている。わたしはカレンちゃんの治療を受けたあと、ニールの無事をあらためて確認して、それから……。恐らくベッドに倒れこんで寝ているのだろう。ニールの息を確かめて、安心してからの記憶がまるでない。


「……ん、そういえば、おめでとうってなに? 何に対してのこと?」

「そりゃ勿論、きみにとってのハッピーエンドさ。大団円というやつじゃないかな、これは。てっきり人の二三人は死ぬものかとも思っていたが……いやぁ、よくやった!」

「まあ、そう……だね」


 これがゲームなら、さしずめハッピーエンドってところだろう。あれだけの血を流しながら、誰も死ぬことなく結果を迎えられたのだから。

 ここがゲームでなく、ただの設定だけをトレースした世界だとしても。わたしがわたし(ハリエット)でなかったせいで、ゲームより多くの者が欠けてしまったら、わたしはそれを一生気に病む。それくらい、ここはゲームに似ていた。ジンくんがそう言うのも頷ける。


「なのに、微妙な顔だねぇ、ハリエット。どうしたの? もっと喜べばいいさ」

「いや、だってさ。ここはゲームじゃないし。ジンくんはハッピーエンドだって言ったけど、わたしのエンディングはここじゃない。もしかしたら、明日殺されるかもしれないし、事故に遭うかもしれないし――――」

「眠るように死んでるかもしれないし?」

「そう、それ」


 ゲームはここで終わりだけど、わたしの人生は終わってない。めでたしめでたしで綴じるなんて真っ平だしね。やりたいことはこれから、それこそ山ほどあるんだ。

 終わりがハッピーエンドかなんて、今は分からない。それはわたしが、可能なら死に際に決めることだと思う。


「じゃあ、こう言おうかな。人生の苦難を見事乗り越えたきみへ。ねぎらいと、いたわりを。次の苦難があるのかは定かでないが、それまでの休息を約束しよう。頑張ったね、ハリエット」

「……うん。ありがと」


 少年に慰められるわたしは、端から見れば妙なのかもしれない。だが彼は紛れもなくわたしに最も近いもので、優しくはなかったけど、確かに助けられたこともある。

 何より、彼が運んできたものは、紛れもなくわたしの幸せの形だった。


 ……それに、まだある。ジンくんに――――いや彼に、『わたし』は確かに救われていた。たった少し、一時のことだけでも。


「ありがと、ありがとうね。話しかけてくれてさ、『わたし』は面倒くさがってたけど、それも事実ではあるけど。それでもわたしは、唯一きみにだけは作り笑顔を浮かべることはなかったよ。■■(ジン)くん」


 彼は初めて分かりやすいほどの動揺を示して、真ん丸に目を見開いた。ひゅっと飲み込んだ息を静かに吐き出して、その顔はより一層幼く、わたしを窺うように上目遣いになる。


「……なんだ、分かってたんだ、■■■(ハリエット)

「そりゃー、分かりやす過ぎるよ。嫌いなものも、やってることも一緒。なんでお前が神様なのかって、そこが分からなくて確信は持てなかったから、遊んでいるのかとも思ったけど」


 何せ、彼は大変な悪戯好きだった。子供特有のくだらないことばっかりして、上っ面だけは取り繕っていた『わたし』に、何度迷惑を掛けてくれたことか。そこで慌てたり泣きそうになったりするのが、子供らしくて、わたしの方はほんのちょっと、ちょっとだけ可愛いと思ったり。

 そういうところはジンくんとは違うから、きっと全てが同じではないんだろう。だが関わりがあることは絶対だ。でなければ、わたしにここまでしてくれるわけが分からない。


「あはは。僕から驚かせようと思ったのに、また失敗か。ちょっとは空気読んでくれないかなぁ」

「いくら神様的なものになっても、お姉さんに敵うと思わないことだね」

「……はあ。なんだ、本当に僕で確信持っちゃったのか」


 ジンくんは首を振ると、降参とばかりに手をあげた。その顔は困ってはいたものの、うっすら笑いを浮かべている。そういう「しょうがないな」という顔は、彼のしない大人びた表情だった。


 ジンくんは、『わたし』の知るあの子に似ている。近所に住んでいて、いっつもわたしに絡みに来る悪ガキ。


「そう。■■くんは僕の一部。というより、宿主と言う方が適切かな。別に本体と言うわけではない、言わば末端の置場所と言うだけだ。今回きみをどうにかしたかったのは、その宿主の想いがそれだけ強かったから、それが僕にまで伝わったからだ。きみの、■■■の死をそこまで嘆いてくれたのは、彼だけだったよ」


 それは人によっては悲しくて残酷でもあるだろう。人一人死んで、悲しむ人も一人だけ。でも、『わたし』にはそれで十分だった。悲しまれてもそれをありがたいと思えない人が、唯一、それだけで微かにでも嬉しいと思えるんだから。


「まあ、子供故に必要以上に悲しんでくれたというのもあるだろう。だからきみは運が良くて、そして僕にここまで思われることを幸福だと思うべきだね」

「はいはい。まあ、ジンくんにもありがとうと言っておくよ。■■くんに伝えるつもりで」


 本当は会いたいが、それは無理なことだ。わたしは限りなく近いが前世の『わたし』ではないし、ジンくんだってあの子じゃない。

 でも、それくらいでちょうどいいのかもしれない。『わたし』の最初で最後の友達と、今ここで話ができている。死人は生き返りはしないし、彼は『わたし』を忘れて未来を歩いていく。それでいい。


 なんだかスッキリした気持ちでいると、心なしかジンくんも同じような顔つきで、大袈裟に伸びをした。猫みたいだ。


「んーっ、さて。予定は狂ったけど、大方話は終わったかな。明かすと言ったわけも明かせたし、祝福もしたし。あとは、お別れか」

「……え?」

「なにキョトンとしてるのさ。初めて会ったときに言ったでしょ。僕は幸せのハコビヤなんだって。きみは幸福を手に入れた。だから、僕とはお別れだ」


 そんなこと……言われた覚えはあるが。それにしても、話が急すぎるんじゃないか。だって、ついさっき秘密を明かされたばかりなのに……。


「なんだよ、ハリエット。そんなに僕がいないと寂しいの?」

「そ、そんなわけないだろ。でもさ、その……ジンくんはわたしの理解者であって、なんていうんだろう……えーと、友達……いや、悪友?」


 そう、だから、急にいなくなられると落ち着かないと言うか……だって、ほら、もう何年も一緒にいるし、『わたし』を知っている唯一のものでもあるわけだし……お別れするにしても、もうちょっとわたしのこれからを見守るなりしてからさ……。


 よっぽど変な顔をしていたのか、ジンくんはわたしを見上げてケラケラと笑い出した。いつものようにふわりと音もなく浮かび上がって、空中で腹を抱えている。白い肌を桃色に染め上げて、涙さえ浮かべてひいひいと。

 うわ、イラッとしてきた。


「くふっ……ひひひひ……! あー、もう、そんなに悲しまないでよぉ。お腹痛い……ふふふっ……!」

「なんだよ、悲しんでないし。ちょっとだけ名残惜しかっただけだし。それも今のでなくなったしな!」

「あーっ、うそうそ、いじけないでよ。お別れって言ったって、僕らいつでも会えるんだから。また会いに来るよ、きみが望む限りはね」

「…………」


 じっとり睨むと、ジンくんは滲んだ涙を浮かべて苦笑した。地面に降り立って、真面目な顔でわたしを見る。目を合わせると、蠢く虹彩が相変わらず綺麗だった。


「僕に時間の概念はないんだ。だから別れというのも厳密には違う。僕には始まりもなければ終わりもない。……一番初め、というのもない。全ての時間軸は同一だから」


 ジンくんの話は難しい。きっと彼の言う『彼』を完全に理解することは、この世の、いやどこの誰にもできないことなんだろう。

 でもわたしの目の前の、ジンくんがどんなものなのか、多少なりともわかっているつもりだ。陰険で毒舌で腹黒で、その上気まぐれでときどきは妙に子供っぽい。だが、『わたし』の唯一で、わたしの理解者で、悪友で、彼は確かに神様だった。


「だけど、僕はきみを、僕の『一番初め』、『最初』の友人と定義する。これからどれだけ出会いがあろうとも。これまでにどれだけの軌跡があっても。僕はきみの唯一で、理解者で、きみは僕にとって絶対に変わらない、最初の友だ」

「……よく、わかんないけどさ。神様的なのの最初の友達って、わりと面白いかもね」

「面白いどころか、僕と友達なんて最初で最後の人かもね。だからさ、きっとすぐ会いに来るよ。友達に会いに来るのは、普通のことでしょ?」

「悪友だけどね!」


 わたしが茶化すと、ジンくんは再びきゃらきゃらと子供らしい笑い声を上げた。わたしも釣られて笑ってしまう。


 ……ああ、悲しいな、四六時中引っ付かれて鬱陶しかったはずなのに、お別れなんてしたくない。どんなこともお見通しで、だからこそなんだって言えた彼がいなくなったら、それはとてつもなく寂しいことだろう。部屋に帰って、我が物顔で居座る彼の姿がどこにもないなんて、空しい。嫌だなぁ。


 ――――でも、永遠のお別れじゃない。だから平気だ。

 この胸の痛みも、喉の、目の奥の熱さも、きっとわたしのものじゃない。多分、この辛さは『わたし』のものだ。

 初めて友達との別れを寂しいと思う、この気持ち。

 ジンくんが側にいなくても、これを、不器用な『わたし』の存在を、わたしは永遠に忘れないでいたい。


 わたしは笑って、喉の奥の塊を飲み下す。たった少しのジンくんの不在で、泣きそうになったりするものか。そのうちひょっこり顔を出した彼のこと、「しょうがないな」って顔で出迎えてやるんだから。

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