93 あれ?
93~95まで大幅な内容の書き換えを行いました。
それに伴って話数が変更されています。/0721
目の前には、アルフがいる。サディアスが、ヴィクターが、ヒロインちゃんが。そして、黒幕たるニールが。
誰しもがわたしを信じられないというような目で見つめている。だから、わたしは彼らに向かって手を広げた。対峙するべく、エルバードとお姉さんに背中を任せる。
一等絶望的な顔をしているのは、面白いことに黒幕のはずのニールだった。声も出せない彼の代わりに、アルフがわたしに迫り来る。
「なんで……ハリエット! 何をされた!」
「いや、まあ……仕方ないと言いますか……」
広げたその手に、エルバードはそっと抜き身の剣を握らせてくる。いつもの短剣より大振りで扱いにくいけど、まあ使えないこともないだろう。握りを確認して、刃をアルフへと向ける。
逆手じゃないのは新鮮だ。我ながら殺意高いなぁとは思ったが、ここで手ぬるいことをして、殺されては堪らない。
現状は全くもって最悪の結末。前門の虎に後門の狼ときた。
アルフに殺されるか、エルバードに殺されるか。どっちに転んでも最悪だ。
けどまあ、ハリエットはこういう役割のためにいるものだ。ニールが向こうにいるという差異はあるものの、これこそが本編。わたしは討ち滅ぼされるために生きている。そう作られたもの。
「行きますよ」
「待てッ、――――!」
制止の声を振り切って、思いきり闇魔法を発動する。普段なら無意識的に制御されているはずのそれは、わたしの予想を遥かに越える量が、まるで爆発でも起こしたかのように一気に膨れ上がった。
既に濃厚に立ち上るニールの闇魔法と混ざり合い、それはさらに濃度を増す。
腹が熱い。でも、ただそれだけ。魔力がなくなる気配も、倦怠感も、苦痛もない。わけもない高揚感。そして、久しぶりの、気の遠くなるような全能感。そうだった、どうして忘れていたのか。
わたしはなんでも知っている。
彼らの何もかもを、知っている。それこそ、腸の中身まで。
この世界の中身を知っている。
「あ、はははっ! ははははっ! ははは! すごいすごい!」
脳内麻薬がどばっと溢れるのを感じる。
全身から吹き上がる闇。わたしは高揚感と全能感に身を任せ、後退したアルフたちに真正面から突っ込んだ。
振り上げた短剣を、アルフが剣で受け止める。力の差はやっぱりあって、わたしの腕ごと軽々と弾かれてしまった。けれども、来るはずのその後の追撃はない。
その間に、波打つ闇がアルフの身を包む。高純度の魔力で相殺されているようだが、魔力のコントロールはこちらに分がある。アルフの不得意なものだ。故に、いくつか闇に身を食われ、小さく血が吹き出した。
「ぐッ……!」
「アルフ……! 下がって……っ!」
「クソ……ハリエットさん!」
麗しいヒロインの声に飛び退いたアルフを庇うよう、サディアスとヴィクターがそれぞれ前に出る。
サディアスの切っ先はそれでも、わたしには向かず地面を指していた。一撃で斬り捨てることができるにも関わらず、サディアスはそれをしないらしい。
つまらないな。
なんだか急速に、目の前のキャラクターから興味がなくなってくる。
休むことなく闇魔法を後方へとけしかけながら、わたしは彷徨う剣先を、未だ呆然としたままのニールへと向ける。一番違っているのは彼なのだから、彼が一番面白そうだ。
「エルバードさん、彼らの相手を」
「うん?」
「さすがに多勢に無勢じゃ瞬殺されますよ。できるだけ長く踊らせてください。サプライズ、でしょ?」
踊るというより、「回る」だ。いつかは倒れるコマのように。そういう運命だから仕方ないけど。
エルバードは少し考える素振りを見せてから、にこやかにわたしを見た。何故だろう、哀れまれている気がする。
「ははは――――では、マデレーン。きみはあちらだ。私がお嬢さんと共に行こう」
「……はい……」
お姉さんは鬱々とした顔で、持っていた杖をアルフたちへと向けた。ぎょっとしたアルフたちは、お姉さんへ口々に叫んでいるが、彼女にそれは伝わらない。
そして笑顔のエルバードはといえば、実に楽しそうにわたしに並んだ。隣にいるはずなのに、気を抜いたら殺されそうで全く笑えない。だが戦力的に言えばかなり頼りになる。
「サディアス! 俺の隣へ! カレンはヴィクターと下がっていろ」
生意気な指示を出しやがる。構図的に言えば、これで、お姉さんVSアルフとサディアス。わたしとエルバードVSニール、という風になっている。ヴィクターはどうやら体調が万全でないのか、ヒロインちゃんの側にいるだけだ。
わたしは目の前にいるニールだけに狙いを定めて、一気に飛び込んだ。剣が迷いなく彼の目前に迫る。見開かれた紫色の瞳――――。
「――――っ」
「らしくない顔してますね」
切っ先がその顔を傷つける前に、白銀の刃がそれを遮った。
派手な金属音。じんと痺れた手のひらに、思わず剣を取り落としそうになる。ニールの顔面に刃が突き刺さる前に、どこからか取り出した短剣がそれを軽々防いでいた。
軽く身を引いて、再びニールの首を狙う。突くように風を切る刃もしかし、それ以上に速い動きで短剣に阻まれた。
一度、距離を取る。ニールは未だ呆然としているものの、どうやらそのままやられてくれるわけではなさそうだ。相変わらず、こちらへ剣先を向ける気配はないが。
「そういうつもりだったら、わたしが勝っちゃいますよ? それは駄目なことでしょ? だったらちゃんと頑張らないと」
「……何を、された? 何をしたッ、テメェ!」
「わたしは無視ですか」
ニールが激高する先は、わたしの隣のエルバードのみ。わたしのことは、意識的に蚊帳の外に追い出しているような気がする。あれ、ニールってわたしのことが好きなのではなかったか? 無視するとは、酷いじゃないか。
エルバードに飛び掛かってくる彼の剣を、すぐさま弾く。こちらから切りかかれば、彼は舌打ちでもしそうな顔で、二三歩引き下がった。
ようやくわたしを視界に入れてくれたのか、紫色の瞳は、なんだか物言いたげに見えた。綺麗な目だ。前世でもそうそうお目にかかれない、発色のいい紫。
どうして黒幕が黒幕たりえていないのかは定かじゃないが、しかしそちらにヒロインちゃんがいるということは、そういうこと。ここでニールに討ち滅ぼされるのが、ハリエットの役目だ。
まあ、わたしも死にたくはない。『バッドエンド』というのもなかなか、乙なものではないかなぁ。
「ね、ニール」
わたしがしゃがむのと同時に、強烈な風が頭上を通り抜けていった。
そろそろエルバードが何かしてくると思った!
「――――くッ!」
ニールの顔が驚愕にひきつり、とっさに両腕を顔の前で構える。それでも避けきれなかった風は、いやにあっさりと彼の肉をズタズタに切り裂いていく。なおも暴風はニールの体を、数メートルほど吹き飛ばして散った。
「う……ぐ……」
背中から着地して、彼は何度か咳き込んだ。両腕から鮮血が噴き出す。顔にもいくらか傷を残し、剣は遠くの地面へ取り落としている。ニールはあまり、肉弾戦が強くない。本来ならわたしの後方にいるべきキャラクターなのだ。
ふらふらと体を起こしながら、鋭い眼光で睨み付ける先は、わたしの後ろのエルバード。
睨まれたはずの彼はなぜか、わたしに向かってにこにこ顔で拍手をしていた。
「はっはっは、すごいねえ。いやはや、やっぱりきみは後ろに目がついているのかなぁ」
「楽しそうですね……」
「無論。なんのためにマデレーンをあちらへやったと思っているんだい? きみたちが傷つけ合うのを見るためさ」
エルバードが指差した先では、お姉さんが二人を相手に戦っていた。二人とも馬鹿火力のはずだが、やはり魔法ではお姉さんに遠く及ばないらしい。渦巻く暴風に近づくこともままならず、必死に魔力をすり減らしている。
魔法戦に持ち込んだ段階で、二人に勝ち目はないだろう。
それより、さっきのエルバードの攻撃の方が問題だ。
ジンくんもどこかへいってしまった今、普段のわたしなら絶対に、間違いなく真っ二つになっていたからな。避けられると当たり前に思われると困る。
今回のそれは、回りに闇魔法をありったけばらまいていた恩恵だ。これもまた腹にある魔石がなければできないことなので、やっぱり普段から避けられると思うなよ。
「ほんと、止めてください。死ぬときはあっさり死にますからね」
死ぬぶんにはしょうがないが、自分が死んだと分からない死に方だけはもうごめんだ。
「はは……きみを殺してしまうのも楽しそうだが、少し気になることがあるのでね。それにきみには、罪を被ってもらう必要が残っている」
「ク、クソ……クソ外道がァァッ……!」
短い休息を経て、ニールが立ち上がっていた。その怒り狂った顔には血がベッタリと張り付いて、なお恐ろしい形相となっている。肩で息をしながら、遠くにある剣の代わりに、暗い闇を浮かべた。
おお、怖い。さすが黒幕といったところか。
ただまあ、これでニールは完全にエルバードに敵意を向けた。腕はしばらく使い物にならなさそうだが、もとよりニールは魔法派のキャラクターだ。おっさんにはぜひとも頑張ってもらおう。
――――なんて、呑気に構えていたのが不味かったのか。
「痛……っ!?」
遠距離からの攻撃に、なすすべもなくわたしは流血した。頬を掠めた程度の傷だったが、それの原因は明らかだ。目の前で怒り心頭のニール。
おま……嘘だろ?! なんで目の前に根底の原因たるエルバードがいるのに、わたしに攻撃してくるんだよ!? 所詮、人間の『好き』だのなんだのは、そういうことなのか?!
怒りより先に目を丸くすれば、エルバードが同じような表情をしているのが目に入った。
「なんだ……きみは絶対、彼女には相対さないと思っていたのだがね。私の読み間違いか? 相当な臆病者だったはずだよ、きみは」
嘲るつもりもなく、心底不思議だとでも言うようにエルバードは首を傾げた。そうだよ、ニールはいつも慎重にして豆腐メンタルな手堅い黒幕だったはず。
「ああ……確かにテメェの言う通り、俺はクソッタレな腰抜けだったよ。好きな女が頭弄くられておかしくなるまでは、なァ!」
「なるほど? 『こう』なったのはきみのせいとも言えるわけだから、責任を感じている? だからこそ吹っ切れたというわけかい? 成長……いや、信じ難い」
「はぁ?! だからって、なんでわたしが!?」
ぶつぶつ呟きながら思考するエルバードを放って、ニールは一直線にわたしに突っ込んでくる。
闇属性同士は、魔法の関係上どうしても相性が悪い。闇魔法を相殺できないのだ。同じもの同士では膨れていくばかりのそれに、身を捩る。それでも飛び散った鮮血に、ニールは目を細めた。
「……ハリエット。テメェ、なんでこんなクソ野郎に付き従ってんだ」
「ッ、地下室で負けて、このザマですよ! 腹に異物を埋め込まれるし、もー反抗してボコられるのはごめんです……、いっ!」
痛い。少なくない量の闇がわたしたちの周りを漂い、肉を削っていく。ニールも同条件のはずだが、彼は顔をしかめるだけに留まっていた。……いや? どちらかと言うと、苦しんでいる?
人の機微に疎いわたしでも分かるくらい、ニールはその内で葛藤しているらしかった。それは彼のことを、わたしが長年見続けてきたからわかったことかもしれない。同時に、怒っているような気もする。
だから、怒るなら後ろで笑っているあのおっさんにしてくれ。
「テメェはそれを、本気で言ってんのかよ?」
攻めあぐねるわたしを知ってか、ニールはそんな顔でそんなことを聞いてきた。さっきから何度も聞かれている問いに、肩をすくめるしかない。
何を言われたって、今のわたしにはどうしてか、エルバードに対する反抗の気持ちが浮かんでこない。そういう呪術をかけられたのだろう。
「本気に決まってるじゃないですか、一度負けたんです。勝ち目ないですよ。お腹の魔石も、何か分からなくて怖いですし」
「一人なら、そうだろうが。今ならテメェのオトモダチもいる、人数も勝ってる。勝ち目がねーことねーじゃねェか」
「いや、変な呪いもかけられましたし……」
「……意識も、記憶も、あるんだろーが」
「はあ。多分、皆のことは誰よりも詳しいですよ。さっきまでのハリエットより、詳しいかも」
「ならなんで、抵抗しねーんだ」
「……? だからっ、呪術を……」
この男は何を言いたいんだ?
思わずわたしが首を傾げるのと、ニールの闇が広がるのとは同じだった。視界一面が濃い闇の中に沈むのと同時に、がしりと頭を掴まれる。
とっさに、わたしは握っている剣を前に突き出した。ぶつりと、そう、強い抵抗と、何かに突き刺さる感覚。頭の奥で悲鳴が聞こえる――――。
「おい……ッ、俺は、テメェに打ち明けたはずだぜ……」
「なに……」
「俺は、アイツの呪術に勝った。今なお今を勝ち取ろうとしている。テメェのせいで、俺は――――ゲホッ――――昨日を昨日のまま、過ごすことを、止めた」
そんなことも、言ってたっけ。
確か、こいつは、永遠に惨劇の日を昨日として見続けている。エルバードによって皆殺しにされた同胞の中で、一人生き残った自分を悔いている。そうだった。……でも、『わたし』が。
わたしが、彼を変えたんだ。いや違う、彼を変えるほどの激情を、抱いてもらったのだ。
わたしのよく知る黒幕とは、似ても似つかない彼。ぶっきらぼうな優しさと、ここへ来て知らない強さを持つ彼。それを与えたのが『わたし』であるなら、多分。
「……ニール?」
口から溢れた声は、無様に震えていた気がする。ずるりと、剣が手から滑り落ちた。落下音はなく、肩口にニールの荒い息遣いを感じる。
体が、言うことを聞かない。この距離であればわたしを殺せるはずのニールは、けれどもそこから一歩も動かない。いや、動けないのか。
「はぁっ……なのに、テメェが諦めてんじゃねェよ。俺じゃ、どうにもならねェってか……?」
……なんだそれ。
ニールの言葉に、えも言われぬ感覚が背筋を上る。
闇が、晴れてくる。目前に迫るニールの顔は、苦痛のなかで悲しげに歪んでいた。取り落としたはずの剣を握っていた手は、熱い液体に濡れている。
――――最近、ニールはそんな顔をしてばかりいる。
――――それが嫌で、どうにも耐えられなくて、わたしはエルバードを殺そうと思った。
「……あれ?」
ノイズが走る。
何か、大事なこと、忘れてる?
大切なこと、大切な、わたしの、一番大切なこと。
どうしてわたしが『こう』なったのか、それはエルバードに負けたからだけど、そもそも彼を倒そうとしたのは何故か。
思い出すだけで心が浮き足立つような、そわそわして、顔が熱くなってしまうような、人生で一番の大切なことがなかったか。とっても好きな誰かに、いつものように笑っていてほしくて、行動しようと思ったんじゃなかったか。『友達』のために、逃げる道を選ばなかったのではなかったか。
膨大な疑問が浮かび上がってきて、カラカラに干からびていた脳内を埋め尽くす。ぽっかりと、黒く塗りつぶされたところを自覚してしまう。
「あれ、あれ、あれ?」
目の奥が熱い。
頭が、痛い。