00 失踪事件
わたしの目の前に、ひとつのゲームがある。
いわゆる乙女ゲーと言われるものであり、二度に渡りアニメ化された人気作だ。
よくある学園ファンタジーものなのだが、やや特徴的であり、端的にいえばそれがかなりウケた。何本かシリーズが出ており、違うハードでのリメイクもされている。
勿論コミカライズも小説化もドラマCD化もされているし、確か、わたしは聴いていないがラジオも放送されていたはずだ。
乙女ゲーといえばコレ! という枠に名前が挙がる程度には、知名度も人気もあった。
そしてなにより、わたしはこれが好きだったのだ。
完全にインドア派なわたしはアウトドア全開の周りに馴染めず、しかも重度のめんどくさがりやであり、投げ出したゲームも少なくなかった。そのくせゲームが好きだったのだ。
とはいえ格ゲーは基本ボタン連打でガチャプレイだし、ミステリものはネタバレ見ちゃうし、RPGはぬるゲーしかしないし、MMOはキャラメイクまで。
つまり、ゲームは無趣味なわたしの暇潰しに過ぎなかった。飽きたらやめる。それができるのがゲームだ。
その例に漏れず、乙女ゲー、ギャルゲー、まあBLゲーの類いも目についたものをプレイしてきた。
勿論攻略サイトの通りの選択肢を選んで、好感度を上げて、気に入ったキャラのハッピーエンドだけを見て終わりだ。暇なときだけは気の乗らないバッドエンドを見たりもしたけど、基本はやっぱりいいエンディングじゃないと。やっぱりバットエンドって、どうしても気が滅入るし。
しかしまあ、このゲームだけは違ったのだ。
絵も起用声優も好みだし、よくいるはずの性格のキャラクターも妙にわたしのツボをついてくる。世界観も主人公も、台詞一つまで。
一つ一つの要素はどこかであるようなものだったが、そのすべてががっちり噛み合わさって、わたしをすっかり魅了したのである。
兎にも角にも、そのくらいこのゲームが好きだったのだ。
このゲームだけは全キャラ攻略したし、小説も漫画も買ったし、ドラマCDも買った。公式ブログもたまにチェックしていた。アニメも深夜枠ながら録画して観ていた。
クリアした今でも、好きなシーンをプレイして癒されていたりする。いや、今さっきもしようとしていた。
土曜の夜をいいことに、今日のわたしは思いっきり夜更かしする気でいた。
慣れた手つきでさわりだけやったオンラインゲームのディスクを取りだし、キャラクターが描かれたもはやお馴染みのパッケージを、開けたのだ。
「……ん?」
――なかった。
思わずオンラインゲームのディスクを取り落とす。
ほとんどのゲームにあまり愛着のないわたしは、気がすんだらゲームを売ってしまう。だからわたしの部屋には、ゲームソフトはわりと少ない。
しかしながら、違うパッケージに収めた覚えは、全くない。
とりあえずさっきまでゲーム機に入っていたゲームのパッケージを開けるが、中身はやはり空だった。
棚に並んでいるゲームの中身をみるが、お目当てのディスクは存在しない。
つまり冒頭のモノローグは、わたしの目の前に、ひとつのゲーム(のパッケージのみ)がある――ということになる。
もしくは(外装のみ)か、(ディスク紛失)か。
現実から逃避してみても、やっぱりディスクは現れるはずもない。しかし、どうも部屋を探す気にはなれなかった。
わたしは一人暮らしで、部屋を勝手にいじるような人物は存在しない。一人暮らしでゲーム三昧という、お察しの通り彼氏なしである。
基本的に部屋は片付いているし、そもそもお気に入りのゲームを、ディスクのまま放置なんてあり得ない。
「ど、どういうこと……」
まさに失踪事件である。
惜しむらくは、わたしは素人探偵でも刑事でもないということ。
どうしてもパッケージ以外の存在場所が想像できず、探すこともしないで途方にくれてしまう。とりあえずマグカップに淹れていた紅茶を啜って落ち着こうと試みる。
まずは失踪時刻の特定だ。
はたして最後にプレイしたのはいつだったか。
先週――は映画を見に行って、そのまま飲んで寝た。
先々週は……確か小説でも読んでたかな? ゲームを起動した覚えはない。
少なくとも二週間以上姿を目にしていなかったのは事実だ。
わたしの管理不届きが原因か……! もっと遊んでやるべきだった! と、今さら悔しがっても遅い。
「いや、うーん、でもなあ」
貴重な休みを計画的に使おうと思っていたのに、出鼻をくじかれたのはショックだった。が、お気に入りとはいえどゲーム。
このマグカップだって、割れたら新しいのを買うつもりだし。100均はいいものだ。
そうは思うのだが、ディスクのみ紛失という結果だけ、どうももやもやさせる。
残ったパッケージを捨てればいいのか、それとも後々ディスクが出てきた時のために残しておけばいいのか。そもそも外で失くしたわけでもないんだから、ひょっこり出てくる可能性が高い。
出てくることを考えるとパッケージは捨てない方がいいのかもしれないが、空のパッケージを並べておくのもむなしい……。
それにわたしは! 今! やりたかったんだ!
しばらく座って悩んだあと、もしかしてお酒でも飲んで、その時にどこかへ間違って仕舞ったのか、もしかしたら寝ぼけて覚えていないうちに触ったのかも、と思い至った。
記憶を失うほど飲んだ覚えはないし、そもそも寝起きはいい方だけども。
案外どじっ子だからね! と、わたしは自分を無理矢理納得させ、紅茶を飲み干ししぶしぶゲームを探すことにした。
一人暮らしのさして物も多くないワンルームは、失踪者捜索に時間を取らせない。
ああそして、わたしの愛しのゲームはどこへ。
「引き出しは――」
――なし。
「本棚は――」
――なし。
「……タンスの隙間――」
――なし。
「……迷宮入りじゃね?」
結局、ディスクは見つからなかった。
途方に暮れつつも、夜も遅くなってきたことだし、わたしは一時諦めてベッドで寝ることにした。せっかくの休みがすっかり台無しだった。
また明日探そう、そして明日見つからなければ中古でいいから買おうと思いながら横になる。短い黒髪をまとめて横へ流しながら、ぬいぐるみを抱きしめる。
朝にはあっさり見つかってるといいな、と願望を胸に抱きながら、わたしは目を閉じた。
彼女がすっかり眠った一室で、ふわりとどこからともなく風が吹く。
しばらくして、暗闇の部屋の中から一人の人間が現れた。
――もしかすると人間ではないのかもしれない。
その人間のようなものは彼女の寝顔をしばらく見つめると、形のいい唇からふっと息を零した。
「決めた」
その声は不思議と彼女の眠りを妨げることはなかった。老人のような子供のような、はたまた男のような女のような、判断のつかない奇妙な声。
その声の主は、声と同じく、子供ではあったがどこか老人のような振る舞いで、そして容姿も中性的だ。
白色の髪をしたその人物は、どこからか銀色の円盤を取り出す。
それは紛れもなく、彼女が探していたものだった。
どもにも光はないのに、そのディスクは光を反射して輝きだす。そしてそのまままばゆい光に包まれて、光とともに消失した。最初からそこには何もなかったかのように。
そして、その人物の手は、次に彼女に伸ばされた。