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act.9 あの日のこと






 ふわふわと、夢の中にいるときのような感覚を味わう。

 体が無重力で浮いているような、いまにも飛んで行けそうな体の軽さに、セシリアは口元から笑い声がこぼれ落ちる。

『カミラ』

 名を呼ばれ、セシリアが振り返る。

 そこにいたのはクレイグだ。けれど、ライアンなのかもしれない。二人は瓜二つで、セシリアにはまだ見分けがつかないから。

 もしもそこにいるのがクレイグならば、セシリアはひねくれた子供のように無視を決め込むだろう。でもライアンだったらと思うと、できない。

 セシリアにとってライアンは、第三者の立場から見ても許してはならない存在だと思うものの、重なってしまった偶然で起きた被害者だと思えなくもない。

 ではカミラにとってはどうなのだろうか。

 記憶としてセシリアはカミラのことを知っているが、彼女だったらライアンをどう思うのかわからない。セシリアはカミラではないのだから。

「ライアン様……私は、あなたのことを――」

 きっと彼女なら、ライアンに再会することが出来たらこういうだろう。


 ふいに現実が押し寄せてくる。

「おはようございます、お嬢様」

 いきなり開いたカーテンの音とともに朝日が差し込んできた。

「エミリー、おはよう」

「よかったですわ、本日は顔色も良いようで。昨日はお二人にしてしまったことで心配をして、案の定お嬢様に無理をさせたあの殿下のせいで倒れられて……まったく、殿下のわがままは困りますね」

 てきぱきと朝の支度を整えていくエミリーに、セシリアは首を傾げるばかりだ。

 そう言えば、午後に来たクレイグが帰っていった後の記憶が思い出せない。

「エミリー、私」

「本日のお茶会はどうされますか?」

「え?」

「殿下との会談後にお倒れになったとお話すれば、お断りされても文句はないと思いますが」

「私、倒れたの?」

「そうですよ。殿下がお帰りになられて私と入れ替わりになった瞬間に」

 そう言えば、エミリーの姿を見て安心してしまったことをセシリアは思い出す。色々と許容範囲を超えてしまったのかもしれない。

「どうされますか?」

「行くわ。どうせ先送りにしたって仕方ないことだもの。嫌なことは早々に終えてしまいたい」

「そうですね。では、そのように準備させていただきます」

「お願いね」

 部屋から出ていくエミリーを見ながら、ふと見ていた夢を思います。

 あの後、何と言葉を紡いだのだろうかと。けれどセシリアは思い出せない。

 自分のことのようで、自分ではない感覚だ。

「けじめをつけなくてはいけないのかしらね」

 この胸に宿っている思いは、消すことのできなかった燃えカス。くすぶり続けて、今もこの胸を惑わせる。

 理由は分からないが、カミラの記憶を持って生まれてしまったのであれば、彼女がどうしたかったのかを考えてみるのもいいかもしれない。

 思い出したのにも理由があるのかもしれないし。

 そう、セシリアは忘れたい記憶を思い返すことにした。

 断片的に夢で見ていた事柄を、一つ一つつないでいくと、確かにカミラの生前の記憶なのだ。

 クレイグとちゃんと向き合う。そのためにも、セシリアはカミラの記憶に目をそむけることをやめた。

 朝日が差し込む自室で、セシリアはベッドに倒れこむように寝ころぶと、記憶を引き出すために瞳を閉じた。


 生まれ落ちた瞬間から、カミラは不遇の姫と揶揄される存在だった。

 政略結婚をしながらも、陛下と正妃は気持ちを通わせていた。否、陛下に至っては正妃以上の気持ちを持って愛していた。姉姫が生まれ、ますます二人には揺るがない愛情で結ばれていた正妃だったが、妹姫を胎内に宿してから、ことは急変する。姉姫にも守られ、両親からの愛情を持っておなかの中で育っていた妹姫だったが、正妃の体が出産前から危惧されてきた。二人目を出産することを危険視されたのだ。

しかし正妃は自分の命よりも、わが子を優先させた。十月十日、大切に自分の中で育ててきた娘を犠牲にして、自分を優先したくなかったのだ。そんな正妃の言葉に、医師たちは困惑をし、そして彼女の遺言として尊重されてしまう。

正妃の言葉を尊重した医師も、また最愛の正妃の命を奪って生まれてきた娘を陛下はどうしても許すことが出来なかった。特に妹姫に対しては父親として愛することを拒み、抱くことすらも拒否され、存在しないものとして育てられてきた。それほど深い愛情を正妃に抱いていたのだ。

 愛されていないという事実を理解することも出来ない時から父親から疎遠となっていたことを悲しいと感情で理解しても、もともとなかったことだからと父親からの愛情をもらえなかったことに不満を抱くことはなかった。まして不遇の扱いをされていることも大して意識もしないカミラだったが、陛下の娘という立場で生まれたことから他者からは疎まれた存在でもあった。

 誰からも必要とされない、存在してはいないという扱いを受けて生きていかなければならなかった。

 そんなカミラだったが、実は民からの人気は高い。

 特に彼女の姉姫は民の前に姿を現すことなく、王城で好き勝手に暮らしているために税金の無駄遣いだと思われていたことから比べられていた。

 反対にカミラは城にいることが苦痛で、すぐに城下町へ逃げ出していたことも好感を抱かれることとなった。

 陛下の娘として生まれながらも、決してその存在を歓迎されていない不遇の姫、その事実を知りながらも何もすることのできない民たちはカミラを受け入れて、何よりも国のためにと慈善活動をして子供たちと遊んだりする彼女を好きになっていた。

 王族としての立場だけに表立って好意を伝えることが出来ないことが歯がゆく思いながらも、けれどカミラはそれだけで幸せな日々を過ごしていた。

 変わらぬ日々を過ごしていくと確信していたカミラに、転機が訪れたのは12歳の誕生日が一カ月後に迫ったある日のことだった。

 まだ冬から春にかけてこの季節はこの国では雪が残っているほどの寒さだった。前々から話が出ていた隣国の王子であるライアンが、一年ほど留学するために来たのだ。

 国の後継者として育てられた長男と二男と三男、長女と次女の五人の子供をもうけている陛下は、三男を隣国のもとに留学させていた。お互いの国の繁栄を願うためといわれていたが、簡単にいえば人質である。

 しかしながら他国での留学はより良い教養と人脈を作り上げることが出来ることが魅力的であった。

 この国に来たのは隣国の二男で、柔らかな金の髪は陽に透けると金色に輝き、宝石のように輝く瑠璃色の瞳をもった17歳の青年であった。まるで絵画の中の住人のような精悍な顔立ちに、すらりと伸びた長身、程よくついた筋肉に遣い込まれた剣を見る限り、名ばかりの王子ではないことが窺えた彼の登場は、城は色めき立出せた。

 勉強という名目で開かれる夜会は、実は彼の目に止まるために連日行われており、隣国との強力なつなぎを手にしようと女性だけでなく貴族たちも活気だっている。

 けれどカミラは関係のない日々を過ごしていた。ライアンがこの国に来た時にも同じ空間にはいたのにもかかわらず、カミラは紹介されることがなかったのだ。

 そのことを事実として受け入れているカミラにとってライアンはお客様という認識で、礼儀作法に自信のない彼女にとっては会いたくない存在でもあった。何か粗相をして誰かに咎められるのを怖がった。

 この日も普段のように城下町へと出かける支度を整えて廊下を歩いていたカミラは、突然後ろから声をかけられた。この城で話しかけてくるのはカミラ付きの侍女か、皇太后の祖母だけだったが、この日は違ったので驚いた。

「君は誰?」

 声変わりをしたばかりなのか、ハスキーな声音に止められてくるりと振り返ったカミラは悲鳴を上げなかった自分をほめたいと思った。

 飛び込んできたのは身なりをしっかりと整えた、一部の隙もないライアンが立っていたのだ。

「お、王子様」

 まさか自分が声をかけられるとは思ってもいなかったカミラは、どうしたらいいのかわからずにもじもじと体を動かしながら、なんとか彼の視界から消えることが出来ないかと思案する。

 実は父親である陛下から、ライアンがここに滞在中は目に止まられないようにと厳重に注意を受けており、それを実行していたはずのカミラは完全にパニックを起こしてしまった。

「もう一度聞くけど、君は誰なのかな?」

 にっこりと微笑んではいるものの、声音から苛立っているようなトーンを受け、カミラは相手を怒らせないためにも口を開く。

「あの、カミラと申します」

「カミラ、ね。どうして君はここにいるの?」

「それは、その」

 しどろもどろになってしまったのは、何となく尋問をされているような気分になったからかもしれない。

 相手を怒らせないで穏便に解決する方法はないだろうかと思案するものの、名案は浮かんでこない。じっと見つめてくるライアンの視線に耐えられなくなり、俯いてしまう。すぐに下を向くのは癖になってしまい、下を見ていても何も落ちていないのだからとよく祖母に怒られていた。

「まあ殿下、こちらにいらしたのですね」

 まるでカミラの助けを聞いて飛んできてくれたのかと錯覚したくなるほど慣れ親しんだ声が後方から聞こえてきた。

 はっと顔を上げたカミラの瞳に映ったのは姉のレティスであった。ピンクがかった金髪は無造作に一つで結ばれ、青空の瞳を持つ生前の正妃に似た容姿のカミラと、赤みがかった金糸の髪にアメジストの瞳を際立たせる類稀なる美貌を持つレティスは華やかな装いで登場した。

 粗相をする前に逃げられると安堵するカミラを一瞥したレティスは、すぐに視線を戻してライアンにすり寄るように近づく。

「これはこれは、姫君」

 会いたくなかったと示したいのを我慢して、ライアンはにこやかに対応する。第二王子として礼儀を欠かないとっさの対応は生まれついたもので空気を吸うように自然にできる。

「あらあなた、こんなところで何をしているの」

 物心ついたころから人目を憚らずにありとあらゆる嫌みを言われ続けていたため、レティスを目の前にするとカミラは自尊心を傷つけられていた。その名残は消えることはなく、レティスに睨まれた瞬間、動けなくなってしまった。逃げ出してしまいたいのに、体はカタカタと震えるしかできなくて、返事をしないと罵倒されるので小さな声で言い訳を口にするもののその声がレティスの耳に届くことはない。

「何を言っているのか聞き取れないわ。本当に愚図な子ね、早く行きなさい」

「は、はい」

 習ったばかりのお辞儀をライアンにしてから、足早に去っていった。

 その背中を見ていたライアンは、どこかで見たことがあるような気がしてならなかった。

「彼女はカミラというのですね」

「お恥ずかしいことに、私の妹ですの。あの子のことは私も皆も認めてはおりませんが。生まれてすぐに母が亡くなってしまったので、仕方ないからお城で預かっておりますのよ」

「不遇の姫、か」

 小さな呟き。ライアンは隣国で既に聞いていた話であり、そして会ってみたいと思っていた姫である。

「何かおっしゃいましたか?」

「いや。少し部屋に戻ります、失礼」

 返答を聞くこともなく、ライアンはレティスから離れる。どこからともなく現れた彼の護衛騎士が隣に並んだのを見て、レティスはその背中に見惚れてしまう。

 慣れ親しんだ自国を出て彼の国へ嫁ぐことを嫌だと思っていたが、けれど結婚相手としては申し分がないことと、あれほどの美形を夫とするのも幸せの一つだと思うのは打算的だろうか。

「殿下に求婚されれば、誰だってはいと返事をしてしまうわ」

 そんな想像をして胸を高鳴らせたレティスは、恋敵がたくさんいることに不満があった。隣国の王子で後継者でないのは減点だが、それでも魅惑的な要素を持つライアンは手放すには惜しい存在だ。

 どうしたら恋敵を減らせるだろうかと悩みながら自室へと戻る。

 しばらくするとカミラのことを思い出して苛立ちを募らせてしまう、彼から話しかけられていたのを偶然目にしていたから。










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